多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    カテゴリ:東朝鮮日報 > 東日本大震災

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    2016年2月
    04日 1号機原子炉建屋のカバー解体工事で、放射性物質の飛散を防ぐための
    散水設備の設置作業が始まった。
    08日 用済みの防護服などを処理する雑固体廃棄物焼却設備の試運転を開始。
    水漏れのトラブルで一時、運転を見合わせた後、23日に再開した。
    09日 2014年6月に着工した凍土遮水壁の設置工事が全て完了した。
    25日 敷地境界放射線量について、目標の年間1ミリシーベルト未満を達成できる
    見込みとなったと発表。

    f9c02beb.jpg

    一般服作業1,000人以下
     東京電力は3月上旬から、福島第1原発の敷地を放射線量に応じて三つに
    区分し、防護装備を適正化すると発表した。

     構内の放射線量を下げるための表土のはぎ取りやフェーシング(舗装)が
    3月末までにおおむね終了する。 汚染の高いエリアとそれ以外を区分けし、
    全面マスクや防護服を着用しなくてもいいエリアを設定する。

     具体的には?

     1~3号機の建屋内など線量が最も高いエリアを『アノラックエリア』、
    多核種除去設備(ALPS)や1~4号機周辺を『カバーオールエリア』、それ
    以外を『一般服エリア』に区分する。 敷地面積の9割が『一般服』となる
    見通しだ。

     一般服エリアの装備は。

    A 通常の作業着に
    使い捨てマスクや軍手などを着けるだけでいい。 作業員の負担が軽くなり、
    作業効率や安全性の向上が期待される。

     第1原発で働く1日7,000人のうち、どれだけが区分見直しの恩恵を
    受けるのか。

     一般服で作業できるのは1,000人以下とみられている。 一般服
    エリアでも建物解体など粉じんが飛散する作業では防護服などを着用する。
    厳しい作業環境であることに変わりはない。


    出典:河北新報

    現状、福島第一原発付近でも2.5マイクロ前後程度しかないため、防護服は
    そろそろなくても良いような気もするが、もう少し線量が下がるまで念のため
    防護服を着用した方が良いのかも知れない。 尚、道端で警備にあたっている
    警察官は、被災当初から防護服などは一切着用していない。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    東京電力福島第1原発事故で、勝俣恒久元会長(75)ら東電の旧経営陣3人が
    業務上過失致死傷罪で強制起訴されたことに対し、福島県内では2016年
    2月29日、『裁判を通して刑事責任を明らかにしてほしい』などと期待
    する声が上がった。

    5ff09602.jpg

    東電旧経営陣の強制起訴を受け記者会見する福島原発告訴団のメンバー福島県庁

    『福島原発告訴団』のメンバーは福島県庁で記者会見。 佐藤和良副団長
    (62)は『告訴・告発から3年8カ月。 刑事責任を問える段階まできたことは
    感慨無量だ』とし『多くの関連死や自殺者を出している原発事故は明らかな人災だ。
    3人の有罪を勝ち取りたい』と力を込めた。

    事故から5年を迎える今なお、全域が避難を強いられている自治体は数多い。
    その一つ、飯舘村から逃れ、福島市の仮設住宅で暮らす無職遠藤由勝さん
    (71)は『賠償金を貰っても古里は元には戻らない。 東電の罪は重く、誰かが
    責任を取らないといけない』と訴えた。

    南相馬市の桜井勝延市長は『南相馬市は1万7,000人が市内外で避難を強い
    られている。 誰も責任を取らないのは許されない。 裁判を通して責任を
    はっきりさせてほしい』とコメント。 浪江町の馬場有町長は『これまで原発
    事故の原因究明をしっかりやっていない。 責任を明確化するために審理して
    もらいたい』と語った。

    東京電力福島第1原発事故で、勝俣恒久元会長(75)ら旧東電経営陣3人が大津
    波対策を怠ったとして、検察官役の指定弁護士は2016年2月29日、検察審査会の
    議決に基づき、業務上過失致死傷罪で東京地裁に在宅のまま強制起訴した。

    未曽有の事故をめぐり、証拠や争点の整理に相当な時間を要するとみられ、
    裁判の長期化は必至だ。 原発事業者に課せられた注意義務の範囲をどう判断
    するかが焦点。 3人は無罪を主張する見通しで、事故の真相解明がどこまで
    進むかに注目が集まる。

    出典:河北新報

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    2011年の東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会から起訴
    議決を受けた東京電力の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣3人について、
    検察官役に指定された弁護士は2016年2月26日、業務上過失致死傷罪で
    2月29日に東京地裁に強制起訴することを明らかにした。 検察審の
    起訴議決に基づく強制起訴は全国9例目。

    60000

    強制起訴された勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長他に
    起訴されるのは、武黒一郎(69)、武藤栄(65)の両元副社長。

    第5検審は昨年7月、旧経営陣3人について『万が一にも発生する事故に備える
    責務があり、大津波による過酷事故の発生を予見できた。 原発運転停止を
    含めた回避措置を講じるべきだった』などとする起訴議決を公表。

