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    カテゴリ: ワールドミュージック

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    日本では、ポーランドの音楽と言えば、ショパン程度しか知られていないが、ポーランドは、
    クオリティーの高い音楽を供給している国として知られている。 その中でもオススメ
    なのが、Justyna Steczkowska(ユスティナ・ステチコフスカ)。

    justyna



    毎年5月には、ヨーロッパでは、ユーロビジョン・ソング・コンテストが開催されているが、
    意外な事にポーランドは、これまでに優勝を果たした事がない。 日本では、ポーランドを
    はじめとする東欧系のアーティストのCDを入手するのは、かなりの至難の業なのだが、
    ポーランドを訪れた際には、是非ともポーランドの音楽にも耳を傾けて欲しい。



    2000年前までのロシア、ウクライナ、チェコ他の東欧系のポップスは、到底聞いて
    いられるレベルではなかったのだが、ポーランドだけは、共産党支配の時代から、
    かなりレベルの高い音楽を流通させていた。  クラシック音楽でそれなりの結果を
    出している国の音楽にはハズレはないのかも知れない。



    日本では、まず耳にする事がないポーランド語の響きにも哀愁を感じるのでは。
    ポーランドは、知る人ぞ知る、東欧では最も親日な国。 ワルシャワの街を歩いていると、
    日本から来たのか?と気軽に声を掛けられますが、英語がそこまでは通じないため、
    意思の疎通には、英語、ロシア語、ドイツ語を織り交ぜる必要があります。
     


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    ユーロビジョン・ソング・コンテストは、毎年5月下旬にヨーロッパで開催される
    国際的な音楽祭。 英語では、Eurovision Song Contest、フランス語では、
    Concours Eurovision de la Chansonと呼ばれている。

    163_n

    この大会では、各国代表のアーティストがそれぞれ生放送で自らの楽曲を披露し、
    それに引き続き、それぞれの参加国が他国に投票をして、大会の優勝者を決定する。
    各国代表の参加者は、欧州放送連合に加盟する全国網の放送局を通じて大会に
    参加しており、放送局は自国代表のアーティストと楽曲を決定し、また自国の視聴者に
    大会を生中継する。

    本大会の起こりは、1950年代、第二次世界大戦後の復興が進んでいたヨーロッパで、
    スイスに本部を置く欧州放送連合が、「明るいエンターテイメント番組」を模索する
    ために始めたもので、大会は1956年の第1回スイス大会以降、毎年開催されており、
    世界的に見ても長寿のテレビ番組のひとつであり、その視聴者の数も1億人から6億人
    程度と見積もられている。 近年では、インターネットでの中継あるため、世界中で
    7万人以上が視聴しているとも言われている。

    第1回大会からの参加国は、ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、
    オランダ、スイスの7カ国。 現在では、ユーロッパほぼ全ての国々が参加している
    大規模なイベントとなっている。

    ConchitaWurst

    『ユーロ』という名前が付いているものの、参加国は、ヨーロッパだけに限定している
    訳ではなく、その周辺国も参加している。 今大会はユーロビジョン・ソング・コンテストの
    60周年を記念し、オーストラリアが初めて参加する。 また、前年は不参加であった
    キプロス、チェコ共和国、セルビアが大会に復帰し、一方ウクライナは2014年ウクライナ
    内戦、および、経済的理由により、不参加となった。 前年度の優勝国が開催国と決め
    られており、昨年度優勝国であるオーストリアが今年の開催国となっている。

    コンテストは2つの準決勝と決勝から成り、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008から
    変わっていない。 それぞれの準決勝から上位10か国ずつが決勝に進出し、また
    主催国のオーストリア、および『Big 5』の5か国(イギリス、イタリア、スペイン、ドイツ、
    フランス)は決勝からの出場となる。

