【セブ島へ】
フィリピン中部の海に浮かぶ南国の島、セブ島へは成田空港から空路で4時間
40分ほど。 マクタン・セブ国際空港は、セブ島のお隣のマクタン島にあるため、
セブ・シティーまでは、タクシーで約1時間ほど掛かる。
セブ空港からの公共交通機関は一切なく、タクシーを利用する以外の選択肢はない。
空港を出て暫く歩くと、若干割高の黄色いホテルタクシーとかなり割高の白い
タクシーの2種類しか選ぶことが出来ない。 セブ島内ではバスは殆んど走って
おらず、庶民の足として利用されている、ジプニーやトライシクルも空港には
乗り入れていない。
現地のツアーガイドに聞いた話では、空港からセブ・シティーまでの平均的な40分ほど。 マクタン・セブ国際空港は、セブ島のお隣のマクタン島にあるため、
セブ・シティーまでは、タクシーで約1時間ほど掛かる。
セブ空港からの公共交通機関は一切なく、タクシーを利用する以外の選択肢はない。
空港を出て暫く歩くと、若干割高の黄色いホテルタクシーとかなり割高の白い
タクシーの2種類しか選ぶことが出来ない。 セブ島内ではバスは殆んど走って
おらず、庶民の足として利用されている、ジプニーやトライシクルも空港には
乗り入れていない。
タクシー料金は300ペソ程度だそうで、空港からの白のタクシーでは、大概500
ペソを要求されるため、帰りのセブ・シティーから空港までのタクシーでは、
行きは350ペソしか支払っていない旨を伝えたところ、400ペソになった。
セブでは、何事でも一々値段交渉をしなければならないという、なかなか
アジアチックなカオスな場所。
【マクタン島】
空港を降り立ち、タクシーでまずは、最寄の観光地であるマゼラン記念碑へと
向かったのだが、空港からこの場所までは300ペソであった。 バイクに荷台の
ようなものを付けたトライシクルの方が安いため、トライシクルを探したところ、
空港には乗り入れられないようだったため、仕方なく値段の高いタクシーに
乗ることとなったのだが、通常のタクシーはどうせかなりボラれるため、
最終的には、例え多少割高でも、黄色いホテルタクシーの方が安いと思う。
向かったのだが、空港からこの場所までは300ペソであった。 バイクに荷台の
ようなものを付けたトライシクルの方が安いため、トライシクルを探したところ、
空港には乗り入れられないようだったため、仕方なく値段の高いタクシーに
乗ることとなったのだが、通常のタクシーはどうせかなりボラれるため、
最終的には、例え多少割高でも、黄色いホテルタクシーの方が安いと思う。
この地には、マゼラン上陸記念碑とスペインからやって来たマゼラン一向に
戦いを挑んでマザランを殺したこの地の領主であったラプラプの像があるため、
それに因んで、マクタン島最大の都市の名前はラプラプ・シティーとなっている。
マゼラン上陸記念碑周辺にあるお土産屋の値段は、日本人の感覚としては非常に
安いものの、セブの平均的な月給は、1万2千円程度しかないため、それを考えると
ここまでのタクシーの値段300ペソは、べら棒に高い。
勇者ラプラプの像とその周辺は島であるため、綺麗な海が見えるのかと思いきや、
セブ島も含めて、海は殆んど見えない。 南国リゾート地をイメージしてセブに
来ると、完全に期待を裏切られるため、東南アジアの超ド貧乏な地域をイメージ
して来る事をお勧めする。 リゾートホテルが乱立している極々一部の地域のみが
リゾート地なのであり、マクタン島では、一歩外に出ると、観光客目当ての
たかりが沢山集まって来る場所と心得えておいた方が良い。
【マクタン島で何故か勝手に船に乗せられることに】
ここで、ついでに海が見たいと言ったのが運の尽き。 勝手に自分の船まで連れて
