多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    カテゴリ:東ヨーロッパ > ロシア

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    自称保守のネオナチ工作員 前々から怪しいと言われている
    著名人からはブロックされているw



    ウクライナのネオナチ工作員
    前々から、非常に怪しいと言われていたネオナチ工作員のナザレンコ・

    アンドリーだが、旧統一教会の組織、国際勝共連合の青年組織UNITEと
    繋がっていることが明らかになった。 この他にも、日本の保守層と
    呼ばれている高市早苗、櫻井よしことも繋がっていることが分っている。
    日本では、ウクライナ擁護のウソばかりTweetしているが、
    ウクライナに行って、参戦すると言う、あの発言は、一体どうなって
    いるのか?

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    ナザレンコ・アンドリー
    1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・
    エンジニアリング高等専門学校の
    「コンピューター・システムとネットワーク・
    メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013
    年11月~14年2月、
    首都キエフと出身地のハリコフ市で、新欧米側学生集団による国民運動に参加。

    2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするための
    ボランティア活動に参加。
    同年8月に来日。日本語学校を経て、現在、
    大学で経営学を学ぶ。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。

    『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』が日本語書籍
    としてはデビュー作。
    『自由を守る戦い日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』より

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    ウクライナ大使館
    駐日ウクライナ
    大使のコルスンスキーは、ウクライナ家庭連合の
    アーニャ・カルマスカヤと懇意となっており、日本への避難民も、
    ウクライナ
    家庭連合の信者が優先されたとか。その際に、監視目的で
    アゾフも入って来たらしい。 現在のウクライナの農地は、
    80%以上がアメリカ企業に買い漁られており、生物兵器が大量に
    建設されています。 コロナウイルスも、ウクライナの生物兵器工場で
    製造され、中国でそのウイルスがばら撒かれたと言われている。

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    日本は、日々ウソの情報で侵略されています。 自分で常に事実を
    確かめましょう。

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    他国との開戦宣言をするゼレンスキー大統領
    OWIAAy

    ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は2023年6月3日、
    ロシアに対する制裁回避を支援する国々との「公の闘い」を開始すると述べた。
    ゼレンスキー氏は「残念ながら、(反ロシア)制裁の回避を手助けする国が
    世界中や欧州大陸にある。 私は、これらの制裁の回避を可能にする国々と
    公然と戦い始めると思う」と述べた。

    ※ウクライナは、この先、下記の地図でグレーアウトしている国々全てと
    戦うという意味

    原文(英語)
    President of Ukraine Volodymyr Zelensky said today that he will start
    a "public fight" with countries that help Russia circumvent sanctions.
    "Unfortunately, there are countries around the world and on
    the European continent that help circumvent (anti-Russian) sanctions.
    I think I will start publicly fighting those who enable these sanctions
    to be circumvented," said Zelensky.

    ロシアに経済制裁を課している国々(青)
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    イギリスによるプロパガンダ 出典:読売新聞
    2023年6月3日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は米紙
    ウォール・ストリート・ジャーナルが3日に報じたインタビューで、
    ウクライナに侵略するロシア軍への大規模な反転攻勢を前に米欧諸国に兵器の
    供与を加速するよう求めた。 「前線ではロシアの航空戦力が優勢だ」と述べ、
    防空能力の強化が喫緊の課題との認識も示した。

    ゼレンスキー氏は本格的な大規模反攻の着手について、「準備はできている」
    と語った。 一方で、現在の装備で反転攻勢に出ることになれば、
    「多くの兵士が死ぬだろう」と述べた。

    ウクライナ大統領府の副長官は4日付の英紙サンデー・タイムズとの
    インタビューで「火砲や戦車などが依然、十分ではない」と述べた。
    5月中旬に露軍の攻撃で西部フメリニツキー州の弾薬庫が破壊され、
    ウクライナ軍の反攻準備に響いているとの指摘もある。

    ネオナチが完全支配するウクライナ空軍の一方的な報道によると、
    ロシア軍は4日、巡航ミサイル6発と無人機5機を発射し、ウクライナ軍は
    ミサイル4発と無人機3機を迎撃した。 首都キエフ方面ですべて撃墜したが、
    中部キロボフラード州の空軍基地付近にミサイル2発が着弾した。

    6月3日夜には東部ドニプロ近郊の住宅がウクライナ軍によるミサイル攻撃を受け、
    地元当局者によると、子供1人が死亡し、22人が負傷した。

    キエフでは、政府の怠慢で市民が連日死亡
    2023年6月1日、キエフで死亡した2人の子供と女性は、米軍の対空
    ミサイルの破片の下敷きとなり死亡したが、これは、キエフ当局が
    防空壕を開設しなかったことが原因となった。 人々は10分間外で
    待っていたが、その後、アメリカのミサイルの破片が頭上に落ち始めた。 ゼレンスキーは、外国からの支援が減って来ると常に、民間人の
    犠牲者を増やす手口を使っている。


