多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
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    カテゴリ:西ヨーロッパ > イギリス・アイルランド

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    ジブラルタル
    スペイン最南端にあるアンヘシーラスからバスに乗り、イギリス領の
    ジブラルタルへと向かいます。 アンヘシーラス駅前にあるバスターミナルから
    ジブラルタルへは、直接行く事が出来ないため、ジブラルタルとの国境の
    手前までバスで行き、そこから5分ほど歩いて国境を越えます。

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    同じEUとは言え、イギリスはEUからの離脱を表明しているため、この国境は
    なくなるどころか、更に強化されるのでしょう。 スペイン政府は、
    このジブラルタルを返還するよう求めていますが、イギリスが全く
    応じないのだとか。

    ジブラルタルは、イギリス領であるため、使用通貨はポンドですが、実際は、
    ほぼスペイン領であるため、ユーロも普通に使うことが出来ます。

    【ジブラルタル】
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    ジブラルタルは、8世紀よりムーア人、レコンキスタ後はカスティーリャ王国、
    16世紀よりスペイン、18世紀よりイギリスの占領下にあるが、その領有権を巡り
    今もイギリスとスペインの間に争いがある。

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    モハーの断崖へはツアー参加がお勧め
    ダブリンからバスで3時間半程離れたアイルランド島の反対側にある
    ゴールウェー、更には、その先にある風光明媚な景勝地、モハーの断崖までの
    ツアーに参加しました。 当初は、自力でモハーの断崖まで行こうかと考えて
    いたものの、調べたところ、バスの本数が全体的に少なく、ツアーの方が効率
    良く回れるため、ツアーでこの地を訪れることにしましたが、西アイルランドの
    主な見所を概ね見て回れたため、非常に大満足の旅でした。

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    ゴールウェイ
    西アイルランド中心都市ゴールウェイの中心部は、まだまだクリスマスの
    飾り付けが残っていました。 軽いツアーガイドによる街の案内に続き、1時間の
    フリータイムとなります。 ゴールウェイ市自体は、人口7万人弱の小さな街で
    あるため、歩いて回ってちょうどの大きさの街でした。

    【ゴールウェイ中心部】
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    聖ニコラス・アングリカン教会は、アイルランドに現存する中世の最大の教会で、
    西アイルランドにおけるカトリック教会の中心的な存在。 ヨーロッパは、基本的に
    街中に必ず教会があり、そこから中心部が形成されているため、生活と宗教が密接に
    つながっていることが良く分かります。 質素なプロテスタントの教会とは異なり、
    カトリックの教会は、豪華絢爛な装飾があるため、一目で見分けることができます。

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    ゴールウェイからモハーの断崖へと移動中に、車窓から古城が幾つか見えました。
    アイルランドでは、主に英語を使用していますが、この付近では、伝統的に今でも
    ゲール語が話されているそうです。 尚、アイルランドの海岸沿いには、断崖絶壁が
    複数ありますが、それらの場所では、あの「スターウォーズ」の撮影が頻繁に
    行われていたそうです。

    モハーの断崖
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    ゴールウェイから更に45分程度南下した西アイルランド屈指の景勝地、
    モハーの断崖。 断崖沿いに柵がありますが、半分以上の人達が、柵の外側を
    歩いていたため、真似して外側を歩いて見ましたが、日本だったら、間違いなく
    自殺の名所になると思いましたw 日本では、この様な場所は、日本海側に多く
    ありますが、太平洋側には余りないと思います。

    【モハーの断崖】
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    モハーの断崖からダブリンに戻る途中で、アイリッシュパブのお店に立ち寄り、
    1時間ほどの小休止時間となりました。 アイルランドでは、「シードル」の事を
    何故か「サイダー」と言います。

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    大晦日のダブリンは、幾分せわしない雰囲気でしたが、街を彩るイルミネーションが
    綺麗なものの、その後の年越しの際には、花火が多少上がった程度で、物足りない
    感じがしました。

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    北アイルランド、ベルファストへの旅
    北アイルランドは、イギリス領内にあるため、街並みが、全体的にイギリス風。
    鉄道に乗って両国の国境を越える際には、、国境でのパスポートのチェックはなく、
    特に何の手続きもなしで、そのまますんなりと入国することが出来ます。

    現在でもイギリスに属している「北アイルランド」とは、アイルランド島北東に
    位置するアルスター地方9州の内の6州を指しており、残りの3州はアイルランドに
    属しています。

