多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    2015年12月

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    日本の都道府県名をドイツ語に直訳した名前がカッコいいと話題になっている。
    ドイツ語は、硬い音が多いため、男性的な言語だと言われる事が多いが、
    英語の
    ような滑らかさはないものの、その特徴がよく出ていると言える。



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    被災地通信 に参加中!

    宮城県石巻市にある小高い日和山。 ここから見える場所だけで、約3,000名が
    津波の犠牲となった。 この地に、約1,200軒もあった家は、ほぼ全て津波で
    流された。 鉄筋コンクリート建てであった、市民病院や石巻文化センターも
    全て取り壊されてなくなった。



    石巻は、津波災害後に、流出した重油により、海が燃えたため、この辺り周辺
    では、大規模火災が起きて、数日間燃え続けた。 被災直後に、この場所に
    『探しています』と貼り出されていたのは、物ではなく人であった。 東日本
    大震災で最も酷い被災地をひとつだけ挙げるとすれば、この石巻の門脇地区周辺。

    日和山は、約50メートルほどの標高であるため、この地域周辺を見渡すことが
    出来るが、それと同時に、被災状況も目の当たりにすることとなる。 遠くには、
    牡鹿半島も望むことが出来るため、石巻随一の観光スポットであったが、今では、
    その観光客もまばらで、時折、津波災害の被災現場を見に来る人たちばかり。 

    【日和山からの景色】
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    以下の画像は、被災前と被災後の石巻の比較画像。 被災前の石巻の画像は、
    ウェブ上にもYoutubeにも殆ど残ってはいない。 この画像で比較すると、河口
    付近が津波で何もなくなったのが、良く分かる。 このような被災前の画像は、
    非常に貴重であるため、なかなか見ることが出来ないのだが、『がんばろう!石巻』
    の看板のすぐ隣に新しく出来た、『震災伝承』つなぐ館では、被災時の様々な
    資料が展示してあり、係員が常駐しているため、更に詳しい話を聞くことも出来る。

    【被災前後の石巻】
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    石巻は、仙台藩唯一の港町として栄え、港湾設備の規模では、東洋一とも言われて
    いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
    見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
    新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
    変化は特にない。

    新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
    ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
    にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。 

    日和幼稚園
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    日和幼稚園』ご遺族で、語り部をされている佐藤さんに、送迎バスの資料を
    見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
    見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
    見えなかったそうです。
     
    現在、この場所は、道路工事の工事現場となってしまっている。 
    『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
    助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
    既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
    謝罪すらしていない状況となっている。

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    がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
    なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
    この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
    続く。

     

    【新蛇田周辺】
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    新しく街開きをした新蛇田地区。 街開きとは『集団移転先』という意味。
    沿岸部の人達は、今後順次この場所へと移り住む事となるのだが、これで
    街開きをした言われても、一切何もない。 遠くに見えているのが、災害復興住宅。
    来年の3月に石巻めぐみ野駅が開業するため、駅が出来れば、多少なりとも活気が
    出るのかも知れないが、山側へ移転した仙石線の野蒜駅を見ても、期待は出来ない
    であろう。 この場所は、東松島市との境界線上にあるため、石巻西高校の
    高校生も利用する駅となる。 最後の2枚の画像は、先日X JAPANがライブを
    行った『石巻ブルーレジスタンス』。

    石ノ森萬画館

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    石巻編の最後は、『石ノ森萬画館』。 この漫画館自体も、川の中州にあるため、
    一時完全に孤立して、避難者が生活を共にしていた場所。 今では、すっかり
    リニューアルされて、その面影すらないが、こういう記憶は、大事にしたいところ。

    漫画館の前に建っているシージェッター海斗像は、津波で流され、後日瓦礫の
    中から発見されたのだが、破損度合いが酷過ぎて、東京の制作会社からキカイダー
    01の像共々石巻市に贈られたもの。 ご当地ヒーローで街興しをしている街は
    多々あるが、その先駆けが、石巻となっている。



    【お勧めの一冊】


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    かつて放送されていた人気番組、『ココリコ ミラクルタイプ』。 感情的になると、
    方言がついつい出てしまうという設定で、それぞれの役者が、他の地方の方言にも
    挑戦するとういう内容だったのだが、方言は、大体、隣の隣の県のもの程度までしか
    真似は出来ず、それ以外の場合は、発音やイントネーションが真似し切れていない
    ところが、かなりの突っ込みどころとなっているw

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    3.11東日本大震災 に参加中!

