多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    カテゴリ: 東方見聞録

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    タンジェ駅周辺
    タンジェ駅から、バスターミナルまでは、2キロ近く離れており、歩くと30分も
    掛かる。 当初は、フェズからシャウエンに入りたかったのだが、フェズから
    シャウエンに向かうバスの最終便が午後3時であるため、どう考えても間に
    合わない。 後から知った情報によれば、カサブランカからもシャウエン行きの
    バスが出ているため、わざわざタンジェまで行かずに、直接シャウエンに行けた
    らしい。

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    タンジェでは、バスの時間までまだ15分もあったため、サンドイッチを買って
    いる間に、バスに置いて行かれました。。 チケットに記載されていた時間よりも
    早くバスが出てしまったため、既にチケットを購入していた国営バスではなく、
    別途お金を支払って、民間バスでシャウエンに行くことになりました。。

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    モロッコのバスは、行き先が書いておらず、たまに書いてあったとしても、
    アラビア語のみの記載のため、非常に旅行がし辛く、放送もインフォメーションも
    ありません。。 よって、行き先をいちいち聞かない限り、どのバスがどこに
    行くのかすら分からないため、要注意。

    【タンジェのバスターミナル】(撮影禁止)
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    この様な運転体系で、この国の国民は、どうやって旅行を楽しんでいるのか、
    いささか疑問に感じましたが、その40分後に、民間のバスがシャウエンに向かう
    ため、この際、それで良しとしました。 結論として、モロッコの交通機関は、
    いつ出発するのか分からないため、日本で先に予約をするのは止めた方が良いです。

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    マラケシュからタンジェまで
    モロッコ鉄道最南端のマラケシュ駅から午前6時出発の電車に乗り、
    一路モロッコ鉄道最北端のタンジェ駅へと向かいます。 丸1日でモロッコを
    南から北まで一気に駆け抜けるため、6時間以上の旅となります。

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    この列車に乗って、カサブランカを目指しますが、途中、空調が壊れているのか、
    外風がそのまま車内に送風されており、幾らアフリカとは言え、1月初旬なので、
    かなり寒かったです。

    モロッコ国鉄は、日本国内からも予約出来ることにはなっているものの、最終的な
    決済がカードでは出来ないため、実質予約が出来ません。 前日のうちに、翌日の
    チケットを予約しようと思い、窓口で尋ねたところ、チケットは当日以外は
    発売しないとのことで、早朝6時の出発に向けて、宿を4時40に出発しました。
    マラケシュの旧市街は、新市街から5キロ弱離れているため、歩くと1時間以上
    掛かりますが、タクシーだと早朝料金で50ディルハム(約900円)でした。

    途中のカサブランカ・ボヤジュー駅で乗り換えが必要なので、一旦駅の外に
    出て見ましたが、乗り換え時間が15分しかなかったため、ほんの数分で、
    カサブランカ観光を終えました。

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    モロッコ南部は、100%フランス語が通じましたが、北部は、スペイン語以外は
    殆ど通じず、南北格差が非常に大きい国だと感じました。 基本的に、英語は
    どちらもさほど通じないため、モロッコ北部では、とりあえず、フランス語で
    話し掛けてみて、駄目であれば、スペイン語で訊くを繰り返しましたが、北部では
    フランス語は、殆ど通じませんでした。

    【マラケシュ駅→カサブランカ駅】
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    カサブランカを出発
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    「カサブランカ」とは、スペイン語で「白い家」と言う意味ですが、その名の通り、
    白い駅でした。 ここからは、フランスのTGV風の列車に乗って、一路、
    タンジェを目指します。 カサブランカは、モロッコ最大の都市ですが、首都は、
    このお隣りのラバトです。 商業都市と政治の街が分離しているため、東京の様に、
    どこも激混みということはありませんでした。

    【タンジェ駅】
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    カサブランカからタンジェへ向かう電車は、フランスのTGV、タリスと同じ列車。
    モロッコの凄いところは、駅にも駅名が書いていないところ。 車内は何語でも
    放送をしないため、非常に困るのだが、流石に、終着駅なので、タンジェ駅で
    あることは分かりました。 モロッコ国鉄最南端のマラケシュ駅から最北端の
    タンジェ駅まで乗車したため、モロッコ国鉄は、3分の2程度走破したことに
    なります。 尚、マラケシュ→タンジェ間は、6時間弱で、直通列車はありません。