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    人口約34万人のベルファストは、北アイルランドの中心都市であり、1920年に
    成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに
    自治権が付与されました。 その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約で
    ある英愛条約に基づいて、南部26州によりアイルランド自由国が建国され、
    イギリスから独立した際には、北アイルランドもアイルランドに含まれて
    いましたが、アイルランドで内戦が始まったため、北アイルランド議会は
    アイルランドからの離脱を表明してイギリスに留まることになりました。

    【ベルファスト】
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    アイルランドと北アイルランドが分裂した理由は、宗教的な対立が原因でしたが、
    アイルランド国内はカトリックが多数派、北アイルランドはプロテスタントが
    多数派となっています。 このため、ベルファスト市内でも、両教徒による対立が
    非常に激しくなっており、それぞれの住民たちが自分たちを守るための「壁」を
    造って完全に住み分けを行うことにより、平和が保たれています。

    【ベルファストの夜】
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    北アイルランド紛争
    北アイルランド紛争とは、1968年10月に少数派カトリック系住民の差別撤廃を
    目指す公民権運動が、プロテスタント系住民と衝突して以来、尖鋭化して起こった
    一連の事件であり、街中には、カトリック系住民とプロテスタント系住民を隔てる
    壁が今でも存在しています。 1990年代後半に紛争が沈静化するまでに犠牲と
    なった人達の数は、カトリック、プロテスタント双方でおよそ3,500人と言われて
    います。 北アイルランドでは、今でもカトリック系住民に対する差別が
    続いており、就労時には非常に苦労するのだとか。

    【対立の壁】
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    豪華客船タイタニック博物館
    実は、タイタニック号は、ベルファストで造船されたため、この地で進水式を
    行っています。 ベルファストを出航したタイタニック号は、その後の処女航海で、
    巨大な氷山に衝突し、そのまま海中へと沈没しました。

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    タイタニック博物館のすぐ目の前にある巨大ドックヤードに完成したばかりの
    タイタニック号がしばらく係留されていたが、この時代の豪華客船は、競うように
    巨大化が進み、どんどん船体が大きくなって行ったそうです。 

    ベルファストから出航したタイタニック号は、ニューヨーク行きでしたが、
    大西洋上での沈没による犠牲者数は、乗員乗客合わせて1,513人余りとなり、
    戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故でした。

    【タイタニック博物館】
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    博物館内には、豪華客船タイタニック号の船内を再現した展示が多数ありますが、
    船体には、当時としては最も高度な安全対策が施されていました。 このため、
    船底が二重になっており、船体も水面上までの高さがある防水隔壁で16の区画に
    区分され、そのうちの2区画に浸水しても沈没しない構造になっていました。
    15cm以上の浸水で自動閉鎖される機能も備わっていたため「不沈船」として
    喧伝されました。

    タイタニック号沈没時には、乗客はこの救命ボートで脱出しましたが、乗員が定員に
    満たぬうちに船から離れた救命ボートが多く、結果として、1,500人もの乗員乗客が
    船に取り残される状況となりました。 浸水の影響で、タイタニックの船首は
    海没して行き、反対に船尾が海面から高く持ち上がって行ったため、衝突から
    2時間40分後、轟音と共に船体は2つに折れ、船首側がまず沈没し、残った船尾側は
    やや遅れて沈みました。

    【タイタニックの最後】
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    救命ボートの転覆を恐れたため、沈没後に救助に向かったボートはわずか1隻
    でした。 準備を整えて救助に向かった時、沈没から既に30分が経過して
    いましたが、4月の大西洋はまだ水温が低く、人々が投げ出された海は零下2度の
    冷たさで、乗客の大半は低体温症などで数十分〜20分程度で死亡したか、または
    心臓麻痺で数分のうちに死亡したと考えられています。

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    ダブリン空港から市中心部までの交通
    ダブリン空港は、市内中心部から約10km北に位置しているため、まずは、
    空港から市内へと移動しなければなりません。 アイルランドでは、
    「バス」のことを何故か「コーチ」と言うため、空港シャトルバスのことを
    エア・コーチ」と言います。

    料金は、空港から市中心部のオコンネル通りまでが片道で€6、往復で€11.50と
    なります。 このバスは24時間運行であるため、遅い時間にダブリンに到着しても、
    700番の「エア・コーチ」を利用することが出来ます。 チケットは到着ロビーの
    ショップや券売機もしくは乗車時にスタッフから購入することが出来ます。

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    ダブリンの住民は、基本的に、英語だけで話しているものの、道路標識等には、
    ゲール語での併記が必ずあります。 但し、それらしき言葉は聞こえて
    来なかったため、ウクライナやベラルーシ等と言語事情が似ているのだと
    理解出来ました。 余り普及していない言語を併記しても、さほど意味は
    ないと思いますが、特に、言語のネイティブ化には、数十年以上もの歳月が
    掛かるため、どちらか1方のみの表記でも良いと思います。

