ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2022年2月28日、欧州連合
(EU)への加盟申請書に署名したと明らかにした。 バルト3国やポーランドなど
8か国は2月28日、ウクライナを早期に加盟候補国とし、交渉を始めるよう求める
書簡をEUに送った。

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EU加盟への険しい道のり
EUへの加盟にあたっては、全加盟国の承認が必要な上、法の支配や汚職の撤廃、
経済の安定などの条件を満たさなければならず、加盟交渉には数年掛かるのが
一般的だが、ウクライナは世界でも指折りの汚職大国であり、腐敗認識指数国別
ランキング
においても世界122位と、到底EUに加盟出来るレベルなどではなく、
これまでに東に拡大し過ぎたEU加盟国(ルーマニア、ブルガリア、バルト3国、
ポーランド他)から連日列挙してやって来る「東のEU市民」に散々苦しまされて
いるドイツやフランス側から不満が噴出するのは必至で、先日EUから離脱した
イギリスは、この「東のEU市民」に不満を募らせてEUからは去って行った。

EU、NATO共に、冷戦後は東方へと大幅に拡大したが、東西ドイツ統一時、
当時のソ連大統領であったゴルバチョフ氏は、旧西独のコール氏と旧東独の
ホーネッカー氏に対して、NATOとEU(当時はEC)の東方への拡大と、
旧プロイセン領の永久的な放棄を確約させたが、その後、EU、NATO共に東方へと
急激に拡大し、昔のワルシャワ条約機構のほぼ全ての加盟国を既に飲み込んでいる。

NATO加盟国(オーストリアとスイスは永世中立国)
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旧プロイセンの領土
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第二次大戦後のヨーロッパの国境
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上記の地図を見ても分かる通り、ヨーロッパでは、戦争が起こる度に国境線が
変更されており、大幅な領土の割譲も珍しくはなかったのだが、特に注目
したいのが、ウクライナの国境線で、近年以降の領土の拡大が凄まじく、
1654年までのウクライナの領土は、下記の地図のオレンジ色の部分のみであった。

ウクライナの領土の拡大
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首都キエフを含む黄色の部分は、1654~1917年の間にロシア帝国から割譲、
水色の部分は、1922年のレーニン時代にロシアから割譲、緑色の部分は、1939~
1945年のスターリン(グルジア人)の時代(第二次世界大戦後)にポーランド、
ルーマニア、スロヴァキアから武力で獲得、紫色のクリミアは、1954年の
フルシチョフ(ウクライナ人)の時代にロシアから割譲。

ソ連が作ったこの人工国家のどこに領土の一体性があるのか? 首都のキエフですら、
元々はロシア帝国の領土であり、現在「ウクライナ人」として報道されている人たちの
殆どは、バンデラ主義とアメリカに洗脳された「ネオナチ」であるため、常に政治的な
不安が続くウクライナ。 ウクライナがバンデラ主義を捨てない限り、ウクライナは
何度でもアメリカに利用される。

ドイツとの因縁の関係
ウクライナは、これまでの最大支援国であるロシアとは絶縁し、EUとNATOへの加盟を
切望するヨーロッパ1の最貧国だが、プロイセンの旧領をウクライナに奪われ、更には、
感情には決して流されないEUのリーダーであるドイツ人を説得するのは未来永劫無理
そうだ。 ドイツやフランスにとって、ルーマニアやブルガリア以下のヨーロッパ
最貧国、並びに、ロシアとの戦争を常に視野に入れなければならないウクライナを
EUに入れることは、リスク以外のなにものでもなく、
「東のEU市民」が労働者として
ドイツやフランスへと大量にやって来るため、何が何でも拒否したいところ。

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尚、EU内でも「一人勝ち」とも言われているドイツは、EU内からの出稼ぎ労働者に
常に頭を悩ませており、国民の声を一切無視して親米路線を強引に続けたメルケルは、
これにより人気が急落、次の選挙には出馬しない意向をしめしたが、実際のところは、
国民からの支持がほぼ期待出来ないため、自ら身を引いたと言われている。

ヨーロッパから見たEUとNATOの東方拡大は、迷惑以外のなにものでもなく、アメリカの
独りよがりな命令にほとほと困り果てている状況と言えそうだ。

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