アイスリンク仙台は、日本国内で唯一、フィギュアスケートで荒川静香
(トリノ五輪1位)、羽生結弦(ソチ五輪1位、平昌五輪1位)の2人の金メダリストを輩出した
名門スケートリンク。 本田武史(ソルトレイクシティ五輪4位入賞、並びに、
世界選手権3位)や、鈴木明子(バンクーバー五輪8位入賞、ソチ五輪8位入賞、
並びに、世界選手権3位)も当リンクを拠点として活動をしていた。
この他にも、高橋大輔が一時期、遠方から、このリンクへと通っており、夏合宿を
中心に、浅田真央や安藤美姫といった、そうそうたるメンバーがこのリンクで
練習を重ねた。 東北地方では、唯一の24時間通年滑走可能なスケートリンク。
アイスリンク仙台は、仙台市営地下鉄の終点である、泉中央駅からほど近い場所に
あるが、元々は、バブル景気期時代に、ダイエーが当時の泉市内に建設し開業した
もの。 ダイエー新松戸店に続いて2例目となるスケートリンク併設のダイエー
店舗であったため、新松戸店から転勤して来た長久保裕コーチを初めとする
指導陣が数々の日本代表級のフィギュアスケート選手を育てた。
このような輝かしい実績とは裏腹に、ダイエー泉店は、一時期、売上で日本一を
獲得するも、2000年代に入ると、周辺の郊外大型商業施設との競争にさらされた
結果、入居店舗の入れ替えが激しくなり、親会社であるダイエーが経営不振の
ために、様々な再建策が実施された結果、ダイエーの子会社が運営する
『泉DOSCアイスアリーナ』と改称され、2002年には、コナミスポーツ
(東京都)に譲渡されて『コナミスポーツクラブ泉スケートリンク』となった。
2002年1月に閉鎖された新松戸アイスアリーナから都築章一郎コーチが仙台に
移って来たため、指導者は充実し、羽生も小学2年から中学3年まで都築に
指導を受けた。
2004年12月25日に当リンクは閉鎖されてしまったが、閉鎖後の仙台都市圏には
スケートリンクが通年滑走可能な勝山スケーティングクラブ、並びに、冬季営業の
ウェルサンピアみやぎ泉の2つとなったため、長久保コーチとその教え子達は、
当初は当リンクに近い後者に活動拠点を移したが、2005年5月からは、前者へと
移り、長久保コーチは埼玉県川越市のリンクに転出し、都築コーチらも仙台を
去った。
2006年、長久保コーチが春から名古屋に転勤する事が決まると、鈴木に加え、
中村愛音や本郷理華らジュニア世代以下の有望選手数人も名古屋へと移住を決めた。
この状況は地元マスメディアでも報道されていたが、2月23日にトリノ五輪
フィギュアスケート女子シングルで荒川静香が金メダルを獲得すると、記者会見で
仙台のアイススケートの指導環境や練習環境の悪化を懸念していると発言し、
全国的に知られる事になった。 また、荒川は、仙台で凱旋パレードを行い、
宮城県のアイススケート人気の底上げにも寄与した。 しかし、有望選手らの
流出を抑える事は出来ず、4月には名古屋に去って行った。
荒川らの意を汲んだ村井嘉浩宮城県知事は、新たに当リンクの運営を任せられる
企業探しを県教育庁スポーツ振興専門課の職員に命じ、2007年1月に加藤商会
(東京都)が手を挙げた。 この時に県と市の補助金支出も決まり、2003年
3月より『アイスリンク仙台』として営業を再開した。
2011年3月11日の東日本大震災で当リンクは被災し、営業を休止した。 大規模
停電が発生し、停電が解消されても、東北電力管内では、津波被害を受けた
複数の発電所の復旧に時間が掛かり、電力危機に陥った。 このような中、
4月7日には、宮城県沖を震源とする余震(最大震度6強)が発生し、節電協力に
より氷を張っていなかった当リンクでは、露出していた冷却管に落下物が
直撃して、営業再開の目途が立たなくなってしまった。
当リンクで練習中に震災に遭遇し、実家が地震により被災したため、避難所での
生活も経験した羽生は、各地で開催される復興支援チャリティーアイスショーに
多数出演しながら、各地のリンクで練習を続けた。 アイスリンク仙台は様々な
復興支援を受けて、被災から約4ヶ月後の7月24日にようやく営業再開に漕ぎ
着けた。 自身の著書の印税全額を当リンクに寄付してきた羽生は、2014年
2月14日、ソチ五輪フィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得した。
帰国後の会見で羽生は、報奨金を被災地支援やリンクに寄付すると話し、4月26日に
仙台市都心部の東二番丁通りで実施された凱旋パレードの出発式において、報奨金
600万円を県と市に寄付した。【お勧めの一冊】>>トップページに戻る
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中村愛音や本郷理華らジュニア世代以下の有望選手数人も名古屋へと移住を決めた。
この状況は地元マスメディアでも報道されていたが、2月23日にトリノ五輪
フィギュアスケート女子シングルで荒川静香が金メダルを獲得すると、記者会見で
仙台のアイススケートの指導環境や練習環境の悪化を懸念していると発言し、
全国的に知られる事になった。 また、荒川は、仙台で凱旋パレードを行い、
宮城県のアイススケート人気の底上げにも寄与した。 しかし、有望選手らの
流出を抑える事は出来ず、4月には名古屋に去って行った。
荒川らの意を汲んだ村井嘉浩宮城県知事は、新たに当リンクの運営を任せられる
企業探しを県教育庁スポーツ振興専門課の職員に命じ、2007年1月に加藤商会
(東京都)が手を挙げた。 この時に県と市の補助金支出も決まり、2003年
3月より『アイスリンク仙台』として営業を再開した。
2011年3月11日の東日本大震災で当リンクは被災し、営業を休止した。 大規模
停電が発生し、停電が解消されても、東北電力管内では、津波被害を受けた
複数の発電所の復旧に時間が掛かり、電力危機に陥った。 このような中、
4月7日には、宮城県沖を震源とする余震(最大震度6強)が発生し、節電協力に
より氷を張っていなかった当リンクでは、露出していた冷却管に落下物が
直撃して、営業再開の目途が立たなくなってしまった。
当リンクで練習中に震災に遭遇し、実家が地震により被災したため、避難所での
生活も経験した羽生は、各地で開催される復興支援チャリティーアイスショーに
多数出演しながら、各地のリンクで練習を続けた。 アイスリンク仙台は様々な
復興支援を受けて、被災から約4ヶ月後の7月24日にようやく営業再開に漕ぎ
着けた。 自身の著書の印税全額を当リンクに寄付してきた羽生は、2014年
2月14日、ソチ五輪フィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得した。
帰国後の会見で羽生は、報奨金を被災地支援やリンクに寄付すると話し、4月26日に
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