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    モロッコ旅行時は常に周囲に注意を向けること
    リスボンからロイヤル・エアモロッコ航空で、カサブランカへと飛びました。
    カサブランカでは、数時間程度のトランジットの筈が、ゲート変更、並びに、
    時間変更のアナウンスが全くなかったため、完全にカサブランカに置いて
    行かれてしまいました。。 急いでロイヤル・エアモロッコ航空のカウンターに
    行って、「何で何も言ってくれないんだ?」と尋ねたところ、「書いてあるから
    言う必要性がない」という回答でした。。

    モロッコの旅は、どこに行っても何も言わない、何も書いていないため、
    これ以降は、一々周囲の人達に状況を確かめることにしました。

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    政府が夏時間を継続中
    その後、更に判明したのは、モロッコ政府は、昨年になって突然、夏時間を
    そのまま無期限で延長したため、ポルトガルとは1時間の時差があり、モロッコ
    時間を示していたスマホの時計自体が、1時間遅かったことが判明しました。
    結局は、これが原因で置いて行かれたのだと気付きました。。 しかも、
    モロッコにある時計は、夏時間と冬時間の両方を示しており、結局どちらを
    信じて良いのか、スマホでネット検索しまくって、ようやく回答を得た時点で、
    1時間に1本しか空港駅にやって来ない列車にも乗り遅れていました。。 よって、
    カサブランカの空港で、合計3時間無駄にしました。。

    【カサブランカ空港】
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    カサブランカ空港駅からマラケシュ方面へ行くためには、途中の「オアシス駅」で
    乗り換えが必要です。 何度も乗り継ぎに失敗してしまったため、目的地の
    マラケシュ駅に到着したのは、午後11時過ぎ。。 実は、新市街にある
    マラケシュ駅から旧市街までは、5キロ近くも離れているため、早速、タクシーの
    運転手にフランス語で交渉してみたものの、夜中であったため、50ディルハム
    (約600円)より下には下がりませんでした。 日中だと30ディルハムと聞いて
    いたので、30ディルハムで交渉したものの、夜中だから無理と断れました。

    【オアシス駅~マラケシュ駅】
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    旧市街 メディナ
    午前0時近くのマラケシュ旧市街。 旧市街は、アラビア語で「メディナ」と
    呼ばれ、「迷路」とも例えられているのだが、このマラケシュのメディアは
    まだそこまで複雑ではないため、まだましだったのだが、この後に行く、
    テトゥアンのメディナは、内部が複雑過ぎて、メディナから出るのに1時間も
    掛かりましたw 特に何も書いていないのと、Google Mapにも何も載って
    いないため、メディアからの脱出方法は、適当に歩くしかありません。

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    夜中のマラケシュ散策は続きます。 午前0時まで、概ねのお店は開いており、
    それなりの買い物は可能でしたが、お昼の方が開店しているお店の数が多いため、
    やはり、昼間の買い物の方がお勧めです。 夜は夜で、また雰囲気が異なるため、
    時間が許すのであれば、夜中のそぞろ歩きもおもしろいと思います。

    【メディナ】
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    午前0時前後のマラケシュ旧市街では、至る所で、煌々と明かりが点いており、
    商魂魂の片鱗が垣間見られました。 アジアでも夜中のマーケットは当たり前
    なので、この様な個人商店が頑張れる場を政府が提供しなければ、日本の商業
    自体も、巨大資本に飲み込まれてなくなってしまいます。 日本人は、基本的に、
    何でも他人のせいにするのが大好きなので、責任をなすり付けて安心出来る
    大型店ばかりで買い物をしていますが、商業の基本は、個人商店なので、それを
    無視して買い物をしても、資本が一ヶ所に集中するばかりで、更に、貧富の差が
    激しくなるばかり。

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    宮城県石巻市牡鹿半島突端の沖合いに浮かぶ金華山は、島全体が黄金山神社の
    神域とされており、古くから信仰の対象として、青森の恐山、山形の出羽三山と
    並ぶ『奥州三霊場』にも数えられている人口わずか6名の島。 神の使いとして
    保護されている多数の鹿が生息している。

    特に、商売繁盛や開運招福を願う弁財天が有名であり、地元では『三年続けて
    お参りすれば一生お金に困ることはない』という言い伝えがある。 離島にも
    関わらず、多くの参拝客を集めていたが、2011年の東日本大震災発生後は、
    震源地から最寄地点ということもあり、金華山へと向かう船は、女川港、
    鮎川港共に、日曜日にそれぞれ1往復のみの運行となっている。 天候不良の
    場合には、船が運航しないため、更にその有り難味が増した。

