多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    カテゴリ: 東朝鮮日報

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は2019年4月18日、2019年の
    「報道の自由度ランキング」を発表した。 調査対象の180カ国・地域のうち、
    日本は前年度に引き続き67位だった。 前年度と同じ結果となったが、2017年度、
    日本は72位まで後退している。

    日本は「メディアの多様性が尊重」されているものの、沖縄の米軍基地など
    「非愛国的な話題」を取材するジャーナリストがSNSで攻撃を受けていると
    指摘され、主要国7カ国(G7)中、最下位だった。 日本は民主党政権の2010年には
    11位だったが、その後、自民党政権に戻ってからは、一気に順位が後退した。

    DbnqYg4XkAAP1eK

    去年と同様、報道の自由度が最も高いとされたのは、前年度に引き続き、北欧の
    ノルウェーで、最下位はトゥルクメニスタンであった。 

    自由度が高い
    ↑薄い黄色
    ↑濃い黄色
    ↑オレンジ
    ↑赤
    ↑黒
    自由度が低い
    houdouranking2

    順位
    1位  ノルウェー
    2位  フィンランド
    3位  スウェーデン
    4位  オランダ
    5位  デンマーク
    6位  スイス
    7位  ニュージーランド
    8位  ジャマイカ
    9位  ベルギー
    10位  コスタリカ
    11位  エストニア
    12位  ポルトガル
    13位  ドイツ
    14位  アイスランド
    15位  アイルランド
    16位  オーストリア
    17位  ルクセンブルク
    18位  カナダ
    19位  ウルグアイ
    20位  スリナム
    21位  オーストラリア
    22位  サモア
    23位  ナミビア
    24位  ラトビア
    25位  カーボヴェルデ
    26位  リヒテンシュタイン
    27位  ガーナ
    28位  キプロス
    29位  スペイン
    30位  リトアニア
    31位  南アフリカ
    32位  フランス
    33位  イギリス
    34位  スロベニア
    35位  スロバキア
    36位  ブルキナファソ
    37位  アンドラ
    38位  パプアニューギニア
    39位  トリニダード・トバゴ
    40位  チェコ
    41位  韓国
    42位  台湾
    43位  イタリア
    44位  ボツワナ
    45位  トンガ
    46位  チリ
    47位  ルーマニア
    48位  アメリカ
    49位  セネガル
    50位  東カリブ諸国機構
    51位  ガイアナ
    52位  フィジー
    53位  ベリーズ
    54位  マダガスカル
    55位  ドミニカ共和国
    56位  コモロ
    57位  アルゼンチン
    58位  モーリシャス
    59位  ポーランド
    60位  ジョージア
    61位  アルメニア
    62位  ハイチ
    63位  ボスニア・ヘルツェゴビナ
    64位  クロアチア
    65位  ギリシャ
    66位  ニジェール
    67位  日本
    68位  マラウイ
    69位  セーシェル
    70位  モンゴル
    71位  コートジボワール
    72位  チュニジア
    73位  香港
    74位  北キプロス
    75位  コソボ
    76位  トーゴ
    77位  マルタ
    78位  レソト
    79位  パナマ
    80位  ブータン
    81位  エルサルバドル
    82位  アルバニア
    83位  キルギス
    84位  東ティモール
    85位  ペルー
    86位  シエラレオネ
    87位  ハンガリー
    88位  イスラエル
    89位  ギニアビサウ
    90位  セルビア
    91位  モルドバ
    92位  ガンビア
    93位  リベリア
    94位  モーリタニア
    95位  マケドニア
    96位  ベナン
    97位  エクアドル
    98位  モルディブ
    99位  パラグアイ
    100位  ケニア
    101位  レバノン
    102位  ウクライナ
    103位  モザンビーク
    104位  モンテネグロ
    105位  ブラジル
    106位  ネパール
    107位  ギニア
    108位  クウェート
    109位  アンゴラ
    110位  エチオピア
    111位  ブルガリア
    112位  マリ
    113位  ボリビア
    114位  ニカラグア
    115位  ガボン
    116位  グアテマラ
    117位  コンゴ共和国
    118位  タンザニア
    119位  ザンビア
    120位  ナイジェリア
    121位  アフガニスタン
    122位  チャド
    123位  マレーシア
    124位  インドネシア
    125位  ウガンダ
    126位  スリランカ
    127位  ジンバブエ
    128位  カタール
    129位  コロンビア
    130位  ヨルダン
    131位  カメルーン
    132位  オマーン
    133位  アラブ首長国連邦
    134位  フィリピン
    135位  モロッコ
    136位  タイ
    137位  パレスチナ
    138位  ミャンマー
    139位  南スーダン
    140位  インド
    141位  アルジェリア
    142位  パキスタン
    143位  カンボジア
    144位  メキシコ
    145位  中央アフリカ
    146位  ホンジュラス
    147位  エスワティニ
    148位  ベネズエラ
    149位  ロシア
    150位  バングラデシュ
    151位  シンガポール
    152位  ブルネイ
    153位  ベラルーシ
    154位  コンゴ(旧ザイール)
    155位  ルワンダ
    156位  イラク
    157位  トルコ
    158位  カザフスタン
    159位  ブルンジ
    160位  ウズベキスタン
    161位  タジキスタン
    162位  リビア
    163位  エジプト
    164位  ソマリア
    165位  赤道ギニア
    166位  アゼルバイジャン
    167位  バーレーン
    168位  イエメン
    169位  キューバ
    170位  イラン
    171位  ラオス
    172位  サウジアラビア
    173位  ジブチ
    174位  シリア
    175位  スーダン
    176位  ベトナム
    177位  中国
    178位  エリトリア
    179位  北朝鮮
    180位  トルクメニスタン

