東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    カテゴリ:東ヨーロッパ > ロシア

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    ノボシビルスク郊外には、世界最大規模の学術研究都市アカデムゴロドクが
    ある。 ノボシビルスク市中心部からアカデムゴロドクへの行き方は、大きく
    2通りあるのだが、どちらの行き方も、「行き先」なる便利なものは記載されて
    いないため、運転手か周りの人達にロシア語で行き先を尋ねるしかない。

    第1の方法は、ノボシビルスク中央駅から8番の路線バスに乗って、終点まで
    行く方法。 第2の方法は、地下鉄のレチノイ・ヴォグザール駅から35番の
    乗り合いタクシー『マルシルートカ』に乗って終点まで行く方法。 どちらも
    終点の停留所は同じで、このバス停がノボシビルスク国立大学への最寄のバス停。
    今回は、35番の乗り合いタクシーで行った(この方法が最も一般的)ため、
    地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅で乗り換えをした。 料金は、地下鉄が
    どこまで乗っても20ルーブル(約40円)と乗り合いタクシーが途中の
    セーヤチェリまでが40ルーブル(約80円)、終点のツヴェトノイ・リャート
    までが45ルーブル(約90)であった。

    【アカデムゴロドクへの行き方
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    ロシアの地下鉄は、ソ連時代までは、25コカペイカコインをそのまま自動改札口に
    入れるタイプだったのだが、その後のハイパーインフレの時代を経て、トークン
    (ロシア語ではジェトンと言う)を使用するようになった。 これは、中国も
    同じで、モスクワの地下鉄では、カード式になったが、以前は、モスクワでも
    このトークンを使用してハイパーインフレに対応していた。

    レチノイ・ヴォグザール駅での乗り換えは意外と複雑で、反対方向の出口に出て
    しまったため、バス乗り場まで3回ほど通りを歩いている人達にバス乗り場を尋ねた
    のだが、皆嫌な顔ひとつせずに、親切に道を教えてくれた。 25年前は、
    このルートを毎週通っていたものの、何せ25年ぶりなので、懐かしいを通し越して、
    何も思い出せない状態であったw

    地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅から、乗り合いタクシーで約1時間ほどで、
    アカデムゴロドクのツヴェトノイ・リャートに到着。 そこから、白樺林を
    10分ほど歩くと、ロシア国立ノボシビルスク大学の校舎が見えて来ます。
    私が学んでいた時代は、新校舎はまだなく、旧校舎のみでしたが、すぐ隣りに
    大規模な新校舎が建設されており、度肝を抜かれました。 尚、ノボシビルスク
    大学のレベルは、ロシア国内では、モスクワ大学に次いで第2位、サンクト・
    ペテルブルグ大学よりもレベルが上とされているため、私の学歴は、あの
    プーチン氏を上回っていることになりますw 尚、ノボシビルスク大学には
    人文学部があり、ここに日本語専門コースもあるため、極々稀に日本語で話し
    掛けられる事もあります。

    【国立ノボシビルスク大学
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    ノボシビルスク大学は、理工系が強い理系の大学であるため、現在は、日本の
    東北大学の姉妹校となっている。 世界で初めての学術研究都市となっており、
    日本の筑波の見本となったアカデムゴロドクは、その名の通り、ロシアの頭脳と
    呼ばれており、様々な研究機関が集まった、世界最高峰の研究都市となっている。

    アカデムゴロドクで唯一のメインストリートにあるショッピングセンター
    (ロシア語ではテー・ツェーと言う)。 25年前は、本当に何も物が売って
    いなかったのだが、今では、商品であふれかえっていた。 ノボシビルスクは、
    ロシアの中でも、最も外国から遠い場所にあるため、国内で物を生産せずに、
    ほぼ全てを中国からの輸入に頼っているロシアでは、外国から遠い事は、
    当然ながら、物不足を意味していた。

    2000年過ぎ頃までは、ロシア・ルーブルは、完全に国外には持ち出し禁止の
    時代で、ルーブルが国外に自由に持ち出せるようになったのは、2000年以降
    となっている。 それ以前は、ロシア出国時に税関で財布を開けさせられて、
    残ったルーブルは全て没収、その後、コインだけは見逃されるようになった。