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    やはり、ゲール語は、ゲルマン語ではなく、ケルト語であるため、歴史的に見ても、
    それなりの誇りがあるのだと思います。 基本的にアイルランドの英語は、
    イギリス英語と同じではあるものの、時折、アイルランド独特の訛りも感じられ
    ました。

    【ダブリン空港→オコンネル通り付近】
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    翌日の早朝より、ダブリン観光を開始しました。 アイルランド国鉄は、
    日本国内からでも予約をすることが出来るものの、発券は窓口ではなく、
    発券機からのみ行うことが出来ます。 とりあえず、コノリー駅で日本から
    予約をしてある列車のチケットを発券し、そのまま観光へと繰り出しましたが、
    その後、その電車には乗り遅れましたw

    ダブリンの主な見所
    聖パトリック教会 Saint Patrick's Cathedral
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    聖パトリック教会は、元々は1191年に建設された伝統ある教会で、
    アイルランドで最も大きな教会となっている。 アイルランド最初の大学も
    この教会にあり、ガリバー旅行記の作者、スウィフトが18世紀に司祭をしていた
    ことでも知られており、当時使った説教壇が今でも残っている。 建設当初は
    ローマ・カトリックの教会として建設されたが、現在はアイルランド国教会の
    大聖堂となっており、ゴシック様式の尖塔が目印となっている。

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    教会の内に入場するためには、8ユーロ(約1,000円)の入場料が必要となる
    ものの、入場時に手渡されるレシートさえ持っていれば、別の日にも入場が可能と
    なっているため、このレシートは、紛失しないように大切に保管した方がお得。

    聖パトリック教会
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    アイルランド最古のトリニティ・カレッジ (ダブリン大学) Trinity College Dublin
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    正式名称は、「ダブリンにおけるエリザベス女王の神聖にして分割されざる三位
    一体大学」で、オックスフォード大学やケンブリッジ大学と並んで、英語圏最古の
    7大学の一つとなっている。 キャンパス内には、エジプト時代のパピルスを
    はじめ、1200年前につくられた「ケルズの書」があり、世界で最も美しい本と
    呼ばれています。

    ダブリン大学
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    早朝にコノリー駅でベルファスト行きのチケットを発券したものの、残念ながら、
    聖パトリック大聖堂を見た後に、道に迷ってしまったため、予約済みの電車には
    乗れず、早速、窓口で予約変更の旨を係員に伝えたところ、予定変更はオンライン
    のみからしか出来ないことが判明しました。

    コノリー駅
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    面倒なので、窓口の係員にスマホを手渡して、予約のキャンセルをお願いした
    ところ、係員も何度かキャンセルの操作をしてみたものの、どうやら無理だと
    悟ったらしく、「車内に居る車掌に直接予約の変更を申し出て下さい」と
    言われたため、そのままこの電車に乗り込みましたが、全席指定席の筈が、
    車内では特に何も言われなかったため、そのままベルファストまで何の問題も
    なく乗車出来ました。

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    英ロンドン西部の24階建て高層住宅で14日未明に発生した大規模火災で、近隣
    住民らは、安全性への懸念が以前からあったにもかかわらず、富裕層が住む地域
    ではないため無視されてきたと、憤りをあらわにしている。

    火災が起きたグレンフェル・タワーの入居者団体の元会長、ダミアン・コリンズ氏は
    AFPの取材に対し、住民らは昨年完了した同タワーの大規模改装の対処について
    地元議会に苦情を申し立てていたと説明。「私たちは、実際に悲劇が起きないと
    皆の目は覚めないし、ビル管理者が責任を問われることもないと言っていた」と
    述べた。

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    コリンズ氏によると、入居者らは建物内の火災非常口が足りないことを特に懸念
    していた。 また、暖房と照明システムにも欠陥があり、改善を求める2015年の
    請願書に住民の90%が署名したが、それも無視されたと述べた。

    グレンフェル・タワーは1974年建築のコンクリート製高層ビル。昨年、総額870万
    ポンド(約12億円)の改装を終えたばかりで、住民はこの改装の際に使われた
    新たな外装材が火事を広げた原因となったと批判している。

    近隣住民の男性(46)は、同地域の住民は自力に頼ることが習慣になっている
    と語る。 男性は住民が過去に何度も苦情を申し立てていたことを指摘し、
    「もしこれが(高級地区の)ナイツブリッジ近くで起きていたら、既に解決し、
    問題にはならなかっただろう」と述べた。