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    初めて海を渡ったサムライ
    慶長遣欧使節は、慶長18年(1613年)に仙台藩主の伊達政宗がフランシスコ会
    宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王
    フェリペ3世、および、ローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節であるが、
    元々、この使節団は、その2年前の1611年に三陸を大規模な津波を襲ったのを
    契機に、徳川家康の許可を得て、仙台藩が単独、かつ独自に派遣した使節団
    である。

    32613308
    M008451

    82dd2bb2

    当時の日本は、江戸幕府による鎖国令が敷かれており、津波による大災害を
    好機へと変え、ガレオン船を建造して、海外へとその活路を見出そうとした
    伊達政宗の日本野望とも言える壮大な計画である。 この時、伊達政宗は、
    「奥州王」の名において、イスパニア艦隊の日本への派遣をこの使節団に要請
    しており、当時世界最強であったイスパニア艦隊がその政宗の要請に応じて
    いれば、日本は根底から何もかもが変わっていた可能性がある。 一説に
    よれば、徳川幕府を倒すためにこの使節団を派遣したとも言われている。

    hasekura

    コレア・デル・リオ
    奥州遣欧使節は、現在の宮城県石巻市の月の浦を出航し、ヌエヴァ・イスパニア
    (メキシコ)を経由して、一路ローマを目指したが、その途中のスペイン南部に
    あるコレア・デル・リオという小さな街で長期滞在した。 この街で滞在をした
    理由は、ルイス・ソテロの出身地であるためと言われている。 この滞在には、
    諸説あるが、使節団は、最長で1年程度をこの街で過ごしたとも言われている。

    この街には、ハポン(Japón=日本)姓、もしくは、Xapón姓の人が数百人
    住んでおり、この使節団の中で日本に帰らず現地に留まり移住したキリスト
    教徒の仙台藩の藩士や使節の現地人水夫、その支援者の子孫であると言われ
    ている。

    IMG_3344

    IMG_3359

    コレア・デル・リオ
    IMG_3341
    IMG_3342
    IMG_3343
    IMG_3348
    IMG_3350
    IMG_3350
    IMG_3352
    IMG_3353
    IMG_3357

    政宗の野望費える
    1615年1月30日、使節団は首都マドリードにてイスパニア国王フェリペ3世に謁見を
    許された。 2月17日、支倉常長は、フェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の
    付属教会で洗礼を受けた。 8月22日、使節団はマドリードを出発した。 使節団は
    その後、10月25日にローマに到着し、10月29日、ローマにおいて栄誉あるローマ
    入市式を行った。 11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に
    謁見し、ローマ市民権証書が授与された。 但し、交渉は難航し、結局、政宗の
    嘆願が受け入れられることはなかった。

    この使節団は、出航直後にキリシタン禁令や宣教師追放令が出たことから、
    7年後に帰国するものの、洗礼を受けていた支倉常長を当主とする支倉家は
    御家断絶の憂き目に。 ルイス・ソテロもマニラから密入国しようとしたが
    捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)に長崎の大村で火刑により
    殉教した。

    岩倉使節団
    QUYAE-BIE

    その後、使節団のことは語られることなく、明治6(1873)年に岩倉具視率いる
    「岩倉使節団」がイタリアのヴェネツィアで常長の書状を発見したことで、慶長遣欧
    使節の偉業が明らかとなった。 これが切っ掛けで、当時逆賊扱いをされていた
    仙台の地に、日本で2番目の高等学校、仙台第二高等学校(現在の東北大学)が開設
    されることとなった。

    使節団が持ち帰った貴重な資料は国宝に指定されていたが、2013年6月にユネスコの
    「世界記憶遺産」に登録され、仙台市博物館に保管されている。



    東日本大震災
    コレア・デル・リオでの滞在は、たった1日のみであったが、東日本大震災が
    発生した際に、このコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れているという
    噂を聞き付け、スペイン語でコリア・デル・リオ市役所に問い合わせたところ、
    全くのデマであることが判明したため、結局、この地に住むことはなかったが、
    もし、本当にコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れていたならば、今頃は、
    日本などからは離れて、この地で生きていたと思う。 宿泊した宿のオーナーも
    ハポンと言う人であった。