行かれ、しかも、そのまま沖に出てしまった。。 その後、海上で料金を尋ねた
ところ、5,000ペソ(約1万円=現地の月給並み)と言い出したため、とっとと岸に
戻せと言うと、どんどん言い値が切り下がって来たものの、そもそも、空港では
3,000円しか両替をしておらず、1,250ペソ程度しか持ち合わせていないにも
関わらず、この船に乗っている間中、3人のお土産売りのおばさんらに囲まれて、
お土産を買え!攻撃を延々とされた。。
最後は、近所の別のショッピングモールまで乗せて貰う約束の筈が、何故か道端の
タクシーが居るところで勝手に降ろされ、チップとして1,000ペソ(約2,000を)を
要求されたが、日本円で1,000円しか支払わなかった。 当初は100ペソのみと
言っていたくせに、5,000ペソまで勝手に切り上げるのは、東南アジア独特の風習と
言って間違いない。 日本のおもてなしも、全く頼んでもいないのに、勝手に
過剰サービスを強要されて多額のお金をふんだくられるため、システム的にかなり
これに近く、アジアの国は基本的に嫌いだ。
空港からの出だし早々、ボッタクリに遭遇してしまったため、気を取り直して、
セブ・シティーへと向かった。 セブの人たちは、人間的には良い人たちが多い
とは思うものの、要求して来る値段が日本円に換算しても高過ぎる。。 最後は、
土産物売りのおばさんとさっきまで1個1,000ペソ(約2,000円)だと言われていた
サメの歯の細工と、先日香港で35香港ドル(約500円)で買ったバッタ物の時計とを
交換し、完全に元を取った(笑)
【セント・ニーニョ教会とマゼランクロス】
【サン・ペドロ要塞とカルボン・マーケット】
戦いを挑んでマザランを殺したこの地の領主であったラプラプの像があるため、
それに因んで、マクタン島最大の都市の名前はラプラプ・シティーとなっている。
マゼラン上陸記念碑周辺にあるお土産屋の値段は、日本人の感覚としては非常に
安いものの、セブの平均的な月給は、1万2千円程度しかないため、それを考えると
ここまでのタクシーの値段300ペソは、べら棒に高い。
勇者ラプラプの像とその周辺は島であるため、綺麗な海が見えるのかと思いきや、
セブ島も含めて、海は殆んど見えない。 南国リゾート地をイメージしてセブに
来ると、完全に期待を裏切られるため、東南アジアの超ド貧乏な地域をイメージ
して来る事をお勧めする。 リゾートホテルが乱立している極々一部の地域のみが
リゾート地なのであり、マクタン島では、一歩外に出ると、観光客目当ての
たかりが沢山集まって来る場所と心得えておいた方が良い。
【マクタン島で何故か勝手に船に乗せられることに】
東南アジア名物、頼みもしないのに、あちこち連れ回されました。 ラプラプの像
からは、海が全く見えなかったため、15分ぐらい歩けば、海が見えるだろうと思い、
道路を歩いていたところ、現地の人たちから次々に声を掛けられたため、
とりあえず、空港のそばにあるマリーナモールからセブ・シティー行きの格安の
ワゴンタクシーが出ていることを思い出し、マリーナモールまで行きたいと伝えた
ところ、100ペソ(約200円)と言われたため、とりあえずこのトライシクルに
乗ることにした。 因みに、現地のトライシクルの初乗り運賃は8ペソ(約16円)。
からは、海が全く見えなかったため、15分ぐらい歩けば、海が見えるだろうと思い、
道路を歩いていたところ、現地の人たちから次々に声を掛けられたため、
とりあえず、空港のそばにあるマリーナモールからセブ・シティー行きの格安の
ワゴンタクシーが出ていることを思い出し、マリーナモールまで行きたいと伝えた
ところ、100ペソ(約200円)と言われたため、とりあえずこのトライシクルに
乗ることにした。 因みに、現地のトライシクルの初乗り運賃は8ペソ(約16円)。