    東北電力女川原発は、リアス式海岸の山中に立地しており、陸上からは、全く
    見えない。 よって、地元の人間でも、この画像以上の全貌は見た事がない。
    そもそも、この原発は、撮影禁止なのだが、撮影されたら困るような施設をこんな
    場所に作るなと言いたいところ。

    周囲は、津波災害により、全て消滅したのだが、この原発施設だけが残った。
    よって、津波が押し寄せた際には、この周辺の地域住民は、皆この原発へと
    避難をし、最大で
    364名が約3ヶ月間にも渡り、原発内の体育館で避難生活を
    おくっていた

    【東北電力女川原発 原子力PRセンター】
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    3月11日の本震以降、4月7日にも余震があったのだが、その際に、女川原発は、
    非常用
    電源回路5つあるうちの4つまで消失したため、後1本消失していたら、福島と
    完全に同じ運命
    であったというのは、地元では有名な話。 但し、女川原発の
    場合は、被災前まで、避難区域が、半径5キロ圏内に限定されていたため、直線
    距離で7.5キロ離れた女川の町は、避難区域ではなかった
    。 これらの情報は、
    下記の動画でもハッキリと述べている
    のだが、何故か、関東へは一切伝わっては
    いない。

    東日本大震災で最大の死者を出した石巻市は、この女川原発の立地自治体で、
    直線距離で15キロ程度しか離れていないが、テレビでは、その事を一切触れ
    なかった。 この女川原発の全貌を見たければ、女川から遊覧船に乗って、
    金華山に行くと目の前に見える。



    東北電力女川原発にある原子力PRセンター。 映像ホールは、好きな動画を好きな
    だけ見れるという、大変太っ腹な場所であるため、お言葉に甘えて、3本も動画を
    見てしまった。 尚、東北電力管内にある7つの原発(建設中を含む)のうち、
    東北電力の施設は、2つだけで、残りの5つは、全て東京電力と関東のための施設。

    東北電力女川原発 原子力PRセンター
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    特に、福島第一、第二原発は、100%関東へ送電をするためだけにあるための
    施設であるため、本来、そこから放出された放射性物質は、関東で処理すべき
    もの
    。 それを全て東北に押し付けているため、理不尽極まりない。 福島に
    あるその他の火力、水力発電所も、ほぼ全て関東へと送電をしている
    ため、
    非常時に、関東からは送電をする事が出来ずに、事故へと繋がった。


     
    元々、福島県、岩手県、山形県へは、宮城県から送電をしているため、宮城県が
    大規模被災をすると、この周辺の県も全て停電するという歪な送電関係にある
    ため、
    被災後に多少改善してとは言え、根本的な部分が解決されていないため、東京
    電力は、東北からは出て行くべき。 福島第一原発へ最終的に送電を行ったのは、
    東北電力ですが、仙台でも大規模停電をしていた時期に、関東のために送電を
    続けた東北電力は、関東から感謝されて当然だと思いますが、その事すら、関東
    では一切報道しておりません。 因みに、映像ホールの動画は、撮影OKですが、
    原発の写真だけは、何故か禁止となっている。



    【お勧めの一冊】


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    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災の最大の被災地、宮城県女川町の現在の姿。 余りにも変わり果てており、
    大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れなくなっていました。 現在、
    女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川
    方向に戻るしかありません。



    現在、堀切山から望む女川の中心部には、建物のひとつすらありません。 女川に押し
    寄せた津波の高さは、この堀切山をも超え、25メートル前後と言われています。 但し、
    この堀切山は、階段で更に上に登れるのと、山上にある女川町地域医療センターの
    建物が4階建てであるため、そこへ登って、多くの人達が命を守り切りました。

    【堀切山から望む女川の中心部】

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    女川は、死亡率で見ると、住民の10人に1人が死亡した、東日本大震災最大の被災地
    ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では全く伝え
    られてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』のご遺族の田村さん
    ご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせをしてからこの献花台へと
    向かいました。 共に、語り部をされていますので、女川、石巻へお越しの際は、お話を
    聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?