    港から徒歩20分程度、あるいは、島内にある無料の送迎車で5分の場所にある
    黄金山神社は、広島県の厳島神社等と共に日本の『五弁天』の1つにも数え
    られており、黄金山神社から徒歩約1時間の金華山山頂には奥ノ院が鎮座している。
    島内には、奈良時代の産金伝説も残っている。

    2000年には、航空自衛隊松島基地所属のブルーインパルス2機が金華山にほど近い
    牡鹿半島の光山に墜落、パイロット3名が死亡する事故があった。

    【金華山黄金山神社】
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    【金華山航路】
    金華山へは、石巻市牡鹿地区の鮎川と、女川町の2ヵ所の港から船が出る。
    鮎川航路は、金華山航路事業協同組合(☎0225-44-1850)への予約により、
    片道約20分、往復料金2500円~。 女川航路は、潮プランニング
    (☎0225-98-9038、☎090-4639-9038)への予約により、片道約35分、
    往復料金3100円~。
     
    【金華山パワースポット巡り便】
    女川からは、予約によって「おすすめ金華山パワースポットめぐり便」が運航。
    島内で黄金山神社周辺のパワースポット巡りが出来る。 金運開運の銭洗場や、
    体の痛みがとれる『こぶの木』、子宝に恵まれる子安地蔵など不思議な金華山の
    魅力が楽しめる。 予約すれば宿坊に宿泊することも出来る。 問い合わせは
    上記の潮プランニングまで。

    【お勧めの一品】


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    上海・浦東空港と上海を結ぶリニアモーターカーは、世界最速の鉄道として、
    ギネスブックにも認定されており、最高時速は、時速431キロ、ものの7分半で
    あっという間に目的地に到着します。 但し、途中で地下鉄2号線に乗換えが必要に
    なるのと、時速431キロを出すのは、ものの15秒程度であるため、駅を出発して
    から、凄まじい勢いで時速400キロまで加速するものの、減速するのもあっという
    間なので、のんびりと車窓を楽しむと言うよりも、凄まじい勢いで流れ去る景色を
    何となく見ているうちに、もう終点か?という感じがしました。 

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    時速431キロの超高速で走行する中国リニアの車内と線路は、以外にも質素。
    軽量化を目指したため、こうなったものと思われますが、磁石のプラスマイナスの
    加減を間違えて、線路から吹き飛ばされないのか、若干の不安がよぎりましたw
    恐らく、時速100キロ近くまでは、ゴムタイヤで走行をしているのだと思いますが、
    その加速の仕方は、京浜東北線の比ではございませんw

    中国リニアの終点駅、龍陽路駅。 浦東空港駅からは、ものの7分半で到着します。
    ここから先は、地下鉄2号線で中心街へと向かいます。 人民広場までの料金は4元
    (約72円)で、これは、後から知ることになるのですが、地下鉄2号線の浦東空港駅
    行きの最終電車は、実は、午後9時30分が最後です。 とりあえず、駅周辺を散策
    することにしました。

    今回の旅の予定は、リニアモーターカーに乗車して、適当に中華料理を食べて、
    上海博物館、外灘、豫園に行くことであったため、中心街へ出る前に、龍陽路駅で
    早速、腹ごしらえ♪ 中国語は、薄らぼんやりとしか分からないので、見本で美味し
    そうなものを適当に指差したら、これが出て来ましたw 拉麺の発音は、中国語でも
    ほぼラーメンなので、ラーメンなのは分かっていましたが、何ラーメンなのかは、
    未だに分からず。

    上海の地下鉄の乗り方。 まず、降りる駅の料金を確かめてから、自動販売機へ
    お金を投入。 但し、お金をなかなか読み取ってくれないため、根気良く何度でも
    自販機へ入れてやらなければ、切符は買えませんw タッチパネル式なので、降りる
    駅をタッチすれば料金が表示されます。 タッチパネル式ではない駅の場合は、
    料金表が張り出されているため、そちらで確認しませう。 何回か利用している
    うちに、恐らく、4元ぐらいだろうと何となく分かるようになります。 浦東空港
    から人民広場までは、直接地下鉄2号線でも1本で行くことも出来ますが、地下鉄
    のみの料金は7元(約126円)です。

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    上海の地下鉄は、中国語に続いて、英語でもアナウンスをするため、大変便利♪
    『人民広場』の英語は『People's Square』。 『Now we are at People's Square』
    と言っていたので、この駅で降ります。 降りて早々、ファミリーマートがあった
    ので、飲み物を購入、中国語では『全家』らしいw