    この建物は公営住宅として造られた。大部分が高級地区となっているケンジントン&
    チェルシー王立区内の労働者階級地域に位置するが、同地域は急速に高級化
    している。

    住民団体「グレンフェル・アクション・グループ」のメンバーで、自身も長い間
    苦情を申し入れ続けていたというエディーさん(55)はAFPの取材に対し、
    タワーの基礎構造に特に懸念を抱いていたと説明。この構造により、消防車の
    通行が阻害されたと主張した。

    「これは大量殺人であり、責任者はこのコミュニティーに対する扱いについて、
    裁判にかけられるべきだ」(エディーさん)

    出典: AFP

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    ハイドパークは、ヘンリー8世が鹿狩りのためにウェストミンスター寺院から
    入手したものであり、その最古の一角は、イーバリー卿の荘園跡であった。
    この荘園は、広さが当時の土地の単位で1ハイドであったことから、これが公園の
    名の由来となったと言われている。

    ハイドパークは、ウェスト・キャリッジ・ドライブと呼ばれる道路1本を隔てて
    ケンジントンガーデンはと一続きになって、ロンドンの真ん中に広大な緑地を
    提供している。 ケンジントンガーデンは、元々、ハイドパークの一部であった
    ものを1689年にウィリアム3世と王妃メアリとがケンジントン宮殿に移り住んだ
    際に、ハイドパークから分離して造ったものである。

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    ハイドパークはまた、1851年には万国博覧会が開催された事でも良く知られて
    いるが、とりわけ有名なのは、公園の北東角のマーブルアーチとスピーカーズ
    コーナーである。 現在、マーブルアーチの建っている近くには、18世紀まで
    タイバーンの処刑場があり、見せしめのために残酷な処刑が行われたが、人々は
    あたかも見世物でも見物するかのようにそうし絞首刑を見に行った。

    19世紀半ば頃からハイドパークは、労働者たちの集会の場所となっていたが、
    そのような中デスピーカーズコーナーは自由な演説と集会の保証された場所と
    考えられるようになり、イギリスの言論の自由を体現した象徴的な場所であると
    考えられた。 かつては、マルクスやレーニンといった革命家やジョージ・
    オーウェルなどのジャーナリストなどもスピーカーズコーナーで演説をした事が
    あるが、現在では、日曜日に脚立や木箱を演台にして色々な人が好き勝手な
    話をしており、それを観光客がとりまいて面白がっている光景が見られる。

    Hydepark1

    【お勧めの一品】


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    英語の歴史は1500年以上にも及ぶ。 5世紀にアングロ・サクソン人たちによって
    イングランドにもたらされた英語は、イングランド全域に定着するだけでも1000年
    以上の歳月を要している。 イギリス諸島を離れて本格的に海外進出を始めたのは
    17世紀初頭になってからのこと。

    英国史上に残る様々な出来事は、英語の伝播においてもターニングポイントと
    なった。 1066年のノルマン征服を境にアングロ・サクソン人による支配が
    終わりを告げ、フランス出身の王たちがイングランドを支配するようになる。
    フランス語およびラテン語が公的な言語となり、標準語として徐々に発達しつつ
    あった英語は、一転して庶民の使う日常語という地位に甘んじることになった。

    しかし英仏百年戦争(1337~1453)によって、フランス語への敵意と、英語が自国語
    であるという意識が芽生えてくる。そして16世紀頃になると宗教改革が起こり、
    格調高いが専門家しか理解できないラテン語の書物よりも、多少拙くとも誰にでも
    わかる土着語による書物が重んじられ始めた。 さらに印刷技術の普及も相まって
    英語の「社会進出」は加速して行く。 

    そんな個々のプロセスから、さらに一歩視点を下げて大きな流れを見て行くと、
    他の言語から取り入れられた「借用語」が英語発展の鍵になっていることがわかる。

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    英語で洗練された文章を書こうとすると、語彙不足のために満足な表現ができない
    ことが度々あったため、表現力不足を解消する1つの方法として作家や翻訳家たちが
    行っていたのが、外国語から語彙を借用することだった。

    フランスからの借用語は政治や宗教、軍事、ファッション、食文化、学問などに
    関するものが多く、ギリシア語は専門的で高度な語が多い。 ラテン語は借用の
    時期によって傾向が全く異なる。 至るところで、おなじみの単語の意外な
    ルーツに出くわす。 語彙の乏しさによる劣等感をバネに、英語が他の言語を
    巻き込みながらうねるように広まっていた様子が分かる。

    国際標準語として不動の地位を確立した英語。 メインの言語として話す
    「母語話者」がいない会話でも使われるほど、その影響力は大きい。だが元を
    辿れば、英語にも北ヨーロッパの片田舎で使われる言語に過ぎなかった時代がある。

