ドイツに人が定住するようになったのは、今から約65万年前のことであると
考えられている。 だが、これら初期の人々については、殆んど何も分かって
いない。 約10万年前になると、狩猟生活をしていたノルマン系の人々が、
中央ヨーロッパ北部の森林や川の流域に移り住んだ。 現代になってその骨格は、
デュッセルドルフ近郊のネアンデルタル谷で発見され、発見場所に因んで
ネアンデルタール人と名付けられた。

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紀元前400年までには、ケルト人が現在のドイツ南部と西部を含む中央ヨーロッパに
住み着いて行った。 ケルト人は、農業を営み、家畜を飼い、農耕や戦闘用の
鉄器を作り、また、鉱石から金、銀、銅を精製していた。

【チュートン人】
紀元前100年頃には、北ヨーロッパのチュートン人が、ケルト人を圧迫しながら
ドイツに移住して行った。 同じ頃、イタリア半島を拠点としながら、勢力を
伸ばしていたローマ帝国の軍隊が、ライン川西岸のケルト人を征服した。 この
ライン川は後に、ローマ帝国の属州ガリア(現在のフランス)と、ゲルマニア
(ローマ人はライン川東岸にあるチュートン人の領土をこう呼んだ)との境を
成す事になる。

ゲルマニアの森林が深いため、ローマ人はチュートン人の農地や村落を征服する
事が出来ないので、ライン川とドナウ川との間に要塞を築き、チュートン人が
ガリアやイタリアに侵入するのを防いだ。

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しかし、紀元前4世紀までに、ローマ帝国はチュートン人の攻撃によって次第に
衰退し、395年、帝国は東西に分断された。 これを機にゴート族やフラン族等の
ゲルマン民族は攻撃を仕掛け410年、ゴート族はイタリアに進撃を仕掛し、首都の
ローマを焼き払った。 ローマ皇帝は軍事力強化のため、ローマ軍にゲルマン兵を
雇い入れ、ゲルマン人の指揮官の下で働かせた。 しかし、このような指揮官の
ひとりであったオドアケルが、467年ローマに反逆し、首都を攻撃すると共に、
皇帝を廃して、自らイタリアの支配者となった。 こうして西ローマ帝国は崩壊し、
フランク族等のゲルマン民族がライン川を渡って、ガリアにあるローマ領を占領する
ようになる。

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