    【準決勝の組み合わせ】
    1組2組3組4組5組
    アルバニアの旗
    アルバニア
    マケドニア共和国の旗
    マケドニア
    マルタの旗
    マルタ
    モンテネグロの旗
    モンテネグロ
    セルビアの旗
    セルビア
    スロベニアの旗
    スロベニア
    スイスの旗
    スイス
    デンマークの旗
    デンマーク
    エストニアの旗
    エストニア
    フィンランドの旗
    フィンランド
    アイスランドの旗 
    アイスランド
    ラトビアの旗
     ラトビア
    ノルウェーの旗 
    ノルウェー
    スウェーデンの旗 
    スウェーデン
    アルメニアの旗 
    アルメニア
    アゼルバイジャンの旗 
    アゼルバイジャン
    ベラルーシの旗 
    ベラルーシ
    グルジアの旗 
    グルジア
    イスラエルの旗 
    イスラエル
    リトアニアの旗 
    リトアニア
    ロシアの旗 
    ロシア
    ベルギーの旗 
    ベルギー
    キプロスの旗 
    キプロス
    ギリシャの旗 
    ギリシャ
    アイルランドの旗 
    アイルランド
    オランダの旗 
    オランダ
    サンマリノの旗 
    サンマリノ
    チェコの旗 
    チェコ
    ハンガリーの旗 
    ハンガリー
    モルドバの旗 
    モルドバ
    ポーランドの旗 
    ポーランド
    ポルトガルの旗 
    ポルトガル
    ルーマニアの旗 
    ルーマニア
    アジアにも同じような音楽祭があれば、お互いの国の文化を知る切っ掛けになるであろう。

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    相変わらず、ウクライナのテレビ放送は、ロシア語とウクライナ語をちゃんぽんで
    喋っておりますが、これを変だと感じないウクライナ人の感覚には付いていけませぬ。
    独立から20年以上を経過しても、ウクライナ語は余り浸透しておりませんが、ウクライナ
    政府は、ロシア語話者の権利を守るべきで、ロシア語を外国語扱いするのは、間違って
    います。

    アニ・ロラクもインタビュアーも全てロシア語だけで話していますが、実際のところ、余り
    ウクライナ語が得意ではないのだと思います。 去年は、クリミアでの公演をキャンセル
    したアニ・ロラクですが、実際は、かなり辛い選択を迫られた模様。 そのまま舞台に
    立てば、過激派に殺される可能性も十分ありましたが、それでも、舞台に立ち続けた
    のは、平和のため。 ロシアもウクライナもベラルーシも関係ないと言い切っておりますが、
    全くその通りだと思います。

    実際、このスラブ国は、切っても切れない血縁関係で結ばれており、全て隣国のせいにして
    相手を憎んでみたところで、離れられません。 今回の内戦も、新興財閥オリガルヒから
    見れば、体のいい金儲けの手段だったのだと思います。 国単位だけでものを見るのは、
    他の文化を認めないモノカルチャー世界の宿命で、ウクライナ、ロシア、ポーランド、
    ルーマニア、ハンガリーと多民族共生だった筈のウクライナが崩壊し掛けた原因は、正に
    ここにあると思います。



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    高橋知秀は、26年前に交通事故で死亡した高橋良明の実弟で、2008年には、
    自身も交通事故に遭遇し、現在は無期限で活動停止中。



    2001年4月に日本武道館で行なわれたコンテストでは、2万人の応募者の中から
    『審査員特別賞』と『グランプリ』を獲得して実力を示した。 さらに、
    2005年10月に出演したテレビ番組、『ぶちぬき』(テレビ東京)では、その
    類稀な歌唱力で審査員の度肝を抜いた。 同番組では同年12月2日、3人勝ち
    抜きを果たしてチャンピオン大会に出演した。









































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    Ее музыкальная карьера началась с этого альбома в 1991 году в Саппоро
    на Хоккайдо. После окончания Новосибирской музыкальной школы, Ольга
    приняла участие в программе проживания в японской семье и она оставалась
    в Саппоро в течение 3 месяцев.

    IMG_8867

    В то время был открыт Снежный фестиваль в Саппоро, и она пела несколько
    песен на сцене, и там она случайно получила возможность выпустить
    ограниченный мини-альбом только в Саппоро.

