1916年までに、軍事的敗北と食料の欠乏のため、オーストリアの市民と兵士達の
間には不満が広がっていた。 この年、フランツ・ヨーゼフが死んでカール1世が
皇帝となった。 翌年、オーストリアの労働者達は経済状態の悪化に抗議した。
中央政府の弱体化に連れて、ハンガリー人、チェコ人、スロバキア人、
ポーランド人、スロベニア人、クロアチア人等が次々とオーストリアから独立を
宣言した。

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1918年、オーストリア・ハンガリーは、ドイツと共に遂に連合国側に降伏した。
降伏後、カール1世は退位し、600年以上に渡ったハプスブルグ家の支配は
終わった。 社会民主党の指導で、臨時国会が開かれ、オーストリア共和国の
成立が宣言された。 1919年、サンジェルマン条約が結ばれて、共和国の現在の
国境が画定した。 この条約はまた、ハンガリー、チェコスロバキア、
ユーゴスラビアを独立国として承認した。

1920年、オーストリア国会は、社会民主党とキリスト教社会党の協力で新憲法を
採択した。 この憲法に基づいて国民議会と呼ばれる立法機関が成立した。
国民議会の多数党の代表が政府の首相に任命されることに決まった。

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オーストリアの国内の不安はなおも続き、共和国の経済は少しづつ悪化して行った。
2つの主要政党の対立は、しばしば街頭の騒乱にまで発展した。 多くの
オーストリア人達は、元のハプスブルグ帝国の断片に過ぎない国家が、生き残る
ことは出来ないのではないかと感じ始めた。 ドイツとの統合、ドイツ語で
アンシュルスを支持する声が、1930年代初期に高まった。 世界的な経済不況と、
ウィーンにある大銀行の倒産が原因となって、大量の失業者が生じ、市民の生活は
ますます苦しくなった。 このためにアンシュルス運動はますます力を得た。

ドイツでは、アドルフ・ヒトラーと彼の率いる国家社会党、ナチの人気が高まり、
そのために、オーストリア政府にはドイツとの統合への新しい圧力が加わった。
オーストリアに出来たナチ党は、ハイムヴェーアと呼ばれる私兵隊の支援を受けて
いた。 ドイツとオーストリアのナチ党で支配的な考え方は、反ユダヤ主義、
ユダヤ人迫害だった。

1934年、ハイムヴェーアは、オーストリア政府を転覆しようと企てた。 騒乱の
中でハイムヴェーアのメンバーの1人が、キリスト教社会党出身のエンゲルベルト・
ドルフス首相を射殺した。 ドルフスの後継者クルト・フォン・シュシニックは
何人かのナチ党員を閣僚に任命した。 ヒトラーはそれでも満足せず、1938年、
ドイツ軍にオーストリアへの侵入を命令し、力によってアンシュルスを成し遂げた。
オーストリアとドイツのナチ党は、多数の政治的対立者とユダヤ系住民を逮捕し、
ドイツとポーランドにある強制収容所に送り込んだ。 1939年、ドイツの
ポーランド侵入によって第二次世界大戦が始まった。

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