    【アカデムゴロドク
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    ノボシビルスクでは、よくミルクカクテルなる飲み物を飲むのだが、道端に
    あった美人のおねえさん(後姿だけで残念w)が働いているお店で、
    ミルクカクテル(しかもカップが巨大)を作ってもらった。 その後、
    そのおねえさんに食堂がある場所を教えてもらい、午前9時(日本時間午後12時)
    にちょっと遅めの朝食を取る事にした。

    ロシアで主に食べられているのは、じゃがいものピュレー、ソーセージ、
    ブリヌィ等で、この日は、ボルシチが品切れだっため、キャベツスープを
    頂いた。 アカデムゴロドクは、その昔、ノボシビルスクとは別都市とされて
    いたのだが、今では、ノボシビルスク市内のソヴィエツキー地区に分類されて
    いる模様。

    学術研究都市のアカデムゴロドクにあるのは、大学と研究機関のみであるため、
    ここを訪れる外国人はまずいない。 ノボシビルスク大学は、学生以外は一切
    中には入れないのだが、係員と交渉して、強引にトイレだけ借りて、校内へと
    入ってやったw

    アカデムゴロドクの始発停留所であるツヴェトノイ・リャートから1時間掛けて、
    ノボシビルスクへと戻らなければならないのだが、「行き先」は書いておらず、
    「35」としか書いていないため、ロシア語を喋れないと、ほぼ確実にアカデムには
    行けない事となるw

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    時代は移り変わり、様々な品物でごった返すノボシビルスク。 25年が経過しても、
    街の要所部分は変わってはおらず。 当時から地下鉄はありましたが、3駅ぐらい
    しか延伸していなかった。ロシアの地下鉄は、『M』のマークが入り口の印。
    『メトロポリテン』の省略形である『メトロ』がロシア語では地下鉄という意味。
    よって、語尾が『o』で終わっていても、男性名詞。 地下鉄の入り口のドアは、
    どこも非常に重いのが特徴。 手を離すと、凄まじい勢いで後ろの人に
    ぶつかるので、次の人が来るまでドアを持っていてあげるのがロシアでの慣わし。

    基本的に、ロシア人の趣味は散歩なので、皆1日で数キロ程度であれば、平気で
    歩きます。 ノボシビルスクの数少ない観光名所は、全てこの通り沿いにあるため、
    この日は頑張って、かなり歩いた。

    ノボシビルスク
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    ノボシビルスク大学留学中は、学業が忙し過ぎて全く時間がなかったため、
    一度も観光というものをしたことがなかったのだが、今回は余裕があるので、
    ノボシビルスクで見るべきスポットを全て周って見た・・・と言っても、
    ノボシビルスクで見るべき物は、全て赤の大通りにあるため、全て歩いて見て回る
    ことが出来る。

    まず、1つ目は、ロシア国立ノボシビルスク・オペラ・バレエ劇場。 今回は時間の
    都合でバレエを見ることが出来なかったが、その昔、バレエのプロデューサーを
    していた時に、遥々ロシアから呼び寄せたのが、このノボシビルスクバレエ団。
    劇場の規模は北半球一で、南半球のどこかに更に大きな劇場がある模様。

    2つ目は聖ニコラス礼拝堂、3つ目は建築家クラチコフの記念碑、4つ目は、
    アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、5つ目は、革命英雄記念碑。 革命英雄
    記念碑は、大昔に習ったロシア語の教科書に載っていたため、どうしても行きたい
    場所であった。

    ノボシビルスク
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    ノボシビルスクに到着した日は、たまたま、ノボシビルスク生誕125周年際の日で
    あったが、白夜により、夜11時まで日が全く沈まなかったため、夜の11時から
    花火が打ち上げられた。 いつまで経っても日が沈まないため、お子ちゃまも
    夜中なのに、普通に通りを歩いていました。 この晩は、近所のカフェでロシア
    料理を堪能したのだが、何故かデジカメで撮影するのを忘れたため、ロシア料理を
    見たいお方は、Google Photoをご覧くだされ。

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    無事成田空港を飛び立ち、6時間30分程度で「シベリアの首都」ノボシビルスクに
    到着しました。 シベリア鉄道だとハバロフスクから丸4日も掛かる行程も
    飛行機を使えばあっという間。 眼下に流れているのは、世界第5位の流域面積を
    誇るオビ川。 ノボシビルスクは、このオビ川に橋を建設するために建設された
    街で、125年前の建設当時の名前はノボニコラエフスク。 