ここで、ついでに海が見たいと言ったのが運の尽き。 勝手に自分の船まで連れて
行かれ、しかも、そのまま沖に出てしまった。。 その後、海上で料金を尋ねた
ところ、5,000ペソ(約1万円=現地の月給並み)と言い出したため、とっとと岸に
戻せと言うと、どんどん言い値が切り下がって来たものの、そもそも、空港では
3,000円しか両替をしておらず、1,250ペソ程度しか持ち合わせていないにも
関わらず、この船に乗っている間中、3人のお土産売りのおばさんらに囲まれて、
お土産を買え!攻撃を延々とされた。。
最後は、近所の別のショッピングモールまで乗せて貰う約束の筈が、何故か道端の
タクシーが居るところで勝手に降ろされ、チップとして1,000ペソ(約2,000を)を
要求されたが、日本円で1,000円しか支払わなかった。 当初は100ペソのみと
言っていたくせに、5,000ペソまで勝手に切り上げるのは、東南アジア独特の風習と
言って間違いない。 日本のおもてなしも、全く頼んでもいないのに、勝手に
過剰サービスを強要されて多額のお金をふんだくられるため、システム的にかなり
これに近く、アジアの国は基本的に嫌いだ。
セブ・シティーへと向かった。 セブの人たちは、人間的には良い人たちが多い
とは思うものの、要求して来る値段が日本円に換算しても高過ぎる。。 最後は、
土産物売りのおばさんとさっきまで1個1,000ペソ(約2,000円)だと言われていた
サメの歯の細工と、先日香港で35香港ドル(約500円)で買ったバッタ物の時計とを
交換し、完全に元を取った(笑)
【セント・ニーニョ教会とマゼランクロス】
タクシーでセブ・シティーに到着後は、セント・ニーニョ教会の前で降ろして
貰ったため、そのまま目の前にあるセント・ニーニョ教会に入ったところ、
フィリピン最古のカトリック教会だけあって、5,000名程度でミサを行っていた。
フィリピンは敬虔なカトリックの国であるため、毎日午後3時と午後6時には、
神のありがたいお言葉と共に、全ての業務が1分程度ストップする。 以前、
オーストリアにも住んでいたが、同じカトリックの国でも、こうも違うものなのか
と思ってしまった。 オーストリアには断食はあるのだが、こういうものは
なかった。
セント・ニーニョ教会では、皆ろうそくに火をともしていたので、周囲の真似を
して5つぐらいのろうそくに火をともし、その場を立ち去った。 ミサは全て
英語で行われており、フィリピン人の約75%が英語を喋れるという事を実感した
ものの、フィリピンよりもハッキリ言って、香港の方が断然英語が通じる。
フィリピン人の英語は、相当訛っているため、非常に聞き取り辛い。
貰ったため、そのまま目の前にあるセント・ニーニョ教会に入ったところ、
フィリピン最古のカトリック教会だけあって、5,000名程度でミサを行っていた。
フィリピンは敬虔なカトリックの国であるため、毎日午後3時と午後6時には、
神のありがたいお言葉と共に、全ての業務が1分程度ストップする。 以前、
オーストリアにも住んでいたが、同じカトリックの国でも、こうも違うものなのか
と思ってしまった。 オーストリアには断食はあるのだが、こういうものは
なかった。
セント・ニーニョ教会では、皆ろうそくに火をともしていたので、周囲の真似を
して5つぐらいのろうそくに火をともし、その場を立ち去った。 ミサは全て
英語で行われており、フィリピン人の約75%が英語を喋れるという事を実感した
ものの、フィリピンよりもハッキリ言って、香港の方が断然英語が通じる。
フィリピン人の英語は、相当訛っているため、非常に聞き取り辛い。
セント・ニーニョ教会の直ぐ隣には、マゼランが作ったとされているマゼラン・