    IMG_8869

    Ее красивый голос очень понравился токийскому музыкальному продюсеру,
    так что она решила переехать в Токио в 1994 году и она дебютировала и в Токио.



    音楽の贈り物
    青い瞳
    秘められた言葉
    南の夜
    Porokh

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    『ロック・ミー・アマデウス』の世界的なヒット曲で知られる、ファルコは、オーストリア、
    ウィーン出身のアーティスト。 当初は、ハードロック・パンクバンドのベーシストとして、
    音楽活動を開始したが、1981年にソロアーティストとしてデビューし、『秘密警察』
    (原題: Der Kommissar)をヨーロッパでヒットさせる。 この曲はアフター・ザ・ファイアー
    による英語バージョンもリリースされ、アメリカでもヒットした。 この曲が出た頃はまだ
    ラップやヒップホップという言葉が馴染む前であった。



    1985年、『ロック・ミー・アマデウス』(原題: Rock Me Amadeus)をリリース。 刺激的な
    ヒップホップのビートに乗せて、モーツァルトの生涯をラップで歌い込んだこの曲は、
    地元オーストリアを皮切りに、ヨーロッパ各国でヒットチャート第1位を獲得し、翌1986年
    には、アメリカの「Billboard Hot 100」でも第1位の大ヒットを記録する。 アメリカでは、
    英語圏出身以外の外国人アーティストが大ヒットを飛ばすのは非常に難しく、しかも、
    色物扱いされる類の曲であったが、英語とドイツ語を交互に操ったラップの面白さと、
    1984年公開の映画『アマデウス』のヒットを受けた話題性、クラシックの偉人を茶化した
    痛快さが、異例の大ヒットにつながったといわれている。



    その後は世界的なヒットはなかったものの、オーストリアでは安定した音楽活動を続け、
    出したアルバムは国内チャートでほぼ全て1位であった。

    1996年にドミニカ共和国に移住。 1998年2月6日、ドミニカ共和国サント・ドミンゴで
    自動車事故により死去。 尚、検死結果では、血液中から高濃度のアルコールとコカインが
    検出された。 遺体はオーストリアのウィーン中央墓地に埋葬されており、墓には
    『Nachtflug』のジャケットに使われた写真が飾られている。



    2000年にドイツ・ベルリンでミュージカル『Falco meets Amadeus』が初上演され、その後も
    ドイツ語圏各地で上演されている。 没後10年となった2008年には、最後のアルバム名を
    タイトルとした伝記映画『Falco - Verdammt wir leben noch!』が製作され、オーストリア、
    ドイツ、チェコにて公開(日本では未公開だが2010年にキュリオスコープより
    『ROCK ME AMADEUS - ファルコ 運命に翻弄されたスーパースター』のタイトルでDVD
    発売)。 2010年10月、ヨーロッパ圏では代表作『Falco 3』の発売25周年を記念して、
    スペシャル・エディションがデジタルリマスター盤として再発売された。これは、
    『ロック・ミー・アマデウス』が収録された通算3作目のアルバムで、日本盤のタイトルも
    『ロック・ミー・アマデウス』であった。

    Falco_Grab

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    日本では、『ネーナ』として知られている、ネーナ・ケルナーは、1980年代
    初頭に、『ロックバルーンは99』で世界的な大ヒットを飛ばしたドイツ出身の
    歌手、並びに、女優。 ドイツ人は、長期休暇の際に、好んでスペインに行くが、
    『ネーナ』の語源は、スペイン語で『小さな女の子』を意味する『ニーニャ』が
    元になっており、3歳の頃から周囲からは、『ネーナ』の愛称で呼ばれていた。

    nena

    ハーゲンのギムナジウムに通っていたが、17歳の時に中退、手に職をつける
    ために、両親の勧めで金細工の技術を習っていた。 1977年11月にディスコで
    ギタリストのライナー・キッツマンと知り合い、そのバンドThe Stripesの
    ヴォーカルに誘われたのが音楽活動の始まりだった。 1978年には、ライブ
    活動を開始し、翌年最初のシングルである『Strangers』を発表した。

