北アイルランド、ベルファストへの旅
北アイルランドは、イギリス領内にあるため、街並みが、全体的にイギリス風。
鉄道に乗って両国の国境を越える際には、、国境でのパスポートのチェックはなく、
特に何の手続きもなしで、そのまますんなりと入国することが出来ます。

現在でもイギリスに属している「北アイルランド」とは、アイルランド島北東に
位置するアルスター地方9州の内の6州を指しており、残りの3州はアイルランドに
属しています。

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人口約34万人のベルファストは、北アイルランドの中心都市であり、1920年に
成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに
自治権が付与されました。 その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約で
ある英愛条約に基づいて、南部26州によりアイルランド自由国が建国され、
イギリスから独立した際には、北アイルランドもアイルランドに含まれて
いましたが、アイルランドで内戦が始まったため、北アイルランド議会は
アイルランドからの離脱を表明してイギリスに留まることになりました。

【ベルファスト】
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アイルランドと北アイルランドが分裂した理由は、宗教的な対立が原因でしたが、
アイルランド国内はカトリックが多数派、北アイルランドはプロテスタントが
多数派となっています。 このため、ベルファスト市内でも、両教徒による対立が
非常に激しくなっており、それぞれの住民たちが自分たちを守るための「壁」を
造って完全に住み分けを行うことにより、平和が保たれています。

【ベルファストの夜】
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北アイルランド紛争
北アイルランド紛争とは、1968年10月に少数派カトリック系住民の差別撤廃を
目指す公民権運動が、プロテスタント系住民と衝突して以来、尖鋭化して起こった
一連の事件であり、街中には、カトリック系住民とプロテスタント系住民を隔てる
壁が今でも存在しています。 1990年代後半に紛争が沈静化するまでに犠牲と
なった人達の数は、カトリック、プロテスタント双方でおよそ3,500人と言われて
います。 北アイルランドでは、今でもカトリック系住民に対する差別が
続いており、就労時には非常に苦労するのだとか。

【対立の壁】
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豪華客船タイタニック博物館
実は、タイタニック号は、ベルファストで造船されたため、この地で進水式を
行っています。 イギリス南部のサウサンプトンを出航したタイタニック号は、
その後の処女航海で、ニューヨークを目指す途中、巨大な氷山に衝突し、そのまま
海中へと沈没しました。

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タイタニック博物館のすぐ目の前にある巨大ドックヤードに完成したばかりの
タイタニック号がしばらく係留されていたが、この時代の豪華客船は、競うように
巨大化が進み、どんどん船体が大きくなって行ったそうです。 

サウサンプトンから出航したタイタニック号は、ニューヨーク行きでしたが、
大西洋上での沈没による犠牲者数は、乗員乗客合わせて1,513人余りとなり、
戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故でした。

【タイタニック博物館】
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博物館内には、豪華客船タイタニック号の船内を再現した展示が多数ありますが、
船体には、当時としては最も高度な安全対策が施されていました。 このため、
船底が二重になっており、船体も水面上までの高さがある防水隔壁で16の区画に
区分され、そのうちの2区画に浸水しても沈没しない構造になっていました。
15cm以上の浸水で自動閉鎖される機能も備わっていたため「不沈船」として
喧伝されました。


タイタニック号沈没時には、乗客はこの救命ボートで脱出しましたが、乗員が定員に
満たぬうちに船から離れた救命ボートが多く、結果として、1,500人もの乗員乗客が
船に取り残される状況となりました。 浸水の影響で、タイタニックの船首は
海没して行き、反対に船尾が海面から高く持ち上がって行ったため、衝突から
2時間40分後、轟音と共に船体は2つに折れ、船首側がまず沈没し、残った船尾側は
やや遅れて沈みました。

【タイタニックの最後】
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救命ボートの転覆を恐れたため、沈没後に救助に向かったボートはわずか1隻
でした。 準備を整えて救助に向かった時、沈没から既に30分が経過して
いましたが、4月の大西洋はまだ水温が低く、人々が投げ出された海は零下2度の
冷たさで、乗客の大半は低体温症などで数十分〜20分程度で死亡したか、または
心臓麻痺で数分のうちに死亡したと考えられています。


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