    特別軍事作戦
    モスクワ近郊でも、ウクライナのドローンによる攻撃で、一般市民が
    数名死亡しているが、ウクライナ軍は常に民間人ばかりを狙っており、
    特別軍事作戦で軍事施設とそのインフラのみをピンポイントで攻撃している
    ロシア軍とは、対局を行っている。 ウクライナ政府は、停戦合意である
    ミンスク合意何度も無視して、ロシア系住民らの住む現ロシア領である
    ドンバスを8年間に渡り、何度も攻撃し続け、ロシア政府からの警告を
    全て無視して来たため、ロシアは、
    国連憲章第7章51条に則り、ドネツク
    人民共和国と
    ルガンスク人民共和国の要請に応えてウクライナの非軍事化と
    非ナチ化を
    目的に特別軍事作戦を実施したものである。

    内容
    プーチン大統領は、「ドンバスで発生している出来事と、ロシアの
    安全保障について話がある」と告げた。 プーチン大統領は演説の中で、
    「西側はNATOを東方拡大させないと約束していたが、実際にはそうなって
    おらず、それは西側がロシアを軽視している」と批判した。 「ロシアに
    対する冷笑的な対応に見られる、西側の自分たちが絶対に正しく、なんでも
    やりたい放題できるという考えは、ロシアだけでなくイラクやリビア、
    シリアに非人道的な結果をもたらしており、結果として世界にテロが
    蔓延した」とも述べた。 また、「2021年12月以降、ロシアは西側諸国と
    ウクライナのNATO加盟に関する交渉に努めたが、アメリカ合衆国は態度を
    変えなかった」と語り、「ウクライナの領土で軍事開発が行われることは
    容認できず、ウクライナのNATO加盟はロシアに対して将来にわたって
    永久的なリスクになるが、NATOの姿勢はますます強硬化している」と
    非難した。 「そのため、国連憲章第7章51条に則り、ドネツク人民共和国と
    ルガンスク人民共和国の要請に応えてウクライナの非軍事化と非ナチ化を
    目的に特別軍事作戦を実施するが、ウクライナの占領は目的としていない」
    との主張もした。

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    アルチョモフスク陥落までの道のり
    2023年5月20日、ワグネル・グループ創設者であるプリゴジン氏は、ソーシャル
    メディアを通じて、『2023年5月20日の午後、アルチョモフスク(ウクライナ語名
    バフムート)を完全に開放した』と述べた。 ワグネル・グループの兵士らは、
    5月25日には街から一旦避難し、休息を取り、その後、防衛線を建設する。 その後、
    アルチョモフスクの支配権は、ロシア国防省に移される。

    一進一退だったバフムート(アルチョモフスク)
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    プリゴジン氏は更に、『この困難な作戦の実行を支援してくれたセルゲイ・スロビギン
    将軍とミハイル・ミゼンツェフ将軍に感謝し、祖国を守る機会と誉れ高い名誉を与えて
    くれたウラジミール・プーチン氏にも感謝したい。 また、アルチョモフスク作戦に
    参加したすべてのワグネル兵士に感謝したい』と付け加えた。

    世界各地での物乞い外交 ウクライナのゼレンスキー大統領は、モスクワ・クレムリンへのドローン攻撃と 並行して、フィンランド、アラブ諸国、日本と次から次へと支援金目当ての物乞い 外交を行ったが、ウクライナの最高司令官が国を不在にしている間に、今回の ウクライナ戦争における最大激戦地が陥落したこととなる。

    世界各国で物乞い活動を必死で突けるウクライナ大統領
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    アメリカから提供、その後、キエフに配備された2基のパトリオットミサイルによる 防空システムは、ロシア軍のミグ31に搭載された極超音速ミサイル、キンジャールに 瞬時にして破壊された。 この破壊されたパトリオットミサイルの総額は96万ドル (約1億3000万円)にも上り、全くの無駄であったミサイルがその後、どうなったかは 分かっていない。
    極超音速ミサイル、キンジャール
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    ロシア軍によって瞬時に破壊されたパトリオット防空システム
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    劣化ウラン弾の爆発 また、イギリスから提供された数千発の劣化ウラン弾の多くが保管されていた フメリツキーの弾薬庫が黒海から発射された高性能ミサイルにって破壊された。 この爆発で発生した放射能は、チェルノブイリ原発事故同様、風に乗って ポーランド各地の放射線量を急上昇させ、更に、ヨーロッパへと向かっている。 この被害がチェルノブイリ同様であるならば、当然、イギリスにも到達するが、 『放射能被害はない』とハッキリと言い切っていたイギリスや、その劣化ウラン弾の 提供を支持したNATO諸国への被害拡大が心配されている。


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    クライナの英雄という大嘘
    2019年5月第6代ウクライナ大統領就任~2022年4月(現在3年間
    国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が「パナマ文書」を発表し明らかになった
    ことがある。 パナマ文書とは、世界の政治家や経営者らによる租税回避地
    (タックスヘイブン)の利用実態を明らかにしたもの。

