デンマークが経済回復の努力を続けている間に、ヨーロッパ諸国は再度の
大戦への道を歩み続けた。 ドイツの指導者アドルフ・ヒットラーは、ドイツの
軍備を再建し、デンマークに対する脅威となった。 デンマーク政府は、紛争を
避けるため、1939年、ドイツと協定を結び、互いに攻撃しないことを約束した。
1939年、第二次世界大戦が勃発して、ドイツはイギリスと戦端を開いた。
デンマークは中立を宣言したが、ドイツには先の協定を尊重する意志はなかった。
1940年4月、ドイツ軍はユトランド半島を占領した。 デンマークがイギリスから
攻撃されるのを保護するという名目だった。 デンマーク人が協力するならば、
内政には干渉しないとドイツ政府は約束した。
戦争が長引くにつれて、デンマーク国民はドイツ占領への反感を募らせた。
一部の人々はデモを行い、また一部の人々は、ドイツ系の企業でサボタージュを
始めた。1943年8月、デンマーク政府は、ドイツに対してこれ以上協力するのを
拒否し、ドイツ側は国土を摂取した。 1945年5月、ドイツは敗北し、
ドイツ軍によるデンマーク占領は終わった。
デンマークは、戦争によって国土を破壊されることはなかったが、経済は
弱体化し、アメリカ合衆国は産業復興のために資金を提供した。 デンマークは、
この資金で国際貿易を再開した。
1953年、新しい憲法が制定されて議会は一院制となり、女性の王族が王位に就く
ことが出来るようになった。 デンマークは、国際連合に加盟し、また、NATO
(北大西洋条約機構)にも加盟した。 NATOは防衛的な性格とは言え、軍事
機構であり、これに加盟したことは、この国の伝統的な中立政策の転換を
意味した。
1952年、デンマークは、ノルディック評議会の創立に参加した。 これは、
スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドも加わっている。
経済と社会と文化に関する協力機関である。 1960年、デンマークはEFTA
(欧州自由貿易連合)に加盟した。 これはEC(欧州共同体)に参加して
いない国々で構成した貿易気候である。
1970年までにデンマークは、世界最高の生活水準を達成した。 福祉制度に
よって高齢者、障害者、失業者を含む全てのデンマーク国民は、生活を維持する
だけの所得を保証されている。 全ての段階で、教育を無料で受ける制度も
定められた。 また、全てのデンマーク人が、無料で医療を受けられる制度も
確立した。
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