モスクワから飛行機で約2時間半のロシアの飛び地、カリーニングラードの
主な観光地と見所。

【ロシアの母像
IMG_1220

旧ソ連圏によくある『○○の母』の像。 カリーニングラードでは
『ロシアの母像』という名前。 1974年に設置されたこの像の場所には、
かつてはスターリンの石像があった。 2007年には、カリーニングラード州の
文化遺産に指定された。

ソビエトの家
IMG_1222

ドイツ時代のケーニヒスベルグ城があった場所に建てられており、その代わりの
街のシンボルとして計画されたが、建設中に地盤が緩く、傾き、ヒビが入り、
使用出来なくなった廃墟。

ケーニヒスベルク大聖堂
IMG_1226

レンガ造りのゴシック様式の大聖堂。 1333年から1380年の間に建築。
1944年8月の第二次世界大戦中イギリス空軍の二夜に渡る空襲で街は
大きく破壊され、大聖堂もこれによって大きく破壊された。 空襲を
まぬがれるために100人ほどが聖堂に避難したが多数の死者が出てしまった。

第二次世界大戦で残った数少ない建物のひとつであり、大戦後にドイツの
敗北と共に、ドイツ領からソ連領へと移ったカリーニングラードには、
ドイツ風の建物が多いとされているが、実際は、戦時中にかなり破壊され、
ドイツ風(ゴシック様式)の建物は実は少ない。 川沿いに残された、
この一体だけが、唯一、ドイツ風の建物が残っている観光スポット。

【プレゴリャ川付近】
IMG_1229

プレゴリャ(独語名プレーゲル)川沿いにある、ドイツ風の建物。 かつては、
この川の流域には、バルト語派のプルーセン人が住んでおり、ドイツ語の
川の名であるプレーゲルは、プロシア語で深い場所を意味する『preigillis』から
来ている。 ドイツ人の東方殖民と、北方十字軍による異教徒の征服が進むと、
次第にプルーセン人はドイツ人に同化されていった。

IMG_1228

プレーゲル川河口付近に作られた港湾都市ケーニヒスベルクは、流域の
プロイセン地方の物資を集散し、バルト海を経由して各地へ輸出する港として
中世以来繁栄した。 後には、プロイセン公国が建国されプロイセン王国へと
拡大したが、第二次世界大戦後、ドイツ領だった東プロイセンは、ポーランドと
ソ連に分割され消滅し、ケーニヒスベルクもカリーニングラードと改称された。

IMG_1230

【雑 記】
前々から、iPhoneの調子が悪かったため、カリーニングラードで、iPhoneの
バッテリーを交換。 15分ほどであっという間に終わった。 特に、外人とも
思われなかったため、パスポートや、身分証明書の提示も必要なかったw
交換料金は、中国製のバッテリーが1,400ルーブル、正規品が2,400ルーブル
だったので、日本の約3分の1以下であった。

【カリーニングラード・フラブロヴォ空港】
IMG_1247

カリーニングラード南駅にあるバスターミナルから、フラブロヴォ空港行きの
空港バスが出ており、約40分程度で空港まで到着出来ます。
カリーニングラードは、ロシアの飛び地であるため、面積が非常に狭く、
1時間も車を走らせれば、国外に出てしまう程小さい。

【お勧めの一冊】


>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村