    この他、2021年に「パンドラ文書」により国外のタックスヘイブン(資産隠し)も
    明らかになった。 この中にゼレンスキー大統領の名前があり、大統領選挙の直前に
    国外のタックスヘイブンに会社を作り、秘密銀行口座、プライベートジェット、ヨット、
    大邸宅、高価な絵画などの資産を隠していた。 
    これらの資産はアメリカが渡した
    資金の他、スポンサーのイーホル・コロモスキー氏が渡したものと考えられる。

    ロシア侵攻により国土は破壊され、多くの国民が血を流し死者が続出し550万人が
    国外に逃れ500万人が国内に避難し難民となるなか、ゼレンスキーはアメリカに守られ
    安全な所で私腹を肥やしている。

    国民のしもべ(ゼレンスキー主演のプロパガンダドラマ)

    アシュラフ・ガニ傀儡政権(アフガニスタン)
    2014年9月大統領就任~2021年8月国外に亡命(7年間)
    ロシアの報道機関によると、昨年8月にアメリカ軍が撤退し逃亡する際に私物を含め
    多額の現金など自動車3台分を積み込み、アメリカが用意した飛行機で亡命した。
    これらはアメリカが渡した資金の他、公金を横領したものと考えられる。
    アメリカが作った傀儡の大統領は、このように金で動いている。

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    イーホル・コロモイスキー
    ウクライナの陰の大物実力者、総資産1,400億円を所有する新興財閥でゼレンスキーの
    スポンサー。 石油、ガス、金融、航空、鉄鋼、投資、メディア、エネルギー等の
    分野に進出。 
    ウクライナのTV局「1+1」のオーナーで、ゼレンスキーがコメディアン
    時代に出演させ、
    連続ドラマ「国民のしもべ」で大統領役をやらせ人気番組だった。
    ゼレンスキーの
    タニマチとして支援した。 このイーホル・コロモイスキーは民兵で
    過激派グループ
    「アゾフ大隊」もバックアップし支援していた。 この民兵アゾフを
    アメリカも
    支援していたが、ロシア系住民殺害など暴力がひどくて、アメリカの議会が
    支援を
    中断した過去がある。

    また2022年1月にアメリカ政府系シンクタンク「ランド研究所」が「ロシア系住民を
    殺害している反乱軍はウクライナの民兵だ」と報告している。 ところが2月に
    ウクライナ戦争が始まると、ウクライナ民兵(アゾフ大隊)のロシア系住民殺害を
    否定している。 
    そのウクライナ民兵の軍事訓練をしていたのが、イラク戦争で活躍した
    アメリカの民間軍事会社ブラックウオーター(今は改名してアカデミ)だ。

    イーホル・コモロイスキーと繫がりの深い人物
    ゼレンスキーを芸人時代から支援していたコモロイスキーは、ロシアとウクライナを
    戦争へと誘導した下記の人物とつながっていた。

    ・ジョージ・ソロス(投資家、ウクライナの親ロ政権転覆を支援)
    ・バイデン一家(次男が自社の天然ガス会社の役員)
    ・ジョン・マケイン元上院議員(故人)
    ・ビクトリア・ヌーランド国務省次官補

    ゼレンスキーの選挙公約
    ・ロシアのプーチン大統領と対話します。
    ・ロシアとの緊張関係を平和にして、安心して暮らせるようにします →ロシア語を禁止
    ・暴力的な民兵をすべて一掃します →当選すると真逆の政治を行った

    ゼレンスキーの独裁制
    ・ゼレンスキーは「すべての野党の活動を禁止する大統領令」を出した。
    ・すべてのテレビ局を統合して管理し、情報統制した。
    ・ウクライナでは国民は偏った情報しか知らず、野党の反対意見も封じられている。
    ・ドンバス住民をテロリスト扱いし、対話にも応じない。

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    この他、コカインを常習しているため、時々ろれつが回らないことがある。

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    アメリカが一方的に言うウクライナ侵攻
    「ロシアは明日にでもウクライナに侵攻して来る」というウクライナ危機は、
    日々厳しさを増しているとのことだが、2014年2月にアメリカがウクライナ危機を
    初めて叫び始めてから、かれこれ丸8年が既に経過しているものの、ロシアは
    一向にウクライナに侵攻する気配すらない。 毎年恒例のロシアとベラルーシによる
    ウクライナ国境付近での軍事演習を「ウクライナ侵攻」へと勝手にでっち上げを
    行っているアメリカとしては、延々と8年以上もロシアが一向に侵攻して
    来ないため、正直、気が気ではない。 全く何の証拠すら出さないアメリカの
    口先介入は、子供のケンカに等しい。