    1980年には、アルバム『The Stripes』を発表したが、シングルの方こそ、
    そこそこの販売を記録したが、アルバムは余り売れなかった。 1981年にこの
    バンドは解散した。

    ネーナは、当時の伴侶であったThe Stripesの元ドラマー、ロルフ・ブレンデルと
    共に、西ベルリンへと移ったが、そこで知り合ったキーボードのウヴェ・
    ファーレンクローク=ペーターゼン、ベーシストのユルゲン・デーメル、
    ギタリストのカルロ・カルゲスと共に、ロックバンド『ネーナ』を結成し、
    1982年に最初のシングル『Nur geträumt』を発表。 その後、テレビにも
    出演して知名度が急上昇した。



    1983年、2枚目のシングル『ロックバルーンは99』を発表すると、ドイツ国内で
    ヒットチャート第1位を獲得するだけには留まらず、この曲を偶然聞いた
    カリフォルニア州のDJの耳に止まり、アメリカ西海岸にあるラジオ局を通じて
    大ヒットとなり、ついには、アメリカ国内チャート第2位を獲得し、更に、
    そこから火が付いて、全世界(スイス、オーストリア、イギリス、オランダ、
    スウェーデン、ポーランド、ニュージーランド、オーストラリア、日本、カナダ、
    メキシコ、コロンビアでヒットチャート第1位)規模での大ヒットとなった。 尚、
    この曲はヨーロッパでは反戦歌として定着している。



    しかし、その後発表したシングルに数曲のヒットがあったものの、次第に
    人気が衰え、低迷期へと突入し、映画出演で知り合った俳優との間に最初の
    子供を妊娠したため、バンドは活動休止へと追い込まれ、1987年には
    バンドが解散した。



    バンドの解散後も、ネーナ自身は、1989年からソロ活動を続けていた。
    子育ての時期の楽曲は子供向けの性格が強く、余りヒットしなかったが、
    音楽活動の傍ら、声優、司会者などとして出演していたものの、歌手としての
    キャリアは完全に忘れられつつあった。

    ところが、ドイツにおける長期的な80年代ブームの中、2002年に『ネーナ』の
    元キーボード、ウヴェ・ファーレンクローク=ペーターゼンと組んで、かつての
    大ヒット曲である『ロックバルーンは99』を新ヴァージョンで発表すると、
    瞬く間に人気が復活、奇跡的なカムバックを果たした。

    2005年に発表したシングル『Liebe ist』は、ドイツの人気ドラマ
    『Verliebt in Berlin』の主題歌になったこともあり、『ロックバルーンは99』
    以来、22年振りのヒットチャート1位を獲得した。 アルバム
    『Willst du mit mir gehn』もヒットチャート2位を記録。 同年には、
    フランクフルト・ブックフェアでアルバムと同名の自伝を発表、その年3位の
    売上となり、ベストセラーとなった。 ドイツ、オーストリア、スイスでの
    ツアーも開始。 携帯電話のコマーシャルにも出演。 2007年にはマレーネ・
    ディートリッヒのカヴァー曲を発表している。

    ただし、かつてのようなドイツ語圏の枠を超えてのヒットは今のところ
    見られない。



    【お勧めの一枚】


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    音楽好きな母方の親類の影響により、8歳でピアノを習い始め、学校でも合唱団に
    加わっていたが、高校在学中に、演技の才能も見出され、音楽活動の他にも、舞台に
    立つようになった。 演劇学校に通った経験はないものの、テレビドラマにも出演して
    おり、1977年には映画にも初出演し、同年にはジャズロック・バンドのリードヴォーカル
    として、初めてのレコードを発表した。
     
    groenemeyer

    1979年には、出演したテレビドラマにより、ドイツ国内では広く知られるようになり、
    1981年には、ヴォルフガング・ペーターゼン監督の映画『Uボート』に出演、世界的な
    大ヒットとなり、俳優としては、成功を修めた。 翌年には、東西ドイツの合作映画
    『Frühlingssinfonie』でナスターシャ・キンスキーと共演、ロベルト・シューマン役を演じて、
    俳優業は順調だったものの、最も力を入れていた音楽活動の方は、不遇の時代が続き、
    コンサートには殆ど客が入らず、中止が相次ぎ、1983年にはついにレコード会社との
    契約を打ち切られた。