    オランダやドイツの一部地域で使われる、フリジア語という言語があるそうだ。
    現在の話者は約50万人で、そのほとんどがオランダ語あるいはドイツ語との
    二言語併用者である。 実は、フリジア語と英語それぞれの元になった言語は、
    隣り合う地域で使われる方言同士だった。 英語史を勉強すると、英語と最も
    系統の近い言語としてフリジア語の名が出されるという。

    地理的にも言語的にも事実上同じところから出発したと言っていいような言語が、
    片や世界的な存在に、片や母語話者もほとんどいない状態になっているのは、
    英語史を紐解く上で、非常に興味深い。

    【お勧めの一冊】


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    【古英語とバイキングの侵入】
     現代英語の元となった古英語は、実は、アングル族が持ち込んで来た言語
    であり、アングロサクソン人が1100年頃まで使っていた言葉である。 つまり、
    系統的には、インド・ヨーロッパ語族の中の西ゲルマン語群に属する言葉と
    なっている。 現代英語の基礎的な単語は、その殆んどが、アングロサクソンの
    言葉であると考えて差し支えない。

    やがて、紀元前597年には聖オーガスティンがケント州からキリスト教の布教を
    開始、イギリスがキリスト教化するに伴って、キリスト教に関連した多くの
    ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語起源の語彙が英語の中に入って来た。

    8世紀に入ると、バイキングと呼ばれる人々がスカンジナビアからイギリスへと
    侵入して来る。 彼らもまた、ゲルマン民族の一派であったが、彼らの言葉は
    同じゲルマン語でも北ゲルマン語群に属していた。 彼らは先住のアングロ
    サクソン人と激しい戦いを繰り広げた後、ローマ人の築いたウォトリング街道の
    北東部に定住することとなった。 その結果、その地域は、デーンロー地域と
    呼ばれ、現在もスカンジナビア起源の地名が残っている。 現代英語の中にも
    900語ほどスカンジナビア起源の語彙が残っている。

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    【フランス語の侵入】

    バイキングは、フランスのノルマンディーに国を建て、彼らは、やがて文化的には
    フランスに融合し、言葉もフランス語を用いるようになって行った。 1066年
    には、ノルマンディー公ウィリアムが、イギリスに侵入し、ヘイスティングスの
    戦いにおいて、ハロルド王を打ち破ってイギリスの王位に就いた。 いわゆる、
    ノルマン征服王朝の成立である。 この時、ウィリアムは、国政と宗教の主な
    ポストには、全てフランスから連れて来た家臣をあてたので、以後数世紀に
    渡って、イギリスの重要なポストには、フランス語を母国語とする人々で占め
    られることとなった。

    国王も例外ではなく、ハロルド王以後は、ほぼ300年の間、英語を用いる王は
    居なかった。 そして、この間に、英語は実に多くのフランス語の語彙が入った。
    それは、ちょうど今日の日本語に、本来、日本語にあった大和言葉と漢語と
    呼ばれる中国語が混在している状況と良く似ている。 日本語の中に漢語に
    あたるものが英語ではフランス語やラテン語となっている。

    englischea

    【英語の復活から世界支配へ】

    しかし、ウィリアムと共にイギリスへ渡って来た支配階層も、時が経つに連れて、
    土地の女性と結婚し、生まれて来る子供の世話をする乳母にも土地の女性を雇う
    などしているうちに、次第にフランス語を失って行った。 やがて、13世紀に
    入ると、中世英語で書かれた詩なども出て来るようになり、1337年にフランスとの
    間に百年戦争が起こると、英語に対する意識が急激に高まり、1362年には、議会の
    開会宣言が初めて英語で行われた。

    やがて、15~16世紀になると、現在の英語に近い近代英語が成立し、
    シェイクスピアを初めとする英文学史上でも良く知られた人々の活躍が始まる。
    ちょうどこの頃、ヨーロッパでは大航海時代が始まり、コロンブスがアメリカ
    大陸へ到達し、やがて英語を話す人々は、北アメリカ大陸へも移住を始めた。
    こうした歴史を反映して、アメリカの英語の中には、実は、シェイクスピアの
    時代のイギリス英語に近いものが残っていることがある。

    もちろん、近代的なテクノロジーや音楽、映画などの娯楽産業、それに政治、
    経済の先進国であるアメリカで生まれた言葉がイギリスに逆輸入されることも
    多いが、現代アメリカ英語の発音や、日常会話の語彙の中には、イギリスの
    この時代の発音や語彙が残っていることがあり、人々は、それとは知らずに
    使っていることが良くある。

