人口330万人のアルバニアは農業国である。 第二次世界大戦後、都市部に新たに
建設された工場は人々の流入を促したが、都市部に住むアルバニア人の比率は36%に
過ぎない。 この比率はヨーロッパ諸国の中では低い部類に入る。

アルバニアの都市の大部分は、沿岸部の低地と内陸の盆地に集中している。 一方、
北部と東部は小さな町や村しかない。

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【ティラナ】
 ティラナはアルバニア共和国の首都であり、アドリア海から100km弱内陸へ入った
中央部にある。 ダイティ山やその他の山々に囲まれた盆地に位置しており、人口は
27万人。 ティラナから北、南、東に向かって高速道路が走り、沿岸部の低地と
中央部の高地を結んでいる。

ティラナの建設は、1614年に遡る。 当時、この地方を支配していたオスマン
帝国の高官スレイマン・パシャが、モスクや浴場や商店の建設にあたった。
ティラナは20世紀初めまで、オスマン帝国の全哨地として留められた。 独立時の
1920年に、外国の侵略を受けやすい沿岸部のドゥラスからティラナに首都が
移された。 第二次世界大戦後、社会主義体制の下で工業化が進められると共に、
ティラナは急速に発展した。 今や食料品、繊維、重工業の中心となっている。

ティラナには国立美術館、国内最古で最大規模の大学、広い公園があり、
ティラナっ子はこれを誇りにしている。 政府や内閣関係の建物は
メインストリートのマルティルス通り6番街にある。 アルバニアで最長の
14階建てティラナホテルは、民族英雄スカンデルベグの名に因んだ広場に面して
いる。

【その他の都市】
人口8万5000人のドゥラスはアルバニア第2の都市であり、主要な港である。
この街は紀元前7世紀にギリシャ人によって建設され、後の古代ローマ時代には
アドリア海とコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)とを結ぶヴィア・
エギナティア街道の西端の港町だった。

古代ローマはここに、バルカン最大の2万人を収容出来る円形劇場を建設した。
独立直後の1913年から1920年までは首都であった。 現在、ドゥラスは
アルバニアとイタリア、ギリシャ、モンテネグロの港を繋ぐ重要な商業港である。
また、アルバニア国内鉄道網の中心地でもある。 この街の工場では、テレビ、
ラジオ、トラクター、ワインが生産されている。

人口8万2000人のシュコダルは北部最大の都市である。 2500年ほど前、
イリリア人が古代国家を建設した時、シュコダルを首都と定めた。 露出した
岩の向こう側に、シュコダルの街を見渡せるロザファ要塞があり、人目を引くため、
イリリア人、ローマ人、ヴェネツィア人、オスマントルコの占領を受けることに
なった。

1979年に大きな地震で被害を受けたが、この街の人々は建物の多くを修復した。
シュコダルの見所のひとつは、1967年に政府が全ての宗教を禁止したことを祝って
造られた無神論博物館となっている。

人口7万7000人のヴロラは、南部のヴロラ湾に面した港である。 アルバニアの
輸出品と輸入品の大部分がヴロラ港を経由する。 このヴロラ港へは、アドリア海の
イタリア側にあるオトラント海峡を越えると、40kmの距離しかない。 アルバニア
政府は観光産業の振興のため、ヴロラの南部のアドリア海沿岸部に、新たなリゾート
地帯を造る計画を進めている。

アルバニア南部の丘陵地帯にあるジロカスタルには、赤いタイルづくりの
伝統的な家が並び、アルバニアの多くの都市で見られる無味乾燥な工場や、
くすんだコンクリートのアパート群と好対照をなしている。 背の高い白塗りの
家々の間には、玉石の敷かれたくねった道が続く。

この街はアルバニア社会主義の父ホジャの生地としても有名であり、1961年には、
新たな建設を全て禁止する法令が発布された。

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