    1984年、EMIと契約して再起を期し、アルバム『4630 Bochum』を発表、これが大ヒット
    となり、79週に渡りドイツのアルバム売上げチャートで100位以内に入った。 当時は、
    マイケル・ジャクソンの『スリラー』が世界的に大ヒットしていた時期だったが、
    『4630 Bochum』はその年、ドイツ国内で最も売れたアルバムとなった。 その
    アルバムの中のシングル曲『Bochum』と『Männer』で流行歌手としての彼の地位は
    ゆるぎないものとなった。



    1988年には、アルバム『Ö』を発表し、初めて英語詞の曲を収録した。 その後、初の
    海外ツアーとして、カナダ・ツアーを行った。 1993年、アルバム『Chaos』を発表、
    これもヒットチャート1位を獲得、ツアーには60万人を動員した。 1994年には、
    非英語圏のアーティストとして、初めてMTVのMTVアンプラグドに出演した。

    1998年には、家族と共にロンドンに移住したが、音楽活動はドイツ語で続けた。 同年
    アルバム『Bleibt alles anders』を発表、4週間足らずでプラチナ・ヒットとなった。 ツアー
    には35万人を動員。 しかし、この年11月に兄と妻が相次いで死去し、ショックの
    あまり1年間の音楽活動休止に追い込まれた。

    2000年のハノーファー万博に合わせて、オーケストラ用の曲を発表。 2002年、アルバム
    『Mensch』を発表、大ヒットとなり、同名のシングル曲でも初めてヒットチャート1位を
    獲得した。 その年に始めたツアーは、2003年7月に終了する予定だったが、150万人を
    動員し、更に2005年1月までツアーが延長された。



    2006年に開催された、『2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会』に合わせて、シングル
    曲である『Zeit, dass sich was dreht』を発表たが、この曲はマリ共和国の歌手との
    合作だった。 6月9日のミュンヘン・アリアンツ・アレナにおける開会式でも、全世界が
    注目する中この曲をライブで披露した。 この曲も大ヒットとなり、彼にとって2度目の
    ヒットチャート1位となったが、地元ドイツ代表は、この大会は3位に終わった。



    2007年にはアルバム『12』を発表。 シングル曲『Lied 1 – Stück vom Himmel』は彼に
    3度目のヒットチャート1位をもたらしている。

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    ドイツを代表する『パンクの母』こと、ニーナ・ハーゲンは、有名女優のエヴァ・
    マリア・ハーゲンと脚本家ハンス・オリヴァ・ハーゲンの娘として、ベルリンで
    生まれた。

    父方の祖父は、ユダヤ人の銀行家・経済学者であったが、1942年にユダヤ人強制
    収容所で死去している。 ニーナの養父となったのは、母親と一時同棲していた事の
    ある高名な詩人、ヴォルフ・ビーアマン。 裕福な家庭の令嬢が、何を理由に、
    エキセントリックで過激なパンクを歌うようになったのかは、本国ドイツでも謎と
    されている。



    元々は、旧東ドイツで女優を志していたが、演劇学校の入学試験であえなく不合格
    となった。 この時期から、ポーランドでバンドのボーカルとして活動を開始し、
    1974年に歌手養成コースを修了した後は、ドイツ国内のバンドである『
    アウトモビール』に参加。

    その後、アウトモビールは、彼女のバックバンドと化して行く。 1975年に
    アウトモビールを脱退した後は、別のバンドでの活動を開始するものの、1976年に
    音楽家のヴォルフ・ビーアマンが、旧東ドイツ政府により市民権を剥奪されると、
    公然とビーアマン支持を行い、国外での演奏活動の帰りに旧東ドイツから再入国を
    拒否されたため、そのまま西側へと亡命し、イギリスへと渡った。