    まずは、田村さんご夫婦に、『七十七銀行女川支店』の被災状況を伺いました。 田村さん
    ご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度訪れてお話を聞くだけの
    価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅である女川駅からも、さほど遠くあり
    ませんが、行く度に道路が変更になるため、若干分かりづらいかも知れません。
     
    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
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    石巻や女川の人達は、『かつてない地震』とは言うものの、『宮城県連続地震』の被災地
    から見れば、東日本大震災の地震の方が、地震災害としては、相当ましだったため、
    東日本大震災を未曾有の大地震と言うのには、かなりの疑問が残ります。

    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】

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    献花台の前で語り部活動中の田村さんご夫妻。 この日は、新聞社の方が取材をして
    いました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。 医療センターが
    ある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで来た人達でも、
    この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
     
    七十七銀行女川支店は、海のすぐそばにありましたが、海側にあった4階建てのマリンパル
    女川の建物が完全に邪魔をして、津波が来たのが銀行の屋上からは、全く見えなかった
    そうです。 仙台銀行、石巻信用金庫の行員達は、全員堀切山に避難をして助かって
    います
    。 企業側の防災に対する意識の違いひとつだけで、明暗が完全に分かれた事案と
    言えます。

    【2015年12月24日に新しく街開きした女川駅前】

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    2015年の3月に移転再開したJR石巻線女川駅。 200メートルほど内陸側に移転
    しましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の駅前は、
    若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、津波で全て消滅した
    場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、ひとたまりもないでしょう。
     
    この女川だけは、津波の威力が余りにも凄過ぎて、女川駅のホームに留めてあった
    気動車が山の上にまで流されて横転していたり、4階の屋根の上に車が刺さっていたり、
    山の上に家屋の屋根だけが流されていたりしました。 更に、鉄筋コンクリートの建物が
    横転したのも女川だけ。

    現在女川駅は、無人駅になりました。 駅の中には、温泉施設の『ゆぽっぽ』と無料の
    足湯がありますが、これは、絶対に原発マネーで掘り当てたものだと前々から思って
    います。 ここは、女川原発からは、直線距離で7.5キロしか離れていません。

    ゆぽっぽの入湯料は500円なので、関東の感覚だと安いと思います。 津波で流される
    前の足湯には、屋根があったのですが、今の足湯には、屋根がないので、雨が降った
    時には傘が必要です。

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    女川で唯一残った倒壊した建物。 3つあった倒壊した震災遺構は、その2つが既に
    取り壊されたため、女川派出所のみが女川駅前に残りました。 新しい町と倒壊した
    建物、両極端な組み合わせですが、ほんの2年程前まで、この場所は、山のように
    高い瓦礫置き場でした。

    【お勧めの一冊】


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    川内村は、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、全村が放射能汚染地域となったため2011年3月17日以降、仮役場を郡山市にあるビッグパレットふくしま内に設置していたが、2012年4月には、川内村役場機能、小中学校が川内村に戻った。

    【画像をクリックすると川内村のアルバムが表示されます】

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    福島第一原発30キロ圏内にあり、一時全村避難をしていたが、他の自治体に先駆けて
    『帰村宣言』が出され、避難解除に伴い、2012年8月には、一人当たり月10万円の損害賠償が打ち切られ、更に2013年3月には、20万円の生活保障も打ち切られている。

    それ以降、村をあげて帰村活動を続けているが、住民達の反応は薄い。 現在でも、完全に川内村に居住場所を戻している帰村者は、約535名、週4日滞在している帰村者は、約920名、村外で借上げ住宅に生活している人が約,1600名、仮設住宅暮らしが約680名となっている。 なかでも仮設住宅で暮らしている世帯は、高齢者や障害者など、仕事がなく、年金暮らしの世帯が大半となっている。



    2015年10月17日~18日まで福島で開催されていた『川内そば祭り』では、予想を大幅に
    上回る集客があったため、無料で用意された1,500食分のそばは、わずか3時間で終了。

    更に、翌日の分の1,500食も追加して対応するほどの人気ぶり。

    動画は、川内名物として、新たに売出中の『川内ガレット』。 1枚作るのに、約3分程度
    掛かるため、大行列で約30分待たされた。

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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸から、車で更に10分弱走ると、宮戸島と呼ばれる
    風光明媚な『奥松島』に到着します。 その宮戸島にあるのが、大高森。 松島四大観の
    中でも、最も美しいとされる『壮観』と呼ばれています。 登山道入り口から、山頂までは
    徒歩で15程度。 山頂からは、360度の大パノラマから見えるが、そこから見えるのは、
    被災した場所ばかり。 特に、野蒜地区は、上から見ると、何もかもなくなったのが
    よく分かる。