    3人が事故を未然に防ぐ注意義務を怠り、福島県大熊町の双葉病院から避難した
    入院患者44人を死亡させ、第1原発でがれきに接触するなどした東電関係者と
    自衛隊員ら計13人を負傷させたと認定した。

    出典:毎日新聞

    【お勧めの一冊】


    トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    東日本大震災の被災地では、校庭に仮設住宅が立ち並ぶ学校がある。
    震災の発生から4カ月が過ぎた今も、体育館で被災者が避難生活を送る
    学校もある。 子どもたちが思う存分、体を動かせない状況だ。

    津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の小中学校では、限られた
    スペースと時間の中で、やりくりを強いられている。

    467bb855.jpg

    学校で何が 半分の校庭(宮城・南三陸町)
    出展:河北新報 2011年7月13日

    市街地が津波の被害を受ける中、高台にあって難を逃れた歌津中(生徒136人)。

    午後4時すぎ、校庭で部活動が始まった。 校庭の約半分は37戸の
    仮設住宅で占められている。 残った縦60メートル、横80メートルほどで
    野球部とサッカー部の計30人ほどが練習する。 キャッチボールやノックを
    する野球部員のすぐ隣で、サッカー部員がドリブルを繰り返す。 「ノックも
    加減しなければならない」。 野球部監督の長野孝志教諭(25)は漏らす。

    仮設住宅と校庭の境目には防護ネットが張られたが、打撃練習はミート中心
    になる。 3年の後藤寛飛君(14)は「思い切ってスイングしたい」と言う。
    歌津中は校庭の半分だけでなく、体育館も使用できない状態だ。 避難所として
    使われ、24人が身を寄せる。

    屋内競技のバレーボール部や剣道部などは、隣接する伊里前小(児童139人)の
    体育館や多目的ホールを借りて練習する。 「コートがあるので、試合形式の
    練習ができる」。 バスケットボール部監督の小野寺孝夫教諭(50)は
    感謝する。

    校舎と校庭の間の舗装路も貴重な練習スペースだ。 小学校のリングが
    ミニバスケット仕様で低いため、ボランティア有志が資金を募って提供して
    くれたリング2基が設置されている。

    ランニングの場所でもあるが、練習が時折、中断される。 「はい、後ろから
    車が来たよ」。 仮設住宅や避難所の住民の車が舗装路を通行する。 伊里前小
    では、被災で校舎が使えなくなった名足小の児童74人が、間借りして授業を
    受けている。校庭は、やはり仮設住宅が建ち、従来の約半分の広さになった。

    時間も制約されている。 「鉄棒とか、みんなともっと一緒に遊んでいたいな」。
    午後3時すぎ、帰りの会を終えた伊里前小4年の及川萌さん(10)はバスに
    乗り込むと、物足りなさげに、見送りの先生に手を振った。

    0020size3

    本来、夏場の最終下校時刻は午後4時半。 今は安全面を考慮し、スクール
    バスで午後3時半には一斉下校する。 伊里前小、名足小とも、児童が校庭で
    遊ぶ時間は少なくなった。

    伊里前小の兵藤文隆校長(57)は「帰宅してもがれきで広場は使えない。
    子どもの運動量は間違いなく減っている」と懸念する。

    歌津中の生徒も状況は同じだ。 「はい、じゃあ今からシュート練習」。
    バスケットボール部の部員が舗装路で走り込みを終え、ボールを持ち出して
    間もなくの午後6時前。 下校のスクールバスが滑り込んで来た。
    「えっ早いよ」「シュート練習、もうちょっとしたい」

    部活は終了。 生徒たちはジャージー姿のまま、慌ただしくバスに乗り込んだ。
    仮設住宅の建設が進めば、体育館は避難所の役割を終え、使用が可能になる。
    一方で仮設住宅の入居期間は原則2年。 子どもたちの不自由な学校生活は続く。

    伊里前小の兵藤校長は「体を動かすことで、つらい現実をひとときでも忘れ
    られる。 ストレスも発散できる。 工夫をして運動の機会を増やしていきたい」
    と語る。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    東日本大震災で校舎が被災した岩手県大槌町大槌小(児童205人)と岩手県
    山田町船越小(児童159人)は、山田町にある県の研修施設
    『陸中海岸青少年の家』を一緒に間借りしている。 自治体が異なる2校の
    『寄り合い所帯』は、不慣れな施設で可能な限りの教育機能を果たそうと
    している。 『授業に支障が出ないように』。 さまざまな制約の中、
    教職員らは施設利用の調整に苦心を重ねている。

    efaa7580.jpg

    学校で何が 寄り合い所帯(岩手・山田町の船越小と大槌町の大槌小)
    出典:河北新報 2011年7月9日

    朝の登校時間、2校の児童を乗せた9台の通学バスが、続々と青少年の家に
    到着する。 2011年7月5日はボランティアの男性が扮するピエロが、皿回しを
    披露して出迎えた。 児童は大喜びでピエロに『おはよう』とあいさつし
    『校舎』に入った。