    1977年の秋には、イギリスから旧西ドイツに帰国後し、ニーナ・ハーゲン・
    バンドを結成。 世界的なヒットを飛ばすも、4人のバックミュージシャンとの
    間に埋めようのない確執が生じた。 この時、 レコード会社とは既に二枚目の
    アルバムの契約が締結されていたため、アルバムのレコーディングは、バックの
    演奏とは別に、歌の追加録音という不規則な形で行われた。 80年代には、
    独自のUFO論を前面に押し出し、1985年3月には、日本での公演も実現している。

    1998年、演出家ベルトルト・ブレヒトの生誕100年に際し、ようやく生まれ故郷の
    ベルリンへと戻った。



    ニーナ・ハーゲンの特長は、エキセントリックでスピリチュアルな感性、歌詞の
    メッセージ性、並びに、並外れた歌唱力だが、ドイツ国内では、絶大な人気を誇る
    ものの、それ以外の国々では、本国ほどの成功を収められていない。



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    旧ソ連時代のみならず、現代のロシアポップス界をも牽引している大御所、ソフィア・
    ロタルの1981年に発表したアルバム『愛はいずこに』 ソフィア・ロタルは、
    ウクライナのルーマニア系の家系に生まれ、その後、クリミアへと引っ越したため、
    現在は、ルーマニア系、元ウクライナ人で、現在はロシア人。 但し、ロシア国籍を
    拒否したという話なので、結局のところ、まだウクライナ人のままなのか?

    gde

    写真なのか、絵なのか全く判別が付かないこの画像。 恐らく、写真を上から絵の
    具か何かで修正したものw ソフィア・ロタルのアルバムの中で、このアルバムだけは、
    CD化されておらず、MP3音源化されただけ。



    ロシアは、ガラパゴス国家の日本とは異なり、MP3音源がかなり普及しており、
    普通にCD屋でもそのまま販売をしております。 このアルバムに収録されている
    曲の中で、最も有名なのは、『赤い矢号』。 モスクワとレニングラード
    (現ペテルブルグ)を結ぶ寝台特急の名前。



    その昔、ロシアの学生証を所持していた際に、ハバロフスク→ノボシビルスク間を
    丸4日間掛けて乗車したのだが、チケットは、当時の学割で、400円で御座いました♪
    当時、飛行機は、燃料不足のため、数ヶ月間に渡り、全便欠航。 当時のロシアの
    平均給与は、3,000円~6,000円ぐらいで、湯水のごとくお金を使ったとしても、
    生活費は、月に1万円も掛からなかった♪

    ソ連時代のレコード会社は、このメロヂヤ1社しかなかったのだが、ソ連末期に、
    メロヂヤ以外の別レーベルが設立された時は、かなり衝撃的で御座いました。

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    ロシア第3の都市、ノボシビルスク出身アーティストの中でも、最も有名なイリーナ・
    ネルソンとその歴史をご紹介致します♪ イリーナ・ネルソンは、デビューが25歳ごろと
    遅かったものの、ソ連時代から現在まで常にヒットと飛ばし続けている数少ない
    アーティストのひとり。 デビュー当初は、『ヂアナ』という芸名で活躍をしていた。

    рефлекс

    【ヂアナ時代の動画】






    2000年からアリョーナとDJシルバーを加えて、リフレックスとして活動を開始☆
    苗字のネルソンは、元旦那さまがスウェーデン系だったから。 このグループ活動を
    期に、本名のイリーナ・ネルソンとして活躍。