    【ノボシビルスク】
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    ノボシビルスクは、シベリア最大の都市であるばかりではなく、ロシア科学
    アカデミー他の研究機関が集積する学術研究都市としても有名で、日本の筑波は
    このノボシビルスクを手本として造られた街です。 世界で最も最初期に建設
    された学術研究都市は、このノボシビルスクと筑波とボストンらしいのだが、
    その3つ共行ったことがある人間は、なかなかいないかも知れない。

    25年前にノボシビルスク大学に留学をしていた際にも、ノボシビルスクに
    国際空港が建設されるという話があったものの、このトルマチョーヴォ空港
    ではなく、街の北部にある飛行場を拡張計画であった。 トルマチョーヴォ空港は
    大昔からあり、設備は古かったものの、新しくターミナルビルを建設して、新しく
    なっていた。 空港のあるトルマチョーヴォ村からノボシビルスク中央駅
    (スラブ語では何故か「重要駅」と言う)までは、乗り合いタクシーの
    「マルシルートカ」で約60分掛かる。

    ノボシビルスク
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    ロシア第3の都市であるノボシビルスクは、日本の札幌と姉妹都市となっており、
    1990年から交流が始まった。 最終的にノボシビルスク大学に入学する
    切っ掛けとなったのは、1992年に札幌で開催された「コミュニケーション
    ワールド'92北海道2000」という博覧会にノボシビルスクにあるロシア科学
    アカデミー考古学研究所の学術研究員が参加し、トロゴンテリー像の展示を
    行った際に、学生通訳としてアルバイトをしたため、ロシア科学アカデミーの
    副所長にノボシビルスク大学に入りたいと直接交渉したためであった。

    ノボシビルスクに到着した2018年6月25日(日)は、ノボシビルスク建設
    125周年の記念日だった。 この街に住んでいたのは、ちょうど25年前なので、
    その時にもノボシビルスク100周年と言っていたのを思い出した。 この日は、
    街の中心部はお祭り一色で、メインストリートである「赤の大通り」は車両を
    全て封鎖して歩行者天国になっていた。 その歩行者天国では、あちらこちらで
    ライブが開催されており、街全体がお祭り騒ぎだった。

    尚、ロシアでは、ストリートミュージシャンと言えども、音楽学校、あるいは、
    音楽大学(コンセルヴァトワール)を卒業しない限りなれないため、歌の下手な
    歌手、顔の酷い歌手は存在しないw 因みに、ロシアでは、大学の専門以外で
    就職することはまずなく、職種を変えたい場合は、大学に再度入学し直さなければ
    ならない。

    ノボシビルスク
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    ノボシビルスクの中心部には、中央市場があるのだが、その真向かいに、巨大な
    ショッピングモールが出来ていた(;^_^A 25年前のノボシビルスクは、ソ連崩壊
    直後のハイパーインフレの真っ最中であったため、この中央市場ですら、まともな
    レベルでは物が売っていない時代であった。 ハイパーインフレとは、どのような
    ものかと言うと、物価の上昇に対して、貨幣の供給が追いつかないため、朝見た
    値段と夕方の値段とが異り、欲しい物が目の前にあった場合、全て買い漁らなければ
    ならないというレベル。

    当時は、2カ月おきに物価が2倍になっており、ソ連崩壊から見て、最終的に物の
    値段が2万倍(2万円が1円の価値になったのと同じ)になった1997年にゼロを4つ
    切り捨てるデノミ政策を行ったのであった。 尚、2ヶ月ごとに物価が2倍に
    なるとは、1年間で物価が32倍になるという意味で、ロシアルーブルはこの時代、
    1日で20ルーブルづつ米ドルに対して下落していた。 1989年当時のソ連
    ルーブルは、1ルーブル約350円だったのだが、今では、1円が約1.7ルーブル
    となっている。 1993年当時のロシアの平均給与は約3,000~6,000円程度
    しかなく、CD1枚が3,500円もした時代であったが、今では、そのCDですら、
    殆んど見せには並ばない時代になった。