    『今日は朝から元気いっぱいね』。 大槌小の小野寺美恵子校長(58)は笑みを
    浮かべた。 震災前と環境はがらりと変わったが、子どもたちの元気な姿が
    学校に徐々に戻ってきている。 2校は校舎が震災の被害に遭い、使用不能に
    なった。 それぞれ他校を間借りすることも考えたが、受け入れ人数に限りが
    あった。

    山田、大槌の両町教委ともに『児童を離れ離れにしたくない』と、一校
    丸ごと入れる施設を探した。 たどり着いたのが、大槌小から直線で約7キロ、
    船越小からは約4キロ離れた青少年の家だった。

    002size99884

    異例の学校生活は4月下旬に始まった。 2校は青少年の家の体育館や研修室を
    間借りしている。 高さ約2メートルの板材の間仕切りや段ボールを使い、2校の
    計12学級の教室と職員室のスペースを設けた。

    震災前のそれぞれの学校と比べると、不自由さは否めない。 間仕切りが
    あっても隣のクラスの声が聞こえ、気になることも多い。 顕微鏡などの
    器具がそろわず、理科の実験も満足に出来ない。 体育はグラウンドで行うが、
    プールはない。 雨の日は体育館を使いたいところだが、既に職員室や教室に
    転用されてしまっている。

    子どもたちが落ち着きを取り戻せるように、授業を最優先させたため、船越小は
    5月に開催予定の運動会を10月に、大槌小は修学旅行や遠足を2学期に延期した。
    『制約は覚悟していた。 それでも工夫し、できる範囲で取り組んでいる』。
    船越小の佐々木道雄校長(54)は説明する。

    ある学級の音楽の時間には、隣の学級は外で体育の授業。 グラウンドの使用が
    重なる時は片方に広く割り当て、もう一方は狭い方を使い、次の機会に入れ
    替える。 演奏家や著名人の慰問がある時は、互いに参加を呼び掛けるなど
    交流も図った。 『できないこともあるが、この場所だからできることもある』。

    2校の校長は口をそろえる。 そんな教育現場の『寄り合い所帯』も今月下旬に
    始まる夏休みが明けると、解消される。 大槌小が、大槌町寺野地区に9月に
    完成する見込みの仮設校舎へ、被災した同町の小中学校計4校とともに移る
    からだ。

    町教委の鎌田精造学務課長(50)は『児童や教職員の負担を軽くする意味でも、
    一日も早く町内で学校生活を送らせてあげたい』と言う。 残る船越小は
    大槌小の移転で、体育館や研修室を広く使えるようになるが、青少年の家での
    間借りは少なくとも2012年度まで続く見通しだ。

    山田町教委の甲斐谷義昭教育次長(56)は『仮設ではなく、本校舎の新築を
    考えている。 少しでも早く建てたい』と強調する。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    仙台市泉区の南光台小は東日本大震災で校舎が大きな被害を受け、全面的に
    使用出来なくなった。 近隣に児童772人を収容出来るような施設はなく、
    子どもたちは3カ所に分かれて学校生活を送る。 学校はボランティアや
    地域の人たち、保護者らの協力を得ながら、教育環境を少しでも整えようと
    工夫を凝らす。

    a2986c08.jpg

    学校で何が 分散授業(仙台・南光台小)
    出典:河北新報 2011年7月7日

    南光台小は地震で、校舎と体育館の壁や柱に亀裂が入り、校庭も地割れした。
    1週間後の応急危険度診断では『危険』の判定を受けた。 1年生4学級は入学以来、
    学校に隣接する南光台コミュニティ・センター多目的室で授業を受ける。
    段ボールで四つに仕切った空間が『教室』だ。 他の学級の声や音が漏れ、
    先生の声が聞きにくかったり、児童の集中力を妨げたりもする。

    『こうするときれいに貼れるね』。 2011年7月4日、1年4組の図工の授業で、
    宮城学院女子大4年の柳内亜希子さん(22)がテープやはさみの使い方を
    子どもたちに教えた。

    柳内さんは同大の災害復興ボランティア。 大学側が協力を申し出て支援に
    当たっている。 落ち着かない状況の中で、学習につまずかないようにする
    のが役目だ。 先生の声が児童に届いているかどうかを確認し、学習を手助け
    する。

    1年生の学年主任の五十嵐深和子教諭(53)は『普通の学校で出来ることは、
    ここでもする。 不自由さの克服を、子どもの自信につなげたい』と強調する。
    新学期は市内の他の小学校より4日遅い4月15日に始まった。 当初は近くの
    学校や公共施設4カ所に分散。 5月23日からは1年生がコミュニティ・センター、
    2~4年生が南光台中、5、6年が八乙女中に間借りしている。

    f4520c6d.jpg

    教員は、原則として担任する学年が利用する施設に通勤する。 全員がそろう
    のは週2回の打ち合わせの時だけ。 飯塚巌校長と教頭、養護教諭が1日2回以上、
    3カ所を巡回し、配布物を届けるとともに、子どもたちの様子の把握に努める。

