486年には、フランク族の王クローヴィスがそれまでガリアを支配していた
ローマ人を破り、北ヨーロッパにフランク王国を建設した。 クローヴィスは、
キリスト教に改宗したことでも知られている。 キリスト教は中東から
ヨーロッパに伝えられた宗教であるが、フランク族は宗教上、西欧キリスト
教会の主座を占めるローマ教皇に服従していたのである。

クローヴィスの死後、王国は息子たちの間で分割され、勢力は弱まった。
そこでゲルマン民族の中には、フランク族からの独立を主張する者が多く表れ、
例えば、北ドイツに勢力のあったサクソン族は、キリスト教に激しく反発した。

768年にフランク族の支配者となったカール大帝は、サクソン族を破り、中央
および西ヨーロッパに領地を広げた。 こうして、800年にはローマ教皇レオ3世
からローマ教皇の冠を授けられ、西ローマ帝国の復活を果たしたが、これは
かつての西ローマ帝国と性格の異なるものであった。 数年の間にカール大帝は
ゲルマン民族を統一し、西ヨーロッパにおける戦争や侵略に終止符を打った。

また、首都アーヘンにて中央集権政治を確立、学校や修道院の建設を命じ、
教育や学問を奨励した。 こうして進歩的な支配者であったカール大帝の
監修の下、初めてドイツ語の辞書が編纂された。

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カール大帝の死後、後継者たちは領地の支配をめぐって争い、843年には、
孫3人が帝国を三分割することを取り決めたヴェルダン条約を締結した。
この条約によって、ルートヴィッヒ2世はライン川東岸を含む東フランクを、
ロタールはライン川西岸の中部フランクを、カール2世(禿頭王)は西フランク
(後のフランス王国)を、それぞれ獲得することになった。

9世紀になると、東方からの侵略者が東フランク王国に襲撃を企てるようになった。
ドイツの諸侯は、王国を守るのに手柄があるごとに、王国から称号や領地を
授けられ、これらの諸侯はやがて、ドイツ内に独立した公国をつくって行った。
その中でも最も強大なサクソン、シュヴァーベン、フランケン、バイエルン、
ロートリンゲンなどがあった。

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