    近代に入ってイギリスが広大な植民地を建設した結果、英語はアメリカ大陸のみ
    ならず、アジアやアフリカからオセアニアまで世界中の広い地域で使われるように
    なった。 そして、現在では、互いに英語を母語としない人々の間でも国際的な
    共通語の言語として使われている。

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    【英語はドイツ語の兄弟】
    今や英語が国際語であることを疑う人はいない。 それどころか、子供を国際人に
    育てると証して、何の疑いもなく小学生から英語教育を行おうとしている。
    しかしながら、English がアングル族の言葉を意味する Englisc を語源とすること
    からも分かるように、英語は、ブリテン島のイングランドとスコットランドの
    低地地方で話される地域的な言葉でしかなかった。

    更に、近世に入るまでは、ラテン語やフランス語に比べて、その地位も低く
    見られており、神の言葉である聖書は、英語には翻訳出来ないという議論まで
    あった程である。 英語が国際語としての現在の地位を確立するまでには、
    その過程で征服や侵略や植民地化の歴史、そして辛く悲しい移民の歴史があった
    のである。

    英語の歴史的研究も、18世紀になって当時イギリスの植民地であったインドに
    駐在していたひとりのイギリス人判事ウィリアム・ジョーンズ卿の講演から
    始まったに過ぎない。

    ウィリアム・ジョーンズ卿は、古いインドの言葉であるサンスクリット語(梵語)を
    研究し、サンスクリット語とラテン語それにギリシャ語の類似性に気が付いた。
    そして、1786年には、『これらの言語は、現在では既に消滅した共通の言語から
    枝分かれしたものである』ことを示唆する講演を行った。

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    これは、現在インドからヨーロッパに掛けての広大な地域で話されている様々な
    言葉は、実は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれるひとつの言語グループに
    分類されうること、そして、そのインド・ヨーロッパ語族には、その元になった
    古い言葉、いわゆる『印欧祖語』と呼ばれる言語が存在したことが想定されうる
    という、驚くべき事実の発見であった。

    英語は勿論このインド・ヨーロッパ語族に属しており、その中でも、ドイツ語、
    オランダ語、フリースランド語などと同じく、ゲルマン語派の中の西ゲルマン語群
    に属している。 つまり、英語は、ドイツ語やオランダ語、それに、オランダの
    北西の沖合いに浮かぶ列島フリースランド地域で現在30万人程の人が話すだけに
    なったフリースランド語などと兄弟の言葉なのである。

    フランスの言葉や文化の影響をイギリスに持ち込んだ1066年のノルマン征服が
    なければ、現在のイギリス人は恐らく、オランダ語のような言葉を話していただ
    ろうとまで言われている。

    そもそも、最初にブリテン島に住んだのは、インド・ヨーロッパ語族の中でも、
    ケルト系の言葉を話すブリトン族であった。 その後、ブリテン島を支配して
    いたローマが、5世紀になって、ブリテン島から引き上げると、アングル族、
    サクソン族、ジュート族などのゲルマン民族が現在のデンマークや北海沿岸の
    ドイツからブリテン島へと渡って来た。 この時の様子は、『アングロ・サクソン
    年代記』という古い書物などによって、うかがい知ることが出来る。

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    モスクワ経由のアエロフロート・ロシア国際航空で、ロンドンへ海外出張に行って
    来た。 成田空港から、モスクワまでは、約11時間の空の旅。 ソ連時代からある
    アエロフロートは、最新鋭のエアバスを使用しているため、モニター、USB
    コネクター、WiFi、美人キャビンアテンダント付きとなっております☆

    動物愛護の国であるため、アエロフロートの機内には、大型犬も機内持ち込み
    可能。 実際に、猫を機内に持ち込んだことがあるのだが、キャビン
    アテンダント達も非常に親切で、水を持って来て貰ったことがある。 猫を
    ひざの上に乗せていても周囲からも全く文句は言われない。

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    アエロフロートは、かつては、エコノミークラスの更に下のY2クラスに分類
    されていたのだが、今ではサービスにおいても、JALやANAを抜き去り、
    ヨーロッパへの最短ルートとなっている。

    途中、機内食は2回出るのだが、キャビンアテンダントに言えば、飲み物は
    何度でも無料で貰える。 WiFi使用料は30ドル。 英語とロシア語のみで
    その情報が記載されているため、何れかの言語を読めない限り、使えない。
    機内では、ロシア語と英語でもアナウンスしていたが、日本語でのWiFiの案内は
    なかった。 アエロフロートの機内食は、大体、肉か魚を選べる。