    人民広場駅で降りて、上海博物館を探します。 ところが、歩けど歩けど、見つ
    からない。 全く地図も見ずに、適当に歩いていたところ、人民広場は2つに
    分かれており、もう一方の方だったことが判明したため、気を取り直して再び歩き
    始めたところ、道路を渡る横断歩道が全くない。。

    向かい側に渡るだけなのに、地下通路もない。。 公園を完全に横切ったところに
    地下通路があったため、かなり遠回りしました。 その途中で、上海のデパートを
    覗いて見ましたが、日本とさほど違いはありませんでした。 尚、こちらの観光
    ツーリスト向けのオープンバスは、古い地球の歩き方には、15元(約270円)と
    書かれておりましたが、実際は100元(約1,800円)です。

    上海博物館へ行く途中で、人民公園を散策。 公園内のテーブルでマージャンを
    やったり、トランプをしている人達が多数おりました。 日本の戦後もこんな感じ
    だったような気がするので、どこでも同じなのだと思いましたが、日本では
    マージャンは、賭博のイメージが強いものの、中国では、トランプと同じような
    庶民の娯楽なのだと思いました。 公園は、太極拳とかをやっている人が多い
    というイメージだったのですが、暑いからなのか、太極拳は誰もしていません
    でした。

    人民公園内にある無料の上海博物館へ到着♪ その町の知的レベルを見るためには、
    博物館と図書館が一番。 人民広場駅の出口にも寄りますが、林に隠れて、かなり
    特徴的な建物が全く見えないため、迷うと見つけ出すのがかなり大変です。

    【お勧めの一冊】


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    日本から2時間半で行ける、非日常、中国の上海に行って参りました♪ 今回は、
    ジェットスター上海便就航記念と言うことで、航空運賃は何と!1980円w
    出入国税込みでも、8,500円程度でした。 但し、新規でのLCC航空会社の参入
    であるため、運行時間にかなり無理があります。 東京駅から成田空港第三
    ターミナルまでは、高速バスが安くて便利♪ ほぼ10分間隔で東京駅から出発して
    おり、概ね定時で運行しています。

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    成田空港第三ターミナルからの出発は午後10時15分で、上海・浦東(プドン)
    空港への到着は、現地時間の午前0時40分。 但し、この日は上海での天候不良、
    並びに、空港混雑の影響により、30分以上も送れて到着。

    まずは、中国元へのお金の両替という問題がありましたが、上海・浦東空港内には、
    自動ATM機のような自動両替機が設置されており、間違いだらけの日本語による
    説明付での24時間体制の両替が可能ですが、問題はその手数料。 試しに1,000円を
    入れてみたところ、何と!8元しか出て来ませんでした。。 よくよく見たところ、
    両替機による手数料が50元(約900円)取られるということで、大量に両替をする人
    以外は、空港内での両替は絶対にお勧め出来ません。

    成田空港では天候不良により、関空に引き返す可能性もあるというアナウンスが
    あり、不安の中、機内へと誘導されましたが、最終的に30分遅れで上海・
    浦東空港へと到着。 現地時間午前1時過ぎの到着と言うことで、浦東空港での
    交通機関は、タクシーのみという状況でしたが、そこは中国なので、白タク
    運転手が空港内でご丁寧に山盛り声を掛けて来るため、英語は全く通じない
    ものの、数字程度であれば、何とか通じることが判明。

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    一番最初に声を掛けて来た人は、当初、空港から8キロ離れたホテルまで約15キロ、
    250元(約4,500円)とかなり吹っ掛けて来たため完全無視。 その直後、150元まで
    一気に値下げして来たものの、うざいので完全無視。 その後、タクシー乗り場の方
    へとスタスタと歩いて行ったところ、次なる客引きが50元(約900円)と言って来た
    ため、そちらに決定☆

    空港の客引きからはホテルまでは50元(約900円)だと言われていたものの、
    ホテルに到着した際に、こちらから100元を渡したところ、運転手からチップだと
    言われて、95元(約1,710円)も取られました。。 実際にタクシーを利用した
    場合は、恐らく、100元以上取られたであろうと容易に推測出来たのと、いい加減
    眠かったため、とりあえず、この日はこれでよしとしました。。

    成田空港での中国元への両替は、100元単位でしか出来ないため、中国へ行く際
    には、細かい紙幣を持参することを強くお勧めします。 最終的に、現地時間の
    午前3時に無事に予約をしたホテルに到着、チェックインしました♪