    コリア・デル・リオ市は、日本人の末裔の街であるため、日本人観光客向けに日本語
    での案内もあるのだが、肝心の日本人が、その史実を全く知らないため、ここには、
    滅多に日本人が来ないとか。 コレア・デル・リオは、セビリアからバスで1時間
    程度の場所にあるため、昔のサムライの気概を感じるために、コリア・デル・リオを
    訪れて見るのも一興だと思う。

    >>遠い帆 ~日本で始めて海を渡ったサムライ~

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    モロッコ国営バスの旅
    モロッコ国営バスで青の街シャウエンからテトゥアンへ。 この国営バスは、
    日本からでも予約が出来ますが、言語は全てフランス語のみ対応です。
    モロッコは、基本的に公共交通機関が時間通りには運行しておらず、遅く
    出発するのは我慢が出来ても、時折時間よりも前に出発してしまうこともあり、
    しかも、特に何もアナウンスは行わない、初めてモロッコを訪れると、非常に
    ビックリします。

    モロッコのバス
    IMG_3222

    【非常に複雑なテトゥアンの旧市街メディナ】
    IMG_3238

    IMG_3240

    IMG_3242

    【早朝のテトゥアンの旧市街(メディナ)】
    IMG_3221
    IMG_3223
    IMG_3224
    IMG_3226
    IMG_3228
    IMG_3230
    IMG_3231
    IMG_3232
    IMG_3234

    メディナ観光の注意点
    テトゥアンに到着したのは、午後11時過ぎであったため、既に周囲は真っ暗。
    そのまま少しだけ旧市街メディアの観光をしたものの、やはり、暗いため、
    翌日に繰り越すことにしましが、翌朝の早朝6時からのメディナ観光でも、
    やはりまだまだ暗かった。。 さて、このテトゥアンのメディアは、非常に複雑で、
    入るのは簡単なものの、出るのが非常に困難。 Google Mapは一切役に立た
    ないため、全て、適当に歩き回るしかありません。。 しかも、周囲の景色が
    非常に似ており、その場所を1度通ったかすら思い出せないのと、袋小路が
    多いため、行き止まりが非常に多いため、抜け出るのは至難の技。。

    ようやく出口が見えました(涙)
    IMG_3237

    IMG_3235

    複雑怪奇なメディナと挌闘するすること1時間、ようやく出口が見えてきました。
    モロッコには、特に道標などはなく、特に何も書いていないため、道に迷うと
    大変です。。 特に、早朝や夜中にメディナに入る場合は、誰も歩いては
    いないため、それ相応の覚悟が必要です。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願い致します☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    タンジェから青の街シャウエンへ
    タンジェからシャウエンまでは、約3時間のバスの旅。 途中、このような
    雄大な景色が広がります。 テトゥアンで20分ほど休憩し、そのまま
    シャウエンへと向かいます。 尚、この日の宿泊地は、このテトゥアンですが、
    一旦シャウエンに行ってから、テトゥアンに戻る形になります。

    IMG_3154

    約3時間のバスの旅を終えて、青の街シャウエンに到着。 但し、その青の街は、
    旧市街メディナの方なので、新市街のバスターミナル付近は特に何もありません。
    よって、ここから2キロ、徒歩20程度の距離にありますが、街中全て青を
    イメージして来たため、街の入り口が意外と白い建物ばかりで、若干ガッカリ
    しましたw メディナまでの通りには、市場や個人商店が軒を連ねていました。

    IMG_3162

    さて、ここからが、シャウエンのハイライト、旧市街のメディナです。
    何故このような青ばかりを使うようになったのはか、定かではないものの、
    ある一定の法則に則り計画的に造られたものは、綺麗であるという結論に達し
    ました。 青にも色々な青がありますが、濃い青から淡い青まで、ありとあらゆる
    青が存在しています。 但し、よくよく見ると、街自体は結構汚いため、
    青だけをお楽しみ下さいw

    IMG_3172

    IMG_3175

    IMG_3181

    IMG_3188

    シャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に
    入ったところに位置する。 1471年にムーレイ アリ ベン ムーサ ベン ラチェッド
    エル Alamiが、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として
    設立した。 この地域のGhomara部族と共に、多くのモリスコとユダヤ人が、
    スペインによるレコンキスタの後、ここに定住した。 建物が青く塗られたのは、
    ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もあるが、
    単なる虫除けとの説もある。

    【旧市街の終点付近】
    IMG_3194

    IMG_3198

    【ハマム広場】
    IMG_3206

    IMG_3208

    IMG_3220

    【シェフ・シャウエン旧市街】

    IMG_3163
    IMG_3165
    IMG_3166
    IMG_3168
    IMG_3169
    IMG_3170
    IMG_3174
    IMG_3176
    IMG_3178

    イスラム圏は基本的に、銀製品のお土産が多く、ランプや陶器が多いのが特徴。
    お土産は買わなくとも、見ているだけでも楽しくなります。 シャウエンは、
    非常に辺鄙な場所にあるため、大概の人たちは、この街に宿泊をしますが、
    時間がないため、ここには泊まらずに、バスで1時間半行った、テトゥアンに
    泊まりましたが、そちらの旧市街の方が実は凄かった。