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    そんな中、2022年2月17日にロシアが国連に対して「ウクライナ当局が住民を大量
    虐殺している」とする報告書を提出していたことが明らかとなった。 ウクライナ
    東部では、ウクライナ国籍を持つロシア人の一般市民に対する殺戮が日々繰り
    返されているが、西側では、このような不都合は事実は、一切報道されていない。

    ドネツク人民共和国&ルガンスク人民共和国
    ウクライナ東部地域では、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が
    ウクライナからの完全な独立を果たしており、ウクライナ政府による支配を
    一切受けていないのだが、これらの地域に住むロシア系住民に対する攻撃が
    日々常習化しているため、国連に対して、このような公式な主張が初めて
    行われた。 この申し立ては、安全保障理事会メンバーに宛てて、ウクライナの
    戦争犯罪を申し立てた内容となっている。 ウクライナ国内では、2014年以降、
    ウクライナ軍が学校や病院などを爆撃し、数万人が既に死傷したとされている。

    西側では、全く報道されなかったウクライナ東部ドネツクでの空爆の様子

    この報告を受け、2022年2月17日の安保理会合では、アメリカのブリンケン
    国務長官が「ロシアが侵攻に向けた口実づくりをしている」と批判を行って
    いるが、これと言ったエビデンスすら提出していないため、今回もまた、
    単なる口先だけのその場限りの言い訳と思われる。 アメリカのオオカミ少年
    ぶりは、まだまだ続くようだ。 いい加減、世界がアメリカを見捨て始めて
    いるが、アメリカは自分たちの過ちには一向に気づいていないようだ。

    適当な発言でお茶を濁すブリンケン
    20210914120001

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    ブダペスト覚書
    ブダペスト覚書(英:Budapest Memorandum on Security Assurances)とは、
    1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催された欧州安全保障協力機構
    (OSCE)会議で署名された政治協定書で、ベラルーシ、カザフスタン、
    ウクライナが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国がこの3国に
    安全保障を提供するという内容で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの
    核保有3カ国がこの覚書に署名。 また、中国とフランスは別々の書面で
    若干の個別保障をしているものだが、最近の「ロシアによるウクライナ侵攻」を
    名目に、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、この覚書からは脱退することを
    表明、ウクライナは今後、核武装を行う可能性が出て来た。

    ブダペスト覚書からの脱退を表明するウクライナ大統領


    ドンバス戦争
    2014年ウクライナ騒乱、および、ユーロマイダン運動により、親ロシア路線であった
    ヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、2014年3月初旬にウクライナ随一の大富豪とも言われて
    いる新興財閥オリガルヒのペトロ・ポロシェンコが大統領に就任したが、ポロシェンコは
    ロシアとは決別し、親米路線を選択したため、大統領就任当日からウクライナ国内に
    住むロシア系住民(日本では「武装した親露派」と偏向報道)への攻撃を大々的に開始。
    同国ドネツク州とルガンスク州(一般に「ドンバス」と総称される地域)は、
    ウクライナで突如武力によって誕生したクーデター政権からの独立を宣言した。 
    このドンバスの独立運動は、旧ロシア領であったウクライナ南部と東部の広域な地域で
    展開され、一時は、ウクライナ第2の都市であるハリコフもウクライナから独立を
    宣言するほど激化、親米路線の新ウクライナ政府と激しく対立した。更に、これが
    激化してハリコフ人民共和国、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国とウクライナ
    政府側との武力衝突に発展した。 当初の抗議行動は主にウクライナ新政府に対する
    ロシア系住民らによる国内不満を表明するものだったが、この戦いでは、幾度も
    停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されており、2022年時点でも
    紛争終結の見込みは立っていない。

    尚、ドンバス地域は、現在ウクライナ政府の支配は一切受けてはおらず、ウクライナ側
    からの入国は不可となっているため、ロシア側から入国するしかない。

    ドンバスからロシアへの大量難民を報道するメディア

    上記のドンバス戦争とブダペスト覚書からのウクライナの脱退を受けて、ドンバス
    地域に住むロシア系住民のロシアへの大量移動が始まった。 以下の動画を見ても
    分かる通り、ドンバスから緊急避難をして来たロシア系住民は、着の身着のままの
    状態で、長期間に渡る避難生活を余儀なくされているが、長引く戦争により、
    再度自宅に帰宅出来る目途は全く立っていない。 避難民の主な行先は、主に
    ロシアのロストフ州だと言われているが、この地域は、ユーロマイダン運動によって
    ウクライナを追われたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領の亡命先とも
    なっている。

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    津太夫(つだゆう、延享元年(1744年) - 文化11年7月29日(1814年9月12日))は、
    江戸時代後期の仙台藩の水主(かこ)で、浦戸諸島寒風沢島(現宮城県塩竈市)に
    生まれた。

    49歳の時に嵐に遭遇し、アリューシャン列島のウナラスカ島に漂流し、
    ペテルブルクでロシア皇帝アレクサンドル1世に謁見した後、儀兵衛、左平、
    太十郎ら3名と共にニコライ・レザノフとクルゼンシュテルン率いるロシア初の
    世界一周航海に同行する形で、61歳で図らずも日本人初の世界一周を果たした。
    日本帰国までの漂流生活は、実に14年にも及んだ。