    尚、成田空港からの飛行時間は、2時間半で、上海は、沖縄へ行くよりも近いことが
    判明しました。

    【お勧めの一冊】


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    人口360万人のうち、トルクメン人の占める割合は72%で、トルコ系民族に属して
    いる。 彼らの宗教は、イスラム教のスンニ派で、定住生活を行うようになった
    のは、比較的最近のことである。 その他、国を構成する主要な民族は、ロシア人
    9.5%、ウズベク人9%で、更に、カザフ人、タタール人、ウクライナ人、
    アルメニア人、ベラルーシ人など、多くの小さな民族が住んでいる。

    mapturk

    トルクメン人は、数百人の間、数多くの部族に分かれて生活し、戦争の時だけ結集
    した。 そのため、トルクメン人について実際に論じることが出来るのは、ようやく
    今世紀に入ってからのことである。 トルクメン人は、1869年から1885年の間に
    ロシア帝国の支配下に入った。 1916年に中央アジアで起きた、ロシアに対する
    大蜂起にはトルクメン人も加わたが、それは逆に、ロシア皇帝政権が中央アジアの
    人たちをロシア軍に徴兵する切っ掛けとなった。

    ソ連邦の設立後、一部のトルクメン人たちは、『トルキスタン・自治ソビエト
    社会主義共和国』に属することになり、他の人たちは、その後、すぐに滅びた
    ブハラ共和国とヒバ共和国に属すことになった。 1924年に『トルクメン・
    ソビエト社会主義共和国』が設立された。 その後は、他のソビエトの全ての
    共和国と同様の歩みをたどった。 すなわち、農業の集団化、工業化、伝統的な
    社会秩序の排除、宗教の弾圧や残忍な粛清などが行われた。

    [11004427

    プラス面としては、文字教育の推進と、近代学校制度の確立が挙げられる。
    1980年代のペレストロイカ(改革)の時代には、トルクメニスタンでも民族自決
    運動が起こった。 1990年8月22日、トルクメニスタンは主権宣言を採択し、
    翌年10月27日に独立宣言をした。 そして同年12月21日には、独立国家共同体
    (CIS)に加盟したが、1992年5月18日、最高会議が大統領権限を強めた新憲法を
    採択。 1992年5月にロシア・CIS諸国との集団安全保障条約の署名を拒否。
    1995年12月、国連総会において『永世中立国』として承認された(ロシアの
    影響力を排除する目的と言われる)。

    今のところ、さまざまな民族グループの間に大きな緊張はない。 しかしながら、
    これまで数千人のロシア人がトルクメニスタンを離れている。 また、隣接する
    各共和国との間に、国境問題や水源の問題で対立が起こる可能性もある。

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    重要伝統的建造物群保存地区の大内宿までの日帰り旅行。 まずは、
    長岡駅前でレンタカーを借りて、新潟と福島の県境にある峠超えに挑みます。
    県境の峠を越えてすぐのところに、田子倉湖を展望出来る展望台があります。
    遊覧船も運航しているという、かなり大規模な人造湖です。 尚、長岡側から
    行くと、新潟と福島の県境付近は1時間程度に渡り、電波が入らなくなるため、
    俗世間に未練があるお方は、その手前で用事を済ませるべし。



    田子倉水力発電所は、電源開発(J Power)が建設した、関東へ送電する
    ためだけの施設となっており、現在、電源開発は、この他にも、青森県の
    大間にも原発の建設を進めており、こちらも関東へ送電することのみを目的
    としているため、地元でこの電力が使われることはありません。

    福島県は、東日本大震災で被災前するまでは、日本一の発電力を誇る県でしたが、
    現在2つある原発は停止中となっており、残りの火力と水力発電所の殆どが
    東京電力、あるいは、電源開発の施設となっています。 実際に福島の人たちが
    使っている電力である東北電力の発電所は、ほんの数箇所のみ。 福島の原発
    事故は、この歪んだ送電方法が生み出した事故とも言えるため、関東へ送電する
    ための施設は、原発に限らず、福島からは出て行くべきです。

    福島から電気だけを送電して貰い、事故で巻き散らかされた放射性物質は、全て
    福島に押し付けているのが、今の関東の実情です。 都内各地で開催されている
    脱原発集会では、このような不都合な事実は一切公表されていため、インテリぶって
    脱原発を声高に叫んでいる人たちでも、この事実を全く知りません。 よって、
    自称リベラルが主張している内容は、かなり間違っています。 関東の学校では、
    このような事実は教えずに、伏せています。