    シェフ・シャウエン旧市街
    IMG_3181
    IMG_3182
    IMG_3183
    IMG_3184
    IMG_3203
    IMG_3211
    IMG_3212
    IMG_3213
    IMG_3215

    青の街、シャウエンを後にして、テトゥアンへと戻ります。 実は、この
    テトゥアンに行くまでは、旧市街のメディナのことを侮っており、複雑に
    入り組んだ迷路のような旧市外では、google mapは、一切役には立たないので、
    要注意。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    タンジェ駅周辺
    タンジェ駅から、バスターミナルまでは、2キロ近く離れており、歩くと30分も
    掛かる。 当初は、フェズからシャウエンに入りたかったのだが、フェズから
    シャウエンに向かうバスの最終便が午後3時であるため、どう考えても間に
    合わない。 後から知った情報によれば、カサブランカからもシャウエン行きの
    バスが出ているため、わざわざタンジェまで行かずに、直接シャウエンに行けた
    らしい。

    IMG_3160

    タンジェでは、バスの時間までまだ15分もあったため、サンドイッチを買って
    いる間に、バスに置いて行かれました。。 チケットに記載されていた時間よりも
    早くバスが出てしまったため、既にチケットを購入していた国営バスではなく、
    別途お金を支払って、民間バスでシャウエンに行くことになりました。。

    IMG_3148

    モロッコのバスは、行き先が書いておらず、たまに書いてあったとしても、
    アラビア語のみの記載のため、非常に旅行がし辛く、放送もインフォメーションも
    ありません。。 よって、行き先をいちいち聞かない限り、どのバスがどこに
    行くのかすら分からないため、要注意。

    【タンジェのバスターミナル】(撮影禁止)
    IMG_3141
    IMG_3146
    IMG_3147
    IMG_3149
    IMG_3150
    IMG_3151
    IMG_3153
    IMG_3157
    IMG_3154

    この様な運転体系で、この国の国民は、どうやって旅行を楽しんでいるのか、
    いささか疑問に感じましたが、その40分後に、民間のバスがシャウエンに向かう
    ため、この際、それで良しとしました。 結論として、モロッコの交通機関は、
    いつ出発するのか分からないため、日本で先に予約をするのは止めた方が良いです。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    モロッコ旅行時は常に周囲に注意を向けること
    リスボンからロイヤル・エアモロッコ航空で、カサブランカへと飛びました。
    カサブランカでは、数時間程度のトランジットの筈が、ゲート変更、並びに、
    時間変更のアナウンスが全くなかったため、完全にカサブランカに置いて
    行かれてしまいました。。 急いでロイヤル・エアモロッコ航空のカウンターに
    行って、「何で何も言ってくれないんだ?」と尋ねたところ、「書いてあるから
    言う必要性がない」という回答でした。。

    モロッコの旅は、どこに行っても何も言わない、何も書いていないため、
    これ以降は、一々周囲の人達に状況を確かめることにしました。

    IMG_3063

    IMG_3060

    政府が夏時間を継続中
    その後、更に判明したのは、モロッコ政府は、昨年になって突然、夏時間を
    そのまま無期限で延長したため、ポルトガルとは1時間の時差があり、モロッコ
    時間を示していたスマホの時計自体が、1時間遅かったことが判明しました。
    結局は、これが原因で置いて行かれたのだと気付きました。。 しかも、
    モロッコにある時計は、夏時間と冬時間の両方を示しており、結局どちらを
    信じて良いのか、スマホでネット検索しまくって、ようやく回答を得た時点で、
    1時間に1本しか空港駅にやって来ない列車にも乗り遅れていました。。 よって、
    カサブランカの空港で、合計3時間無駄にしました。。

    【カサブランカ空港】
    IMG_3062
    IMG_3067
    IMG_3068
    IMG_3070
    IMG_3071
    IMG_3072
    IMG_3074
    IMG_3075
    IMG_3078

    カサブランカ空港駅からマラケシュ方面へ行くためには、途中の「オアシス駅」で
    乗り換えが必要です。 何度も乗り継ぎに失敗してしまったため、目的地の
    マラケシュ駅に到着したのは、午後11時過ぎ。。 実は、新市街にある
    マラケシュ駅から旧市街までは、5キロ近くも離れているため、早速、タクシーの
    運転手にフランス語で交渉してみたものの、夜中であったため、50ディルハム
    (約600円)より下には下がりませんでした。 日中だと30ディルハムと聞いて
    いたので、30ディルハムで交渉したものの、夜中だから無理と断れました。

    【オアシス駅~マラケシュ駅】
    IMG_3080
    IMG_3079
    IMG_3082
    IMG_3083
    IMG_3084
    IMG_3085
    IMG_3113
    IMG_3114
    IMG_3118

