多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳 Samurai Global』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    カテゴリ: CIS独立国家共同体(旧ソ連邦)

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    アルマアタ(アルマトゥイ)

    アルマアタ(アルマトゥイ)近郊、標高1,700mにあるメデオスタジアム。
    冬はこのスタジアムがスケートリンクになりますが、春のため、氷は張って
    ありませんでした。 この場所は26年前にも1度来ているので、もう1度来て
    見たかった。 ただし、26年ぶりの割には、特に何かが変わったという
    雰囲気はなく、昔のままでした。 当時は、スケートリンクではなく、何かの
    スタジアムだったと思います。

    メデオスタジアム
    P_20190504_105536


    P_20190504_105100

    P_20190504_111916

    メデオスタジアムから上には、更にシャトルバスで登る事が出来ます。 5月初め
    とは言え、まだまだ雪が残っており、スキーが出来るようになっていました。
    この山を越えると、すぐそこはもうキルギス。 アルマアタは、中国にも
    キルギスにも近過ぎるため遷都されたと言われています。

    シムブラク スキーリゾート

    P_20190504_104849
    P_20190504_112240
    P_20190504_112621
    P_20190504_112737
    P_20190504_112744
    P_20190504_113132
    P_20190504_114303
    P_20190504_114928
    P_20190504_113150

    メデオスタジアムからこの場所には、シャトルバスの他、ロープウェイでも登る事が
    出来ますが、料金がちょっとお高目のため、帰りもシャトルバスで下りる事に
    しました。 高原リゾート地は、スイスを思わせますが、ここはカザフスタンですw
    中央アジアでは、カザフに限らず、鷲を使った狩りが盛んであったため、今でも
    観光地では、この様な風景を見ることが出来ます。 この日は気温5度と若干
    寒かったものの、屋外でのアクティビティーも色々行われていました。

    P_20190504_113327

    初代大統領記念公園

    P_20190504_134936 

    メデオスタジアムから地上へと戻り、次の場所へ行く途中で、たまたま通り掛った
    「初代大統領記念公園」。 娘は大統領選で敗れ去りましたが、初代大統領の
    名前は、首都の名前になったり、アルマアタの通りの名前になったりと、今でも
    権力を持っているのが良く分かります。 因みに、デニス・テン選手の自宅が
    あった通りの名前が「ナザルバエフ通り」と改名されました。

    途中から乗り合いタクシーで一緒になったポーランド人が、アルマアタ近郊に
    ある世界で2番目に高い湖である「大アルマアタ湖」に行くと言うので、一緒に
    付いて行くことにしました。 ところが、霧で一寸先は闇w 下界はそこまで霧が
    出ていなかったものの、上に登れば登るほど、霧が行く手を阻みました。。

    湖自体もガチガチに凍っており、仕方がないので、石を投げて氷を破壊して遊び
    ましたw 山頂から少し下ると、霧が晴れて来ました。 途中で、この様な観光客
    向けのユルタがあったため、途中で馬乳酒クムイスと駱駝乳酒シュバットを飲んで
    みたものの、馬乳酒はすっぱ過ぎて、らくだの方がましでした。

    【山頂にある大アルマアタ湖と地下鉄】
    P_20190504_145606
    P_20190504_150019
    P_20190504_154944
    P_20190504_161211
    P_20190504_194033
    P_20190504_200034
    P_20190504_194243
    P_20190504_200434
    P_20190428_105420

    建設に20年以上もの歳月を要したアルマアタの地下鉄。 建設当時は都市名が
    アルマアタで、国名はカザフ共和国でしたが、完成時には、都市名がアルマトイに、
    国名はカザフスタン共和国へと変更されています。 それプラス、アルマアタは
    遷都されているため、元政府機関の巨大な建物が市内に残骸の様に残っています。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ビシケク(フルンゼ)
    ビシケク散策は続きます。 中心部にはソ連時代の建築物が数多く残っているため、
    ソ連を感じたいのであれば、ビシケクはうってつけ。 大型で大げさなデザインは、
    ソ連式共産主義の象徴。 記念碑が妙に多いのもソ連の特徴で、街の至るところに、
    この様な記念碑が建っています。
    P_20190503_115135

    ビシケク中心部を歩いていたところ、大学があったため、中を見に入りました。
    最近は、ロシアの大学とかでも、入り口にゲートが据え付けられており、なかなか
    中まで入るのは難しいものの、この大学には特に何もなかったため、すんなり中へ
    入れました。 地球の歩き方を持たずに適当に散策をしたため、恐らく、キルギス
    国立大学ではないかと思われます。

    ビシケクは緑の多い街で、市中心部でもこんなに緑があります。 晴れているので、
    暖かいように見えますが、この日の気温は5月の初めなのに、何と7度。 ビシケクは
    結構標高が高いため、涼しいを通り越して結構寒い。 よって、ゲストハウスの
    オーナーから、ジャージと傘を借りて出掛けました。

