◎日和幼稚園訴訟(上)謝罪の意味
東日本大震災の津波で園児5人が亡くなった宮城県石巻市の私立日和幼稚園
(休園中)の訴訟で、園児4人の遺族側と園側が和解してから2015年12月3日で
1年となる。 園側からいまだに直接的な謝罪はなく、遺族側は一層、苦悩を
深める。 遺族らは園側に血の通った対話を求める一方、語り部として命の
大切さを伝える。 和解後の遺族の日々を追った。

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<拒否された手紙>
長女愛梨ちゃん=当時(6)=を失った佐藤美香さん(40)の自宅に11月中旬、
園側の関係者に出した手紙が返送されてきた。 未開封の封筒には、直筆の
文字があった。 「受取拒否」 佐藤さんがしたためた手紙はA4判1枚。
「園側が法的責任を認め、心からの謝罪をする」という訴訟の協議内容を胸に
納め、和解を決心したいきさつを記した。 和解成立後、園側から連絡がなく、
手紙を送らざるを得なかった心境もつづった。

佐藤さんは感情を押し殺して語る。 「法的なしがらみはありません。
園側には一人の人間として、私たちと向き合ってほしいだけです。 せめて、
未来を奪われた愛梨たちに真実を伝え、心から謝ってほしい」

2014年12月3日、仙台高裁。 津波犠牲者をめぐり、初の賠償命令が出た
訴訟は提訴から3年4カ月で幕を閉じた。

和解調書は「園側は被災園児らと遺族側を含む家族に心から謝罪する」との
文言を明記する。 園側は「司法の勧告を厳粛に受け止め、幼くして失われた
尊い命に思いを致し、冥福を祈る」との談話を出した。

今年3月と夏、一部の遺族宅に花が郵送された。 差出人は園側の関係者。
手紙や文書は添えられておらず、遺族は真意を測りかねた。



<踏み出せぬまま>
遺族は9月、文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議のヒアリングに
臨んだ。 次女春音ちゃん=当時(6)=を亡くした西城靖之さん(47)が
研究者ら委10人に訴えた。

「判決では園側の謝罪を得られないだろうと考えて和解を選んだ。 裁判の
出口は出たけれど、そこから一歩を踏み出せずにいる」。 いまだに心の
整理がつかない真情を吐露した。

被告が原告の遺族に面会し、直接謝罪する。 日和幼稚園の遺族が対話の
一歩として望むことが、震災関連の犠牲者をめぐる別の訴訟では実現した。
その遺族は匿名を条件に胸の内を明かす。

「訴訟で一番求めていたのは謝罪です。 亡くなった家族は帰ってこない
けれど、位牌(いはい)の前で手を合わせ、頭を下げてもらったことには
納得している。 人として最低限のことはしてもらいました」

民事訴訟の和解に詳しい東北の元裁判官は「日和幼稚園のケースは気持ちの
面で解決を望む遺族と、法的な問題を解決する裁判との間に大きな落差がある」
と指摘する。

「心からの謝罪」は目に見えない。 どうすれば、それがなされたといえるのか。
元裁判官は「捉え方は難しい。 和解項目は任意であって強制執行はできない。
園側が亡くなった園児や遺族とどう向き合うかが社会的、倫理的に問われている」
と話す。

[日和幼稚園訴訟]東日本大震災の津波で亡くなった園児4人の遺族が2011年8月、
園側は安全配慮義務を怠ったとして、園側に損害賠償を求め仙台地裁に提訴。
地裁は2013年9月、法的な責任を認め、園側に賠償を命令。 園側が仙台高裁に
控訴し、訴審では園側が和解金計6,000万円を支払うことなどで和解した。
訴えによると、園児を乗せた送迎バスは2011年3月11日午後3時ごろ、園のある
高台から海側の低地に向けて出発。 約45分後に津波に巻き込まれ、提訴した
遺族の子ども4人を含む園児5人が死亡した。

>>【日和幼稚園】~救えなかった命~
>>津波訴訟和解1年>わが子の命思い語る

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