    ノボシビルスク大学に在学中は、シベリア猫を飼っていたのだが、この
    ノボシビルスクのどこを探しても、キャットフードなどという物は1つたりとも
    売っていなかったのと、アカデムゴロドク自体に食べ物が全く売っていなかった
    ため、週に1度、バスと地下鉄を乗り継いで、丸1時間掛けて中央市場まで
    食料品の買出しに来ていたという時代であった。

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    2018年にロシアで開催されるFIFAワールドカップを見に行くことにした。
    特にサッカーに興味がある訳ではないが、ロシアで開催されるという部分に
    魅かれた。 この話は、2017年12月から準備しており、まず1月に航空券の
    値段を調べたところ、モスクワまで直行で行くよりも、6月から就航する
    S7航空のノボシビルスク&イルクーツク経由の方が安いことが判明。

    【成田空港】
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    最終目的地であるカリーニングラードまでの往復チケットを自分で購入すると、
    モスクワからは片道4万円強も掛かることが分かったため、10,800の手数料を
    支払ってでも、HISで航空券を購入した方が最終的には安くなることが分かった。
    2月の時点で、まだ就航していないS7航空のノボシビルスク&イルクーツク便に
    予約を入れたため、成田⇔モスクワ間は何ら問題がなかったものの、問題は、
    モスクワ→ミンスクとカリーニングラード→モスクワ便だった。

    共に到着時間が午後11時30分であったため、どちらも到着後に色々と問題が
    発生した。 ロシアの飛行機は、奇跡が起こらない限り、絶対に時間通りには
    出発しないのだが、この日のフライトも予想通り1時間半の遅れを持って
    ノボシビルスクへと飛び立った。 機材が到着したのも1時間20分遅れだったため、
    1時間30分の遅れだけで済んだのは、ロシアのプロ意識が成せる技w 日本の
    場合は、1時間以上も遅れると乗客がブーブー文句を言い出すのだが、ロシアの
    場合は、1時間以上遅れるのが当たり前なので、誰も文句は言っていなかった。

    【ノボシビルスク】
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    尚、S7航空がノボシビルスクへの直行便を就航させたのが6月2日からが初めてで、
    それまで、ノボシビルスクへ行く場合は、韓国のソウルを経由して行くのが
    一般的であった。 私の時代は、ハバロフスクを経由して行くのが一般的だった
    のだが、25年前のロシアは、ソ連崩壊直後であったため、経済危機のど真ん中で、
    全ての航空機が燃料不足のため、飛んでおらず、ハバロフスクからノボシビルスク
    までシベリア鉄道で丸4日掛けて行った。

    当時のロシアでは入国72時間ルールというものが存在しており、今回の
    ワールドカップで再び復活したこのルールは、色々と問題を引き起こす原因
    となった。 因みに、ロシアは何もかもが言った物勝ち、やった者勝ちなので、
    一々このルールを真剣に考えると頭に来るため、適当にやり過ごして、見つかった
    際には、それなりの「言い訳」を述べてやるのがロシア式の対処方法。

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    ワールドカップのチケットはFIFA.comのチケッティングサービスにより発売され、
    2018年3月13日(火)、モスクワ時間の午後12時(日本時間午後6時)より
    第2フェーズでのチケットの販売が開始された。 第2フェーズのチケットの
    販売期間は3月13日から4月3日までとなっており、この期間では先着順での販売
    となる。 開幕間際での販売も予定されており、4月18日から決勝戦の行われる
    7月15日までオープンされることになっている。

    【予選リーグの組み合わせ】
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    FIFAはワールドカップのチケットを4種類のカテゴリーに分けて販売しており、
    カテゴリー1~3まではオンラインにより世界中へと販売されている。 カテゴリー
    4のチケットは通常よりも安価となり、最安値のものはおよそ17ポンド(約2500円)
    となっており、一方でカテゴリー1~3までの最安値のチケットは80ポンド
    (約1万2000円)となっている。 カテゴリー4はロシア在住者のみへの販売
    となり、少なくとも350,000枚のチケットが地元のファン向けに販売される
    ことになる。

    【各チケットの値段】
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    FIFA.comサイト内の対応言語は、FIFA公用語である英語、ドイツ語、フランス語、
    スペイン語の他、開催国であるロシア語での受付が可能とっているが、途中一部分の
    説明だけは日本語でも表示されるものの、上記の言語に余り自信がない場合は、
    Google翻訳も活用した方が良いかも知れない。