    この地は、日本三大渓の『嵯峨渓』がある場所としても有名で、女性的な曲線的な美しさが
    特徴の松島と比べると、荒削りな男性的な美しさを持つのが、この嵯峨渓となっている。
    大高森山頂からは、その嵯峨渓と石巻の町を望む事が出来る。 煙が出ている場所が、
    石巻市門脇地区。 大高森から出ている遊覧船は、3,000円も掛かるため、松島から
    出ている2,000円の遊覧船(見る場所はほぼ同じ)をお勧めします。

    【大高森】

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    宮戸島への入り口付近にあった観光桟橋は、津波で完全に破壊されたため、この宮戸島の
    大高森登山道の入り口へと移転した。 東松島市の名前の由来は、この『奥松島』と
    航空自衛隊『松島基地』があるためで、どうしても『松島』という単語を入れたいという理由で
    こうなったのだが、地元では殆ど誰も使わないという、無意味な名前となっている。

    【野蒜海岸付近】
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    野蒜から奥松島の宮戸島へ行く途中の道。 津波で何もかもなくなり、この場所は、
    地盤沈下により、3年以上に渡り、水没していた。 つい最近になって、ようやく防波堤の
    工事が始まったため、高さ15メートル程の防波堤が出来たが、その前までは、この高さと
    同じぐらいの瓦礫置き場だった。 単なる荒れ地にしか見えないこの場所には、被災前
    までは、観光客が宿泊する「奥松島ユースホステル」があった。 建物も松林も、電柱の
    一本すら残らなかった野蒜の復興は、まだ始まってもいない。

    この付近に到達した津波の高さは、約10メートルで、この場所にある防波堤は、25年ぐらい
    前に、2メートルほどかさ上げしたものだが、それでも、何の役にも立たなかった。 この
    場所は、東北最大の海水浴場であるのと同時に、奥松島という観光地であるため、
    かつては、民宿街と松林だったのだが、松林も10本程度を残して、全て流出した。

    【月浜海岸】
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    かつて民宿街であった月浜海岸。 野蒜海岸は、外洋にあるため、波が高いのと、
    海水浴客で混み合うため、地元の人間は、大体、この宮戸島で海水浴をしていた。
    むしろ、こちらの方が、観光客が余り来ないため、ほぼプライベートビーチ状態だったの
    だが、その民宿街も津波によって全て流されたため、現在は、その場所には、仮設住宅が
    立ち並んでいる。 当然、観光客は、ひとりも来ないため、非常に閑散としている。
    この場所は、夏になると、海水浴客から、車の駐車料金を500円も取るという殿様商売を
    してたが、その面影は、一切残ってはいない。

    今年に入ってからは、海岸の防波堤の工事が本格的に始まったため、砂浜には入れなく
    なった。 工事関係者の話によると、春ぐらいまでには、工事を完了させたいとの事
    であった。 東松島市は、市域の60%以上が津波で水没しているため、津波が再度
    襲った場合は、このような仮設住宅は、ひとたまりもないが、高台が多くないため、
    仕方がない。

    【観光桟橋跡】
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    宮戸島入り口にあった観光桟橋跡。 その観光桟橋からは、石巻の街がもう見えて
    います。 この付近には、航空自衛隊松島基地があるため、ブルーインパルスが通常
    訓練を行っているのも、この海上付近。 ブルーインパルスは、展示飛行のために
    日本全国でアクロバット飛行をしているのだが、その本拠地の状況が、このような有様
    だとは、一言たりとも言わないが、元々、自衛隊の宣伝のためだけにある
    ブルーインパルスなので、被災地の事などどうでも良いのであろう。

    先日行った、入間基地での航空祭においても、『航空自衛隊松島基地所属』と言ったのは、
    一度きりで、被災地の事には一切触れず。 国立競技場で展示飛行を行った際にも
    同様で、マスコミの偏向報道には、騙されないようにした方が良いと思います。 尚、
    野蒜海岸の入り口には、このお地蔵様があるが、石巻の門脇小学校の脇にあった、
    同じお地蔵様は、道路工事のため、どこかへと移設されてしまった。



    【お勧めの一冊】


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    被災地通信 に参加中!

