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    カテゴリ:東朝鮮日報 > 日々是好日

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    被災地通信 に参加中!

    アイスリンク仙台は、日本国内で唯一、フィギュアスケートで荒川静香
    (トリノ五輪1位)、羽生結弦(ソチ五輪1位、平昌五輪1位)の2人の金メダリストを輩出した
    名門スケートリンク。 本田武史(ソルトレイクシティ五輪4位入賞、並びに、
    世界選手権3位)や、鈴木明子(バンクーバー五輪8位入賞、ソチ五輪8位入賞、
    並びに、世界選手権3位)も当リンクを拠点として活動をしていた。

    この他にも、高橋大輔が一時期、遠方から、このリンクへと通っており、夏合宿を
    中心に、浅田真央や安藤美姫といった、そうそうたるメンバーがこのリンクで
    練習を重ねた。 東北地方では、唯一の24時間通年滑走可能なスケートリンク。

     

    アイスリンク仙台は、仙台市営地下鉄の終点である、泉中央駅からほど近い場所に
    あるが、元々は、バブル景気期時代に、ダイエーが当時の泉市内に建設し開業した
    もの。 ダイエー新松戸店に続いて2例目となるスケートリンク併設のダイエー
    店舗であったため、新松戸店から転勤して来た長久保裕コーチを初めとする
    指導陣が数々の日本代表級のフィギュアスケート選手を育てた。

    このような輝かしい実績とは裏腹に、ダイエー泉店は、一時期、売上で日本一を
    獲得するも、2000年代に入ると、周辺の郊外大型商業施設との競争にさらされた
    結果、入居店舗の入れ替えが激しくなり、親会社であるダイエーが経営不振の
    ために、様々な再建策が実施された結果、ダイエーの子会社が運営する
    『泉DOSCアイスアリーナ』と改称され、2002年には、コナミスポーツ
    (東京都)に譲渡されて『コナミスポーツクラブ泉スケートリンク』となった。
    2002年1月に閉鎖された新松戸アイスアリーナから都築章一郎コーチが仙台に
    移って来たため、指導者は充実し、羽生も小学2年から中学3年まで都築に
    指導を受けた。

    2004年12月25日に当リンクは閉鎖されてしまったが、閉鎖後の仙台都市圏には
    スケートリンクが通年滑走可能な勝山スケーティングクラブ、並びに、冬季営業の
    ウェルサンピアみやぎ泉の2つとなったため、長久保コーチとその教え子達は、
    当初は当リンクに近い後者に活動拠点を移したが、2005年5月からは、前者へと
    移り、長久保コーチは埼玉県川越市のリンクに転出し、都築コーチらも仙台を
    去った。
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    2006年、長久保コーチが春から名古屋に転勤する事が決まると、鈴木に加え、
    中村愛音や本郷理華らジュニア世代以下の有望選手数人も名古屋へと移住を決めた。
    この状況は地元マスメディアでも報道されていたが、2月23日にトリノ五輪
    フィギュアスケート女子シングルで荒川静香が金メダルを獲得すると、記者会見で
    仙台のアイススケートの指導環境や練習環境の悪化を懸念していると発言し、
    全国的に知られる事になった。 また、荒川は、仙台で凱旋パレードを行い、
    宮城県のアイススケート人気の底上げにも寄与した。 しかし、有望選手らの
    流出を抑える事は出来ず、4月には名古屋に去って行った。

    荒川らの意を汲んだ村井嘉浩宮城県知事は、新たに当リンクの運営を任せられる
    企業探しを県教育庁スポーツ振興専門課の職員に命じ、2007年1月に加藤商会
    (東京都)が手を挙げた。 この時に県と市の補助金支出も決まり、2003年
    3月より『アイスリンク仙台』として営業を再開した。



    2011年3月11日の東日本大震災で当リンクは被災し、営業を休止した。 大規模
    停電が発生し、停電が解消されても、東北電力管内では、津波被害を受けた
    複数の発電所の復旧に時間が掛かり、電力危機に陥った。 このような中、
    4月7日には、宮城県沖を震源とする余震(最大震度6強)が発生し、節電協力に
    より氷を張っていなかった当リンクでは、露出していた冷却管に落下物が
    直撃して、営業再開の目途が立たなくなってしまった。