    旧市街 メディナ
    午前0時近くのマラケシュ旧市街。 旧市街は、アラビア語で「メディナ」と
    呼ばれ、「迷路」とも例えられているのだが、このマラケシュのメディアは
    まだそこまで複雑ではないため、まだましだったのだが、この後に行く、
    テトゥアンのメディナは、内部が複雑過ぎて、メディナから出るのに1時間も
    掛かりましたw 特に何も書いていないのと、Google Mapにも何も載って
    いないため、メディアからの脱出方法は、適当に歩くしかありません。

    IMG_3106

    夜中のマラケシュ散策は続きます。 午前0時まで、概ねのお店は開いており、
    それなりの買い物は可能でしたが、お昼の方が開店しているお店の数が多いため、
    やはり、昼間の買い物の方がお勧めです。 夜は夜で、また雰囲気が異なるため、
    時間が許すのであれば、夜中のそぞろ歩きもおもしろいと思います。

    【メディナ】
    IMG_3092
    IMG_3093
    IMG_3094
    IMG_3095
    IMG_3096
    IMG_3098
    IMG_3099
    IMG_3102
    IMG_3105

    午前0時前後のマラケシュ旧市街では、至る所で、煌々と明かりが点いており、
    商魂魂の片鱗が垣間見られました。 アジアでも夜中のマーケットは当たり前
    なので、この様な個人商店が頑張れる場を政府が提供しなければ、日本の商業
    自体も、巨大資本に飲み込まれてなくなってしまいます。 日本人は、基本的に、
    何でも他人のせいにするのが大好きなので、責任をなすり付けて安心出来る
    大型店ばかりで買い物をしていますが、商業の基本は、個人商店なので、それを
    無視して買い物をしても、資本が一ヶ所に集中するばかりで、更に、貧富の差が
    激しくなるばかり。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    埼玉をとことんディスった物語「飛んで埼玉」がついに映画化された。
    マンガ連載当初は、埼玉をここまでバカにして良いものかと、一部では物議を
    かもしたものの、そのまま何事もなく映画化までされてしまった。
    「何もないのが埼玉の最大の特徴」と言われる通り、埼玉には特に何もない。

    海なし県の宿命なのか、貿易も育たず、関東での仕事のなさは断トツの
    ワースト1となっている。 全国の社長排出率もワースト1で、挙句の果てには、
    貧乳ワースト1位、巨乳好き全国第1位と、男と女が完全にすれ違う場所が埼玉と
    なっている。

    esaitamafull

    この物語に出て来る名称、特に地名は、架空のものとなっており、実在する
    地名とは何ら関係がないとは言っているものの、全て実在する地名であるため、
    見ていて、どこを指して言っているのかが、丸分かりとなっている。 昔は、
    埼玉県民と千葉県民は、通行為手形がなければ、東京に入ることすら許され
    なかったが、それぞれの伝説のヒーローの活躍により、現在では、両県でも
    通行手形が廃止された。

    埼玉を徹底的にディスる物語りの筈が、途中からボーイズラブへと話の内容が
    変わる。 これは、「パタリロ」でも全く同じ手法が使われており、作者の
    魔夜峰央が最も得意とする分野となっている。

    宿命のライバルの千葉との大激突のシーンは、見所満載で、どちらも引けを
    取らないのだが、東京に媚びている千葉の方が、埼玉を一歩リードしているとも
    言える。 最終的には、埼玉と千葉が連合を組んで東京へと押し寄せるのだが、
    例え、連合を組んでも、最終的には仲が悪いままの埼玉と千葉は、永遠に
    ライバルのままなのかも知れない。

    映画の中では、白子鳩と玉をイメージした「埼玉ポーズ」が頻繁に登場する
    のだが、これがまたダサいw
    wLy86c3B0dGg=-d78

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ゴールデンウィークを利用して、信濃大町から富山までの日本アルプスを
    旅しました。 この季節は、「黒部立山アルペンルート」が冬季閉鎖から
    営業再開をしたばかりであれるため、数メートルの高さの雪の壁を見ることが
    出来る。

    【松本駅→扇沢駅】
    IMG_0268
    IMG_0270
    IMG_0271
    IMG_0275
    IMG_0277
    IMG_0281
    IMG_0282
    IMG_0284
    IMG_0288

    黒部立山アルペンルートとは言うものの、1本で繋がっている訳ではなく、
    何度も何度も乗換えを繰り返さなければならないため、時間にはある程度の
    余裕を持って行動しなければならない。 まずは、松本駅からJR大糸線で
    信濃大町駅を目指します。

                 黒部ダム
    IMG_0291

    黒部立山アルペンルート全ルート通しでの割引券、電鉄富山駅まで10,850円で、
    そこから、まずはバスに乗り、約40分程でトロリーバス乗り場の扇沢駅(1,433m)
    へと到着。 日本では、トロリーバスは非常に珍しいが、山の中をトンネルで
    通過するため、排気ガスを考慮してトロリーバスになった模様。 尚、この
    トロリーバスは、1964年に開業した物だが、2018年11月30日をもって廃止され、
    2019年4月からは、コスト削減を目的として、全て電気バスに切り替わる。
    この電気バスは、車載バッテリーで動き、1回の充電で30キロの走行が可能だ。

