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    カテゴリ:東朝鮮日報 > 都道府県の魅力

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    紅葉の時期を狙って、箱根に行って来た。 小田原~箱根湯本~強羅~早雲山~桃源台と
    移動したのだが、肝心の紅葉は、もうひとつで、恐らく、来週末ぐらいが、見頃なのではと
    思いました。 一部は、紅く紅葉していましたが、残りの多くは、まだ青いままだった。 まず、
    小田原からは、小田急線で、箱根湯本まで。 そこから、箱根登山鉄道に乗り換え、強羅まで
    移動。 この箱根登山鉄道は、登山時の傾斜角度が、日本一で、世界でも2番目の傾斜らしい。

    登山鉄道終点の強羅からは、ケーブルカーに乗り換え、早雲山へ。 そこから、更に
    ロープウェーで、大涌谷まで行き、そこで更にロープウェーに乗り換えて、終点の桃源台まで
    行った。 最後の桃源台は、芦ノ湖の湖岸にあり、遊覧船も用意されていたが、桃源台に
    着いた時刻が、午後4時半を回っていたため、滞在時間はものの10数分程度で、すぐに
    引き返した。 ロープウェー運行の最終時刻が、午後5時15分との事で、辺りは、既に真っ暗に
    なっていたものの、こんなに早く営業を終了されても、おちおち観光も出来ない。

    チケットの値段もかなり高めで、それぞれ、別の会社が建設をしたとは言え、小田原から
    桃源台まで、往復で3,000円弱は、かなりのお値段。 しかも、乗換えが多過ぎて、全部で、
    3回乗り換えなければ、桃源台には着けない。 箱根登山鉄道のフリー切符である
    『トコトコ切符』を購入したのだが、最後のロープウェーは別料金と言う訳で、かなりの出費と
    なった。

    帰りは、小涌谷駅で下車して、以前から行って見たいと思っていた、『小涌谷ユネッサンス』に
    行って見た。 こちらは、小涌谷の駅から、バスで3分弱、歩くと、20分程度の距離にある。
    満を持して望んだ筈の『ワイン風呂』『コーヒー風呂』『ヤクルト風呂』『緑茶風呂』
    『酒風呂』は、どれも、以外とぬるく、やはり、温泉というよりも、温水プールと言った方が
    正しいと思う。 その温泉の方は、これまた、別料金となっており、一々お金を取られるため、
    楽しめるものも楽しめないと言う、『地獄の沙汰も金次第』を地で行っているような場所で
    御座いましたとさ。

    箱根の思い出
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    2011年9月に開館した、川崎市にあるマンガ家の藤子・F・不二雄こと、藤本弘氏の博物館。
    1日の入館者数を2,000名と制限しており、事前予約制を導入しているため、PCによる
    予約の後、ローソンでのチケットの発行が必須となっている。

    藤子・F・不二雄ミュージアムは、元々は、『向ヶ丘遊園』という名前の遊園地で、当時は、
    モノレールが、小田急線の向ヶ丘遊園駅とこの地を結んでいたが、今では、それも廃止され、
    線路自体も完全に撤去されている。
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    開館から既に数年程度が経過しているものの、今でもかなりの入場者数を誇るため、もう少し
    早く、このミュージアムが開園していたならば、このモノレールも廃止の憂き目にはあわな
    かった筈。 但し、この向ヶ丘遊園跡地は、数年ほど遊休地として眠っていたものを、藤子プロが
    自費でミュージアムを建設して、川崎市に寄贈したもの。 よって、この施設の所有者は、
    藤子プロではなく、川崎市。 入館の際に、『おはなしデンワ』なるものが無償で貸し出され、
    日本語の他にも、英語、中国語、韓国語での解説を聞く事が出来る。
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    展示品のメインは、やはり、藤子・F・不二雄氏の代表作の『ドラえもん』。 マンガの仕上がり
    度合いから言っても、『不朽の名作』と言って間違いないと思います。 『サザエさん』に続く
    長寿番組であるため、親子2世代で楽しめる夢のような施設。 館内は、一部を除き、
    撮影禁止。 ドラえもんの原画は、必見で、この作品が、単なる子供向けの娯楽マンガなど
    ではない事が良く分かります。 よって、子供よりも、むしろ、昔子供だった大人の方が
    楽しめる施設なのかも知れません。 この他にも、館内には、藤子・F・不二雄氏のオリジナル
    キャラクターを使った、料理を提供するレストランや、オリジナルキャラクターグッズの販売も
    行っている。
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    ドラえもんは、作風が、かなり哲学的な部分が多いため、大人になった今こそ、改めて読み
    返す価値のある作品だと思います。