    ソ連の時代のアエロフロートは、キャビンアテンダントが国外に勝手に逃げては
    困るという理由により、熊のような体格の女性ばかりがキャビンアテンダントを
    務めていたが、時代は代わり、美人ばかりを取り揃えてサービスを行っている。
    尚、ソ連時代のアエロフロートは、機内はもちろんの事、シベリア上空を通過する
    際にも写真撮影禁止だった。 機内で撮影しているところを見つかると、フィルムを
    取り上げられた時代だった。 機内なのに、雨漏りがするとかも普通で、キャビン
    アテンダントが、ガムテープで応急処置をするという凄まじい時代でもあった。

    成田空港からものの2時間でロシア領内に入り、そこから9時間ロシア国内を飛ぶ
    こととなる。 中国領内を迂回して、ハバロフスク上空からロシア領に入るのだが、
    比較的北側を飛ぶため、上空から見える景色は、かなり寒々しいものとなっている。

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    約11時間の空の旅の後、モスクワ・シェレメーチェヴォ空港ターミナルDに到着。
    ソ連時代は、このターミナルDはシェメーチェボ第二空港という名前だった。
    但し、建物はその時代とまったく同じ。 トランジットと言えども、空港内から
    外に出る際には、ビザが必須であるため、今回は空港の外には出ずに、ロンドン
    行きの飛行機を待つことにした。

    ロシアでは、2回用の入国ビザを所持していたため、降りようと思えば降りられた
    のだが、シェレメーチェヴォ空港は、中心部にあるベラルーシ駅まで特急で40分
    掛かるため、帰りにモスクワで降りようと考えていたところ、肝心の帰りの
    飛行機が3時間以上も遅れたため、結局、この後、モスクワでは降りられない
    こととなった。 尚、モスクワ・シェレメーチェヴォ空港では、英語での表記は
    かろうじてあるものの、係員は誰も英語を喋れない。

    シェレメーチェヴォ空港では、トランジットとは言え、パスポートと荷物の
    チェックがあるため、黄色い看板に従って進み、全てのチェックをうけなければ
    ならない。 一応英語表記もあるのだが、昔はロシア語のみの表記であった。
    相当適当な成田空港のパスポートチェックとは異なり、ロシアのチェックは
    かなり厳しいため、変な物を持ち込むと、ここで全て没収されることとなる。



    一昔前までは、手荷物を預けると、出て来ないのが当たり前であったため、空港には
    サランラップのお化けのようなものがあったのだが、今では、普通に荷物が出て
    来るようになった。 そもそも、アエロフロートの職員自体が泥棒という、
    やった者勝ちの航空会社だった。 郵便局も同様で、荷物をEMSで送っても
    届かないのが当たり前だった。

    パスポートコントロールを抜けて、モスクワ・シェレメーチェヴォ空港の
    トランジットラウンジに到着。 お土産が色々と販売されているのだが、実は、
    この価格は、通常の市場の10倍ぐらいのぼったくり値段。 この3週間後に、
    ロシア連邦にあるウドムルト共和国とタタルスタン共和国に行ったのだが、
    シェレメーチェヴォ空港は、完全に0が一個多かった。

    ロシア人の間でも、シェレメーチェヴォ空港は、両替のレートがあり得ない
    ぐらい高いともっぱらの噂になっているので、空港での換金は、必要最低限に
    しおき、ベラルーシ駅に着いてから両替した方が賢い。

    ロシアでは、プーチン氏の人気が非常に高いということで、様々な大統領グッズが
    販売されていた。 ロシア土産の2大名物と言えば、マトリョーシカと
    シカトゥールカ。 マトリョーシカは、こけしのような木工細工で、
    シカトゥールカは、木で作った小箱に装飾を施したもの。 ロシア軍の
    ちょっとした軍服のようなものも人気。 また、ロシアでは、チェスも非常に
    人気がある。 日本ではチェスはゲームだが、ロシアではスポーツという
    括りになっているため、ロシア人の誰に訊ねても、チェスはスポーツだと
    答えるであろう。 

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    モスクワで乗り換え時間約3時間の後、再度、アエロフロートでロンドン・
    ヒースロー空港へと飛び立った。 ヒースロー空港の地下には地下鉄が通っており、
    ロンドンの中心地まで一本で行くことが出来るのだが、この地下鉄が建設から
    既に100年以上経過しているため、あちこちで工事中。 この日は、ロンドン
    時間の夜の10時過ぎに到着したが、ピカデリーラインの途中駅で全員が地下鉄から
    降ろされ、バスでセントラルラインの終点駅、イーリング・ブロードウェイ駅まで
    強制的に連れて行かれた。 尚、ロンドンの地下鉄は、1駅4.9ポンド、約800円
    もする。

