青の都 サマルカンド
サマルカンドは、街全体が世界遺産に指定されています。 その中心部にある
レギスタン広場は、イスラム文化の総力を上げて建設された正にイスラムの中心地。
こちらの入場料は、ウズベク人、CIS国民、外国人のそれぞれの料金体系に分かれて
おり、ウズベク人が3,000ソム、CIS国民が3万ソム、外国人が4万ソムであった
ため、当初4万ソムを請求されたが、ロシア語で「ここに3,000ソムと書かれて
いるのに、何で4万ソムなのか?と訊ねたところ、CIS国民は3万ソムです」と
言われたため、3万ソムで入場しましたw 旧ソ連圏は、ロシア語が話せると、
どこに行ってもお得♪

【レギスタン広場】
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レギスタン広場は、「砂の場所」という意味を持っており、広場内には、マドラサ
神学校が三棟建っている。 向かって左側にはウルグ・ベク・マドラサ、右側に
シェル・ドル・マドラサ、更に、中央にはティリャー・コリーモスクマドラサが
建っているが、の内部は現在では全てお土産屋になっており、高い入場料を支払わ
なければならない割には、博物館はないという矛盾を抱えている。

この日は、どうもお祭りらしく、レギスタン広場では、学生らによる演奏が行われて
いました。 レギスタン広場にあるモスクは、現在ではお土産屋として使用されて
おり、中に入ると、様々なお土産が売られています。 日本人観光客が多いため、
あちらこちらから「チョットミルダケ」の呼び込みをされますが、これは、
ウズベク語では、「ソコノカモネギサン オミヤゲイッパイウリツケルワヨ」と
言う意味なので、無視した方が良いです。

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ウズベキスタンに限らず、この焼き物のおじいさんは、中央アジア全体で
見られるお土産で、ユーモアの象徴なのだとか。 独特の青の装飾も美しく、
このおじいさんの焼き物と、いかにもアラブのお土産っぽい雰囲気の物を
1品づつ購入しました。

【サマルカンド土産】
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【サマルカンドの歴史】
ティムールの孫ウルグ・ベクの時代に天文台が築かれて、その当時の建物を含めて
文化交差点としてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。 1868年に
中央アジア一帯はロシア軍に占領され、ロシア領トルキスタンに編入された。
サマルカンドは、元々ブハラと同様イラン系であるペルシア語話者、すなわち、
タジク人の多い都市であったが、ソビエト連邦時代の1924年、民族的境界画定に
よりウズベク・ソビエト社会主義共和国に区分され、1930年までサマルカンドが
その首都であった。

サマルカンドは、紀元前10世紀こ頃からイラン系民族のオアシス都市として
発展し、ギリシャ史料では紀元前4世紀にソグド人の都市「マラカンダ」は、
アレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に近郊の "Sogdian Rock"で
最後まで抵抗した。

【サマルカンド】
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712年にクタイバ・イブン・ムスリムによってウマイヤ朝のアラブ連合軍に
征服され、サマルカンドでのイスラム化が始まった。 イスラム時代を通じて、
ブハラと並びマーラワーアンナフルの中心都市として発展した。 751年の
タラス河畔の戦いで捕虜となった製紙職人によって、759年にイスラム世界で
最初の製紙工場が営まれたのもサマルカンドと伝えられている。

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イスラム教では、偶像崇拝を禁じているのだが、建物の上部に虎の絵があります。
これは、この建物の建築を指示した皇帝が自分の力を誇示するために書かれた物で、
現在では、サマルカンドのシンボルとなっています。

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