    授業とともに、学校行事でも苦労する。 新学期が始まってから全校児童が一堂に
    会したのは、5月21日の運動会しかない。 学校には久々に児童の歓声が戻ったが、
    校庭の補修が終わったのは運動会の3日前だった。 玉入れ、綱引きなど事前練習の
    要らない種目が中心となった。

    4月23日の授業参観では、保護者に負担がかかった。 きょうだいが通う家庭では、
    授業中に離れた施設の間を移動せざるを得なかった。 6年生の息子と3年生の娘の
    母親(39)は『南光台中から八乙女中への移動で10分かかり、最後の5分しか
    見られなかった』と言う。 学校はこのため、7月中旬の授業参観は、施設ごとに
    実施日をずらすことを決めた。

    子どもたちの環境を良くしようと、懸命の努力が続く。 学校は校舎の図書室から
    持ち出した数十冊を段ボール箱に並べ、各施設の教室の近くに置いた。 教員が
    定期的に本を入れ替える。

    離れた施設に通う児童の安全を確保するため、登下校の時間には、地域の人たちが
    通学路に立って子どもたちを見守り、学年を確認しながら誘導に当たっている。
    分散しての授業は、校庭にプレハブ校舎が完成する11月まで続く見通しだ。
    損壊した校舎について、地域住民や保護者らは建て替えを要望しているが、学校に
    よると、補修か建て替えかの結論は出ていないという。

    飯塚校長は『児童を含め、多くの協力があって学校生活が送れている』と感謝し
    つつ、『早く全学年がそろって授業をしたい』と本来の姿に戻ることを待ち望む。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    不安、恐怖、怒り、喪失感―。 東日本大震災は、被災した多くの子どもの心に傷を
    残した。 日常を取り戻しつつある学校現場で、子どもの心のケアは重要性を増して
    いる。 東松島市はスクールカウンセラーの巡回など、多方面からのサポートに力を
    入れている。

    学校で何が スクールカウンセリング(東松島)不安・恐怖、耐える幼心
    出典:河北新報

    fe186475.jpg


    東松島市の川下公民館で避難生活を送る野蒜小5年の京野瑞樹君(10)は活発な
    野球少年。 お気に入りの野球帽をかぶり、練習に打ち込む。

    3月11日は、学校からの帰り道で巨大地震に襲われ、恐怖で動けなくなった。
    通行人に助けられ、父親の文彦さん(37)らと一緒に野蒜小の屋上に避難し助かった。
    津波は学校の校舎を破壊し、仲良しのクラスメート2人の命を奪った。

    『友達が亡くなってさみしい。 地震が来ると、あの時みたいに胸がどきどきする』と
    瑞樹君。 文彦さんは『普段は口に出さなくても、心の中には(恐怖が)あるかも
    知れない』と思いやる。

    大曲地区センターに避難する主婦千葉理恵さん(30)は、大曲小3年の次女(8)が
    余震の時に示す反応が気掛かり。 『顔色が変わり、パニックのような感じ。 いざと
    いう時、冷静に逃げられるかどうか心配』と話す。

    1,000人を超える犠牲者を出した同市で、小中学校の児童、生徒の死者、行方
    不明者は計32人、両親の一方か両方を亡くした子どもは36人を数える(5月6日現在)。
    避難所生活が長引く中、学区外からのスクールバス通学者は約500人に上る。

    339d7d7f.jpg


    地震で受けたショックや慢性化する震災ストレスとどう向き合うか。 東松島市は、
    宮城県教委を通じ、岐阜、徳島両県のスクールカウンセラーの派遣を受けている。

    岐阜県の心理士神谷文子さん(36)は、鳴瀬一中に間借りする鳴瀬二中に派遣
    された。 隣接する小野小に入る浜市小も巡回する。 両校とも津波で校舎が使え
    なくなった。

    5月中旬、初めて学校を訪れた神谷さんは子どもの異変に気付いた。 『おなかが痛い』
    『頭痛がする』という訴えを耳にする中で、首や肩を触ってみると、パンパンに張って
    いた。 ささいな事でいら立つ様子も気になった。 リラックスするための呼吸や
    体操の時間をつくった。

    『環境が変わり、日ごろ感じないストレスで神経が過敏になっている。 心身の緊張を
    緩める時間の確保が必要だ』と神谷さんは強調する。

    子どもの心のケアは、震災前から子どもと親しい人々が、日常生活の中で話に耳を
    傾けたり、リラックスさせたりするのが最も効果的とされる。

    徳島県から矢本一中に派遣されている心理士の森世歩さん(29)は『子どもは事情を
    抱えながら精いっぱい頑張っている状態。 周囲の大人たちの安定が欠かせない』と
    保護者と教員の役割の重要性を指摘する。

    市は4月下旬、東大医学部の専門チームと連携し、小中学校全ての児童、生徒
    約3,600人に対し、震災後の心理状況について調査を実施した。 心的外傷後
    ストレス障害(PTSD)が疑われる児童・生徒らの心のケアを行う。