    当リンクで練習中に震災に遭遇し、実家が地震により被災したため、避難所での
    生活も経験した羽生は、各地で開催される復興支援チャリティーアイスショーに
    多数出演しながら、各地のリンクで練習を続けた。 アイスリンク仙台は様々な
    復興支援を受けて、被災から約4ヶ月後の7月24日にようやく営業再開に漕ぎ
    着けた。 自身の著書の印税全額を当リンクに寄付してきた羽生は、2014年
    2月14日、ソチ五輪フィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得した。

    帰国後の会見で羽生は、報奨金を被災地支援やリンクに寄付すると話し、4月26日に
    仙台市都心部の東二番丁通りで実施された凱旋パレードの出発式において、報奨金
    600万円を県と市に寄付した。【お勧めの一冊】>>トップページに戻る



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    3.11東日本大震災 に参加中!

    今回は、2003年7月26日に発生した『宮城県北部連続地震』の最大の被災地、
    宮城県美里町をレポート致します。 石巻の中心部からは、車で約20分程度、
    東松島市の中心部からは10分程度、大崎市との境界線付近の場所になります。
    この場所は、10年程前までは、南郷町という自治体だったのですが、隣町の
    小牛田町と合併をしてしまったため、町の名前が美里町へと変更されました。
    元々は町の中心部であったものの、市町村合併により、何もかも全て町の
    中心地である小牛田へと持って行かれてしまったため、今では、何もなくなり
    ました。

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    当時は、周辺全ての家屋が合計4回もの大規模な連続地震により、倒壊、または、
    半壊したのですが、それでも、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定
    からは外されました。 よって、瓦礫の処理は自腹。 地震発生から数ヶ月以内で
    あれば、町がその費用の一部を負担するという話だったのですが、この周辺の
    家屋は、農家が多いため、非常に大きい家屋が多く、納屋や牛小屋等も付いて
    いるのが当たり前であるため、瓦礫処理の費用は、1軒に付き、最低でも60~
    200万円程度でした。 その当時も、災害義援金をあちらこちらで募集していた
    ものの、実際は、びた一文足りとも現地には届かず、仮設住宅も丸2年で撤去
    されてしまったため、瓦礫の処理だけで預金を使い果たした人達は、どこかへと
    引っ越して行ってしまいました。 よって、この周辺は空き地だらけ。

    この地区の特徴としては、地震が極端に多いため、その後ブロック塀や瓦屋根の
    再建を断念した家屋が殆どであるため、ブロック塀と瓦屋根が殆どないのが
    最大の特徴と言えるかも知れません。 また、余りにも地震が多過ぎるため、
    電柱が1本たりとも真っ直ぐには立っておりません。 現在、河川工事により、
    堤防の補強が行われておりますが、この付近は、堤防以外、坂道が一切ないため、
    この堤防が切れてしまうと、逃げる場所がありません。 よって、地域住民に
    とっては、この堤防が命綱となっています。

    元々町の中心部であったため、その昔、地方創生予算を利用して、このような
    取って付けたようなログハウスがあるのですが、一体こんな田んぼのド真ん中に
    誰が宿泊するものやら?と言いたくなるほど。 このログハウスのすぐ隣には、
    東松島市の仮設住宅が丸4年間もあったのですが、つい先日撤去されました。
    旧南郷町と旧矢本町、旧鳴瀬町(現在の東松島市)との間には、12年前の同じ
    被災地という理由により、災害協定が結ばれていたため、野蒜・宮戸地区の
    避難者たちは、このすぐ近所にある体育館に長期間避難をしていました。
    木の柵のようなものは、元々は、ブロック塀だった場所で、多い時には、体に
    感じない地震を含めると、1日に約300回程度もの地震が起こるため、この付近の
    住民は、震度5強程度であれば、特に話題にはしません。