    【黒部ダム→黒部湖】
    IMG_0301
    IMG_0303
    IMG_0307
    IMG_0308
    IMG_0310
    IMG_0312
    IMG_0319
    IMG_0320
    IMG_0326

    トロリーバスの終点は、黒部ダム(1,470m)。 そこから今度は、0.6kmを
    約15分程度掛けて歩く。 ここでは、黒部ダムの真上を歩く事が出来るため、
    黒部立山アルペンルート随一の絶景ポイント。 この0.6kmは、黒部ダムにある
    湖を歩いて渡らなければならないため、特に交通手段はない。

    続いて、ケーブルカーで黒部平(1,828m)まで0.9km、約5分の移動で約400m程
    一気に山を登る。 黒部平は山頂にあるため、そこからロープウェイで1.7km、
    約7分で更に500m程山を登り、大観峰(2,313m)へ。

    【黒部平→富山駅】
    IMG_0329
    IMG_0332
    IMG_0338
    IMG_0340
    IMG_0346
    IMG_0348
    IMG_0354
    IMG_0359
    IMG_0367

    今度は、再度トロリーバスに乗り換え、立山室道(2,450m)へと到着。 ここが
    この黒部立山アルペンルートの最高地点であり、長野側から行くと、最後の
    乗り換え地点となる。 そこから高原バスに乗り換えるが、雪の壁があるのは、
    この地点で、途中、各地点で停車するバスと、全て通過するバスとに分かれるが、
    全て通過するバスに乗ってしまうと、途中で雪の壁の撮影が殆ど出来なくなる
    ため、要注意。 ここからバスで30分程走行し、一気に下界を目指します。

    IMG_0355

    美女平(977m)から再度ケーブルカーに乗り、立山駅(475m)へ。
    そこから今度は、富山地方鉄道へと乗り換え、富山駅を目指します。
    往復割引を使ったとしても、合計で18,260円も掛かるため、よほど
    感動したのでなければ、片道だけで十分楽しめると思います。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ドラえもんの作者として有名な藤子・F・不二雄(本名/藤本弘)氏は、
    1933年12月1日、富山県高岡市に生まれた。 彼を記念した博物館は、
    神奈川県川崎市にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」が有名だが、
    有名マンガ家の出身地である富山県高岡市にも彼を記念した
    高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリーがあります。

    532908541178

    同じ富山県氷見市出身の安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)と共に「藤子不二雄」
    としてコンビを組み、数多くの作品を発表した。 代表作には「ドラえもん」
    「パーマン」「キテレツ大百科」「エスパー魔美」「21エモン」など多数。
    ファンタジーをモチーフにした作品が多いが、ドラえもんを含めて、哲学的な
    深い話題を扱うことも多かった。 作者名の間にある「F」は本名「藤本」の
    頭文字を意味している。

    IMG_0417



    川崎市にある大人気のミュージアムの方は、主に、作品の展示がメインだが、
    こちらのふるさとギャラリーは、彼の半生がテーマ。 よって、作品の展示は
    少なく、マンガを書く際に実際に使用していた物や、過去の歴史を主に展示
    しているため、歴史資料館と言った方が分かりやすい。 この日は、たまたま、
    「ドラえもん展」を開催していたため、ギャラリー内は、ドラえもん一色でした。

    【高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリー】
    IMG_0412
    IMG_0413
    IMG_0415
    IMG_0418
    IMG_0421
    IMG_0427
    IMG_0439
    IMG_0436
    IMG_0437

    高岡市にあるドラえもんに会えるマップ
    takaoka01

    【ドラえもんに会える街、高岡市】
    NEWS000000353301
    7E15116ALL
    PA310110
    25RNWUcAA90km
    ty1101small
    hokurikushin
    5a13152287
    bcc0cdff
    4d19a259db23

    人口約17万人、富山県第二の都市である高岡市内には、ドラえもんの他にも、
    高岡大仏や土蔵の街山町筋など、見所が多いため、ドラえもん以外の歴史散策も
    同時に楽しみたい。 東京駅からは、北陸新幹線で1本で行けるドラえもんに
    会いに旅はいかがでしょうか。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    石川県北部の輪島市にある永井豪記念館は、全国に複数あるマンガ家を
    題材にした記念館の中でも、ヒーロー、ヒロンやロボットをテーマとした
    展示が非常に多いため、他の「マンガ館」とは、趣が異なっている。

    IMG_0381

    【永井豪記念館】
    IMG_0380
    IMG_0396
    IMG_0383
    IMG_0382IMG_0390
    IMG_0391
    IMG_0393
    IMG_0392
    IMG_0389

    永井豪氏の代表作と言えば、「ハレンチ学園」「デビルマン」「マジンガーZ」
    「ゲッターロボ」「キューティーハニー」「ドロロンえん魔くん」などがあり、
    少年マンガの世界に性やバイオレンスの要素を大胆に取り入れ、後続のマンガ家に
    多大な影響を与えたことでも知られている。