    美里編で紹介した堤防を海側へ約15キロほど下ると、野蒜海岸へと出ます。
    2015年5月30日に約4年ぶりに営業再開を果たした、JR仙石線の野蒜駅は、
    山側へと移転し、新たに街開きを行ったため、駅前には、未だ一切何もない。

    【新しく移転した野蒜駅前】
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    工事関係者の人達の話によると、来年の5月までにこの場所を宅地造成して、
    個人に引き渡すそうです。 どの場所を誰に引き渡すかは、既に決まっていて、
    後は宅地造成するばかり。 野蒜に限らず、『街開き』した筈の新しい町には、
    道路の1本すらまだなく、単なる荒れ地を切り開いただけの状態となっています。

    この場所に災害復興住宅が完成するのは、2年後と言われており、工事が遅れて
    いるため、再来年の3月に仮設住宅が全て廃止されるまでに間に合うのかすら
    分からない状況です。 この後紹介する、石巻の新蛇田地区は、街開きしたにも
    関わらず、ここよりも酷く、道の一本すらまだない。 

    【津波で廃止となった旧仙石線跡】
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    津波災害により、廃止となったJR仙石線跡。 1枚目は、新しくなった仙石線。
    この付近は、20年ほど前にも、強風時に安全に運転を行えるよう、陸前小野⇔
    野蒜駅間で若干ルート変更をしたため、その時の旧線も残っているのだが、現在、
    ファミリーマートになっている、旧野蒜駅は、その時に新しくした駅であるため、
    仙石線の駅の中では、比較的新しい駅舎だった。

    このすぐそばにある野蒜小学校では、折角仙石線の電車から乗客が避難をして来た
    のにも関わらず、校長が校舎に鍵を掛けてしまったため、体育館に避難をしていた
    人達数名が津波の犠牲となった場所。 東日本大震災発生時に、電車が津波で折れ
    曲がって倒れていたのを覚えている人も多いと思うのだが、それがこの場所。

    下り列車は、乗客の判断により、ちょうど高台部分で停車したため、翌日に乗客
    たちは、全員助けられたが、その車両自体は、2011年の12月末まで、その場に
    放置された。 

    【津波で廃止となった旧野蒜駅】

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    津波災害で残った旧野蒜駅は、今後、『津波伝承館』として整備される事が
    決まっている。 この元駅舎には、観光案内所もあり、東日本大震災で被災した
    時のパネルが展示されている。 この付近も『宮城県連続地震』の被災地である
    ため、観光局の人達に、その時の地震災害の情報も展示して下さいとお願い
    して来た。

    『東日本大震災』の時よりも、『宮城県連続地震』の時の地震の方が、地震災害
    としては、凄まじかったのだが、その事を覚えている人は、東松島周辺にしか
    居ない。

    尚、『宮城県連続地震』で被害を受けた場所は、『東日本大震災』では、ほぼ
    無傷だったのだが、その理由は、そんな程度の地震で倒壊する家屋やブロック塀は、
    その時に既に全て倒壊して無くなっていたのと、その後、地震に対する災害強化を
    更に行ったため。

     

    野蒜駅前に到達した津波の高さは、3.7メートルとなっており、町と共に、
    うっそうとした松林もほぼ全てが流出したため、一切何もなくなった。
    工事関係者に尋ねたところ、この場所は何になるのか分からないとの事だった。
    このすぐ先が野蒜海岸なのだが、工事中であったため、海側へは一切入れなく
    なった。 尚、この付近での死亡者の数は、約500名。
     
    福島県と東電によれば、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、15メートル
    だそうだが、その津波の高さは、実は、『遡上高』であった事を住民らの追求
    により、東電と福島県が既に認めています。 3.7メートルの高さの津波で、この
    有様なので、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、明らかに2メートル以下。
    その証拠に、福島の建物は、ほぼ全て残っている。

    【新しくなった東名駅】
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    野蒜駅と同じく、5月30日に4年ぶりに営業を再開したJR仙石線の東名駅。
    高台に移転したため、その高台への入口側から見ると、野蒜駅とほぼ同じような
    位置となった。

    内陸側へ移転し、その入り口部分がほぼ同じであるため、地域住民にとっては、
    かなり使いづらい駅になった。 周囲に建物は、まだひとつもない。 この付近は、
    潮干狩りで有名な場所だったのだが、現在、潮干狩りは出来ない。



    JR仙石線の陸前小野駅前にある『空の駅』。 ここでは、仮設住宅に住むお母
    さんたち手作り、ソックモンキーの『おのくん』を購入する事が出来る。
    どれでも1体1,000円となっており、通信販売での場合は、1年半待ちの大人気
    商品となっている。 但し、この『空の駅』まで来れば、その場で購入する
    事が出来る。

    【空の駅】
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    『空の駅』とは、東松島市内にある『航空自衛隊松島基地』の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっています。