    【ビシケク】
    P_20190503_130914
    P_20190503_131121
    P_20190503_131154
    P_20190503_132124
    P_20190503_133313
    P_20190503_133339
    P_20190503_133936
    P_20190503_134442
    P_20190503_134713

    楽しかったビシケクともこれでお別れ。 市内から約30キロ離れたビシケク空港に
    向かいます。 キルギスにもYandexタクシーがあるため、オーナーにタクシーを
    呼んで貰いましたが、このゲストハウスでは、色々と話し込んだため、非常に
    お名残り惜しい。 ビシケクに行ったら、またこのゲストハウスに絶対に
    泊まります。

    こちらは、ビシケク空港にあったキルギス土産の数々。 このモンゴルのゲルの様な
    物は、ロシア語では「ユールタ」と言うのだが、学生時代に覚えた単語なのに、
    意外と忘れていませんでした。

    【ビシケク】
    P_20190503_114340
    P_20190503_114430
    P_20190503_114525
    P_20190503_125816
    P_20190503_144139
    P_20190503_120828
    IMG_20190503_151931_223
    P_20190503_115449
    P_20190503_201103

    ビシケク・マナス国際空港から、カザフスタンのエア・アスタナでアルマ・アタへと
    向かいます。 キルギス人に言わせると、カザフスタンは歴史を勝手に書き換えて
    いるそうで、元々は、どちらもキルギスだったとか。 中央アジアの歴史は、
    スターリンによって、かなりの資料を処分されてしまったため、明らかになって
    いない部分が多いものの、中央アジアの第一人者は日本には存在しないため、
    これから中央アジアを研究すれば、誰でも第一人者になれなくもないw マナス
    国際空港の空港コードは、旧名のFRUのまま残っております。

    【ビシケク・マナス国際空港】
    P_20190503_164634

    P_20190503_180520

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    首都 ビシケク
    ビシケク空港に到着後、そのままタクシーで約30キロ離れたホステル
    Mukarama-Apa へと向かった。 キルギスはカザフスタン程では
    ないものの、国民全員がロシア語を話せるため、旅行が非常に楽♪
    こちらのホステルでは、ロシア在住のキルギス人と2日合わせて合計で
    6時間も延々とお話をしておりました。 ビシケクは、意外と高地に
    位置しているため、外に出ると結構寒いため、ゲストハウスのオーナーから
    トレーナーと傘を借りてビシケクの中心部へと出掛けました。

    ゲストハウス Mukarama-Apa
    P_20190503_151505

    IMG_20190503_151931_215

    IMG_20190503_101329_708

    P_20190503_102338

    ロシア語圏では、お茶を飲みながら、延々とお話をするのが普通なので、
    ロシア語を話せると非常に便利。 尚、こちらのホステルでは、度々日本人も
    泊まりに来るとのことで、そのお手紙を見せてもらいました。 かなり親日家の
    オーナーで、日本人にもっときて欲しいと申しておりました。

    料理を作って貰ったり、お世話をして貰ったのは、こちらの娘さんかと思いきや、
    翌日オーナーから聞いた話では、ロシアからやって来たお客さまで、体調が
    悪いので、手伝ってもらっただけと申しておりました。 旧ソ連邦内では、
    これまで生活が非常に厳しかったため、皆助け合いの精神だけは、絶対に
    忘れていないのである。

    【ビシケク】
    P_20190502_135213
    P_20190502_144857
    P_20190503_113024
    P_20190503_151507P_20190503_094840
    P_20190503_153000
    P_20190503_114226
    P_20190503_114238
    P_20190503_114340

    ビシケクのゲストハウスから歩くこと30分。 市中心部の政府施設が集中している
    場所までやって来た。 キルギス人は人種的に元々はコーカソイドだったのだが、
    現在のロシア領のトゥヴァ付近から大量の移住者がやって来て、完全に
    モンゴロイド化した民族であるため、見た目的に非常に日本人に似ています。
    一説によれば、「肉が好きな者はこの地に残りキルギス人となり、魚が好きな者は
    東に移動して日本人になった」とまで言われている程、キルギス人は、日本に
    対しては親日意識を持っている。

    P_20190503_115135

    P_20190503_114725

    ビシケクの中心地では、巨大なキルギスの国旗を守るため、衛兵がその麓で番を
    していた。 恐らく、定時になると、ロシアの衛兵交代と同じく、衛兵が交代する
    のだと思う。 この付近が政府機関が集中している地域で、キルギスの心臓部と
    言える。

    【ビシケク中心部】
    P_20190503_114901
    P_20190503_115028
    P_20190503_121819
    P_20190503_122022
    P_20190503_122229
    P_20190503_122759
    P_20190503_123259
    P_20190503_125257
    P_20190503_122703