    【リフレックス時代の動画】


    アリョーナとの絡みは、当時、大人になったタトゥーとも言われていました。
    このPVはかなりかっこいいので、是非ともご覧あれ。



    この日本なんだか中国なんだか何とも判断が付かないセットがかなり笑えますw
    すごくすきすごくすきすごくすきと書手書きで書かれているので、やはり日本w



    ジェーニャを加えて4名体制に。 35歳にして、こんな格好で良いのか、イリーナ・ネルソンw



    前回の格好がよほど嫌だったのか、イリーナ・ネルソンが脱退。 次いで、DJシルバーも
    脱退。 ナースチャを加えて、3名でのアイドル路線を目指す事に。 これまで、おはやし
    程度しか歌っていなかったアリョーナがメインボーカルになりました。
    ※日本のしょぼいアイドルとは比較にならないので、比べないで下されw



    一方、イリーナ・ネルソンはソロで活動を開始。

    【イリーナ・ネルソン時代の動画】


    但し、その4年後には、リフレックスとイリーナ・ネルソンとして、一緒に活動する事に。



    ジェーニャとナースチャが脱退。 イリーナ・ネルソンが復活☆ よって、現在のメンバーは、
    イリーナ・ネルソンとアリョーナ。 この2人は、やはりかなり仲が良いようです。

    【リフレックスの動画】






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    ロシア第三の都市、ノボシビルスク出身で、日本で活躍をしていた歌手のオリガが、
    2015年1月17日に肺がんにより死去しました。 ロシアのウィキペディアには、
    2015年1月に『オリガ死亡』と本日付で記載されています。
     
    bg-origa

    オリガのFacebookは、1月13日に最終更新がされており、以前、英語で、これから
    暫く海外に行くとの記載があったのですが、オリガは、元々、ロシアの学校では、
    フランス語を学んでいたため、英語がかなり苦手でした。 ただし、その後、英語を
    学んで、苦手意識を克服しました。

    1990年に姉妹都市締結を結んだ、札幌とノボシビルスクの国際交流は、私とオリガの
    時代に始まりました。 姉妹都市締結後、オリガが、初めて札幌にやって来たロシア人で、
    私が、ノボシビルスクに初めて留学をした日本人。 オリガは、ノボシビルスク音楽大学
    在学中に札幌にホームステイにやって来たのですが、自分の身の回りから、芸能界に
    デビューを果たした人間は、このオリガだけだったので、自分の事のように嬉しかったのが、
    つい昨日の事のようです。

    オリガの芸名の由来は、デビュー時に、『L』の発音が出来なかった札幌の関係者が、
    『R』 で発音をしたものを、オリガが気に入り、そのまま使ったため。



    オリガが日本でのデビューのチャンスを掴んだのは、札幌でホームステイをしていた際に、
    周りから勧められて、さっぽろ雪祭りのステージで歌った事が切っ掛けで、その後、まず、
    札幌でインディーズデビューを果たし、その類稀な歌声は、すぐに東京のプロデューサーの
    目に留まり、日本でのメジャーデビューが決まりました。
     


    私がノボシビルスクに居た頃は、オリガもまだノボシビルスクに住んでいて、これから、
    東京へ引っ越す準備をしていた時期で、同じく当時ノボシビルスクに住んでいた、私の
    知り合いから日本語を習っていましたが、あれから、時は流れて、かれこれ、20年以上の
    月日が経過しております。 20年以上も前から日本に住んでいるロシア人は、かなり稀で、
    当時は、日本全国でも、100名弱ぐらいのロシア人しか住んでいませんでした。 逆に、
    当時ノボシビルスクに住んでいた日本人は、全員合わせても、7名でした。
     


    当時は、ロシア人に対する差別もあったものの、その後、菅野ようこ氏と出会い、アニメ
    ソングを歌うようになりました。 元々は、自分のオリジナル曲を歌っていたのですが、
    菅野氏が作った曲もそれ以降、歌うようになり、活動の幅が、大幅に広がりました。

    その後、結婚をして、昔ほどは、音楽活動をしなくなりましたが、それでも、Facebookを
    時々見ては、元気そうだと思っていた矢先の出来事なので、未だに信じられません。
     


    同じ時代、同じ場所を見てきた人間として、非常に残念でなりません。
    オリガ・ヤコブレワのご冥福を心よりお祈り致します。 享年44歳・・・
     
    3c
    これが、オリガの最後の姿だとか・・・

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