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    会津地方のお土産は、起き上がりこぼしと絵ろうそくが有名で、福島県は、
    戊辰戦争にさえ負けなければ、会津県、あるいは、若松県という県名になって
    いたと思います。 現在の福島市は、実際は、この会津藩の分藩のような街で、
    明治政府によって、無理やり県庁所在地にさせられた場所であるため、特に
    何もありません。

    塔のへつりは、会津鉄道沿線の中でも、最も風光明媚な場所として有名です。
    へつりとは、この地方の方言で、『断崖絶壁』という意味だとか。 この場所は、
    駅から徒歩5分程度と交通の便も良く、大内宿に行くバスも、この景色を見る
    ために、数秒間だけ停車します。 つり橋は、かなり揺れるので、注意が
    必要ですが、たまには、このような大自然を楽しむのも一風かと思います。

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    会津旅行のハイライトと言えば、大内宿。 会津西街道の時代絵巻さながらに、
    江戸時代の原風景が今尚息衝く宿場町が大内宿となっております。 と言っても、
    国道からは5キロ以上も離れているため、かなりひっそりとしているのかと
    思いきや、ド田舎の山奥に忽然と現れる福島を代表する一大観光地となって
    いるため、土日祝日ともなれば、見渡す限り、ひと、人、ヒトの波。 原発事故
    なんてなんのその、県庁所在地の福島駅前のメイン通りなんぞよりも人が歩いて
    おりますので、ご注意下され。

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    旅の締めは、長岡市栃尾で名物の油揚げを購入♪ 栃尾に着いた時点で、既に午後
    6時を過ぎていたため、帰りに道の駅に寄って、油揚げを買おうとしていた計画が
    水の泡。 とりあえず、道端に油揚げ屋が2軒あったので、2軒目のお店に
    レンタカーで突入。受付のおねえさん(世間ではおばさんとも言うw)が、
    『豆乳アイスクリームも如何ですか?』と聞いて来たため、ここまでわざわざ来た
    からには、清水の舞台どころか、東京スカイツリーの上からでも飛び降りる覚悟で、
    ひとつ買わねばなりますまい。

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    最後に、アイスクリームを食べ終わって、帰えろうとしたところ、先ほどの
    おばさ・・・もとい、おねえさまから『器がエビせんになっていますので、
    お持ち帰りにしますか?』と言われ、新潟の人たちは、器まで食べるのか、
    ヘーとか思いつつ、お店を後にしました。

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    仙台藩白老元陣屋とは、 今から約150年前の江戸時代末の安政3年(1856年)に
    置かれた陣屋跡。 当時、北海道はまだ蝦夷地と呼ばれ、日本はまだ鎖国をしていた
    時代であった。 幕末の日本沿岸には、アメリカやロシア等の諸外国が交易を
    するように迫って来ており、箱館(函館)が開港となった時、幕府は、松前藩だけで
    蝦夷地を守るのは困難と判断し、仙台藩をはじめとする東北地方六藩に蝦夷地の
    警備を命じた。



    元陣屋とは、本陣を示す意味があり、仙台藩では、十勝の広尾、道東の厚岸と根室、
    更に、千島列島の国後(トマリ)と択捉(フウレベツ)の5ヶ所にも出張陣屋という
    脇陣屋を置き、太平洋沿岸の東蝦夷地一体の警備にあたった。

    赤い部分が仙台藩の担当地域。 東蝦夷のほぼ全ての警備にあたった。
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    幕府は当初、仙台藩の元陣屋を当時交通の要所となっていた勇払(苫小牧)に
    置くように命じた。 ところが、仙台藩の重役三好監物が現地を調査したところ、
    勇払は湿地帯で陣屋を建てにくい上に波が荒く船の出入りには適していないため、
    箱館に近く、自然の地形をそのまま利用出来る白老が選ばれ、幕府にこれを
    許された。

    仙台から白老までは、約800キロほど離れているが、記録によると、この間の
    移動は、早い時で20日間、川の氾濫や津軽海峡のしけ等で2ヶ月以上も掛かる
    ことも珍しくはなかった。

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    仙台藩元陣屋には、約120人の藩士達が毎年交代で故郷を離れ、慣れない気候風土の
    中で暮らしていた。 藩士達は、弓や剣術の稽古の他、火縄銃や大砲の訓練に
    励んだ。 当時の白老には、400人ほどのアイヌ人達が住んでいたが、北の地で
    生活をするの多くの知恵を彼らから学んだ。