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    ここからさほど遠くない場所には、町営施設である『花野果市場』があり、朝採れた
    ばかりの新鮮な野菜が、100円程度で手に入ります。 国道356号線沿いにあり、
    道の駅でもないのに、かなりの売上高を誇っております。 三陸自動車道の
    松島北インターチェンジからは車で15分で来る事が出来るため、日本三景松島で
    魚を購入した後は、美里まで足を運んでみては。 ここでは、1,000円もあれば、
    野菜、果物、花が、沢山購入出来ます。

    美里町のバラの生産は、30年ぐらい前から始まったものなのですが、その理由は、
    減反政策により、米が思うように作る事が出来ずに、休耕地が多かったため、
    その農地を転用したのが始まり。 国が押し進めた減反政策に従うと、余剰米の
    調整のために、米が思うように作れなくなるものの、その見返りは特にないため、
    遊休地をそのまま遊ばせて置くと、単なる税金の無駄使いとなるため、近所の農家
    同士が話し合い、バラの生産を始め、現在のバラの生産高は、東北1位となっています。

    また、この付近では、イチゴの生産が盛んに行われており、『仙台イチゴ』として
    出荷されています。 宮城県産イチゴのオリジナルのブランドは、『もういっこ』と
    なっており、『花野果市場』で販売して生産品は、全て付近の農家で生産したもの
    ばかりなので、地産地消の代表格となっております。

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    その他、美里町内には、『黄金澤』の酒蔵があり、市町村合併をする前までは、
    米の生産高が、宮城県内で第二位であったため、日本酒の製造も盛んです。
    ひとめぼれ、ササニシキ、まなむすめ、全て宮城県オリジナルの一等米となって
    います。

    鯨大和煮の缶詰は、被災後に石巻港から工場が移転して来たため、石巻産として
    販売をしている鯨の缶詰は、全て美里産となっております。 中に入っている野菜は、
    工場移転の際の美里町との協定により、全て美里産の野菜を使っております。
    尚、その移転してきた工場は、女川原発から30キロ圏内にあるため、実際に原発で
    事故が起きた際には、再度移転しなければならないでしょう。

    こちらの農家レストラン『はなやか亭』では、美里町の郷土料理、『すっぽこ汁』を
    堪能出来ますが、すっぽこ汁は、他地域では、『おくずがけ』と言い、法事の際の
    定番料理となっています。



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    被災地通信 に参加中!

    ある一人の少年の想いから発足した『青い鯉のぼりプロジェクト』は、東日本
    大震災で亡くなったこども達の為に、3月11日から5月5日のこどもの日まで、
    津波の心配のない青空に『青い鯉のぼり』を掲揚する鎮魂プロジェクト。
     
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    宮城県東松島市大曲浜で東日本大震災以降、毎年開催されており、初年度は、
    約200匹程度の青い鯉のぼりであったが、2015年度の今年は、約700匹まで
    増えた。 来年度からは、大曲地区でのかさ上げ工事が本格化するため、
    来年度からは、別の場所に移動しての開催が予定されている。



    東松島市内で震災により亡くなった人達の数は、約1,100人。 すぐ隣の石巻市と
    比較すると、街の規模が一回り小さいため、東松島の被災は見過されがちだが、
    市域の約6割以上が津波で浸水したため、その被災度合いは、かなり深刻と
    なっている。 自分の地元なので、被災前から大曲は時々通っていたものの、
    被災度合いが激し過ぎるため、昔の景色を全く思い出せない程。



    仙台方面から石巻へ向かう途中で、東松島市を通過するものの、三陸道や国道
    45号線からは、東松島市内の被災度合いが全く見えないため、そのまま通過
    されてしまいがちだが、このプロジェクトを見るためだけに東松島を訪れて
    見るのも被災地を考える切っ掛けとしては良いのかも知れない。

    大曲地区のすぐ隣には、航空自衛隊松島基地があり、週に3~4日程度、
    ブルーインパルスの展示飛行を無料で見る事が出来る。 また、1ヶ月前までに
    予約をすれば、直接松島基地内に入る事も出来る。



    東松島市観光PRソング


    青い鯉のぼりプロジェクト各種グッズ

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    日々の出来事 4 に参加中!