    『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募っている。 より
    正確に言うと、1年半後には、仮設住宅が全てなくなるため、それまでにこの
    『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなるという意味。

    ここには、『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れない。 

    【小野駅前応急仮設住宅】

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    JR仙石線の陸前小野駅前にある『おのくん』を販売している仮設住宅。
    陸前小野駅からは、線路沿いに歩いて10分程度掛かる。 仮設住宅を入ると、
    まず、ブルーインパルスが目に飛び込んで来る。 『おのくん』は、宮城県
    東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつずつ手縫いで作っている、
    サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみのソックモンキー。 東日本大震災
    からの復興への願いがこめられている。 『めんどくしぇ』が合い言葉。

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    宮城県美里町は、12年前の「宮城県連続地震」の最大の被災地。 この付近を
    流れる鳴瀬川は、白鳥の越冬地としても有名で、冬になると、白鳥が大量に
    飛来する。

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    2003年7月26日、1週間も降り続いた長雨の直後に震度6強連続3回という地震が
    発生したため、この周辺は、液状化現象を起こして、概ね地盤沈下した。
    その際に、堤防も決壊し掛けたのだが、元々、この付近には、この堤防以外に
    高い場所が一切ないため、堤防が切れてしまうと、一巻の終わり。 先日の
    集中豪雨で堤防が決壊した大崎市の渋井川は、実は、この川の15キロ上流にある。



    但し、この堤防は、12年前の連続地震が起きた後に、丸2年間もの歳月を掛けて
    (一部の家屋は、別の場所へ移転)、堤防の厚さを3倍強に補強し、更に、昨年
    再度堤防を補強したため、このような頑丈な厚さの堤防となった。 砂利道の
    部分が、被災後に付け足した部分で、それ以前は、このサイクリングロード
    として舗装されている部分の厚さしかなかった。

    【3倍強の厚さに補強された堤防】
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    宮城県連続地震」が発生した際に、最も被害が酷かったのは、墓地付近で、
    概ね50センチ~1メートルほど、墓石が沈下した。 お寺と神社も完全に倒壊した
    ため、その後、5年間に渡り、それぞれ、年間で5万円づつ檀家料を徴収された。

    この付近だけは、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定からも
    外されたため、瓦礫の処理は自腹だった。 町が瓦礫の処理の費用を半分負担
    したため、若干ましにはなったものの、それでも、東北の家屋は、全て大きいため、
    それぞれの家庭で、60万円~200万円程度の費用が掛かった。 その際に、税金を
    一部免除されたのだが、その金額は、何と1,000円。

    家を失い、住む場所すらなくなった人達に対する免除額が1,000円とは何とも
    情けない話し。

    美里町は、2016年1月で合併10周年なのだが、10年経過した今でも、ハッキリ
    言って小牛田と仲が悪いのは、その当時、小牛田が被災しなかったため。
    当時は、震度4強程度の揺れだったらしい。 よって、小牛田の人達は、この
    事実を覚えてはいない。

    この付近は、家屋がもれなく倒壊したため、田舎町なのに、新しい家屋だらけ
    なのだが、家を建てられなかった人達は、町から出て行ったため、その後、
    人口が劇減りした。 すぐ近所の小学校にあった仮設住宅は、2年キッカリで
    撤廃された。 東日本大震災では、東松島市の仮設住宅がその小学校のすぐ裏に
    建設されたのだが、そちらは、2015年の3月まで、丸3年間あった。 連続地震の
    すぐ後に、市町村合併の話が持ち上がったため、予算を使い果たした町には、
    既に合併を拒否出来るだけの力は残ってはいなかった。
     
    【復旧が完了した墓地と石巻から移転して来た工場】
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    この周辺は、市町村合併前までは、町の中心部だったのだが、合併後は、
    何もかも小牛田に持って行かれてしまったため、何もなくなった。 この
    付近の住民は、元々、小牛田方面へは行かないため、2015年の4月からは、
    バスすらなくなった。 バスの終点は、元々は、小牛田などではなく、涌谷
    だったのだが、市町村合併後に、強引にルートを変えられたもの。 

    この場所は、東北最大の海岸である野蒜からは、15キロ地点にあるのだが、
    東日本大震災が発生した際に、この川を伝って、津波が遡上して来たため、
    堤防内にあった木が殆どなくなった。 東日本大震災の際には、家屋の倒壊は
    1軒もなかった。 その理由は、倒れそうな家屋は、12年前に全て倒壊したため。
    美里町は、石巻からも至近距離にあるため、被災後は、石巻港から2つの工場が
    移転して来た。