    心理士でつくるケア・宮城と公益財団法人『プラン・ジャパン』(東京都)が6月28日、
    大曲小で教員を対象に心のケア研修会を開いた。 『子どもに希望を持たせたいが、
    簡単に『乗り越えよう』などと言っていいのだろうか』。 教師らにとってスキルを学ぶと
    ともに、互いに抱える悩みを吐露する場になった。

    講師を務めた東北大教育ネットワークセンター長の本郷一夫教授(教育学)は
    『災害直後の心身のストレスは、誰にでも起こる正常な反応。 子どもの拙い言葉を
    受け止め安心感を与えてほしい』と強調。 『長い時間がかかる。先生が心と体の
    健康を保つことも大切だ』と助言した。




    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    震災による津波で大きな被害を受けた宮城県女川町では町外に身を寄せ、
    遠距離通学する子どもが数多くいる。 余震の頻発や地盤沈下による道路の
    冠水など、当初は登下校に多くの困難を抱えた。 町教委は町内外にスクール
    バスを運行させ、教員や保護者も子どもたちをサポートした。

    001size43332

    学校で何が 15Km車とバス乗り継ぐ(宮城・女川町)
    出典:河北新報 2011年7月5日

    平日の午前7時前、宮城県石巻市中心部のアパートを出た庄子宙(そら)君
    (10 )が父和行さん(41)と車に乗り込んだ。

    宙君は女川一小(宮城県女川町)の5年生。 アパートから約15キロ離れた
    学校に通う。 町との境に近い市東部にあるスクールバスの停留所まで、
    和行さんが車で送る。 『お父さんや友達と一緒に学校に行けるから楽しい』。
    登校に約1時間を費やす毎日にも、宙君は屈託がない。

    庄子さん一家は和行さん、妻由美恵さん(37)と宙君、長女礼ちゃん(4)の
    4人暮らし。 和行さんと由美恵さんは石巻市内の会社に勤めている。 2011年
    3月11日まで暮らしていた女川町内の自宅は津波で全壊し、震災後は町内の
    避難所や仙台市内の親類宅などを転々とした。

    『女川には賃貸住宅がないし、小さい子どもがいると避難所では周囲に迷惑を
    掛ける』(和行さん)と、4月初旬に石巻市のアパートに移った。 『女川の
    学校に行きたい』という宙君の思いを尊重し、石巻から女川に通わせること
    にした。

    スクールバスは町内の5小中学校に通う児童、生徒が利用する。運行は4月21日に
    始まった。

    6d627c3f.jpg

    当初、由美恵さんは心配だった。 『いつ大きな余震が起きるか分からない。
    通学途中に津波が来たり、周りの建物が倒れたりしたらどうしよう』。 万が一に
    備え、宙君に携帯電話を持たせた。

    女川一小は避難所となったため、授業は約2キロ東に離れた女川一中で行っている。
    同中は津波被害を受けた女川港近くの高台にあり、通学には津波で浸水した区域を
    通らなければならない。

    女川一小では児童約2000人の大半がバス通学することになった。 『学校に
    とって、登下校時の児童の安全確保が重要な課題になった』と星圭校長は
    振り返る。

    学校側は町教委やバス会社と打ち合わせを重ねた。 バスの運行ルートは高台の
    道を優先し、地震発生時にはバスを停車させ、運転手が児童を避難誘導するなどの
    対応策を決めた。 『当初はがれきで埋まった道路があり、運行ルートを選ぶのは
    大変だった』と4年生を担任する中沢健一さん(35)は言う。

    安全対策の一環として、学校は5月末まで、15人の教員を交代で登下校時のバスに
    同乗させた。 発着状況は随時、電子メールで保護者に伝えた。 『子どもの
    ことを親身になって考えてくれた』と由美恵さんは感謝する。

    町教委によると、小中学校の全児童・生徒の8割に当たる476人がスクール
    バスで通学(2011年6月20日現在)。 うち町外居住者は計40人に上る。 バスの
    運行が軌道に乗った後も、庄子さん夫婦には別の心配事があった。 石巻市渡波
    地区など、アパートからスクールバスの停留所までの道のりの一部は震災で地盤
    沈下し、冠水しやすい。 登校時間と満潮が重なり、停留所に向かう道路が冠水
    してバス停にたどり着けないこともあった。

    仮堤防の設置や幹線道路のかさ上げなど対策が施され、最近は送迎途中に道路が
    冠水することもほとんどなくなった。 『今は安心して学校に通わせることが
    出来ている。 ただ、女川の復興の兆しが見えないので、先の見通しは立て
    られない』。 庄子さん夫婦は口をそろえた。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    東日本大震災は、教育の現場にも大きな影響を与えている。 校舎の損壊、
    間借りの教室、不自由な通学、仮設住宅が並ぶ校庭。 学校は幾つもの困難を
    抱えながら、教育の場としての機能を懸命に維持し、被災した子どもたちの
    心と向き合う。