    トルキスタン (Turkestan / Turkistan) とは、チュルク系民族が居住する中央アジアの
    地域を指す歴史的な地域名称であり、現在のカザフスタン、ウズベキスタン、
    キルギス、タジキスタン、トゥルクメニスタンと中国にまたがっている地域を指す。
    人口順では、ウズベキスタン、中国、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、
    トゥルクメニスタンの順にトルキスタン人の人口の割合が多くなっており、中国の
    新疆ウイグル自治区を「東トルキスタン」と呼ぶこともある。

    P_20190503_121640

    P_20190503_123230

    P_20190503_123715

    ビシケクのソ連時代までの旧名は「フルンゼ」であるため、今でもところどころに、
    このフルンゼの文字が残っている。 ミハイル・フルンゼとは、ソビエト連邦の
    政治家で、ロシア革命前後におけるボリシェヴィキの指導者の一人。 ソ連陸海軍
    人民委員および共和国革命軍事会議議長を務めた人物。 旧ソ連では、革命家の
    名前を採った都市名が多かったのだが、ビシケクもその1つ。 ビシケクという
    都市名は、キルギスの国民酒である馬乳酒を作る時の撹拌器の名前に由来する。

    ビシケク中心部にある遊園地でお腹が空いたため、このハンバーガーを食べたが、
    店員が余りロシア語が上手ではなく、60ソムのことを「600ソムです」と言って
    来たため、「60でしょ?」と返したところ、「ああそうだ」と言って来ましたw
    挙句の果てに、おつりが間違っていたので、突っ込みを入れておきましたww

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    タシケントは、旧ソ連邦内でも第4の都市であったのだが、現在のタシケントは
    旧ソ連時代に拡大したエリアが多く、歴史的建築物は多くは残っていない。
    このため、市内には、余り見る物がないため、とりあえず、地下鉄に乗って街の
    北西部にある昔のタシケントの雰囲気が残るエリアにあるバザールを見に行く
    ことにした。 空港そばにあるホステルからタシケント駅までは、約2キロ、
    徒歩30分の距離。 その前に、無料のホステルの朝食堪能♪ カロリー高めの
    日本の食事と比較しても、ウズベキスタンの食事は素朴なのが良く分かる。

    IMG_20190502_080215_827

    とりあえず、タシケント鉄道駅に到着。 1年前の地球の歩き方を持って来て
    しまったため、「地下鉄内では撮影禁止」との記載があったのだが、気軽に
    写真をバシャバシャ撮っても特に何も言われないため、おかしいと思っていた
    ところ、撮影禁止は昨年解除されたとか。 例え何か言われたとしても、
    こちらは、ロシア語で色々と言い返してやるので、特に問題はないのだがw

    RS=^ADBjuiuJMspcvE9G64jMWYehcmeL9o-

    【タシケントの地下鉄】
    IMG_20190502_123419_595
    IMG_20190502_123330_127
    IMG_20190502_123330_138
    P_20190502_090543
    P_20190502_090631
    P_20190502_091506
    14-w640
    IMG_3912
    P_20190502_094147

    地下鉄ウズベキスタン線のチョルスー駅で降りて、旧市街最大のバザールである
    チョルスー・バザールへと向かいます。 このバザールは、中央アジアでも
    最大規模で、バザール内はとにかく広大。 日用品からお土産、家具まで何でも
    揃うのが特徴、バザールが最も賑わうのは午前中なので、なるべく早めに訪れるのが
    おすすめ。 バザール内は、2年ほど前までは撮影禁止であったが、禁止が解除
    された。

    チョルスー・バザール
    IMG_20190502_123244_395

    IMG_20190502_123058_979

    【チョルスー・バザール】
    P_20190501_131055
    P_20190501_131022
    P_20190501_131326
    P_20190501_131705
    P_20190501_131754
    P_20190501_133327
    P_20190501_133644
    P_20190501_130707
    P_20190501_120607

    再度、タシケント鉄道駅からタシケント空港そばにあるホステルまで徒歩で移動し、
    荷物を持って、再度徒歩でタシケント空港まで移動しました。 タクシーで
    移動してもさほど料金は高くはないのだが、ホステルのおばさんに空港までは
    歩いても15分程度であるため、タクシーを呼ぶよりも、歩いた方が早いと言われた
    ため、景色を楽しみながら、歩いて行くことにした。 ホステル内では、全員
    ロシア語が通じたが、1名だけ、なぜか英語で話したがる従業員がいたため、
    その人とだけは英語で話した。

    次の目的地は、カザフスタンのアルマトイ経由でキルギスのビシケクを目指します。

    【タシケント空港】

    P_20190502_132828P_20190502_132308
    P_20190502_113948
    P_20190502_135213
    P_20190502_134538
    P_20190502_113843
    IMG_20190502_161404_368
    IMG_20190502_161404_360
    IMG_20190430_003343_943

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    サマルカンド観光のハイライトは、中心部にあるレギスタン広場だけではなく、
    実は、シャーヒ・ズィンダ廟群も見所となっている。 この廟群は、11世紀から
    19世紀までの9世紀の間に建造され、現在では20以上の建造物の集合体と
    なっている。