    日米親善春まつり(NAF Atsugi Spring Festival )」は、神奈川県にある在日米海軍
    厚木航空施設(通称厚木基地)で毎年行われている基地開放日。 2011年以前は
    『桜まつり』として開催されていたが、2012年からイベント名が「桜」から
    「春」に名称を変更して開催されている。

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    この日は、アメリカ海軍厚木基地が一般開放され、航空機や施設を見学したり、
    屋外で飲食が出来るお祭りとなっている。 アメリカ海軍、海上自衛隊の航空機を
    地上展示するほか、ライブコンサート、アメリカンフードなどを販売するブース、
    飛行隊グッズの販売、NAF厚木茶道クラブの野点などが開催される。
     


    横浜から基地の正面入口までは、相鉄線に乗って約30分程度。 かれこれ10年
    以上も前に厚木に住んでいた事があるものの、その当時は、厚木基地には入った
    事がなかったが、厚木基地は相鉄線からも見えるため、近くて非常に遠い場所。
    時々、厚木基地で通訳をしませんかと言われる事があるが、月給にして20万円程度
    にしかならないため、低収入の温床と化している。

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    この基地があるお陰で、横浜上空は、時折戦闘機やヘリが上空を通過して行くのだが、
    騒音問題が解決出来ず、厚木基地の基地開放日には、展示飛行が無期限で禁止
    されております。 住宅地のド真ん中にある米軍基地は、沖縄だけではないのであった。

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    今回は、相鉄線のさがみ野駅から徒歩で厚木基地まで歩いて行ったが、駅から基地
    までは、約15分程度で到着出来たものの、正面入り口からの行列が約2キロほど
    続いていた。
     
    基地をほどなく取り囲むようにして、更に歩く事約20分強、ようやく最後尾に辿り
    着いたが、そこから、基地内までの入場には、約30分程で入場出来た。 1時間半
    程度の入場時間を予想していたが、思いの外、すんなりと入場出来た。

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    基地内に入ってからは、まずは、マッカーサーの像がお出迎え。 『日本の民主
    主義の生みの親』との記載があったのだが、そのご自慢の民主主義は、既に
    極右化しているため、西欧諸国のそれとは全くの別物。 最初からそんなもの
    ないと考えるのが普通なのかも知れない。 日本の自由とは、全てアメリカを
    通して与えられるものであるため、かなり歪んでいるのが実情。

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    【お勧めの一冊】


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    仙台・青葉まつりの起源は、江戸時代に行われていた仙台藩最大の祭り『仙台祭』に
    由来し、1985年の伊達政宗没後350年を契機に復活した祭り。 仙台3大祭りの
    ひとつにも数えられ、仙台の春の祭りでは、最大規模。



    江戸時代には『仙臺祭』(仙台祭)という仙台藩最大の祭りがあり、仙台東照宮の
    祭礼として行われていた。 それが明治維新の影響で変容し、伊達政宗の命日
    (5月24日)に青葉神社の祭礼として開催される『青葉祭』に生まれ変わった。

    『仙台・青葉まつり』は、系統が1つながら名称が異なる、これら2つの過去に開催
    されていた祭りの名称を合わせて命名された。



    本祭りの見どころである時代絵巻巡業は、青葉神社神輿渡御を先頭に、武者行列、
    すずめ踊り、豪華絢爛な山鉾が仙台市中心部を練り歩きます。 また、伊達政宗の
    時代から続く”すずめ踊り”の軽快なお囃子が、祭りを盛り上げ、熱気に包みます。



    仙台・青葉まつりは、毎年、杜の都を象徴するケヤキ並木の街路樹が美しい5月
    第3週の日曜とその前日に開催されており、毎年90万人以上の人出で賑わいます。

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    渋谷道玄坂のいかがわしい界隈に、ファーストフード界の黒船とも言うべき、タコベルが
    再上陸した。 タコベルは、アメリカ育ちのメキシカン・ファーストフード。

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    2015年4月21日の日本第一号店のオープン以来、長蛇の列が店の前に続いており、
    現在の待ち時間の平均は、平日の日中でも約90分ほどらしい。 この行列は、2段階に
    分かれて並んでいるため、並ぶ際には、注意が必要。 但し、店員が常に店舗の前に
    常駐しているため、当然ながら横入りは出来ない。 実際に並んでみたところ、店内に
    入るまで約45分であった。