    『ドキュメント 大震災』のシリーズ第3弾では、被災地の学校で何が起きて
    いるのかを追う。

    学校で何が 高校生避難所(気仙沼高)
    出典:河北新報 2011年7月4日

    ee612ab3.jpg

    宮城県気仙沼市の気仙沼高(生徒810人)では授業を再開した5月から、東日本
    大震災で自宅通学が困難になった生徒37人が柔道場で共同生活を送る。
    『通学の足』だったJR気仙沼線が不通となっている影響が大きい。 過酷な体験は
    まだ消化しきれないものの、親元を離れて学業や部活動に励みながら、ともに
    未来を切り開こうとしている。

    今も体育館などに100人以上の住民が身を寄せる気仙沼高校。 自宅通学が難しい
    生徒たちは校舎隣の柔道場で暮らす。 2011年6月10日午後7時、サッカー部の
    練習を終えた2年二階堂広也君(17)が戻った。 宮城県南三陸町歌津の自宅は
    津波で全壊。 家族とともに町内の親類宅に身を寄せたが、5月9日の授業再開に
    合わせて学校に移った。

    『通学の足』だったJR気仙沼線は津波被害で不通となり、代行バスでは片道2時間
    近くかかってしまうからだ。『副キャプテンだし、部活に打ち込みたい』との
    思いも強かった。 気仙沼線の利用者は全校生徒の約4分の1。 復旧のめどは
    立たず、代行バスの本数も少ない。 今春の入学予定者13人を含め既に22人が
    転校した。

    002size4554

    生徒の避難先は広範囲で、スクールバスではカバーしきれない。 寄宿舎を建て
    たくても、被災地では仮設住宅が優先だ。 気仙沼高が生徒用の『避難所』を
    用意した背景には、そんな事情がある。

    生徒たちは午前6時半に起床、全員で掃除をした後、炊き出しの朝食を取って
    登校する。 昼食は売店のカップめんなどで間に合わせる生徒が多い。 柔道場の
    スペースは男女別にパーテーションなどで仕切られ、夜は身の回りの片付けや
    勉強をして過ごし、畳の上に布団を並べて眠る。

    被災した家族と離れての暮らしに、抱える思いはさまざまだ。 南三陸町志津川の
    3年山内秀斗君(17)は自宅と親の職場が津波で流された。 被災時に携帯電話が
    通じなかった経験から、大学で通信技術を学びたいと考えているが、家族の
    負担を思うと『自分が早く親を養えるようにならないと…』と悩む。

    大学に進学し、国家公務員になろうと考えていた南三陸町歌津の3年三浦竜馬君
    (18)は志望を変え、高校卒業と同時に地元で公務員として働く決心をした。
    震災後、遺体捜索やがれき撤去の作業を通じて地域の人とふれあった経験が
    大きく影響している。

    『1000年後の津波に備えたまちづくりが、自分の世代でできるなんてすごいこと』
    6月28日。 学校の試験の合間の日曜日、生徒数人が柔道場で教科書や参考書を
    めくっていた。 三浦君が目指す地方公務員の試験は9月上旬に始まる。
    『あと70日しかない。 学校の試験と内容が全然違うんですよ』と仲間を
    笑わせた。 生徒たちの『避難生活』について、千田健一教頭(54)は
    『心の中にはつらい思いもあるだろうが、皆で支え合って明るさと前向きさを
    持ち続けている』と語り、こう付け加える。

    『ただ、(37人の中には)進路の選択を迫られている3年生も多い。 人生の
    中でも大切な時期だけに、早く普通の生活に戻してあげたい』

    柔道場で暮らす生徒のうち5人は『被災地高校生からの復興』というブログを
    立ち上げ、心情をつづっている。

    『棺(ひつぎ)の中にドライアイスを入れる仕事をしました。 (中略)大人
    として社会に受け入れられていることを自覚しなければならないと思いました』
    『避難所生活を始めて、どれほど親のおかげで自分が好きなように快適に家で
    過ごしてたかを痛感しました。(中略)避難所生活する高校生は協力しながら
    本当に仲良く過ごしていて感謝でいっぱいです』

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    東日本大震災の津波による七十七銀行女川支店(宮城県女川町)従業員の
    犠牲をめぐる訴訟で、最高裁で敗訴が確定した原告の遺族は2016年2月20日、
    仙台市内で記者会見した。 『企業防災の指針となる判断が示されずに幕を
    閉じた』と強調。 遺族は安全な社会の実現に懸ける思いを一層強めた。

    長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村孝行さん(55)は決意を
    語った。 『働く者の安全が担保されていない。 原因を究明し、企業防災の
    在り方を追求していく』

    田村さんと妻弘美さん(53)は訴訟と並行して女川町で語り部をし、健太さんらの
    身に降り掛かったことを伝えてきた。

    d564379c.jpg

    早期退職して企業防災の向上を訴える活動に専念するべきかどうか、心が揺らぐ。
    震災から間もなく5年。 田村さんは寝ても覚めても今回の悲劇が頭から離れず、
    心が安らぐ日はなかった。 『銀行は法的責任を免れたが、息子ら12人が犠牲に
    なった責任がある。 真剣に向き合い改善策を示してほしい』と切望する。