    シャーヒ・ズィンダ廟群
    P_20190501_140326
    P_20190501_142111
    P_20190501_142152

    シャーヒ・ズィンダ廟群
    P_20190501_135604
    P_20190501_140137P_20190501_140411
    P_20190501_140418
    P_20190501_140733
    P_20190501_140853
    P_20190501_141153
    P_20190501_141326
    P_20190501_141600

    シャーヒ・ズィンダ廟群は建物の建つ位置の高さから大きく3つのグループに
    分かれており、これらの建築物はチャルタクと呼ばれる、4つのアーチ状をした
    ドーム型の通路で結ばれている。 当時の建築物の基礎部分や墓石などの主な部分は
    現代まで残っており、建物の大部分は14~15世紀に建設された。 16~19世紀に
    再建築がなされたが、建物の構成や外観は変化していない。

    シャーヒズィンダ廟群に入る際に、入り口に2台あったバンコマート(ATM)で
    現金を引き出そうとしたところ、2台共故障していたため、お金が全く引き出せず、
    係りの人に相談したところ、クレジットカードでも大丈夫と言われたため、窓口で
    カードを渡したところ、そのクレジットカードのターミナルも壊れていたため、
    タダで入って良しと言われましたw

    P_20190501_142032

    サマルカンドは、「青の町」と言われるだけあって、建物は基本的に青が多い。
    手作りで焼かれた陶器を組み合わせて作られた建物は、非常に美しい。 基本的に
    霊廟であるため、ところどころにお墓があり、歴史の深さが感じられた。

    シャーヒ・ズィンダ廟群内部は、どこまでも青く、霊廟の内部はこのような構造に
    なっていのだが、数世紀に渡り増築を繰り返したたため、お墓がむき出しの
    ままとなっている。

    青いタイルの模様を1つづつ見て行くと、こんな感じとなる。
    P_20190501_142254

    市場とシャーヒ・ズィンダ廟群の間には、前ウズベキスタン大統領のカリモフ氏の
    廟所であるハズラティ・ヒズル・モスクがあり、常に参拝者が絶えない。

    ハズラティ・ヒズル・モスク
    P_20190501_134329

    P_20190501_134501

    サマルカンドを後にして、タシケントへと向かいます。 例によって、列車の
    チケットが取れないため、タクシーでの移動。 サマルカンド→タシケントの
    距離は約350kmで、移動時間約5時間、30ユーロ。 今回は、途中でタクシーを
    乗り換えることなく、全て同じタクシーでの移動となりましたが、サマルカンドの
    ホテルに2つ荷物を置いて来てしまったため、その旨をタクシーの運転手に話した
    ところ、速攻で電話を掛けて、後続のタクシーでその荷物を持って来て貰える
    ことになりました♪ 翌朝の早朝に、タシケントのホステルにその荷物が届いて
    おりました。 ウズベキスタンでは、お金で解決出来ない問題はない。
    Byタクシー運転手談w

    サマルカンド駅
    P_20190501_163638

    タシケントは旧ソ連邦の中では、第4の都市であったため、このサマルカンドでも
    バンコマートのATMがそこら中にあるのかと思いきや、なかなかの独裁国家で
    あるため、バンコマートがほとんどない。 よって、お金を引き出すためだけに、
    タクシーに乗る必要性があり、尚且つ、かなり大手の銀行に行かない限りは、
    米ドルの引き出しが出来ない。 最初に行った銀行では、パスポートと仮住所
    登録票が必須であるため、更にタクシーに乗って、大手の銀行に行って下さいと
    言われたため、お金を引き出すのだけでも、3時間程度の時間を要したため、
    ウズベキスタンへ行く際には、現金を必ず用意しましょう。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ウズベキスタンの古都サマルカンドは、シルクロードの要衝として栄えながら、
    13世紀にモンゴル軍の侵攻によって廃墟と化した。 この地を甦えらせたのが、
    一代で大帝国を築き上げた英雄ティムールであった。 ティムールは世界の
    どこにもない美しい都市を目指し建設しようと、各地の遠征先から優れた技術者や
    芸術家たちを連れ帰った。 建物を飾る「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる
    鮮やかな青色タイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生したもの。
    まさに「文化交差路」のサマルカンドは2001年、世界遺産に登録された。

    1212982683756396544

    サマルカンド旧市街にあるレギスタン広場の寺院の中は、現在では、お土産屋と
    なっているものの、これらの建物は、元々は学校で、イスラム建築の粋を結集し、
    この様な豪華絢爛な内装となっている。

    シルクロードの重要交易地であったサマルカンドは、長らくこの地の首都であった
    ため、様々な文化を吸収して、独自の文化となった。 サマルカンドは、元々は
    イスラム文化圏ではなかったそうで、西遊記の元となる「大唐西域記」を記した
    玄奘三蔵(三蔵法師)も実際にこの地を訪れたとか。