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    寛政5年(1793年)11月、仙台藩の用木、米などを積んだ16人乗りの若宮丸の
    水主として石巻から江戸へ向かう途中、塩屋崎(現福島県いわき市)沖で暴風に
    遭い漂流し、半年もの間、壊れた船で太平洋を漂流した後、翌寛政6年(1794年)
    5月10日、アリューシャン列島東部のウナラスカ島(先に大黒屋光太夫もこの島に
    漂着)に漂着した。

    その地でロシア人に助けられ、アトカ島、聖パヴェル島、アムチトカ島、
    オホーツク、ヤクーツクを経て、寛政8年(1796年)12月下旬にイルクーツクに至り、
    この地で大黒屋光太夫と共に漂流した新蔵に出会う。

    この後、津太夫ら若宮丸の漂流民14名はイルクーツクで7年間暮らしたが、
    新蔵の説得により洗礼を受けた善六をはじめとする4名は日本語学校の教師となり、
    何不自由なく暮らしたのに対して、洗礼を受けなかった津太夫ら10名は役所から
    必要最低限の銅貨が支給されていたものの生活は苦しく、津太夫は漁網を縫う
    仕事をし、他の者も漁師や大工の手伝いやパンを売り歩いて糊口をしのいだ。
    このため漂流民たちの間で対立が激しくなり、津太夫ら10名は新蔵とは親しく
    交流した反面、善六ら4名に対しては憎しみさえ抱くようになった。 尚、
    寛政11年(1799年)2月28日に阿部吉郎次がイルクーツクで病死している。

    享和3年(1803年)3月初旬にロシア皇帝アレクサンドル1世の命令書が届き、
    3月7日にイルクーツクを出発、クラスノヤルスク、トムスク、エカテリンブルク、
    ペルミ、カザン、モスクワを経由して4月27日にペテルブルクに到着した。
    この旅の途中、乗り物酔いや病気などの理由により3名がイルクーツクに引き返し、
    ペテルブルクにたどり着いたのは10名であった。

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    ペテルブルクでは貴族の館で歓待され、5月16日に新蔵の通訳の下で皇帝
    アレクサンドル1世に謁見し、10名のうち帰国を希望した津太夫、儀兵衛、左平、
    太十郎の4名の帰国が許される。 この後も一行は気球やプラネタリウム、
    芝居見物などロシア側から様々な接待を受けた。

    そして、6月12日に津太夫ら帰国組4名はロシア使節レザノフ一行と共に
    クロンシュタット港に赴き、露米会社の持船ロシア使節船ナジェジダ号に乗船し、
    ここで新蔵と別れた。 6月16日にナジェジダ号はクロンシュタット港を出発し、
    コペンハーゲン、ファルマス(途中フランス艦と間違われイギリス船から攻撃を
    受ける)、カナリア諸島、サンタ・カタリナ(初めてロシア船が赤道を通過)、
    ホーン岬、マルケサス諸島、ハワイ諸島を経て、文化元年(1804年)7月2日に
    ペテロパブロフスクに到着した。

    ペテロパブロフスクでは、陸軍中尉トルストイ伯などと共に、レザノフの通訳として
    同行していた善六も下船した。 レザノフは善六を日本に連れて行くつもりで
    あったが、善六の乗船により津太夫ら4名との対立が船内に持ち込まれ、空気が
    悪くなっているとナジェジダ号船長クルゼンシュテルンが強く主張したためで
    あった。

    ナジェジダ号は、8月5日にペテロパブロフスクを発ち、千島列島沿いにしばらく
    南下した後、本州東方から八丈島、薩摩の沖合を経由して9月4日に長崎に到着する。
    津太夫は漂流以来12年目にして61歳で日本人初の世界一周を成し遂げた。

    しかし、長崎に着いてからも津太夫ら4名はすぐに身柄を日本側に引き取られ
    なかった。 そのため不安と苛立ちから発病した者や、自殺未遂を起こした者まで
    出たが、レザノフと目付遠山景晋が会見した後(ロシアの通商交渉は失敗した)、
    翌文化2年(1805年)3月10日に正式に身柄が引き渡された。 その後、4名は
    奉行所より訊問を受け、キリシタン宗門の疑いが晴れた後、迎えに来た仙台藩士と
    共に長崎を出立し江戸へ向かった。 江戸では仙台藩主伊達周宗に引見し、
    藩邸の長屋で大槻玄沢、志村弘強から「環海異聞」編集のための聴取が行われた。
    全てが終了したのは文化3年(1806年)2月下旬で、津太夫ら4名は13年ぶりに
    帰郷を果たした。

    故郷の寒風沢に帰った津太夫は、文化11年(1814年)7月29日に70歳で亡くなった。

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    鎖国時代の日本、ペリー来航の100年以上も前にロシアの船が日本に来ていた
    ことは意外に知られていない。