    【チケット購入方法】

    FIFA.comより、オンライン購入する。 アクセス状況によっては、数分から数時間
    待たされる。 順番での受付となっており、自分の順番が回って来ると、10分間だけ
    購入ページに入ることが出来るようになる。 購入ページ内では、それぞれの試合や
    カテゴリーごとに料金が表示されるため、クリックしてどんどん先に進むと、
    最後はカード決済の画面へとたどり着くため、それで決済を終えれば、チケットが
    入手出来る。 チケットは、申込み時に登録した住所へと無償で国際宅急便
    (クーリエ)で送付され、配達は2018年5月以降を予定している。

    【ログイン画面①】
    E-mailアドレスとパスワードを入力して、サイト内に入ります。
    SNSでの登録も可能。
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    【ログイン画面②】
    ここでは、表示されているパスワードを入力して先に進みます。
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    【ログイン画面③】
    ログインすると、以下の画面が表示されます。
    画面を下にスクロールして、開催日と希望の会場を選択します。
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    【ログイン画面④】
    下にスクロールすると、以下の画面が表示されます。
    色が付いている部分が入手可能なチケットです。 グレーアウトしている
    部分は、チケットの取扱いが終了しています。
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            ico_arrow_red
    【ログイン画面⑤】
    チケットの枚数を選択して、買い物かごに入れます。
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            ico_arrow_red
    【ログイン画面⑥】
    買い物かごに追加すると、以下の画像が表示されるため、
    このまま先へ進みます。
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    【ログイン画面⑦】
    必要事項を入力し、再度にクレジットカーで決済をします。
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    【ログイン画面⑧】
    無事に決済が完了すると、予約完了の画像が表示されます。
    次に、FAN IDを取得します。
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    【FAN IDの取得】
    チケット購入後は、必ずFAN IDの申請をしなければならない。 このFAN IDは、
    ロシアのビザを免除するための身分証明書代わりとなるもので、更には、この
    IDさえ持っていれば、モスクワから各会場までの特別列車(2等寝台車)の往復料金
    までもが全て無料となるため、航空券の購入は無用となる。 証明写真として、
    背景が白地で顔の周りに若干の余裕のある画像が必要となる。 画像に関しては、
    以下の画像を参照のこと。

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    ソチオリンピックでのドーピング違反で、国際オリンピック委員会(IOC)から
    オリンピックへの参加資格停止の処分を受けたロシアの元メダリストなど
    28人について、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はピョンチャン大会に参加する資格が
    あると発表した。

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    2014年のソチオリンピックでロシアは、ホスト国らしく、メダル獲得数で第1位を
    獲得したが、2016年1月1日に世界アンチ・ドーピング機関(WADA)によって、
    メルドニウムはドーピング規定違反と規定されたため、ロシア人選手であれば、
    誰でもビタミン剤代わりに服用している錠剤がドーピング違反と規定されるように
    なったため、これまでもロシア側からは再三ナンセンスとの苦情がなされていた。

    2つの金メダルを獲得したボブスレーのアレクサンドル・ズブコフ選手など46人が
    IOCからオリンピックへの参加資格停止処分を受けたが、この処分を不服として、
    42人の選手がピョンチャン大会までに資格回復を求め、CASに提訴していた。
    これを受けてCASは2月1日にピョンチャンで会見を開き、提訴した42人のうち
    39人に対して裁定を出し、11人については違反を認めた一方、28人は違反の証拠が
    十分でないとして、ピョンチャン大会に参加する資格があると発表した。
    残る3人への裁定は、ピョンチャン大会後になる予定。



    IOCは28人の参加資格を認めなかった他、CASの裁定について不服としてスイスの
    連邦裁判所に控訴した。 IOCのアダムス広報部長は、CASの裁定について
    『明白な証拠があるにも関わらず、納得いかない内容だ。 反アンチドーピングの
    将来に深刻な衝撃を与えてしまう』と述べ、スイスの連邦裁判所に控訴する考えを
    示した。 その上でIOCは、CASSがピョンチャン大会への参加資格があるとした
    28人に関して、参加を認めていないとしている。