    中央アジアでは、ウズベキスタンに限らず、このおじいさんの焼き物が至る
    ところにあるのだが、これは、ユーモアのシンボルだそうで、手に持っている物も
    パン、すいか、弦楽器など、中央アジアを代表する物ばかり。

    1590586471729856512

    サマルカンドで見るべき物は、レギスタン広場だけではなく、その他にも色々と
    見る物があります。 サマルカンドは、紀元前から栄える歴史の古い町であるため、
    街全体が世界遺産に指定されている。

    ヒビニハムモスクは、中央アジア最大のモスクで、たった5年でこの巨大なモスクを
    建設しのだとか。 建設を急ぎ過ぎたため、ところどころ、建物が崩壊しているのが
    難点。。

    ヒビニハムモスク
    1720457181725196288
    3389029702520799232
    6685954797746520064
    5829180226025816064
    5848192452812341248
    4027150195031539712
    2736991016300052480
    1760913389946667008
    6323567825499717632

    中央アジア最大級のモスク、ヒビニハムモスクの真向かいにあるのは、ティムールが
    愛した妻の霊廟。 ヒビニハムモスクの巨大な正面玄関を入ると、西側には
    大モスク、南と北には小モスクがあり、四方にはミナレットが建っている。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    青の都 サマルカンド
    サマルカンドは、街全体が世界遺産に指定されています。 その中心部にある
    レギスタン広場は、イスラム文化の総力を上げて建設された正にイスラムの中心地。
    こちらの入場料は、ウズベク人、CIS国民、外国人のそれぞれの料金体系に分かれて
    おり、ウズベク人が3,000ソム、CIS国民が3万ソム、外国人が4万ソムであった
    ため、当初4万ソムを請求されたが、ロシア語で「ここに3,000ソムと書かれて
    いるのに、何で4万ソムなのか?と訊ねたところ、CIS国民は3万ソムです」と
    言われたため、3万ソムで入場しましたw 旧ソ連圏は、ロシア語が話せると、
    どこに行ってもお得♪

    【レギスタン広場】
    599707464656486400

    6557770455120347136

    4413778924769640448

    レギスタン広場は、「砂の場所」という意味を持っており、広場内には、マドラサ
    神学校が三棟建っている。 向かって左側にはウルグ・ベク・マドラサ、右側に
    シェル・ドル・マドラサ、更に、中央にはティリャー・コリーモスクマドラサが
    建っているが、の内部は現在では全てお土産屋になっており、高い入場料を支払わ
    なければならない割には、博物館はないという矛盾を抱えている。

    この日は、どうもお祭りらしく、レギスタン広場では、学生らによる演奏が行われて
    いました。 レギスタン広場にあるモスクは、現在ではお土産屋として使用されて
    おり、中に入ると、様々なお土産が売られています。 日本人観光客が多いため、
    あちらこちらから「チョットミルダケ」の呼び込みをされますが、これは、
    ウズベク語では、「ソコノカモネギサン オミヤゲイッパイウリツケルワヨ」と
    言う意味なので、無視した方が良いです。

    7284524598580740096

    ウズベキスタンに限らず、この焼き物のおじいさんは、中央アジア全体で
    見られるお土産で、ユーモアの象徴なのだとか。 独特の青の装飾も美しく、
    このおじいさんの焼き物と、いかにもアラブのお土産っぽい雰囲気の物を
    1品づつ購入しました。

    【サマルカンド土産】
    3366967868565487616
    5593476574054711296
    5271903636639711232
    5088513150190354432
    5462248422465601536
    5097146983643086848
    1201356512228802560
    1664092371689668608
    3068250286083538944

    【サマルカンドの歴史】
    ティムールの孫ウルグ・ベクの時代に天文台が築かれて、その当時の建物を含めて
    文化交差点としてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。 1868年に
    中央アジア一帯はロシア軍に占領され、ロシア領トルキスタンに編入された。
    サマルカンドは、元々ブハラと同様イラン系であるペルシア語話者、すなわち、
    タジク人の多い都市であったが、ソビエト連邦時代の1924年、民族的境界画定に
    よりウズベク・ソビエト社会主義共和国に区分され、1930年までサマルカンドが
    その首都であった。

    サマルカンドは、紀元前10世紀こ頃からイラン系民族のオアシス都市として
    発展し、ギリシャ史料では紀元前4世紀にソグド人の都市「マラカンダ」は、
    アレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に近郊の "Sogdian Rock"で
    最後まで抵抗した。

    【サマルカンド】
    5997088764122365952
    6409538798589313024

    45079847611289042944
    4849610121245884416
    4281334318183219200364194440513847296
    8318154580542095360
    3992574325319270400