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    この行列から想像して、店内は相当な混み具居合いかと思いきや、実は余り混んでは
    おらず、単にレジと厨房内の対応が客数に対して、回り切っていない事が判明。 店内に
    3つあるレジも、この時は2つしか稼動しておらず、ディズニーランドのレストランと似たり
    寄ったりの対応。 必要最低限の人数で回しているため、客を全くさばき切れていない
    のが非常に残念。

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    もう少し時間が経てば、接客対応も早くなって来るのだろうか。 注文終了後、料理が
    準備されるまでは、このブザーを渡され、待つ事約15分でようやく食事にありつけた。

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    肝心のメニューは、以下の通り。 日本限定販売のタコライスが渋谷道玄坂店の
    最大の特徴。 注文方法は、まず、商品を決め、肉(ビーフかポーク)の種類を選ぶ。
    更に辛さとタコシェル(ハードかソフト)を選んでサイドメニュー(ポテトかナチョス)を
    選択して終了。

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    実際に食べてみた感想としては、本場アメリカのものと比較すると、若干サイズが
    小さいのと、値段が異様なまでに高い。 アメリカではタコス1個が82円だが、
    日本では、何と!320円。 ハッキリ言って、かなりお高い!

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    アメリカ同様、フリードリンク制をそのまま導入しているため、飲み物は、いくらでも
    飲み放題、但し、店内で渡されるカップのサイズが、アメリカとは2回り以上も小さい。

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    アメリカでは、極当たり前のフリードリンクが日本のファーストフードでも味わえる
    のは、かなり珍しい。 しかも、ドクターペッパーとアンバサの飲み放題があるのは、
    日本ではタコベルだけ。

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    日本では、複数の料理を組み合わせたものを『セット』と呼ぶが、アメリカでは、
    『コンボ』と呼ぶ。 次回は、ブリトーに挑戦してみよう♪

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    世界遺産平泉で春と秋に開催されている藤原まつり。 藤原4代、約100年間に
    渡って奥州の地に花開いた、仏教文化は、当時の京の都をも上回るとも言われ
    たが、鎌倉幕府を開いた源頼朝によって、滅ぼされ、現在その栄華は見る影も無い。

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    その藤原氏の栄華を再現した春の藤原まつりは、例年5月1日から5日までの5日間
    開催され、中尊寺や毛越寺で藤原氏の追善法要、稚児行列、開山護摩法要、郷土
    芸能、能や狂言の奉納が行われ、最終日には、武蔵坊弁慶に因んで、JR平泉駅前
    では巨大な餅を抱えて運ぶ力自慢の競技会『弁慶力餅競技大会』が開催されている。
    特に有名なのが、ゴールデンウィーク期間中の5月3日に開催される『源義経公東下り
    行列』である。



    この行列は、義経主従が兄である源頼朝の追討から逃れて平泉に辿り着いた時、
    藤原秀衡や地元民に歓迎された故事に倣ったもので、総勢約100名の参加者で
    平安絵巻を再現する。 午前中に藤原秀衡公出迎行列が中尊寺坂下を出発し、
    一行が昼過ぎに毛越寺へ到着すると大泉が池で『義経公ねぎらいの場』が再現される。

    午後1時30分頃に毛越寺を出発した本行列は、午後3時過ぎに中尊寺金色堂へ
    到着し奉拝する。  一行は地元の名士などが務めるが、義経公役は1973年頃から
    若い俳優・タレントなどの男性芸能人が務めており、東下り行列の知名度が定着して
    以降は沿道に例年16万人から18万人程の見物客が訪れる。

    特に2005年に行われた東下り行列には、当時放送中のNHK大河ドラマ『義経』で
    主演を務めていた滝沢秀明が参加したことで話題を集め、過去最高の観光客
    (当時の報道では25万人とも28万人とも報じられた)が訪れた。