    その一方でIOCは、2017年12月の理事会において、過去にあらゆるドーピング規定に
    違反していないなど厳しい条件を満たした選手に関しては、個人資格での参加を
    認めており、ピョンチャン大会には今のところ168人のロシア選手が参加する見通し
    となっている。

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    2018年1月22日、モスクワの大型スポーツ用品店『ZASPORT 』で、ピョンチャン・
    オリンピックに参加するロシアナショナルチームのユニフォームの公式発表が
    あった。

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    ピョンチャン・オリンピックに参加する選手には、オリンピック閉会式で着用する
    ためのIOCが認めた中立を表す『OAR (Olympic athlete from Russia) 』のシンボル
    ロゴマーク、ロシア国旗、ロシア国章が入った2セットのユニフォームが供与
    される。

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    ユニフォームの受け取りは、2月7日までなっており、初日には、スケート、
    スキー選手らがユニフォームを受け取りにやって来た。 このユニフォームには、
    パーカー、ジャケット、ジャージ、Tシャツ、ジーンズ、トレーナー、冬靴、
    暖かい靴、帽子、手袋、靴下、バックパックが含まれている。

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    IOCの規定によると、ロシア国旗の色である赤、青、白の3色全てが存在しては
    ならないため、灰色を基調とし、赤と白を追加したが、このデザインに決まる
    までには、数週間を要した。

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    1993年のソ連崩壊直後、ロシア国内では社会主義から自由市場経済への移行の
    最中にいたが、その社会システムの抜本的な転換のためには、大きな痛みが伴い、
    社会全体が混乱を極めた状態となった。 一時的に経済が機能しなくなり、国中が
    ハイパーインフレに陥ったのだが、その当時の新生ロシアの世論は、北方領土を
    日本に引き渡すのはやむなしとの意見が実は多数派となっていた。

    戦争末期の1945年に行われたヤルタ会談でアメリカ、ソ連、イギリスは
    ソ連がクリル諸島全てを得ることに合意した。 しかし、1956年の日ソ共同宣言
    では、平和条約が締結され次第、色丹島、歯舞群島を返還することにソ連が同意
    したため、平和条約は締結されなかった。

    ソ連崩壊後、自国への投資を必要とするロシアは1993年に同様の共同宣言に
    署名し、平和条約に向けた交渉の土台を作ったが、当時の日本国内では、
    4島一括返還論が多数派を占めていたため、事態は進展しなかった。
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    1993年当時、歯舞と色丹の2島返還はほぼ確実、国後と択捉に関しては、
    ロシア側から見ると、日本の経済援助が喉から手が出るほど欲しかったため、
    国後を手放して、日本からの経済援助を引き出すというロシア側の意見も多かった。
    残る択捉は、北方4島の中でも最大面積、かつ、最大の人口を抱えており、何よりも
    ロシア空軍基地が立地していることもあり、3島だけ日本に引渡し、残りの択捉
    だけは次の世代にその判断を委ねるというところまで実は話が進んでいた。

    戦後70年以上も既に経過したが、日本とロシアとの間には、未だに平和条約は
    結ばれてはいない。 その最大の障害となっているのが、江戸時代より続く日本と
    アメリカとの不平等条約。 日本とアメリカは戦後数度に渡って、様々な条約を
    結んで来た、いわば最良のパートナーの筈なのだが、実は、外務省が作成した
    高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)の
    中には、以下のような文が明確に記載されている。

    ● アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
    ● 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することは出来ず、現実に提供が
       困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

    つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で
    アメリカ側の基地提供要求に『NO』と言うことは出来ないと日本の外務省が
    ハッキリと認めている。
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    北方領土問題が解決できない理由
    この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、
    例えば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、以下のような大原則が
    存在する。

    ● だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないという
     ような約束をしてはならない。

    そして、この極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ
    間違いなく日米の間に、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の
    密約)があることを意味している。

    従って、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土
    問題が解決する可能性は実はゼロで、ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた
    ゼロとなっている。 2016年12月15日にロシアのプーチン大統領が来日した
    際には、その直前の11月上旬にモスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全
    保障局長から、『返還された島に米軍基地を置かないという約束は出来ない』
    という日本側の基本方針がロシア側に伝えられた。

    その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルーのリマで開催された
    日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し『君の側近が『島に米軍基地が置かれる
    可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる』と述べたことが
    分かっている。(「朝日新聞」2016年12月26日)