    1674547782377013248

    712年にクタイバ・イブン・ムスリムによってウマイヤ朝のアラブ連合軍に
    征服され、サマルカンドでのイスラム化が始まった。 イスラム時代を通じて、
    ブハラと並びマーラワーアンナフルの中心都市として発展した。 751年の
    タラス河畔の戦いで捕虜となった製紙職人によって、759年にイスラム世界で
    最初の製紙工場が営まれたのもサマルカンドと伝えられている。

    6900851682515615744

    イスラム教では、偶像崇拝を禁じているのだが、建物の上部に虎の絵があります。
    これは、この建物の建築を指示した皇帝が自分の力を誇示するために書かれた物で、
    現在では、サマルカンドのシンボルとなっています。

    >>トップページに戻る

    Lineで読者登録が出来ます♪

    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ウズベキスタンの移動手段は、タクシーが早くて便利
    ウズベキスタンの観光シーズンは、事前に鉄道のチケットを予約をしておかいないと
    座席がなかなか取れないため、タシケントからタクシーをかっ飛ばして、約600キロ
    離れたブハラまで移動し、3時間ほど観光をした後、更にタクシーで約300キロ
    離れたサマルカンドへと移動しました。 よって、この日1日のタクシーによる
    総移動距離は、900キロを越えました。

    タシケント南駅
    IMG_4185

    【ブハラ】
    IMG_4186
    IMG_4187
    IMG_4188
    IMG_4190
    IMG_4191
    IMG_4192
    IMG_4193
    IMG_4196
    IMG_4197

    シルクロードの交易地 ブハラ
    ブハラは、シルクロードの交易地として繁栄を極めた悠久の都であり、
    旧市街には、今でもそのたたずまいがそのままの状態で残っています。
    完全にイスラムの世界であるため、1日に数回程、お祈りのために全ての
    業務が止まります。

    IMG_4219

    カラーン・ミナレット
    ブハラ観光のハイライト、カラーン・ミナレット。 1127年に建てられた
    カラーン・ミナレットの高さは48mもあり、当時のイスラム建築技術の粋を
    集めて建造されました。  このカラーン・ミナレットは、地球の歩き方の
    表紙にもなっているほど有名な観光地であり、「ミナレット」は「塔」という
    意味。 かつては塔の上に明かりが灯され、砂漠を渡る隊商の道標になって
    いたと伝えられている。 また、戦争の際には敵を発見するための見張り台
    としても使われていた。 カラーン・ミナレットは戦争や地震によって何度か
    破損されたが、その都度修復作業が行われた。 19世紀後半までは罪人を生きた
    まま袋に入れて塔の上から投げ落とす刑が行われていたため、「死の塔」の
    別名でも知られるようになった。

    【カラーン・ミナレット】
    IMG_4210
    IMG_4213
    IMG_4215
    IMG_4217
    IMG_4218
    IMG_4203
    IMG_4205
    IMG_4220
    IMG_4221

    タクシーでの移動
    たった3時間のブハラ観光を終え、ここから更に300キロ離れたサマルカンドを
    目指します。 サマルカンドはブハラからは、乗り合いタクシーで約3時間、
    交渉の結果30ユーロで、バスターミナルが最後のブハラの地となりました。
    ウズベキスタンの白タク運転手は、横の連携が凄いらしく、乗り込んだ車1台で
    サマルカンドまで行くのかと思いきや、途中で2回他のタクシーに乗り換え
    されられました。 その度に、目の前でお金の受け渡しが行われるため、
    人身売買かと思いましたw  最終的に、サマルカンドへ到着したのは、
    午後10時半過ぎであったが、到着時、サマルカンドでは、一部地域で停電が
    発生していたため、ホテルに到着してからは、電気が使えず、そのまま
    就寝しました。。

    IMG_4226

    IMG_4228

    翌朝、テレビを付けたところ、ウズベキスタンでは、何故か熊本と沖縄の
    特集を放送していた。 旧ソ連邦諸国では、日本語の教育が盛んで、
    ウズベキスタンでも小学校から日本語を選択することが出来る程の親日国。
    この日は、サマルカンドの中心部にあるレギスタン広場では、イベントが
    開催されており、色々なアーティストがステージで演奏を行っていました。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    首都ドゥシャンベ
    地球の歩き方にドゥシャンベは、「歩いて回れるコンパクトな街」との
    記載があったため、街を歩いて見ることにした。 ドシャンベのメイン
    ストリートは、個人商店が中心であるため、それなりに活気がある。
    タジキスタンの首都と言っても、人口は68万人程度しかないため、
    歩いて街を全て見て回ることが出来る。

    ドゥシャンベ駅
    IMG_4114

    IMG_4112

    【ドゥシャンベ】
    IMG_4103
    IMG_4104
    IMG_4108
    IMG_4105
    IMG_4106
    IMG_4107
    IMG_4110
    IMG_4111
    IMG_4116

    タジキスタンでは、持参したWiFiルーターの対応国だったのだが、電波が全く
    入らず、しかも、SNSは全てブロックされているため、日本であらかじめ
    インストールしていたVPNを初めて使うこととなった。