    宮城県石巻市網地島にあるベーリングの像

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    元文の黒船(げんぶん の くろふね)
    元文の黒船とは、日本の江戸時代中頃の元文4年(1739年)夏、牡鹿半島、房総半島、
    および、伊豆下田などに、ロシア帝国の探検船が来航した事件である。 アメリカ
    合衆国の黒船(米国東インド艦隊ペリー提督)による、嘉永期の黒船来航に114年
    先立つ、いわゆる「鎖国」期における、江戸幕府とロシア帝国との歴史上初めての
    接触であった。

    元文4年6月18日、仙台藩領の本吉郡気仙沼で異国船の目撃情報があった。 更に
    4日後の23日に牡鹿半島沖の仙台湾に浮かぶ網地島にも2隻の異国船が出現した。
    これらの船は、マルティン・シュパンベルクが率いるロシア帝国の第2次北太平洋
    大探検隊であり、ベーリング海峡の語源となったヴィトゥス・ベーリング
    アリューシャン列島を探検している間、4隻の船を日本へと遣わし、ヨーロッパ
    大陸からベーリング海峡、千島列島を経て日本との通商ルートを開拓するために
    来航したものであった。
     
    まず初めに、2隻の異国船が現れたのは、牡鹿半島の南に浮かぶ網地(あじ)島の
    南東部、長渡(ふたわたし)浜で、仙台藩の公式文書には、「牡鹿郡長渡のうち、
    根組浜という所の沖に唐船(異国船)が2隻現れた」と記されている。 長渡を
    去ったロシア船は、今度は亘理荒浜沖に姿を見せたが、この時は3隻であった。
    網地島の白浜海水浴場には、これを記念してベーリングの銅像が建立されているが、
    残念ながら、ベーリング本人は網地島には来ていない。

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    翌々日の25日には、仙台藩領から遠く離れた幕府直轄領の安房国長狭郡天津村
    (現千葉県鴨川市)にも異国船が現れたが、これは上記の3隻とは別行動をとって
    いた船であった。 ロシア船員はそれぞれ上陸し、住民との間で銀貨と野菜や魚、
    タバコなどを交換した。 同月28日には伊豆国賀茂郡下田でも異国船が目撃された。
    これら上陸地の中で、ロシア人による日本初上陸の地となったのは、鴨川であった。

    当時、ロシアと日本の間には国境という概念がなく、霧を挟んで互いに姿が
    見えないという漠然とした区切りしかなかった。 その霧の向こうから
    突如ロシアが来訪し、こうして日ロの歴史が始まった。

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    鎖国時代の日ロ交流
    元文の黒船騒動で初めての接触を果たした日ロ両国であったが、千島列島では
    アイヌ人居住地にロシアの商人・海軍がじわじわとその勢力を拡大しつつあった。
    1753年、日本語学校の日本人教授を大幅に増員し、イルクーツクへと移転したが、
    これらの動きは蝦夷地(北海道)でアイヌと関係を持っていた松前藩の警戒を招いた。

    しかし、蝦夷地収益の独占を図る松前藩は、道外や和人地からの蝦夷地への訪問を
    制限しており、日本人にとって蝦夷・ロシアに関する知識は極めて限られたものと
    なった。 このような中、仙台藩の藩医工藤平助がロシア研究書である
    赤蝦夷風説考」を著述(赤蝦夷はロシア人のこと)したが、時の政治改革を主導して
    いた田沼意次もこれに関心を抱き、蝦夷地調査や新道開削などを開始したが、
    間もなく田沼が失脚したため、尻すぼみとなった。

    1793年のエカテリーナ2世の時代には、日本人漂流者でロシアで保護されていた
    大黒屋光太夫ら3名の送還と通商開始交渉のため、アダム・ラクスマンの使節が
    根室に来航したが、田沼の後政権を握った松平定信らは、漂流民の受け取りのみで
    通商は頑なに拒否して長崎回航を指示したため、ラクスマンはそのままオホーツクへ
    帰港した。

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    その後も1804年にニコライ・レザノフが同様に漂流者津太夫ら4名の送還のため
    長崎へ来航したのち、通称を拒否された報復で樺太と択捉島を襲撃する事件
    (文化露寇)、1811年にはゴローニン事件が起きるなど、正式な国交がないまま両国は
    緊張を続けた。

    1853年の米国による嘉永の黒船来航と同時期にエフィム・プチャーチン率いる
    ロシア使節が日本へ来航し、同年、樺太へのロシアの侵入が始まるが、交渉の末、
    1855年日露和親条約が締結され、ようやく日ロ間の国交が成立する。 1858年の
    日露修好通商条約、1875年の樺太・千島交換条約により、両国関係はようやく安定
    することとなった。