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    本日のお題は、『市町村合併』

    我が宮城県美里町は、当時の宮城県知事の掛け声の下、平成の大合併により、
    強引に誕生した町。 当初は、遠田郡全ての町である、涌谷町、小牛田町、田尻町、
    南郷町全てと、すぐ隣の旧志田郡全ての町である、鹿島台町、松山町、三本木町との
    合併を目指しましたが、旧志田郡全ての町が、大崎地区の中心地である、古川市との
    合併を選択。 同じ遠田郡内の田尻町も古川市との合併を選択し、その後、
    古川市は、意味不明な『大崎市』という名前になりました。

    最後に残った、涌谷町、小牛田町、南郷町との3町合併で、『遠田市』という市の
    名称まで決定していたものの、町の中心地をどこに置くかで、涌谷と小牛田が
    激しく対立した結果、その戦いに敗れた涌谷が合併協議からギリギリのところで
    離脱しました。

    結果として、仕方なく残りの2町だけ合併をする事になりましたが、この時点で、
    合併後の人口が28,000人余りしか居なかったため、市に昇格をするための条件である
    『人口3万人』を割り込んでしまい、市ではなく、町のまま留まる事になりました。

    合併後の名前を大々的に募集した結果、何故か非常に意味不明な『美里町』と
    なりました。 よって、地元では、今でも『美里』とは誰も言いません。 取って
    付けたような無理やり感満載の町の形。 そもそも、美里って何だよ?と言いたく
    なるような変な名前。 小牛田町と南郷町が合併すると、何がどうなって
    美里町になるのかが疑問。 元々、5年以内に大崎市と合併をする計画であった
    ため、誰も町の名前なんて気にも止めていなかったのだが、8年以上も経過した
    今でも、そのままの状態。

    町の中心部である、小牛田への一極集中は、ますます増すばかり。 市町村合併で、
    良くなった点は、1つもなく、むしろ、悪くなる一方。 南郷地区は、元々、
    涌谷警察署管内であったため、運転免許を取る際には、すぐ隣の石巻運転免許
    センターへ行っていたのだが、市町村合併後は、100%古川管内である小牛田の
    お陰で、非常に遠い古川運転免許センターへと管轄が移されました。 市町村
    合併前までは、石巻運転免許センターまでは、車で20分程度で行けたところを、
    古川運転免許センターの場合は、45分程度も掛かるため、非常不便。 ハッキリ
    言って、倍以上遠くなりました。

    美里町は、水道料金が日本国内でも12を争うぐらい高いのですが、それは、
    合併後に、公共料金全てを高い方に合わせたため。 元々、南郷地区は、
    江戸時代にも領土問題で争いになった場所なので、領土問題でもかなりの
    デリケートゾーン。 石巻、仙台、古川、矢本を都合良くつまみ食い程度に
    完全に使い分けているため、車で15分も掛かる小牛田へは、基本的に行きません。
    バス路線も、市町村合併前までは、涌谷が終点だったのにも関わらず、合併後は、
    全て小牛田が終点に。 買い物の多くを涌谷でしているこちらと致しましては、
    不便極まりなし。 美里町民バスは、どこまで乗っても100円という超破格値
    だったのだが、遠い古川駅まで1時間半を掛けて、100円で行けますと言われても、
    普通に車で行けば、25分で到達出来ます。

    むしろ、買い物の殆どを石巻でしている南郷地区の場合は、石巻へのバスが
    あった方が便利で近い。 住民の意思を完全に無視して、市町村合併をすると、
    こんな大失敗を仕出かすと言う見本のような町が、宮城県美里町。 ここが
    自分の地元ですと言われても、一切そんな実感すら沸かない名前となってしまい
    ました。 すぐ隣の大崎市と合併をすれば、宮城県第二の都市に成り上がれるため、
    早めの合併を強くお勧め致します。

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    栃木県の湯西川温泉は、日本国内に数か所ある『平家の隠れ里』と呼ばれている場所。
    壇ノ浦の合戦に敗れ、逃れてきた平家落人が、河原に湧き出る温泉を見つけ、傷を癒したと
    伝えられる歴史の古い温泉となっている。