    弘美さんは18日、1985年の日航ジャンボ機墜落事故遺族の美谷島邦子さん(69)に
    上告が退けられたことを電話で伝えた。 『声を上げて活動してきたことは大切。
    頑張って続けてほしい』と激励され、勇気が湧いた。

    遺族と企業が向き合い命を守る。 弘美さんが美谷島さんから学び目指す姿だ。
    『家族と銀行が歩み寄り、人命最優先の体制をつくることが息子にとって一番の
    慰めになる』と願う。

    69ce65d2.jpg

    東日本大震災の津波で従業員が犠牲になった七十七銀行女川支店をめぐる訴訟で、
    2月20日に記者会見した他の遺族も、企業の防災意識の徹底を求めた。

    妻祐子さん=当時(47)=の行方が分からない女川町の高松康雄さん(59)は
    『いい加減な避難行動を裁判所が良しとしたことで、同じ事が繰り返されないか
    心配だ。 残念としか言いようがない』と落胆した。

    姉美智子さん=当時(54)=を失った仙台市太白区の丹野礼子さん(57)は
    『12人の犠牲を無駄にせず、職場の防災意識徹底を社会で広く図って欲しい。
    それが故人の供養になり、今後の命を救うことにつながる』と望んだ。

    弁護団の佐藤靖祥弁護士は『津波訴訟は各地であり、最高裁として安全配慮義務の
    統一的解釈を示して欲しかった』と悔やんだ。

    <2011年>
    3月11日 東日本大震災発生。 女川支店屋上に避難した従業員13人のうち
    12人が死亡・行方不明になる

    <2012年>
    9月11日 従業員3人の遺族が銀行を提訴。 銀行が2009年に防災マニュアルを
    改定して屋上を避難先に追加したことや、震災直後に避難先として高台ではなく
    屋上を選んだことについて『安全配慮義務違反に当たる』と主張

    <2013年>
    1月15日 銀行側が弁論で『支店屋上の高さを超える津波襲来は予見できなかった』
    と反論

    12月17日 仙台地裁で訴訟が結審

    <2014年>
    2月25日 仙台地裁が『高さ約10メートルの屋上に緊急避難することには合理性が
    あった』として訴えを棄却。 遺族側は即日控訴

    <2015年>
    4月22日 仙台高裁が1審判決を支持し、控訴を棄却。 遺族側は上告

    <2016年>
    2月17日 最高裁第2小法廷が上告を退け、遺族側の敗訴が確定

    e86870ff.jpg

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    2011年3月11日の巨大地震発生時、宮城県石巻市の離島・金華山の港では、
    最終便となる定期船『ホエール』(19トン、72人乗り)が鮎川港への出発を
    待っていた。 突然の大きな揺れと津波の恐怖。 乗客を守るため、乗員は
    瞬時の判断を迫られた。

    逃げる その時 金華山定期船(石巻)
    出典:河北新報 2011年6月30日

    af9d50f0.jpg

    大きな揺れが港を襲った瞬間、待合所にいた乗客の男性2人が青ざめた表情で
    船に飛び乗った。 午後3時の出発を待っていた『ホエール』。 待合所には、
    他にも黄金山神社の参拝客とみられる十数人がいたが、一様にどうしていいか、
    分からない様子だった。

    ホエールは地元の金華山観光が運航する小型旅客船。 この日は非番の船長に
    代わり、機関長の鈴木孝さん(63)が、かじを取っていた。 揺れから約5分後に
    突然、潮が上がり始めた。

    『まずい』。 鈴木さんは船をバックさせ、いったん岸壁を離れた。 無線から
    金華山観光社長遠藤得也さん(70)の声が響いた。 『客を乗せて沖に避難
    してくれ』 再び接岸して残りの客を乗せようか。 鈴木さんは迷ったが、
    岸壁は既に水没しかけている。 『だめだ。間に合わない』
    『危ないから神社に逃げて』。 鈴木さんは陸にいる人たちに船のマイクで
    何度も叫ぶと、全速力で沖を目指した。

    左手の金華山沖から、ものすごい高さの黒い波が迫った。『幅500メートルぐらいは
    あったか』。 鈴木さんは必死で逃げた。 鮎川港で地震に遭った遠藤社長は
    同じころ、海上タクシーとして使っている『くろしお』を>守るため、沖に
    向かって出港。 操舵室から全速力で逃げるホエールが見えた。

    金華山にぶつかった波がホエールを追いかけているかのようだった。

    8c295566.jpg

    遠藤社長が振り返る。 『お客さんのことと自分の安全確保のことで、頭は
    パニックだった』 ホエールに乗り込んだ2人は、宮城県大和町の無職甘竹
    三郎さん(67)と仙台市太白区の無職三浦正靖さん(67)。 石巻高OBで
    つくる山歩きサークルの例会で金華山を訪れていた。

    甘竹さんは『白波を立てて津波が迫ってきた。 船にぶつかったら、終わり
    だと思った』と言う。 サークル仲間で仙台市青葉区の山岳写真家東野良さん
    (67)は、待合所から避難する途中、沖に逃げるホエールを手持ちのカメラで
    撮影。 『とにかく無事を祈りながらシャッターを押した』