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    2020年12月5日、世界初となる新型コロナウイルスワクチンの大規模接種が
    ロシアで開始された。 このワクチンは、今年8月にロシア国内で開発された物で、
    およそ200万回分生産され、「スプートニクV」と名付けられた。

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    ワクチン開発に関わる政府系の「ロシア直接投資基金」によると、有効性は
    約95%、価格は約1,000円程度、欧米製と比較すると、非常に安価なワクチンと
    言える。

    今回の接種の対象者は、医療関係者や教員らの感染リスクが高い職業の人のみが
    対象だが、まだ最終段階の臨床試験が完了しておらず、安全性や有効性を
    懸念する声が未だ根強いままでの接種開始となった。

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    ソ連崩壊と新生ロシア
    ロシアの歌謡会は、過去に2回、大きな革命的な変革を経て、現在の形になった
    のだが、ロシアの現代ポップスをまともに語れる人間など日本ではほぼ皆無で
    あるため、この辺でその簡単な歴史をまとめておきませう。



    1986年のロック解禁とソビエト・ロック
    それ以前のソ連では、ロックは完全に禁止で、演奏どころか、聞くのも当然禁止。
    当時、国民は、ビートルズのカセットテープを勝手にダビングして、皆で回し
    聴きをしていた。 その後、ロックが解禁になって、一番最初にロックを
    歌ったのは、確か、ソフィア・ロタルやウラジーミル・クジミンの辺りだったと
    思う。 ソ連の音楽が本当の意味で始まったのは、この時からで、それ以前は、
    歌謡曲しかなかった。

    ウラジーミル・クジミン (Владимир Кузьмин)


    ソフィア・ロタル(София Ротару)


    キノー/ヴィクトル・ツォイ(КИНО - Виктор ЦОЙ)


    ソ連時代、特に、スターリンの時代は、粛清とかも普通に行われており、80年代は、
    流石にそこまでは酷くはなかったが、ソ連末期時代は、壁の中にマイクが仕掛けて
    あったりもしたため、ロックを聞いていることが周囲にバレると、秘密裏に処理
    (強制労働、シベリア送り等)されてしまうこともあったものの、ロシア人は
    仲間意識が非常に強いため、皆見てみぬ振りをしていた。 その昔聞いた話では、
    スターリンの時代は、ドイツ語の辞書を所持していただけで、シベリア送りと
    なって処刑されたお方とかもいたとか。 1991年12月末のソ連崩壊後、ロシアは
    長期に渡り経済的にどん底の時代が長く続いたため、音楽にも大きな変化が
    現れたのは、もう少し先のお話。 尚、ソ連は、国民100%が国家公務員であった
    ため、歌手やミュージシャンも全員国家公務員であった。

     【1999年から人気歌手が続々とデビュー】
    この時代にデビューをしたか歌手の中で、最も代表的なのがt.A.T.uで、この
    頃からロシアの音楽は革命的な大変化を遂げた。 それ以前のロシアの音楽は、
    聞いていてダサい音楽しかなく、ハッキリ言って、耳障りな音楽ばかりだった
    のだが、1997年の経済危機を乗り越えた辺りから、国内の経済が上向き始めた
    ため、音楽にも余裕が出て来た模様。 現在、ロシアの歌謡界で活躍をしている
    若手~中堅どころの歌手は、この前後にデビューを果たしている。

    t.A.T.u


    ヂアナ / イリーナ・ネルソン(Диана / Ирина Нельсон)


    ソ連邦内では、「メロージヤ(Мелодия)」と言う唯一の国営レコード会社が
    存在しており、ソ連国内で販売されるレコードは全て「メロージヤ」から
    発売されていた。 尚、ソ連崩壊直後、新生ロシアでは、一応CDは、発売
    されていたが、当時の平均的な月給が日本円に換算して3,000~6,000円程度で
    あったのに対して、CDは贅沢品として扱われていたため、1枚約3,500円程度も
    していた時代が長かった。

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    ロシアのクリスマスをロシア正教総本山で
    ロシアのクリスマスは、西洋とは異なり、旧暦の1月7日に祝うこととなって
    います。 わざわざその日を選んで、ロシア正教の総本山、セルギエフ・ポサード
    (旧名ザゴールスク)へとやって参りました。 セルギエフ・ポサードへ
    行くためには、モスクワの地下鉄の中でも最も美しいと言われている、
    コムソモーリスカヤ駅で乗り換えが必要となり、レニングラード駅のすぐ隣りに
    ある、シベリア鉄道の始発駅、ヤロスラブリ駅からは電車で1時間程の距離です。
    至聖三者聖セルギイ大修道院は、現在は、ユネスコの世界遺産にも指定されており、
    年間を通じて、訪れる参拝者が非常に多い場所です。