    地名の由来ともなった湯西川の渓谷沿いに旅館や民家が立ち並んでおり、湯量豊かな
    温泉を楽しむのはもちろんのこと、川魚や山の幸、野鳥・鹿・熊・山椒魚の珍味など、四季を
    感じる地元料理を心ゆくまで堪能出来る。 みそべら等を囲炉裏でじっくり焼いて頂く落人
    料理も有名。 また、1月下旬~3月中旬のかまくら祭の時期には河川敷に約1200もの
    かまくらが作られ、ろうそくの明かりが灯る週末の夜は特に幻想的な風景が広がる。
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    【平家の落人】
    平家の落人とは、治承・寿永の乱(源平合戦)において敗北し僻地に隠遁した敗残者のこと。
    主に平家の一門及びその郎党、平家方に加担した者が挙げられる。 平家の落武者とも
    いうが、落人の中には武士に限らず公卿や女性や子供なども含まれたため、平家の落人
    というのが一般的である。 こうした平家の落人が特定の地域に逃れた伝承を俗に
    『平家の落人伝説』などという。

    【平家の隠れ里】
    平家の落人は大抵、山の奥深くや離れ島や孤島などに存在している。そのため、平家は
    人口が少ないところや山間部や谷間など人がよりがたい所に里を築く。 食器や生活用品を
    洗ったりする時に川に誤って流してしまったり山中に落としてしまったりで外部の人間に
    気付かれたりすることがある。 ただし、気付くのは極少数であり、平家の落人の隠れ里に
    行けるのも少数である。 こういった場合、再度隠れ里に行くことができなかったり川上から
    漆塗りの器が流れてきたりすることから隠れ里自体を妖怪化して考えることがある。 このため、
    平家の隠れ里が『隠れ里』として神秘的な存在にとられることも多い。
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    先日、閉館が正式に決定した、109シネマズMM横浜なのですが、実は、現在働いております
    某企業のすぐお隣なので、本日早速状況確認に行って見たところ、やはり、かなり閑散として
    おりました。 去年の年末まで、ここには、横浜BLITZというライブホールがあったため、連日
    ライブを見に来る人たちで、溢れかえっておりましたが、それも今は遠い過去。 みなとみらい線の
    新高島駅の真上にありますが、このような状態となっております。 実は、この新高島駅周辺は、
    「みなとみらい地区」として、大々的に再開発を行った場所なのですが、横浜は、イメージが
    良いため、地価が非常に高く、このような、空き地だらけとなっております。 因みに、MMとは、
    みなとみらいの事です。

    109シネマズMM横浜の中に入りますと、まず目に飛び込んでくるのは、ゲームセンター。
    プリクラに至っては、今時、誰もそんなものを撮らないので、客はひとりもおらず。 みなとみらい線の
    新高島駅は、横浜から1駅区間なのですが、運賃が200円も掛かるため、この事を知っている
    人は、地下4階にある横浜駅で一旦降りて、徒歩でここまで来ます。 因みに、現在働いている
    企業は、この新高島駅の斜め上にありますが、通勤推奨駅が、横浜駅のため、例え、新高島駅で
    乗り降りしようが、定期代は一切出ません。 これは、正社員も同様。 横浜駅からは、専用通路で
    繋がっており、徒歩で10分足らず。 このような条件も重なり、みなとみらいの開発は、遅々として
    進まず、5年ほど前に日産グローバル本社がここへ移転してから、かなりましにはなったものの、
    この不景気の煽りで、この先もこの地の開発は、不透明感が漂っています。

    最近のゲームセンターは、どこもこのようなUFOキャッチャーが主力となっており、大昔に大流行
    した、アクション、シューティンブ系のアーケードものは、殆ど見掛けなくなりました。 家庭に
    ゲーム機が普及したため、わざわざゲーセンまで来なくても良くなったと考えるのが自然なのかも
    知れません。 「太鼓の達人」も定番中の定番ですが、ゲームの進行性が分かりやすいのと、
    ストレス解消にもなるため、人気なのかも知れません。 平日の夕方とは言え、横浜駅前で、
    この程度の人手のため、やはり閉鎖は仕方がない事なのかも知れません。
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    今回は、仙台が、どうして、宮城県という名前になったかについて、お話しようと
    思います。
     
    時は遡り幕末の京。 仙台藩は、鳥羽伏見の戦いで、理不尽な条件ばかりを飲まされ
    そうになった会津藩をかばい、当初は、薩長に会津藩を許してくれるようにと懇願
    しますが、全く受け入れられず、逆に仙台藩が責任を持って、会津を倒すようにと
    命じられます。 その後、福島で長州の責任者と再度会談を試みるものの、ここで、
    かなり屈辱的な事を言わる事となったため、その大使を殺害してしまいます。
    これが、戊辰戦争の始まりです。
     