    石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビューし、
    続々と「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「UFOロボグレンダイザー」
    「ゲッターロボ」等々のロボットヒーローを発表し、世界中のロボットアニメの
    お手本となった。

    1945年生まれの永井氏は、現在70歳を超えているが、現在でも現役で、2015年から
    ビッグコミックに「デビルマン」の最新作である「デビルマンサーガ」を
    掲載中である。

    【輪島の朝市】
    IMG_0374
    IMG_0375
    IMG_0376
    IMG_0397
    IMG_0399
    IMG_0403
    IMG_0400
    IMG_0401
    IMG_0402

    尚、輪島には鉄道が通っていないため、能登空港からタクシー、レンタカー、
    または、金沢から特急バスで行くしか方法がないが、そこまでしてでも見る価値は
    十分あるため、それなりの装備を整えてから行くことをお勧めします。 尚、
    輪島からさほど遠くない場所には、高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリーも
    あるため、2つまとめて訪れると、効率的な旅が楽しめる。

    館内は、入り口付近を除いて、撮影禁止の場所の方が多いため、余がっかり
    しないように。


    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    超大型台風が接近する最中の2018年9月28日~10月1日まで、鹿児島県の
    奄美大島に行って参りました。 成田からの行きのフライトは何事もなかった
    ものの、この奄美滞在期間中に過去最大級の台風が島を通過したため、
    到着時には、既に風が若干強くなっていました。

    IMG_2404

    奄美空港に到着早々、暴風域に入ってしまったため、おおしけの海。
    とりあえず、奄美に来た際には、毎回行っている、ひさ倉の鳥飯(けいはん)を
    食べてから、最南端の古仁屋(こにや)を目指します♪

    IMG_2419

    基本的に、マリンスポーツは、古仁屋の方が色々と揃っているため、毎回
    古仁屋に行っているのだが、奄美の人達に言わせると、珍しいらしい。
    名瀬がある奄美市の方が大きいものの、個人的には、滞在するのであれば、
    古仁屋をお勧めします (^-^)

    【奄美空港→古仁屋】
    IMG_2405
    IMG_2406
    IMG_2407
    IMG_2409
    IMG_2415
    IMG_2421
    IMG_2425
    IMG_2426
    IMG_2428

    奄美大島の古仁屋にある日本復帰の歌碑と過去最大級の台風が過ぎ去った後の
    奄美大島の様子。 夜間、数時間程度停電したものの、その後復旧。 地元の人の
    話では、古仁屋には自衛隊があるため、復旧が早かったとか。 翌朝は、街中で
    色々な物が吹き飛ばされていましたが、この黒ウサギがいる場所が指定避難所
    でした。

    大型台風直撃により、コンビにも全て閉店。 前日の夕方に、食料の買出しに
    行っていたため、半日以上も停電していた割には、特に困ることはなかったものの、
    マリンスポーツは全て中止、並びに、全く外出出来なかったため、何のために
    奄美までやって来たのか、全く分からない状況でした。 知り合いも避難中のため、
    結局は、誰とも会えず。。

    【古仁屋】
    IMG_2429
    IMG_2432
    IMG_2430
    IMG_2433
    IMG_2435
    IMG_2436
    IMG_2437
    IMG_2439
    IMG_2442

    この後、奄美市に行った際には、スーパーも概ね閉まっており、一部営業中の
    スーパーは、自家発電により営業を行っていました。 市中心部の名瀬では、
    店舗の殆どのシャッターが閉まっており、ひっそりと静まり返ったまま。 ここで、
    大島紬の反物を30cm四方買い求めました。 奄美大島の大島紬は、元々は、薩摩の
    島津家への献上品であったため、奄美の島民達は、着る事すら許されなかった
    高価な織物。

    【名瀬】
    IMG_2447
    IMG_2449
    IMG_2450
    IMG_2451
    IMG_2443
    IMG_2445
    IMG_0748
    IMG_0769
    IMG_0771

    奄美大島最北端にある あやまる岬は、奄美10景にも数えられている風光明媚な
    場所。 観光地と言っても、バスで行くのは難しいため、レンタカーがお勧め。
    台風が去った後なので、海が非常に綺麗でしたが、この日もマリンスポーツは
    結局出来ずに終わりました。。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    日本政府の北方領土交渉を見ていると、第二次世界大戦(日本では太平洋戦争)の
    結果を一切認めてはいないため、国際的な観点から見ると、「交渉の席にすら
    就けていない」とみなすのが妥当な評価だと思うのだが、日本政府が本当に
    国際法の則って争う気持ちがあるのであれば、まずは、現状を受け入れ、そこから
    打開策を見つけ出さない限り、国際的な効力が得られないため、この先も
    北方領土は1島足りとも返っては来ない。

    plt1811160024-p1

    日本は、アメリカとの「日米安保条約」により、日本国内のどこにでも米軍施設を
    造ることが可能だが、いつまでも意味不明な対応を採り続けている日本政府を
    相手に、誠実な対応をしているロシア政府の方が数段まともだとも言える。
    ロシアが抱える隣国との領土問題は、これまでにノルウェー、リトアニア、
    中国、ウクライナと全て解決済みのため、日本との「北方領土」問題のみしか
    残されてはいないが、ロシアは、元々親日国であるため、日本の交流を早急に
    望んでいるものの、そんなロシアの親日情報すら日本側には何も伝わっては
    いないどころか、逆に情報自体が非常に歪められている。