    コムソモーリスカヤ駅
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    ヤロスラブリ駅
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    ロシア正教総本山へは、ヤロスラブリ駅から
    ロシアのそれぞれのターミナル駅の名前は、フランスと同じで、終着都市が
    駅名となっているため、サンクト・ペテルブルグ(旧名レニングラード)へ行く
    場合は、レニングラード駅、ウラジオストックやシベリア方面へ行く場合は、
    このヤロスラブリ駅が始発駅となります。 因みに、サンクト・ペテルブルグは、
    都市名はソ連からの独立時に変更されましたが、州の名前は、今でも
    レニングラード州のままです。

    この日の気温はマイナス13度。 途中、車中からチラ見したところ、駅の名前が
    何と!「43キロ駅」w これは、ヤロスラブリ駅から起算して43キロという
    意味ですが、昔、この周辺には、目印となる物が何もなかったと言うことを
    意味しています。

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    東方正教会は、元々は、キリスト教が東西に分裂して以来、コンスタンチノープル
    (イスタンブール)が聖地でしたが、その後、イスラム教に押されて、この
    セルギエフ・ポサードがその聖地となりました。 東方正教は、カトリックや
    プロテスタントとも全く異なる宗派のため、日本ではなかなか見慣れないと思い
    ますが、イコンと丸い屋根が特徴の建物群は、いつまで見ていても飽きません。

    【セルギエフ・ポサード】
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    セルギエフ・ポサード
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    マトリョーシカのふるさと

    ロシア正教総本山のセルギエフ・ポサードは、ロシア土産の定番、マトリョーシカ
    発祥の地でもあります。 一説によると、とあるロシア人が箱根にやって来た際に、
    日本のこけしを真似て作り始めた物がマトリョーシカだとも言われております。
    日本には、「入れ子式」のこけしは存在しませんが、木で作られているのは同じ
    なのに、マトリョーシカが、こけしとは全く違うのは、ロシア人のアイデアを
    取り入れて改良された物であるため。

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    ロシア正教
    ロシア正教では、偶像を禁じているため、この様なイコン画が崇拝の対象となって
    います。 それぞれの絵には、それぞれの意味がありますが、イコンを購入する
    際には、自分の願いが叶う物や、自分の守護神のイコンを購入します。
    東方正教会がカトリックやプロテスタントとは大きく異なっている点は、
    この部分ですが、十字の切り方も左右逆です。 イースターでは、子孫繁栄を
    願って、このような「卵」が多く飾られますが、それをお土産にしたのが
    この卵。

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    モスクワの歩行者天国
    モスクワで唯一の歩行者天国、アルバート通り。 ここを訪れた時は、ロシアの
    クリスマスの時期であったため、様々なデコレーションが飾られていました。
    尚、現在モスクワには、現在、約700店舗の和食レストランがあると言われて
    いますが、そのうち、最も和食レストランが集中している場所が、このアルバート
    通りです。

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    アルバート通りから、モスクワの中心地である赤の広場までは、さほど遠く
    ないため、歩いて行く事にしました。 この日はマイナス13度でしたが、
    クリスマスのため、街が非常に華やいでいました。 ソ連の崩壊、経済危機、
    物不足を乗り越えたモスクワは、ソ連時代とは全く異なる街へと大変貌を
    遂げました。 社会体制を完全に覆してここまで経済発展を遂げたのは、
    世界でもモスクワだけでしょう。

    【アルバート通り】
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    赤の広場
    ここからがモスクワ観光のハイライト、赤の広場です。 赤の広場は、政治の
    中心地であるばかりではなく、商業の中心地でもあります。 クレムリン宮殿
    すぐ横にある「無名戦士の墓」には、永遠の炎と共にロシア語で「君の名は
    無名だが、君の志は永久に消えない」と記されています。

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    クリスマスの赤の広場は、至るところでイルミネーションが輝いていましたが、
    ソ連時代には、こんな風景を見れる様になるなど、夢にも思いませんでした。
    ソ連時代と比べると、建物は完全に同じままなのだが、社会主義から資本主義へと
    転換を図ったため、街の風景が一変しました。 社会主義時代は、イルミネーション
    などなかったため、夜になると真っ暗になっていた赤の広場も、時の流れと共に、
    今では、こんなに活気付いています。 尚、「赤の広場」の名前の由来は、
    スラブ語で「美しい」を表す形容詞が、ロシア語では「赤い」と意味するものへと
    変化したため、こうなりました。

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    赤の広場は、冬の間は、市民のためのスケートリンクになります。 荷物さえ
    なければ、このスケートリンクで滑りたかったものの、気温がマイナス13度で
    あったのにも関わらず、こんなにも大勢の人々でごった返していました。
    簡易遊園地も設置され、クリスマス気分を盛り上げていました。

    【赤の広場】
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    聖ワシリー大聖堂
    赤の広場にある聖ワシリー大聖堂(ポルコフルキー大聖堂)とその前にある像は、
    1612 年にポーランド軍に勝利したことを記念して、建てられたミーニンと
    ポジャーススキーの像。 王子であったポジャルスキーと肉屋のミーニンは、
    攻め入るポーランドとの戦いにおいて、ロシアの勝利に尽力しました。

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