1800年代は、スウェーデン全土に渡って貧困の時代だった。 ヨーロッパの他の
国々と同じように、スウェーデンも平和な時期には出生率が上昇、またジャガイモを
食糧源としたことや、保健衛生の条件が改善されたことで、人口はますます増えた。
時には、食糧の自給率を上回るペースで人口が増大した。

スウェーデンの人口は1815年の250万人から、1845年の330万人、1900年までには
510万人と増えて行った。 1840年から1900年に掛けて85万人が国外へ移住
したが、これは貧困のためで、行き先は主としてアメリカだった。 スウェーデン
移民の多くは、アメリカ北中部のミネソタ、イリノイ等に住み着いた。

同時期、スウェーデン社会に大きな影響を与えるもうひとつの大きな変化が
起こった。 1800年代末になると、貿易業者や労働者の連合組合が出来出した
のである。 当時、投票権を持っているのは人口の10%に満たなかった。
これらの労働組織は、政治的な不満の捌け口にもなった。 労働運動の中では
労働者の教育の問題も重視され、学校や各種の訓練プランが組合によって作られた。
1890年代になると、多くのこうした労働者グループを政治的に統合した新しい
『社会民主労働党』が生まれた。

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【工業化】
経済的に色々な問題を抱えながらも19世紀後半、スウェーデンは目覚しい工業化を
達成した。 スウェーデン人科学者、アルフレット・ノーベルによるダイナマイトの
発明がなかったら、世界の開発はどれだけ遅れたことか。 ダイナマイトのお陰で、
スウェーデン自身、道路や鉄路が発達し、そうした交通網の整備されたところへ
外国資本が加わって、スウェーデンの工業化が促進された。

製造業が盛んになると雇用が増え、国外への移住者も減り出した。 スウェーデン産
木材に対する外国からの需要が増えたため、林業も栄え、ノルランドの原生林が
重要な供給源になった。 スウェーデンはパルプ紙の生産技術をはじめ、鉄鉱石から
鉄を取り出す技術、良質の鉄鋼生産技術を開発、他のヨーロッパ諸国は
スウェーデンの鉄鋼を大量に輸入した。 一方、スウェーデン自身も、これらの
材料から新しい工業製品を作り出し、また多くの消費財も生産し始めた。

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