クロスがある。 マゼランがフィリピンを発見したのが1521年であるため、
約500年前にマゼランによって作られた十字架がそのまま展示されていること
になる。 マゼラン自体は、ラプラプ王によってマクタン島で殺された。
マゼランはスペインからやって来たため、スペイン人なのかと思いきや、実は
ポルトガル人。
クロスがある。 マゼランがフィリピンを発見したのが1521年であるため、
約500年前にマゼランによって作られた十字架がそのまま展示されていること
になる。 マゼラン自体は、ラプラプ王によってマクタン島で殺された。
マゼランはスペインからやって来たため、スペイン人なのかと思いきや、実は
ポルトガル人。
セント・ニーニョ教会、マゼランクロスのすぐそばにあるサン・ペドロ要塞は、
スペイン統治時代に建設されたもので、現在その周辺はセブ港湾地区、独立広場
となっている。 フィリピンは、スペイン統治時代が長かったため、そこかしこに
スペイン時代の名残が残っている。 サン・ペドロ要塞は、フィリピン最古の
要塞であり、初期のスペイン人入植者にとっての中心的な拠点であったもの。
セブはフィリピンの歴史の始まりの地であるため、フィリピン最古のものが
多数ある。 この影響で、セブ州で話されているビサヤ語の中には、時々
スペイン語の単語が残っており、ビサヤ語は何となくスペイン語に響きが似ている。
フィリピンは、日本支配時代とアメリカ統治時代を経て独立を果たしているため、
英語に似た単語も多数含まれている。
スペイン統治時代に建設されたもので、現在その周辺はセブ港湾地区、独立広場
となっている。 フィリピンは、スペイン統治時代が長かったため、そこかしこに
スペイン時代の名残が残っている。 サン・ペドロ要塞は、フィリピン最古の
要塞であり、初期のスペイン人入植者にとっての中心的な拠点であったもの。
セブはフィリピンの歴史の始まりの地であるため、フィリピン最古のものが
多数ある。 この影響で、セブ州で話されているビサヤ語の中には、時々
スペイン語の単語が残っており、ビサヤ語は何となくスペイン語に響きが似ている。
フィリピンは、日本支配時代とアメリカ統治時代を経て独立を果たしているため、
英語に似た単語も多数含まれている。
【サン・ペドロ要塞とカルボン・マーケット】
セブ港のそばにあるフィリピン最古の要塞、サン・ペドロ要塞。 夜は
ライトアップされており、午後7時半まで中に入ることが出来る。 直ぐ隣には
独立広場があり、共にセブ・シティーの中心部にある。 セブ・シティーは実は
余り観光化されていないため、主な見るものとしては、サン・ペドロ要塞、
セント・ニーニョ教会とマゼランクロスぐらいしかない。 この後は、
ナイトマーケットへと繰り出したが、台湾や中国のような華やかなマーケットだと
思っていたところ、大きな勘違いであったことに気付いた(笑)
ライトアップされており、午後7時半まで中に入ることが出来る。 直ぐ隣には
独立広場があり、共にセブ・シティーの中心部にある。 セブ・シティーは実は
余り観光化されていないため、主な見るものとしては、サン・ペドロ要塞、
セント・ニーニョ教会とマゼランクロスぐらいしかない。 この後は、
ナイトマーケットへと繰り出したが、台湾や中国のような華やかなマーケットだと
思っていたところ、大きな勘違いであったことに気付いた(笑)
セブ・シティー市民の台所、カルボン・マーケットには、実は観光客は殆んど
おらず、現地の人たちばかりなので非常に雑多。 アジア的なカオスな場所が
好きな人以外は余りお勧め出来きない場所となっている。 カルボン・
マーケットは、 人ごみが凄いため、スリに気をつけるようにとガイドブック