    山と川等、自然の地形を巧みに利用した白老元陣屋の面積は、66,000㎡で、堀と
    土塁と4つの門に囲まれたお城の形をしていた。 内曲輪は、上級武士達が住んで
    いたところで、本陣や勘定所、兵具庫、穀倉等の主要な建物があった。 また、
    外曲輪には、下級武士達が暮らす4棟の長屋と武芸をみがく稽古場等があった。

    慶応4年(1868年)、約260年続いた徳川幕府が倒れ、蝦夷地の警備にあたっていた
    陣屋の武士達は、賊軍と呼ばれて箱館から攻めて来た新政府軍に追われるように
    白老を去った。 こうして、仙台藩元陣屋は、12年間の歴史を閉じたのである。

    その後、東北各地では、仙台藩を中心として、戊辰戦争が始まったが、東北の
    各藩は、この幕末の蝦夷地での警備に資金を大量に費やしてしまったため、
    最新の武器を揃える事が出来ず、旧式の武器だけで戦うこととなっため、
    奥州越列藩同盟は、新政府軍に負けたとも言われている。

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    異国情緒漂う、長崎県第二の都市佐世保。 軍港として発展した街らしく、
    巡洋艦が街の至る所から見えるが、自衛隊だけではなく、米軍の基地としての
    役割もあるため、佐世保の街中には、名物の佐世保バーガーを販売している店が
    多い。 通常のハンバーガーよりも、数段大きいハンバーガーは、正にアメリカン
    サイズ☆ 値段が1,000円程度と若干高めだが、佐世保に来て、佐世保バーガーを
    食べない手はない。



    佐世保付近にある最も有名な施設は、やはり、ハウステンボスで、オランダ語で
    『森の家』という意味。 オランダのベアトリクス女王が住むハウステンボス
    宮殿を再現したため、この名が付いた。 佐世保駅からは、鉄道でも行くことが
    出来るが、車で行くと、30分弱掛かる。 日本最大規模の面積を誇り、東京
    ディズニーランドの1.5倍の敷地面積となっている。 オランダを表現したテーマ
    パークとなっているが、ヨーロッパ全体をイメージしており、オランダだけでは
    なく、色々な国の雰囲気を味わうことができる。

    軍港の町らしく、海上自衛隊佐世保史料館では、海上自衛隊や、過去に起きた
    戦争にまつわる興味深い資料が展示されている。 7階から順次下へと降りて行く
    構造となっており、時間のある時には、是非とも訪れたい。

    弓張岳展望台は、佐世保の街並みを一望できるお勧めスポット。 軍港らしく、
    軍艦がずらりと並んでいる姿は、壮観。 佐世保駅からは、車で20分程度掛かるが、
    この展望台を訪れる価値はあると思います。 九十九島も望むことができるため
    日中だけではなく、夕暮れ時にも訪れたい場所。

    【佐世保】
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    東京駅から高速バスで1時間足らずで行ける茨城県。 関東の中でも、最も
    地味で目立たない県とされているため、『都道府県魅力度ランキング』では、
    毎年常に最下位が定位置となっているが、茨城は、北関東というよりも、
    南東北の文化圏に属しているため、販売している商品が、東北と概ね同じ。

    茨城は、関東にいる限り、最下位争いからは抜け出る事が出来ないが、
    南東北に移れば、福島を抜いて東北第二位に浮上出来る可能性が高いため、
    東北への移籍をお勧めしますw

    【筑波山】
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    筑波山は、つくば市北端にある標高877mの山で、西側の男体山と東側の女体山
    からなる。 茨城県のシンボルの一つとされており、富士山と対比して
    『西の富士、東の筑波』と称される。 全域が『水郷筑波国定公園』に指定
    されており、日本百名山、日本百景の一つとされる。 百名山では最も標高が
    低く、開聞岳(標高924m)と共に1,000m未満の山となっている。



    【茨城県 フラワーパーク】
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    筑波山のすそ野に広がる花の一大テーマパーク。 約30ヘクタールの広大な
    園内には、世界中のバラ500種3万株や、シャガ、やまゆり、ダリア、ベコニアなど
    四季折々の花が楽しめる。 春と秋にはバラまつりが開催され、花のすべり台や
    フラワーサイクルなどもおすすめ。 花と緑の公園となっており、特に、茨城県の
    花であるバラに力を入れている。