    この時点で既に、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることが
    完全に確定していたこととなる。
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    1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を
    貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを
    突き合わせ、明らかにした。 米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供
    だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の
    背景にあったことが浮かび上がった。

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    振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、
    ソ連の対日参戦が決まった1945年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった
    米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。

    米国は1945年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の
    艦船をソ連に無償貸与。 4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州
    コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。
    コールドベイには常時1,500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たった
    という。

    訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。 8月
    28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む
    17隻が参加。 ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日
    までに完了した。

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    こうした歴史的史実が判明したのは、根室振興局が2015年度から取り組む
    北方領土遺産発掘・継承事業が切っ掛け。 各国の資料を集める中で、ソ連が
    樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べ上げたイーゴリ・サマリン氏
    (現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンと
    クリル諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(2011年3月)を
    入手した。

    リストに米艦船が含まれていることが分かり、経緯を探るうち、米ソの極秘
    プロジェクトの内実を書いた元米軍人リチャード・ラッセル氏の著書
    「プロジェクト・フラ」(2003年)の存在を知り、米国から取り寄せた。
    国後島の地元紙「国境にて」の過去記事など各種資料と照らし合わせ、四島占領
    作戦での米艦船の使用を突き止めた。

    調査を取りまとめた国後島元島民2世の谷内紀夫・根室振興局副局長は
    「米国が徹底した対ソ支援を行っていたことが分かり、北方領土問題への両大国の
    関与が浮き彫りになった」と話す。

    調査資料は来年1月19日~2月2日に根室市内の道立北方四島交流センターで開く
    企画展で公開。 初日の1月19日に谷内副局長が講演する。

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    ■ソ連の独断ではなかった 北方領土問題の経緯に詳しい和田春樹東大名誉教授の話
    北方四島占領を含む旧ソ連軍の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、
    日本国内ではほとんど知られておらず、発見と言える。 四島占領はソ連が勝手に
    行ったのではなく、米ソをリーダーとする連合国の作戦として行われたという
    ことを示している。

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    2017年6月27日、欧米やロシアなど、世界各地で『ランサムウエア』と呼ばれる
    コンピューターウイルスを使ったサイバー攻撃発生の報告が相次いだ。
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    ランサムウェア(英語: Ransomware)とは、マルウェアの一種であり、これに
    感染した コンピュータは、利用者のシステムへのアクセスを制限する。 この
    制限を解除するため、 被害者がマルウェアの作者に身代金(ransom)を支払う
    よう要求するもの。

    世界規模のランサムウェア攻撃は、この2カ月間で2度目で、前回は『WannaCry』
    が猛威をふるい、20万台を超えるコンピュータが感染し、病院、銀行、大学などが
    被害を受けた。

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    被害が最も大きかったウクライナでは、政府のコンピューターネットワークが
    麻痺した。 チェルノブイリ原発の放射線測定システムも攻撃を受け、手動作業
    への切り替えに追い込まれるなど、各地で混乱が広がった。

    ランサムウェアは、米国家安全保障局(NSA)から盗み出されたと見られて
    いるが、欧州警察機関(ユーロポール)によれば、150カ国以上で20万件を
    超える被害が出た。 今回はこれに続く世界規模のサイバー攻撃の恐れがある。

    ウクライナでは政府や銀行の他、キエフ郊外の空港や国営航空企業アントノフ、
    電力会社などで大規模な被害が相次いだ。 グロイスマン首相は『ウクライナ史上、
    前例のない攻撃だ』と表明した。 政府のネットワークの復旧には数日掛かる
    見通し。

    ウクライナの他にも、ロシアの国営石油会社ロスネフチや米製薬大手メルク、
    英広告大手WPP、仏建材・ガラス大手サンゴバンの他、オランダやデンマークの
    企業なども攻撃を受けた。

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    ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領は、2017年5月16日、ロシアへの
    報復の拡大として、ロシアのソーシャルネットワーク『VKontakte』
    『Odnolkasniki』『Yandex』『Mail.Ru』へのウクライナ国内でのアクセスを
    ブロックする法令を発表した。 モスクワでは、この報道に対して、
    『ウクライナ政府による検閲』とまで揶揄されており、大きな驚きを持って
    伝えられている。 