    ノッティングヒルは、ジュリア・ロバーツ主演の映画『ノッティングヒルの恋人』の
    舞台だった場所で、今でも昼間は、かなりの観光客で込み合っている。 この日の
    目的地は、パディントンベアで有名なパディントン。 ホテルがパディントンに
    あるため、地下鉄で移動したのだが、後で調べたところ、パディントンへは、
    地下鉄よりも国鉄の方が遥かに便利であった。

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    イングランドでは、イギリス国教会が国教となっており、19世紀半ばまでは、
    イギリス国教会信者でない者は、国会議員にはなれず、オックスフォード大学
    には入学出来ず、ケンブリッジ大学では、学位を取る事が出来なかった。 しかし、
    今はこのような差別はない。 イングランドの人々の多くはイギリス国教徒だが、
    今では欠かさず教会に通う程敬虔な人は少ない。

    イギリス国教徒以外の人は、イギリスでは非国教徒と言われる。 中でも、新教に
    属する宗派は、イギリス国教会から分かれたという意味で、分離派と呼ばれ、
    メソディスト派、バプティスト派などがある。 どの派も厳しい迫害の中で発展
    して来た。 ローマ・カトリック教会も、16~19世紀まで受けて来た差別は
    現在はなく、学校や教会を設立する程の力を持っている。

    イングランドには、ヨーロッパでも有数のユダヤ人社会があり、その人口は
    40万人にも昇る。 ユダヤ人の多くは、20世紀前半ドイツ、ソ連、東欧での迫害を
    逃れてやって来た。 ユダヤ人の地域社会では、独自の学校や、高齢者や障害者の
    ための福祉事業が運営されている。

    近年、多くの国から移住して来る人が多いため、イングランドの都市にはシーク
    教徒、ヒンドゥー教徒が主にインド出身であるのに対して、イスラム教徒は
    パキスタン、バングラディッシュ、中東などから来ており、両者共に、宗教的
    伝統を保つため、独自の学校を運営している事が多い。

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    【英語の発展】
    移民には母国語を話している者が多いが、イングランドの公用語は英語である。
    英語はアングロ・サクソン人の言語であったゲルマン語から発展したもので、
    発達の段階によって、時代順に古英語、中英語、近代英語の3つに分けられる。
    アングロ・サクソン年代記など、最も初期の文献に見られる古英語は、およそ
    1100年まで使われた。 ノルマン語の影響を受けている中英語は、1100年から
    1400年後半に掛けて使われた。

    その後は、近代英語の時代だが、この英語は17世紀の『欽定英訳聖書』で使われた。
    この聖書は、後の英語に大きな影響を与えた。 イングランドの人々の話す
    英語には、地方によって方言も多い。 例えば、リヴァプール出身の人は、
    スカウスと呼ばれる方言、ニューカッスル・アポン・タインでは、ジョーディー
    という方言を話す。 ロンドンっ子の中には、コックニーと言われるロンドン
    訛りを使う人もいる。

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    方言は、その土地の人でなければ分かりづらい。 何十年に渡ってラジオや
    テレビで標準とされる英語が流されてはいるが、未だに言葉の違いが階級の
    差を強めている事もある。

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    イングランドでは、5歳から16歳の子供は、義務教育を受けなければならない
    ことになっている。 識字率は、99%で、ほとんどの子供が公立の学校に
    通っている。 これらの学校の中には、イギリス国教会やローマ・カトリック
    教会など、宗教的なつながりを持つものも多い。

    イートン校、ハロウ校、チャーターハウス校など私立の学校に通う者も少数いる。
    これらの学校では、授業料を取り、私立であるが、パブリックスクールと
    呼ばれて来た。

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    初等教育は大体11歳で終わり、中等教育は16歳までである。 中等教育の
    ほとんどは、総合中学校で、生徒達は多くのコースの中から自分に合った
    ものを選ぶことが出来、また、能力によって区別されることはない。

    中等教育修了後は、技術や職業訓練を受ける学校に通うことも出来るし、
    大学に入るための勉強を続けることも出来る。

    イングランドの最も有名な大学は、12世紀に創設されたオックスフォード大学と
    13世紀創設されたケンブリッジ大学である。 最高レベルの教育を誇るこれらの
    大学は、いくつものコレッジ(学寮)から成っている。 1945年以来、政府は
    放送大学などの大学を創設して来た。 放送大学はキャンパスを持たずにテレビ、
    ラジオ、ビデオ、郵便などを通じて授業をする大学である。

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