当時、ヨーロッパ人は贅沢な品物や豊かな市場のあるアジアへの近道を
探していた。 1467年、イングランド王ヘンリー7世に雇われたイタリアの
探検家ジョバンニ・カボートが北回りの海路でアジアへ向かった。 しかし、
彼が上陸したのは、カナダの東海岸で、ニューファウンドランドとノバスコシアの
中間のどこかだった。

彼はそこをイギリスの領土と宣言した。 カボートが発見した土地は、沿岸の海が
魚の宝庫だった。 ヨーロッパでは魚の需要が増えつつあったため、イギリス、
ポルトガル、フランスの猟師たちが大挙してニューファウンドランド沖に出漁して
来た。

やがて、ヨーロッパ人はその地が未知の世界であることを知った。 ヨーロッパ
各国の王室は、貴金属が埋蔵されている可能性のある新世界に注目した。

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1534年、フランスの探検家ジャック・カルティエは、フランス王国フランソワ
1世に資金を出してもらい、大西洋の探検航海に乗り出した。 1534年、
カルティエはセントローレンス川の河口を発見し、35年には、セントローレンス川
を遡って、2つのインディアンの村落に相次いでたどり着いた。 これが現在の
ケベックとモントリオールである。

カルティエは、この地域一体をフランス領と宣言した。 しかし、フランソワ1世は
打ち続く戦乱のために、カルティエの探検にもうこれ以上の資金援助をする余裕が
なかった。 カルティエは太平洋岸まで探検出来ず、フランスは新世界の植民地化を
ほとんど進めることが出来なかったのである。

【交易の発展とイギリスの進出】

カナダにはまだヨーロッパ人の居住地はなかったが、ヨーロッパの漁師たちは、
引き続き大西洋岸一体の豊かな漁場を利用していた。 捕った魚を日に干すために
上陸した漁師たちは、付近のインディアンと出会うようになった。
インディアンは、ヨーロッパ人の漁具に目を付け、毛皮と交換してもらいた
がった。

やがて、主にフランスの漁師とインディアンとの間で、毛皮交易が活発に行われる
ようになった。 フランスの若者たちは、インディアンの村落の近くに住み始め、
インディアンに集めさせたビーバーなどの毛皮を本国に送った。 インディアンの
部族、特に、ヒューロン族とイロコイ族が、毛皮交易のインディアン側の主導権を
めぐって張り合うこともあった。

一方、イギリスは再び探検に関心を持ち始めた。 1583年にハンフリー・
ギルバート卿がニューファウンドランドに上陸し、そこをイギリスの領土と
宣言した。 その後、西へ向かって数々の探検が行われ、1610年にはイギリスの
探検家ヘンリー・ハドソンが今日ハドソン湾と呼ばれる広大な内湾にたどり着いた。

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