    ドゥシャンベは、実はスーツを着た人が多いため、非常にビジネスチックな
    街であった。 海外からのビジネス客も、中国人ばかりで、日本人は1人たり
    とも見掛けなかった。 緑の多いドゥシャンベの街並みは、この場所で
    内戦があったことなど一切感じさせない程穏やかであった。

    ソ連の面影
    旧ソ連内では、自動販売機「ガゾィローフカ」が当たり前の様にあったのだが、
    この自販機は、コップを洗って使い回すというスタイルであるため、通常は、
    マイコップを持ち歩いて使うのだが、ロシアでは、既に完全に姿を消した
    この自販機がタジキスタンでは、まだ現役である事自体、驚きであった。
    タジキスタンでは、この他にも、アイスクリームの「スタカンチク」も普通に
    販売している。

    IMG_4102

    IMG_4117

    ドゥシャンベの街は、想像していたよりも暗い感じはなく、かなり開放的。
    但し、中央アジアは、どこも独裁色が強く、タジキスタンでも、至るところに
    大統領の肖像画が飾られてた。 中心街は、重厚なソ連式の建物が連なって
    いるため、旧ソ連邦内で最もソ連を感じさせる国かも知れない。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    エアー・アスタナ
    カザフスタンのエアー・アスタナでアルマトイからタジキスタンの首都、
    ドゥシャンベへと飛びました。 アルマトイからドゥシャンベまでは、
    1時間半のフライト時間。 機内では、ピロシキとチョコレートの簡単な
    食事が1度だけ提供されましたが、賞味1時間半のフライト時間の場合、
    水平飛行の時間が30分程度しかないため、かなりあっという間の
    フライトでした。 エアー・アスタナは、今回初めて乗りましたが、
    最新の機材を使用しているため、なかなかの乗り心地でした。

    IMG_4066

    IMG_4071

    IMG_4073

    エアー・アスタナの機内にはモニターがないため、機内のキャビンクルーに
    確認したところ、何と!WiFiとスマホを使って、映画を見れるのだとか。
    試しにWiFiに接続をして見たがネットに繋がらないw 機内には色々な
    映画があったのだが、WiFiに接続が出来なかったため、ドゥシャンベ到着
    まで、ぼ~っと過ごしました。 アルマトイを飛び立つ前に、タジキスタンの
    ビザについて質問されましたが、ネットに繋がらないため、ビザを見せ
    られないと空港係員には伝えたものの、その後、問題が発覚しました。

    【ドゥシャンベ】
    IMG_4075
    IMG_4079
    IMG_4081
    IMG_4085
    IMG_4086
    IMG_4087
    IMG_4088
    IMG_4089
    IMG_4090

    ドゥシャンベ空港でのビザ申請手続き
    「ドゥシャンベ」とは、タジク語で、「月曜日」と言う意味で、毎週月曜日に
    市が立っていたため、この様な名前になりました。 中央アジアの中では、
    トゥルクメニスタンと並んで、ビザが必要な国であるため、事前にeビザを
    申請して置いたものの、何かの手違いで、空港到着後、ビザが許可されて
    いない事が判明しました。

    【ドゥシャンベ】
    IMG_4091
    IMG_4092
    IMG_4093
    IMG_4096
    IMG_4097
    IMG_4098
    IMG_4099
    IMG_4100
    IMG_4101

    ドゥシャンベ空港では、ビザの発給手続きがあるため、延々と待たされることと
    なりましたが、そもそも、領事が窓口に居ない。 何をしているのかと窓の中を
    覗き込んで見ると、どうやら、お祈りをしているらしい。 そんなこんなで、
    30分以上も入国に時間が掛かってしまったものの、日本で事前に申請をして
    置いた筈のビザは、その後、ビザのカテゴリー選択間違いのため、発給され
    なかった事が判明。 但し、タジキスタンのビザは、実は空港でも取得出来る
    ため、その場で50米ドルを支払って新しいビザを発給して貰いました。

    IMG_4083

    翌日、メールにて、タジキスタン大使館に、古い方のビザは、キャンセルで
    お願いしますとロシア語と念のため英語で再度メールしたものの、結局のところ、
    こちらのビザがキャンセルになったのかどうかは、未だに分からないまま。
    空港内は撮影禁止だそうで、係員から注意を受けました。

    ドゥシャンベの生活は、思っていたよりも酷くない様子で、スーツ姿で歩いて
    いるため、非常にラフな格好で街中を歩いていたのは、私だけでしたw
    タジク人は、イラン系の人種であるため、カザフ人とは異なり、見た目で既に
    外人だとバレているものの、タジク人は全員ロシア語が話せるため、
    コミュニケーション上で特に問題はありませんでした。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    カザフスタンの首都は?
    カザフスタンの首都は、1996年までは、国内最大都市であるアルマアタに
    ありましたが、その後、アスタナに遷都されたため、首都ではなくなりました。
    その際に、市の名称も日本語では、カザフ語の「アルマトィ」に改められました。
    「アルマアタ」は女性名詞なので、情け容赦なく格変化をするのですが、
    「アルマトィ」は、複数名詞の外来語と同じ扱いになるため、格変化はありません。