    この時に、米沢藩と共に、他の奥州列藩軍を率いたのが、奥州最大の藩であった
    仙台藩。 白河城を奪われたところから、続々と退却を余儀なくされた奥州列藩軍
    ですが、いよいよもって、仙台藩の砦である白石城も落城し、最終的には、
    仙台城は落城しなかったものの、仙台藩は、薩長軍に降伏を余儀なくされます。

    仙台藩は、自分が力尽きる最後の最後まで、会津を裏切りませんでしたが、会津の
    味方をしただけで、特に何も悪い事をしなかったのにも関わらず、その後に
    課せられた罪は、会津藩以上でした。 当時の仙台は、繁栄を極め、ここよりも
    大きい町は、その当時、江戸・京・大阪・名古屋・金沢だけでしたが、その後、
    大逆賊の汚名を着させられて、没落する事となります。

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    伊達家一の家臣である白石の片倉家は、領地が全て没収となったため、伊達家には
    迷惑を掛けられないという理由で、全員で率先して、当時何もなかった札幌の
    開拓へと行きます。 現在の札幌市白石区は、この当時の名残で、北海道弁は、
    仙台弁の南側の方言である仙南弁が完全にベースになって変形したもの。

    仙台伊達家は、わざと開拓しても無駄な白老の開拓に行かされ、亘理伊達家は、
    伊達市の開拓に、岩出山伊達家は当別の開拓に行く事となります。
     
    その後、廃藩置県が進められたのですが、仙台藩の元々の領地は、現在の宮城県
    全てと、岩手県の南3分の1だったのにも関わらず、『今後仙台が二度と発展しない
    ように』との戒めを込めて、北半分を『水沢県(正確には、涌谷県、登米県、
    一関県と目まぐるしく名前が変更)』として分離、南側は、一時期だけ『仙台県』
    として存在しましたが、仙台は戊辰戦争を率いた大逆賊として扱われたため、
    その名称を使う事だけは許されず、他の名前を付ける事となりました。 これは、
    現在の被災地である、岩手、福島も同様の扱いでした。



    水沢県は、その後、南北に分割され、北側は、盛岡へと割譲、岩手県となりました。
    岩手県の南3分の1では、今でも仙台弁が話されていますが、それは、この時の名残。
    岩手県の陸前高田市が、わざわざ仙台の旧国名である『陸前』と付けているのは、
    市の名前を持ってして、盛岡とは違うと言っているため。 その後、水沢県の
    南半分は、元の仙台へと吸収され、仙台市がある『宮城野』の名前を取って、
    宮城県となりました。
     
    仙台人は、基本的に、『宮城』とは余り言いたがりませんが、それは、『仙台』
    という単語が、今の岩手県の南側も含むため。 学区制を敷いていた当時は、
    『仙台』『東北』と付くと、男子校、『宮城』と付くと、女子高という規則が
    ありました。 よって、仙台人は、今でも、『宮城』と聞くと、女を連想します。
     
    戊辰戦争での大敗を期に、結果的に福島は、東電の植民地と化しますが、宮城は、
    軍事基地にされました。 宮城県内の自衛隊が、かなり大規模なのは、帝国陸軍
    第二師団だったため。

    【お勧めの一品】


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    海外メディアが伝えているフクシマの津波の画像は、殆ど全てが、宮城県の
    画像ばかりで、東日本大震災で、深刻なダメージを受けた被災地は、宮城県の方
    である事を忘れてはなりません。 3年半ほど前までは、ドイツやフランスの
    メディアも毎日見ていたのだが、海外の報道は、余りにも偏っていたため、
    それ以来、基本的に、海外メディアを見るのを止めた。

    海外メディアでは、宮城県の津波災害の動画を平気で間違って使用している
    のにも関わらず、その深刻な被災度合の内容は、全くと言っても良いほど伝え
    なかったため、宮城県の被災状況を正確に把握している人間は、実は少ない。

    2014年10月11日、東日本大震災発生から43回目の月命日
     
    死者       行方不明
    宮城県 9,538人  1,258人
    岩手県 4,673人  1,132人
    福島県 1,611人  204人
    全国 15,889人    2,598人

    全国避難者数 24万3千人

    東北を忘れない。
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