    ウクライナを含む旧ソ連・ロシア語圏では、『Facebook』よりも『VKontakte』
    の方が利用者数が圧倒的に多く、当然、その他のSNSも、ウクライナ人の殆んどが
    ほぼ毎日利用している大人気ソーシャルメディアとなっている。



    ウクライナでも非常に人気のあるSNSリソースのほとんどが完全にブロックの
    対象となるため、ウクライナ政府による独裁体制の強化とも言われているのだが、
    最も困るのは、ユーザーで、この法令によって、ロシアとウクライナの情報の
    分断が更に加速することとなる。 特に、これらのSNSをビジネスで活用している
    ユーザの場合は、死活問題となるであろう。

    ウクライナ政府はこれまでにも、急にロシア語を禁止にしてみたり、キエフ⇔
    モスクワ間の空路を廃止してみたり、ヨーロッパ最大の音楽の祭典、
    『ユーロビジョン』においても、既に決定していたロシア代表をクリミアで
    コンサートを開いたためと称して、一方的に入国させなかったりと、これまでの
    ウクライナ政府の数々の横暴な対応は、正気の沙汰とは思えない。 ウクライナ
    では、旧態よりも更に酷い独裁体制が続いているため、ソ連時代の方がまだまし
    だったと見るのが妥当かも知れない。

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    ウクライナは、旧ソ連からの独立時、さほど大きな問題もなく独立を果たしたの
    だが、その反動として、常にロシアとの間で『アイデンティティー』の問題に
    苦しんで来た。 自らの国の存在意義をロシアへの恨みと妄想にしか頼ることが
    出来ない原始的な退化した国に、EUへの加入は決して認められない。
    ヨーロッパの秩序を完全に無視し続けるウクライナは、ヨーロッパにも決して
    入れない、ロシアにも戻れないというジレンマを抱えている。

    これまでも、ロシア軍が侵攻しているとして、自国民を大量に空爆しているのも
    実は、ウクライナ政府で、ウクライナは、アメリカによる情報操作の最先端に
    置かれている。

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    2017年4月3日午後2時半頃、サンクト・ペテルブルク中心部を走っていた地下鉄
    車内で起きた爆弾テロの主犯格と見られる容疑者が逮捕された。 ロシア通信が
    伝えた声明によると、男は中央アジア出身のアブロル・アジモフ(Abror Azimov)
    容疑者で、モスクワ近郊のオジンツォボで拘束され、容疑者の身柄は、取り調べの
    ため、重大犯罪の捜査を担当する連邦捜査委員会に引き渡された。

    自爆攻撃の実行犯は、アクバルジョン・ジャリロフ(Akbarjon Djalilov)容疑者
    (22)と特定されているが、地下鉄車内で既に自爆しており、中央アジアの
    キルギス生まれで、ロシア国籍を取得していたと見られている。

    連邦捜査委員会によると、アジモフ容疑者は1990年生まれで、「自爆テロリストの
    ジャリロフ容疑者の訓練を行った」としており、首謀者の一人と見なしている。

    14人が死亡、数十人が負傷したこの爆破事件をめぐっては、これまでにモスクワと
    サンクトペテルブルクで8人の身柄が拘束されており、8人全員が中央アジア出身と
    明らかにしている。

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    【キルギス共和国外務省の表明】
    キルギス共和国外務省は、一連のマスメディアを賑わせた2017年4月3日のサンクト
    ペテルブルグ地下鉄テロの容疑者であるジャリロフ・アクバルジョンがキルギス
    共和国民であるとの情報は事実とは異なることを正式に表明する。
     
    キルギス外務省が有する報告によると、A.ジャリロフは、1995年4月1日、キルギス
    南部のオシュ市に生まれ、民族的にはウズベク人であり、中等教育を満了して
    いない。

    A. ジャリロフが、かつてキルギス共和国国籍のパスポートを取得した事実はない
    ことを明言しておかねばならない。 2011年、16歳に達したジャリロフはロシア
    国籍の父の請願と共に申請書を提出し、ロシア国籍のパスポートを取得して以来、
    常にロシア連邦領内に居住していた。

    現在、キルギス共和国当局は、事件の捜査に関しロシア連邦の法執行機関への
    全面的な協力を行なっている。

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