には記されていたが、そこまでの危険性は感じなかったものの、基本的に非常に
暗いため、何を売っているのか、良く分からない。 カルボン・マーケットは、
実際のところ、道に物を広げただけの戦後の闇市と言った方が分かりやすい。
雰囲気的に、正に70年ぐらい前といった感じ。
おらず、現地の人たちばかりなので非常に雑多。 アジア的なカオスな場所が
好きな人以外は余りお勧め出来きない場所となっている。 カルボン・
マーケットは、 人ごみが凄いため、スリに気をつけるようにとガイドブック
には記されていたが、そこまでの危険性は感じなかったものの、基本的に非常に
暗いため、何を売っているのか、良く分からない。 カルボン・マーケットは、
実際のところ、道に物を広げただけの戦後の闇市と言った方が分かりやすい。
雰囲気的に、正に70年ぐらい前といった感じ。
カルボン・マーケットから滞在地であるフエンテ・オスメーニャまでは、約2キロ
程度離れており、セブ・シティーではバスが一切走っていないため、フィリピン
独自の乗り物、ジプニーで移動しようかとも考えたものの、さほど遠くないため、
街をぶらぶらしながら、歩くことにした。
【フエンテ・オスメーニャ】
程度離れており、セブ・シティーではバスが一切走っていないため、フィリピン
独自の乗り物、ジプニーで移動しようかとも考えたものの、さほど遠くないため、
街をぶらぶらしながら、歩くことにした。
【フエンテ・オスメーニャ】
セブ・シティーは、全体的に街が暗くて汚いため、夜の一人歩きは余りお勧め
出来ないが、途中で何ヶ所かナイトマーケットを見つけたり、格安のマッサージ屋を
見つけたりと、それなりの収穫があった。 滞在地としては、カルボン・マーケット
周辺、あるいは、フエンテ・オスメーニャが最もお勧め。 どちらも24時間営業の
店が多いため、夜遅く到着しても大丈夫。
最後は、滞在地のフエンテ・オスメーニャにあるショッピングセンター内の
Joliebee(フィリピンで人気のハンバーガーショップ)で遅い夕食を食べた。
この後、午後9時からは、寝る間を惜しんで、3時間のオイルマッサージに行った。
出来ないが、途中で何ヶ所かナイトマーケットを見つけたり、格安のマッサージ屋を
見つけたりと、それなりの収穫があった。 滞在地としては、カルボン・マーケット
周辺、あるいは、フエンテ・オスメーニャが最もお勧め。 どちらも24時間営業の
店が多いため、夜遅く到着しても大丈夫。
カルボン・マーケットから約2キロ離れたフエンテ・オスメーニャまでの途中では、
かなりの数のジプニーとすれ違ったが、この乗り物にはバス停と言うものが存在
せず、自分で降りる場所を運転手に伝えて降りる仕組みであるため、現地の人間
以外は非常に使い辛い。 セブ島にはバス停が一切ないため、バスの乗り降りは
全てこの仕組み。 しかも、定員オーバーで車体から人間がはみ出していることも
日常茶飯事。 普通に車の荷台に人間が山盛り乗っているため、ある意味危険だが、
ある意味見ていて面白い(笑)
かなりの数のジプニーとすれ違ったが、この乗り物にはバス停と言うものが存在
せず、自分で降りる場所を運転手に伝えて降りる仕組みであるため、現地の人間
以外は非常に使い辛い。 セブ島にはバス停が一切ないため、バスの乗り降りは
全てこの仕組み。 しかも、定員オーバーで車体から人間がはみ出していることも
日常茶飯事。 普通に車の荷台に人間が山盛り乗っているため、ある意味危険だが、
ある意味見ていて面白い(笑)
最後は、滞在地のフエンテ・オスメーニャにあるショッピングセンター内の
Joliebee(フィリピンで人気のハンバーガーショップ)で遅い夕食を食べた。
この後、午後9時からは、寝る間を惜しんで、3時間のオイルマッサージに行った。