    2隻は牡鹿半島の先端、黒崎灯台から約5キロ南まで避難。 金華山と牡鹿半島の
    海峡は、引き波で海底が露出するほどだったが、その海域を脱したホエールは
    無事だった。

    2隻は金華山と網地島の中間点で一夜を明かした。 余震は収まらない。
    サーチライトで照らし出された海面には、無数のがれきが漂っていた。
    ホエールには鈴木さんと客2人の他、乗務員2人が乗船。 恐怖で眠れない
    甘竹さんに、乗務員は励ましの言葉をかけた。 『水も食料もある。大丈夫。
    無事に帰れる』

    翌12日、遠藤社長は沖に避難していた数隻の小型船の助けを借り、ホエールの
    乗客と、黄金山神社に避難していた計約30人を鮎川港に搬送した。

    鈴木さんが鮎川港に上陸できたのは、地震発生から3日後の3月14日。
    『あの時、全員の乗船を待っていたら、きっと助からなかった』

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    大震災では、大勢の外国人も被災した。 警察庁によると、2011年6月
    27日現在、死亡した外国人は29人。 うち7割近い20人が宮城県内で亡くなった。
    震災発生直後、外国人が取った行動を調べると、運に加え、『日本語』
    『近所付き合い』『防災意識』の3点が生死を分けた要因として浮かび上がった。

    6dfea5d3.jpg

    逃げる その時 外国人(宮城)出典:河北新報 2011年6月28日

    『高台に避難してください』 津波から多くの日本人の命を救った防災無線や
    ラジオの呼び掛けが、宮城県南三陸町のフィリピン人にはほとんど理解されて
    いなかった。

    35年前に来日した英語講師佐々木アメリアさん(57)は『心配していた通りに
    なった』と表情を曇らせる。 震災後、フィリピン人妻ら十数人に聞いたところ、
    『高台』『避難』の意味が分からなかった人が多かった。 大半は日本人の夫と
    逃げたか、隣近所の日本人に促されて逃げ、一命を取り留めたが、女性(29)が
    津波で亡くなった。

    アメリアさんによると、女性は日常会話は出来たものの、防災無線の日本語は
    聞き取れなかった可能性が高い。 石巻市のスナック勤めで、南三陸町の
    フィリピン人社会や、隣近所との付き合いはほとんどなかった。 『日本人の夫
    以外に、避難するよう教えてくれる隣人はいなかったはず』とアメリアさんは
    見る。

    流ちょうな日本語を話す千葉ジョイさん(44)は『私も『高台』『避難』の
    意味は分からなかった。 『高い所に逃げて』と繰り返し言われれば、助かった
    かもしれない』と同胞の死を悼む。

    002size3998

    志津川中で避難生活を送る来日20年の小山ジュリエットさん(44)を救ったのは、
    防災無線を聞き取る日本語能力と夫からの電話だった。 地震と停電で通話
    出来ないと思っていた携帯電話が午後3時10分過ぎ、突然鳴った。

    『大津波が来る。 出来るだけ高い所に逃げろ』。 夫の宣広さん(42)だった。
    宣広さんは近海マグロはえ縄船の漁師。 太平洋の沖合数十キロで津波をいち
    早くキャッチし、衛星電話で危機を知らせた。

    地震発生時、海沿いにある水産会社の加工場にいたジュリエットさんは防災
    無線に従い、既に指定避難所の志津川小へ向かっていた。 途中、志津川
    保健センターにほど近い夫の実家に立ち寄った。

    直後、宣広さんから電話があった。 忠告に従い、義父母と一緒に高台に
    逃げた。 振り返ると『真っ黒な濁流が、数分前までいた小高い場所を
    のみ込んでいた』という。

    ジュリエットさんの友人の斎藤ジュリエットさん(44)は同じころ、日本人の
    夫と逃げた高台で、泣きながら上空を見上げていた。 『この世が終わる。
    イエス・キリストが降臨する』と。

    あの時、中国・大連出身の広岡燕燕さん(37)は宮城県山元町の自宅にいた。
    海岸まで約1.2キロ。 『地震が起きたら津波が来る。 すぐ役場へ逃げて』。
    日本人の夫の口癖が頭に浮かんだ。

    サンダル履きのまま、3キロ以上離れた町役場を目指し、長女歩実さん(7)と
    自宅を飛び出した。 道路はひび割れ、水が噴き出す。 空は暗く、海岸から
    真っ黒い土煙が追い掛けて来る。

    津波の恐怖と闘いながら、十数分走り続けた。 息も絶え絶えになり、道路に
    飛び出して白いワゴン車を止め、叫んだ。 『娘だけでも』。 ワタナベと
    名乗る男性が2人を乗せてくれた。

    津波は町役場の近くまで迫り、自宅1階は水に漬かっていた。 『夫の口癖と、
    親切な日本人のおかげ』。 山元町の仮設住宅で、燕燕さんは歩実さんの
    髪を優しくなでた。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