    これは、実戦経験のない自称専門家らが、自己の勝手な憶測や感情移入を
    ふんだんに含めた情報を垂れ流しているため、そのウソの情報を真に受けている
    人間が多いのが現状。

    これまでの北方領土の交渉に関しては、私の覚えている限りでは、エリツィン氏が
    ロシア初代大統領になる以前の共産党第一書記時代の1989年に根室までやって
    来て、「北方領土は日本の領土である」とハッキリと述べているのだが、その後、
    1991年末にソ連邦が崩壊し、その直後に行われた1993年の領土交渉においても、
    歯舞群島、色丹島、国後島の3島までの日本側への引渡しは確定的だったのにも
    関わらず、日本政府があくまでも「4島一括返還」に固執したため、2島どころか、
    1島すら返って来なかったというのが歴史的事実なのだが、そのような愚かな
    過去も日本政府は公式に認めるべきだと思う。

    plt1811160024-p2

    北方領土問題は、実は、田中角栄の時代には、4島全てで解決しそうになった
    時期があったのだが、その直後に、「ロッキード事件」をでっち上げられて失脚、
    鳩山由紀夫は一家全体がロシアの専門家だが、沖縄の米軍基地問題に切り込んだ
    直後に、民主党ごと失脚。 結局のところ、全てアメリカが絡んでいるため、
    全ての交渉が流れている。

    2000年代に入り、プーチン氏の代に代わってからも、3島を先に引き渡し、軍事
    基地がある択捉島は、早急に結論を出さずに、「未来の世代に委ねる」という
    ところまで交渉が進んだものの、日本政府があくまでも「4島一括返還」の姿勢を
    一切崩さなかったため、今日に至っている。

    北方領土最大の択捉島は、先の述べた「日米安保条約」により、そのまま米軍基地に
    されることがほぼ確実なため、ロシア側としては、すぐには引渡しが出来ない。
    このことは、先日の領土交渉にて、プーチン氏もハッキリと述べている。
    ロシアにとっては、最後の隣国との領土問題となるため、早々にこの問題を
    解決したいのだが、日本のメディアが発信する情報は、全てアメリカ寄りで、
    ウソばかり報道されないため、この国では、ある一定数の人間は、ロシアとの
    交流など一切望んではいないと考えて間違いない。



    かれこれ30年以上も「北方領土問題」を見て来たが、現在の状況は、過去よりも
    遥かに後退している。 本気で北方領土を返して欲しいのであれば、まずは、
    過去の歴史を正確に学ぶべきなのと、ウソしか言わない自民党与党政府のそのウソを
    しっかりと見抜けるようになってから責任のある発言をすべし。 余計なウソの
    拡散は、更に領土の引渡しを遅らせるだけなので、北方領土の返還を遅らせて
    いるのは、誰でもない、実は、日本政府とその国民だと思う。

    北方領土に渡航自粛令を発令しているのは、実は、日本の外務省であり、ロシアの
    外務省ではない。 北方領土、ロシア語名「南クリル」は、ロシアのビザさえ
    取得すれば、誰でも行くことが出来る。

    北方領土の日本政府の見解としては、以下の通りになるが、現在国際法上でも
    「南クリル」は、ロシアの領土なのに、「いまだかつて一度も外国の領土となった
    ことがない」と平然と述べている時点で、国際法を完全に無視しているため、
    話が全く先に進まない。

    日本の領土をめぐる情勢(外務省)
    (1) 北方領土はいまだかつて一度も外国の領土となったことがない、日本固有の
    領土です。しかし、現実には、北方領土は依然としてロシアの不法占拠の下に
    おかれており、現在、日本はロシアとの間で北方領土返還のための交渉を精力的に
    行っています。

    hqdefault

    話し合いにはそれなりのルールが必要だが、そのルールを完全に無視して、己の
    ことだけを述べ立てるのは、大人がすべき行動ではない。 北方領土問題の担当は、
    内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)だが、過去に北方領土のことを
    学んだことすら人間が、何をどうやって領土交渉に望めるのか、甚だ疑問である。
    最近では、安倍首相自らが、何度も会談に臨んでいるが、特に何の知識も持ち
    合わせてはいないため、単なる税金の無駄使いにしか見えない。 国民の税金を
    投入して会談に臨むからには、それなりの「成果」が必要だが、その成果すら
    全く期待出来ないのであれば、そもそも、会談自体を開催する意味がないが、
    日本政府は、隣国を「敵」に仕立て上げて、軍備増強を押し進めようとしている
    としか思えない。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