18世紀になると、イギリスは、カナダに加えて、建材のアメリカにも13州の
植民地を所有するようになっていた。 アメリカで独立戦争(1775年~1783年)が
起こり、植民地側が勝利すると、イギリスを支持する多くの英国派(ロイヤリスト)
達は、独立した新国家に住む事を嫌い、カナダに移り住んだ。 1791年、
イギリスは、拡大する植民地をアッパー・カナダ、ローワー・カナダとに分割した。

入植者や探検家が西へ進むにつれて、カナダは、更に拡大し、1812年に
レッドリバー植民地(現在のマニトバ州)、そして、1848年にブリティッシュ・
コロンビアを獲得した。 1812年に10万人にも満たなかった人口が、1860年代は、
300万人に達し、その後もイギリス等からの移民がどんどん入って来て、人口は、
急激に増加した。

41261a72.jpg

1812年、アメリカとイギリスの間で1812年戦争が勃発した。 アメリカ軍が
カナダに攻め入ったが、イギリス軍は、小部隊ながら、毛皮商やファースト・
ネーションズ、それに、アメリカに対する忠誠心を既に失っていたロイヤリスト達に
助けられて、アメリカ軍の攻撃を食い止めた。 この経験により、彼等には、
侵略者に対抗 する仲間としての意識が芽生えた。 しかし、フランス系の人達は、
不満だった。 ファースト・ネーションズの指導者達も自分達の土地が入植者に
取られるのは、面白くなかった。

1837年、フランス系カナダ人のルイ・パピーノは、ローワー・カナダのイギリス
政府に対して、反乱を起こしたが、失敗に終わった。

16ee6411.jpg

1867年、アッパー・カナダとローワー・カナダは、それぞれ、オンタリオと
ケベックとなり、この2つとノバ・スコシア、ニューブラウンズウィッグとが
連合して、政府、議会、首相を持つ英自治領のカナダが出来た。 レッドリバー
植民地のメディス達は、その一部となる事に反対した。 オンタリオの入植者に
土地を奪われるのではないかと恐れたのだ。

1869年、ルイ・リエルは、反乱軍を率いて、植民地の指揮権を握った。 彼は、
レッドリバー植民地が1870年にカナダの一部となる時に、必ず公平な条件になる
ように交渉した。 その結果、レッドリバー植民地は、新設されたマニトバ州の
一部となり、ケベックと同じく、マニトバでも英語とフランス語
(メティスの言葉)が同等に扱われる事となった。

リエルは、1875年にアメリカへ亡命をせざるを得なくなった。 1885年に彼は、
今のサスカチェワン州に戻り、そこで、ファースト・ネーションズを率いて、
同じような反乱を起こしたが、その時は、リエルは捕らえられ、反逆者として
レジャイナで処刑された。 しかし、ケベックでは、リエルは、英雄と
見なされた。

【お勧めの一冊】


>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村