    また、世界遺産平泉周辺には、厳美渓、猊鼻渓、達谷窟、須川温泉等、見所が多く、
    早春のみちのくを訪れるのには、お勧めの地となっている。

     猊鼻渓
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     厳美渓
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     達谷窟
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     須川温泉
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    大奥は、江戸城内にかつて存在した将軍家の子女や正室、奥女中たちの居所であり、
    初代将軍徳川家康の時代から、江戸城に『大奥』と呼ばれる区画は存在していたが、
    当時は、政治を行う場である「表」と、城主とその家族の私的な生活の場である「奥」の
    境界が存在していなかった。 この境界が江戸城に現れたのは、元和4年(1618年)に
    2代将軍・徳川秀忠が『壁書』を制定した時である。 以後、本丸は幕府政庁の『表』、
    将軍が政務を執る『中奥(奥)』、将軍の私邸『大奥』に区分された。

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    2代将軍見台所のお江の方によって、その礎が築かれ、3代将軍家光の乳母、春日局に
    よって組織的な整備がなされて行き、その後、数百年にも渡る大奥に形が整えられて
    行った。 大奥は、将軍家お世継ぎを設ける場としての役割以前に、女同士の権力や
    欲のぶつかり合いの場として、度々ドラマ等にも登場するが、実際の大奥では、内情を
    漏らさぬように誓詞血判させられていたため、現在でもその実情は詳しくは分かって
    いない。
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    お江の方と春日の局の壮絶な世継ぎを巡る争いは、その権力関係からして、一介の
    乳母ごときが将軍見台所と対等に渡り合える等あり得ない事から、ドラマの演出と見るのが
    妥当。 その他にも、大奥総取締役という役職は、大奥には存在していなかったと言う。

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    その後、数百年にも渡り、大奥は、栄華を極めたが、慶応4年(1868年)4月に江戸城の
    明け渡しが決定し、終焉を迎える。 同年4月9日(旧暦)、14代将軍徳川家茂正室の
    静観院宮と同生母である実成院が清水邸へ、翌10日には、13代将軍徳川家定正室の
    天璋院と同生母本寿院が一橋邸へ引き移り、大奥はこの世から姿を消した。

    現在の大奥跡は、公園となっており、江戸城本丸跡に最も近い場所が、大奥があった
    場所とされている。 かつては、女の欲が渦巻いていた女の園も、今では、のんびりと
    散歩が楽しめる場所に変わっているところが、興味深い。

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    東京港区にある増上寺は、徳川将軍家の菩提寺として、2代秀忠、5代将軍兄弟の綱重、
    6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍の他、女性では将軍
    正室として2代秀忠夫人崇源院、6代家宣夫人天英院、11代家斉夫人広大院、13代家定
    夫人天親院、14代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては3代家光の桂昌院、6代
    家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人がこの地に埋葬されている。



    徳川将軍家墓所は、これまでは、年に一度の特別公開日を除いて、非公開であったが、
    2014年4月2日より、一般公開となった。 戦前までの芝増上寺の境内は、今の3倍程度の
    敷地があり、これらの霊廟に祀られていた遺体は、1958年(昭和33年)に改葬され、
    墓所は増上寺本堂裏に移転している。 現在の増上寺徳川家墓所の入口の門は、もと
    文昭院霊廟の奥院の門だったもの。 秀忠夫人崇源院霊廟の一部は鎌倉建長寺に
    移築された。 霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院等)、ザ・プリンス
    パークタワー東京(台徳院、崇源院等)となっている。

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    その中でも、2代将軍秀忠公の御霊屋である台徳院は、日光東照宮にも負けない程の
    絢爛豪華さを誇っていたが、昭和20年の東京大空襲により消失し、それまで国宝指定
    されていた、焼け残った一部の将軍家の建築群も、全て国宝から外された。 台徳院は、
    江戸初期の寛永9(1632)年に建立されたもの。 その実像を唯一知る事の出来る
    精巧な模型が英国で見つかり、修復を経て2015年4月から増上寺で公開が始まった。

    秀麗な彫刻や極楽浄土を夢想させる極彩色は、戦後70年の間、歴史のふちに長きに
    渡って忘却されていたが、この度、約100年ぶりに日本への里帰りが実現したもの。