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    東日本大震災、津波被災地への旅。 まずは、東北自動車道経由の高速バスに乗って、
    新宿バスターミナルを出発するところから♪



    【新宿バスターミナル】
    東京みやげは、『雷おこし』が一番有名ですが、貰って困るおみやげのかなり上位に
    食い込んでいる思います。 このような貰って困るものは避けて、おみやげは、せんべい
    とか、万人受けする無難なおみやげにしたいところ。 東京(新宿)⇔仙台間の高速バスの
    料金は、2,500円~あるので、是非お試しあれ。 再来年からは、仙台空港が、格安
    LCC航空会社のピーチ・アヴィエーションの拠点空港となるため、成田⇔仙台間の
    航空運賃は、3,000~8,000円程度になるものと思われ、高速バスの料金は、更に下がる
    かも知れません。

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    【羽生サービスエリア(埼玉)】
    今回は、JRバス東北での高速バスの旅ということで、最初の休憩場所は、埼玉県最北の
    パーキングエリアである、羽生PAです。 羽生PAは、下り線は余り大したことがないの
    ですが、上り線のPAは、時代劇のような設備となっており、東北道を利用する際には、
    必見の場所となっています。 高速バスの休憩箇所は、そのバス会社によっても異なるの
    ですが、2ヶ所の場合は、この羽生SAと、福島の安達太良SAの場合が多いです。

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    【那須高原サービスエリア(栃木)】
    栃木県北部にある、那須高原サービスエリア。 このサービスエリアで販売されている
    商品は、どれも美味しい☆ 他では販売していないような商品が多いため、東北道の
    旅では、欠かせない場所となっています。 栃木は、低迷が続く北関東の中でも、
    『都道府県魅力度ランキング』において、頭一つ抜け出ているのですが、その結果は、
    このおみやげに完全に現れています。 東北道を北上する上で、最もお勧めの休憩
    場所は、この那須高原SAとなっています。

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    【国見ービスエリア(福島)】

    福島最北端、宮城県境に隣接する、国見サービスエリア。 被災当初は、かなり線量が
    高かったが、最近では、かなり落ち着きました。 線量が高い時期でも、野外で野菜や
    果物を販売していたのには閉口しましたが、福島では、今のところ、特に影響は出ていない
    そうです。 この辺りまで来ると、ご当地キャラクターが豊富になり、何を買おうか目移り
    します。

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    【終点 仙台駅】
    高速バスの終点は、仙台駅東口駅前にあります。 一部、広瀬通に到着するバス会社も
    ありますが、その殆どは、東口に到着します。 仙台駅東口は、現在、大規模再開発中で、
    2年後の完成を目指して、着々と工事が進められています。 以前は、仙台駅に阻まれて、
    駅東西の発展度合いが著しく異なっていたのですが、最近では、東口周辺が、大規模
    再開発されたため、東口の方が綺麗になりました。

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    子育て に参加中!

    ドイツでは、2012年11月に『在宅育児手当』が新たに連邦議会で可決され、
    月額150€が最長で2年間支給されるため、子育てがしやすくなったが、
    ドイツで子供を産み育てる際に、どのような社会保障制度があるのか、
    主に給付と休業の制度について見て行こう。

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    【子供に向けた施策】

    児童手当
    ドイツの「Kindergeld(児童手当)」は、1955年に導入され、当初、第3子にのみ
    支払われていたが、後に拡充され、2010年の改訂を経た現在は、第1子と第2子へ
    それぞれ月184ユーロ、第3子へは月190ユーロ、第4子以降は月215ユーロ支給
    されている。 支給期間は、児童が18歳になる(学生は25歳)までとなっている。
    児童に向けた施策であるため、保護者の収入に関係なく支給され、課税対象では
    ないのが特徴。

    【親に向けた施策】

    ドイツの育児休業と育児手当は、1986年に導入され、その後、段階的に制度が拡張
    された。

    育児休業と親時間
    「Erziehungsurlaub(育児休業)」は、2000年に諸改正が行われ、2001年には
    「Elternzeit(親時間)」に名称が変更された。 男性も育児休業を取得しやすい制度に
    との計らいである。 親時間は最長で3年間。 産前産後休業後に続けて利用可能な
    制度で、職場への復帰が保証される。 子供が3~8歳の間に、そのうち1年を繰り
    延べることも可能となっている。 また、親時間取得中に、親は週30時間までの
    パートタイム就労を認められるため、共働きの夫婦はどちらがどれだけの親時間を
    取得するかを決めやすい。 親時間を取得する場合には、取得開始の7週間前までに
    会社側に報告することが義務付けられ、その際に2年分の取得予定を雇用主に提示
    する必要がある。