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    ベルギーの 人口は、約1,000万人となっており、その95%が都市に住んでいる。 この
    割合は、ヨーロッパ最高となっている。 この国の最も人口の集中している都市は、
    ブリュッセルとアントワープで、その他の都市では、シャルルロアや、リエージュのような
    都市の中心か、、または、ゲントやブルージュのような歴史的な都市に住んでいる。

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    【ブリュッセル】

    ブリュッセルの人口は、その郊外も合わせると、110万人となっており、面積の上では、
    ブラバンド州の半分近くを占めている。 この都市は、センヌ河畔にあって、ずっと以前
    からフラマン文化とワロン文化の接合点であった。 現代ブリュッセルは、国際的な産業と
    政治の中心となっている。 市民の3人に1人はベルギー国籍を持っていない。 この
    街では、オランダ語とフランス語が公式言語とされており、住民の大部分はフランス語を
    話すことが出来る。 また、英語やドイツ語、その他の言語も日常的に極普通に使われて
    いる。

    1830年以来、ブリュッセルは、ベルギーの首都ととして、商業、工業、そして、文化の
    中心であった。 住民の多くは、この都市にある政府機関や国際機関の職員となって
    いる。 ブリュッセルの主要な産物としては、繊維製品、薬品、電気機器、機会、ビール
    等がある。

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    【アントワープ】
    人口50万人のアントワープは、ヨーロッパでも最も船舶の出入りの多い港で、スヘルデ川
    沿いに広がっている。 15世紀と16世紀には、この都市は、商業の中心として繁栄し、
    商人、芸術家、職人が多数住み着いた。 現代でも、この都市の主要な収入源は貿易
    だが、精油工業、薬品工業、冶金業、食品加工業、電子工業等も盛んになっている、
    ダイヤモンド産業は、この都市の経済の重要な要素で、ダイヤモンド研磨業は、何世紀も
    前から、世界随一と言われている。

    charleroi

    【シャルルロア】
    シャルルロアは、人口25万人以上を擁する都市で、サンブル川の肥沃な農業地帯の
    ただ中にある。 付近に石炭が多量に埋蔵されているため、この都市の工業は19世紀
    に入って繁栄し、ワロン地域の大きな部分に富と仕事をもたらした。 この都市の運河沿い
    には、かつて商業活動が活発に行われた倉庫が立ち並んでいる。 冶金業関係の
    鋳造所や工場の多くは、時代遅れとなり、今では、ハイテク産業の町となっている。

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    【ゲント】
    ゲントは、人口23万5,000人の古い大学町で、東フラマン州の州都となっている。 
    ライエ川とスヘルデ川の合流地点に位置している数十の島々の上に建設されたため、
    ベルギー第二の港湾都市となっている。 1886年には西スヘルデ運河に直接連絡する
    運河が完成した。 何世紀も前からゲントは、ベルギーの繊維産業の中心となっている。
    最近では、鉄鋼の生産と草花の栽培も地元の経済に大きな意味を持つようになった。
    第一次世界大戦と第二次世界大戦では、ドイツ軍に占領されたが、貴重な建物は破壊を
    免れた。 9世紀に建てたれた城郭と16世紀に建てられた市庁舎は、今でも健在である。

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    【リエージュ】
    人口21万5,000人のリエージュは、ミューズ川の両岸にまたがっている。 遠い昔から、
    ワロン地域圏の行政と商業の中心地で、ひっそりした感じの中庭や狭い裏通り、急な
    坂道が多い。 1460年代にリエージュは、ここの市民に侮辱されたと考えたシャルル
    豪胆公によって、徹底的に破壊された。 そのため、現在残る建築物は、16世紀以降に
    建てられたものが多い。 リエージュは、付近に大量の鉱物が産出するため、19世紀から
    20世紀に掛けて、武器とガラス器の生産が盛んに行われるようになった。 2度の大戦
    では、ドイツ軍に樹凜され、工場の一部は破壊された。 戦後、リエージュは、ベルギーの
    文化の中心地のひとつとなり、喫茶店、キャバレー、コンサートホールやバレエの劇場が
    多数ある。

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    【ブルージュ】
    西フラマン州の州都であるブルージュは、7世紀に建設され、人口12万人、13世紀から
    15世紀に掛けて、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄した。 この町と北海に面した
    ゼーブルッヘとは、運河で結ばれている。 市内の運河には数多くの橋が掛かり、運河
    沿いに13世紀以来の家屋が立ち並んでいる。 ゴシック様式の寺院、大きな広場、
    昔ながらの商業建築物等が交易の中心地だった頃の歴史を物語っている。

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