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    横浜市交通局は、2015年7月から横浜市営地下鉄ブルーラインで快速運転を開始する。
    平日・土曜休日の午前10時から午後4時まで、現在は1時間につき8本運行しているところ、
    さらに2本増の1時間当たり10本で運行する。 市営地下鉄が快速運転を実施するのは
    開業42年目で初めて。 快速列車でも運賃に変更はない。
     
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    停車駅については、他の鉄道事業者との乗り換えの兼ね合いや車両基地の有無から
    決定した。 在来線の追い越しについては、車両基地のある上永谷駅と待避線のある
    新羽駅で可能だという。

    7月のダイヤ改正以降、現状の運転本数は維持され、快速運転をする列車が増加する。
    市中心部と郊外との利便性を増すため、新横浜~横浜、並びに、関内~上大岡駅間は、
    全駅通過となった。

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    マリーンルージュは、山下埠頭を出発し、横浜港をぐるりと一周するレストラン船。
    横浜港内を40分コースと、60分コースの2種類あるが、回るコースは、かなり異なる
    ため、時間とお金が許すのであれば、60分コースの湾内一周がお勧め。 150名
    以上で予約を入れれば、貸切にも出来る。 横浜ベイブリッジをくぐるため、真下から
    ベイブリッジを見る事が出来る。

    この他にも、大黒ふ頭を一周するため、横浜火力発電所や、コンテナ船等々も間近で
    見る事が出来る。 遠く、千葉側の工場群や、東京湾アクアラインを見る事も出来る。
    屋上のデッキは、かなり風が強いため、外洋を航行している際には、それなりの
    防寒具が必要。 夏であれば、潮風が心地よい。



    横浜港内には、この他にも、シーバス等があり、気軽に船旅を楽しむ事が出来る。
    横浜駅からも山下公園まで、シーバスが20分間隔で運行しているため、時間が
    許せは、駅から船で移動するのも、お勧め。 途中で、2ヶ所の停留所に停泊する
    ため、実際は、直接あるいた場合と、時間的な差は殆どないが、海を気軽に旅出来る
    と言う点では、乗船する価値あり。 横浜を訪れたら、一度は乗っておきたい乗り物の
    ひとつ。

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    劇場用映画、『仮面ライダー3号』は、先着100万人に『仮面ライダー4号』エピソード1の
    DVDが無料で配られていたため、それを目当てで、わざわざDVDが残っている劇場
    まで見に行ったのだが、この『仮面ライダー4号』が気になったため、ネット検索で動画を
    見つけ、31日間だけ無料で視聴出来るそうなので、早速登録をしてみたところ、全部で
    3話の完結の物語であった。

    l_taro_150213rider02

    内容としては、仮面ライダー3号の続きの世界を描いたもの。 3号も敵なのか見方
    なのか、全く持ってハッキリとしていなかったが、この4号は、もっとハッキリとして
    いない。 最終的に、倒されてしまうため、やはり、敵であったとしか言いようがないが、
    スカイサイクロンという名の飛行機に乗り、パラシュート部隊のような地味な出で立ちは、
    見た目からして、余り格好良くない。 そもそも、『ライダー』と名が付いているため、
    とりあえずは、オートバイに乗って欲しいところだが、『仮面ライダードライブ』の時点で、
    バイク以外の乗り物へとそれてしまったため、軌道修正が難しいのか?

    rider_main

    個人的には、同じ石ノ森作品の『シージェッター海斗』を映画化して欲しいが、現在、
    ようやくマンガ化されたばかりであるため、まだ映画化とは程遠い状態なのか。
    死して尚、その作品が世に出るのは、ドラえもんや、サザエさん、クレヨンしんちゃんと
    同じ。 初期のライダーたちは、パンチとキックだけで戦っていたが、平成ライダーの
    頃からは、武装化が激しく、変身やら、魔法やら、ありとあらゆる手法に頼ってしまって
    いるところが、少々残念。

    仮面ライダー4号と言えば、ライダーマンを思い出すが、それとは、全く関係がないらしい。
    話の内容が、複雑過ぎて、結局何を言いたいのか、良く分からないというのが、正直な
    感想。

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