    親時間の導入により、男性の育児休業取得率は若干上昇したと言われているが、
    大幅な増加にはならなかった。 その裏には、経済的な事情がある。 現在、男性の
    育児休暇取得率は、24%前後と言われている。
     
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    育児手当から両親手当へ

    ドイツの育児手当は、育児休業取得者に対し、子供が生後24カ月になるまで、
    月300ユーロ、または、生後12カ月になるまで、月450ユーロを給付する制度だった
    (2007年1月1日までに生まれた子どもに有効)。 しかし、子供の数ごとに所得制限が
    設けられる上に、支給額も少なかったことから、男性が育児休業を取得した際の
    社会保障としては十分とは言えず、そのため男性の育児休業取得率は大幅には
    伸びなかったのである。  

    そこで、2007年に「Erziehungsgeld」(育児手当)は「Elterngeld」(両親手当)へと
    制度変更がなされ、親時間の取得によって所得が減る人に対し、子供が生まれる
    前の平均賃金(手取り)の67%を受給出来るようにした。 最高で月1,800ユーロの
    制限はあるが、育児手当からは大きく前進した内容となっている。 支給期間にも
    工夫があり、両親に与えられる14カ月分の請求権に対し、一方の親が請求出来るのは
    最長12カ月までである。 つまり、もう1人の親、主に父親が最低2カ月の育児休業
    取得することを推奨する制度になっている。 一方、支給期間は24カ月から
    最長14カ月へと短縮された。 母親が早く職場に復帰することによって、社会復帰を
    円滑なものにし、夫婦での子育てを推進する制度となっているのである。

    在宅育児手当
    「Betreungsgeld(在宅育児手当)」は、2012年8月1日以降に生まれた1~2歳の子供を
    託児所に預けず、自宅で養育する親に対して、2013年8月から月100ユーロ、2014年
    8月から月150ユーロを最長22カ月支給する制度である。 また、その給付金を
    受け取らずに老後の備えや教育費として貯蓄する場合には、月15ユーロの補助金
    給付を保証している。  

    この法案は、「託児所の増設策と共に、育児について、親に選択肢を与える政策」
    として提案されたが、反対意見も多い。 同予算が高額で良い経済効果を生み出さない、
    託児所の増設策がより急務であるといった意見や、女性を再び家に縛る退行政策
    であるという見方もある。

    親時間、両親手当、在宅育児手当は北欧各国の制度を参考に導入された。 日本から
    見れば進んだドイツの諸制度であるが、ドイツもさらに進んだ北欧諸国を規範として
    模索しているのである。

    【各国の子育てサポート制度の比較】
    i1606000

    出典:ドイツニュースダイジェスト

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    フィギュアスケートの全日本選手権第2日(12月26日 北海道真駒内セキスイハイム
    アイスアリーナ)

    男子はショートプログラム(SP)1位の羽生結弦(ANA)がフリーでも
    1位となり、合計286.36点で
    4連覇を果たした。 男子の4連覇は小川勝以来、29大会
    ぶり。 羽生は来春の世界選手権代表に決定した。



    SP2位の宇野昌磨(愛知・中京大中京高)は、フリーは3位だったが、合計276.15点で
    昨年に続く2位。 SP3位の無良崇人(洋菓子のヒロタ)はフリー2位で、合計263.46点の
    3位に入った。
    4位は242.05点の田中刑事(倉敷芸術科学大)。 5位は小塚崇彦
    (トヨタ自動車)だった。

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    女子SPは、今季グランプリ(GP)ファイナル2位で、大会連覇を狙う宮原知子さとこ
    (大阪・関大高)が、73.24点で首位スタート。 2位に68.39点の本郷理華
    (邦和スポーツランド)。 14歳の樋口新葉わかば(東京・開智日本橋学園中)が
    67.48点で3位につけた。 4位に66.02点の村上佳菜子(中京大)。 3年ぶりの女王
    返り咲きを目指す浅田真央(中京大)は、62.03点の5位と出遅れた。

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    出典:読売オンライン



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