    【アルマアタ】
    IMG_4024
    IMG_4025
    IMG_4036
    IMG_4038
    IMG_4040
    IMG_4042
    IMG_4044
    IMG_4045
    IMG_4046

    首都名の変更
    アルマアタは「緑の街」と呼ばれているため、街中に緑が非常に多い。 その後
    乗った白タク運転手の話によると、これらの樹木は1917年の革命前までに植え
    られたとか。 樹齢約100年となるため、この様に大きな街路樹となっております。
    現在のアルマアタは、首都を機械的に移されてしまったため、残った元政府機関は、
    その概ねが、アルマアタ市の巨大な行政機関となっています。 アスタナへの遷都の
    理由は、諸説ありますが、中国との国境に近過ぎるのと、カザフスタンのほぼ中央
    部分に位置しているアスタナの方が、ロシアとの交流を促進するためには適している
    ためと言うのが通説です。 尚、アスタナは、アルマアタからは約1200km北に
    位置しており、つい先日、都市名称が「ヌル・スルタン」へと変更されました。

    【追悼 デニス・テン選手】
    IMG_4047
    IMG_4055
    IMG_4056
    IMG_4058
    IMG_4060
    IMG_4062
    IMG_4063
    IMG_4064
    IMG_4068

    ヴィクトル・ツォイ
    IMG_4019

    何故かアルマアタの街角にヴィクトル・ツォイの銅像がアルマアタの街中に建って
    いますが、この場所にこの銅像がある理由は、この場所で映画のラストシーンが
    撮影されたため。 手に炎を持っているのは、最後のシーンでライターでタバコに
    火をつけたか。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    海南航空で北京からアルマアタへと向かいます。 北京ーアルマアタの
    フライト時間は、約5時間半で、3時間の時差があります。

    カザフスタンのアルマアタは、現在は遷都され、カザフ語のアルマトイへと
    改名されましたが、ロシア語では、今でもアルマアタと呼ばれています。
    アルマアタの意味は「りんごの父親」で、要約すると、「りんごの里」と言う
    意味になります。

    IMG_3993

    IMG_3995

    【アルマアタ】
    IMG_3994
    IMG_4004
    IMG_4005
    IMG_4006
    IMG_4007
    IMG_4009
    IMG_4011
    IMG_4013
    IMG_4014

    カザフスタン共和国は、旧ソ連邦加盟国で、独立国家共同体にも加盟しており、
    ロシアとは、最も友好的な同盟国として、様々な経済協力や関税協定を結んで
    います。 中央アジア諸国は、2018度から、タジキスタンとトゥルクメニスタンを
    除き、ビザが免除となりました。 独立国家共同体内でも、ベラルーシと
    並んで、最もロシア寄りの国であるため、カザフ人の人口の約60%強がロシア語
    ネイティブです。 ロシア語しか喋れない、ロシア語も喋れる、カザフ語でも
    喋れる、カザフ語しか喋れないの合計4パターンがおりますが、ロシア語理解率は
    100%であるため、カザフでは、ロシア語で話し掛けて何ら問題はありません。

    IMG_3996

    IMG_4000

    尚、この日は、アルマアタ空港に到着したのが午後11時半過ぎで、そのまま宿の方に
    向かったところ、既に施設自体が閉まっていたため、急遽、Booking.comで他の
    施設を予約しました。 アルマアタ中心部にあるこのホステルは24時間営業で、
    1泊600円程度でした。 受付のおねえさんはロシア語ネイティブだったので、
    最後に、記念撮影をお願いしますと言われたため、とりあえず、写真に
    おさまりましたw

    【アルマアタ】
    IMG_4016
    IMG_4017
    IMG_4018
    IMG_4019
    IMG_4020
    IMG_4021
    IMG_4023
    IMG_4037
    IMG_4039

    アルマアタでホステルに到着したのは午前0時30分過ぎであったものの、日本とは
    4時間の時差があるため、現地時間午前6時にはもう目が覚めました。 よって、
    早朝からデニス・テン選手の殺害現場へと向かいます。 元々、予約を入れていた
    ホステルの方が、その現場には近かったものの、到着時に既に夜中であったため、
    閉鎖されており、約1.5km離れた別の施設に泊まりました。 よって、その施設に
    泊まっていなければ、これらの景色は見れなかった事になります。

    ソ連からの独立後は、路上の表示も、カザフ語にみになった場所が多く、パッと見
    では、何を書いてあるのかが分かりません。。 ロシア語も併記してくれないと、
    ロシア語しか分からない人も多いため、困ると思います。。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