在位73年間の後、1715年にルイ14世が亡くなると、曾孫ルイ15世がわずか5歳で
即位した。 この時、フランスの勢力は絶頂期で、ヨーロッパ情勢を左右する
程だった。 フランスは世界最大の殖民地帝国のひとつとなった。 帝国の支配を
支えたのは、商船の大船団だった。 フランス語は、ビジネス、科学、外交の
国際語になった。 フランスの作家は、平等と市民権という新思想でヨーロッパに
知れ渡った。

しかし、同時に、フランスの労働者は重税と農作物の不作で生活が苦しかった。
腐敗した官吏は、職責を悪用して私腹を肥やした。 ルイ15世は、これらの問題に
取り組もうとも、フランス経済を状況の変化に合わせようともしなかった。
大きくなった中産階級は貴族たちと一緒になって、政府を改善し、王政へもっと
自分たちの声を反映させることを要求した。

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1774年に王位を継いだルイ16世は、いくらか改善を試みたが、行政官たちの反対に
あった。 国王による政府の掌握力は、急いでしなければならない政治、財政の
改革に失敗したために弱まった。 ヨーロッパの他の強国との貿易競争にも
立ち遅れて、フランス帝国は弱くなった。 田舎では激しいデモが起き、民衆は
代表議会を要求した。 このため、ルイ16世は1788年に三部会を招集した。

三部会は、1615年以来、有名無実となっていた。 三部会は僧侶(第一身分)。
貴族(第二身分)、中産階級(第三身分)の代表で構成されていた。 1789年に
三部会の第1回会議が開かれた後、第3身分の代表たちは、国民議会を組織して、
新憲法を制定した。 ルイ16世がこの新しい議会を解散しようとしたため、
パリ市民は、7月14日にバスチーユ牢獄を襲って占領してしまった。 こうして
フランス革命が始まった。 革命はパリで続き、地方にも広がった。 国王の
軍隊はデモ隊の人数よりも少なく、圧倒されてばかりいた。

一方、国民議会はフランスの政府と社会を全面的に変革する法律を制定した。
議会は、貴族所有の土地を取り上げ、腐敗した地方の裁判官や徴税官を辞めさせた。
議会はまた、ローマ・カトリック教会の所有地も取り上げた。 ローマ教皇は、
この措置ににはもちろん、フランスでの他の変革にも腹を立てた。

フランスは、国王に忠誠である王党派と国民議会の権限を守る共和派とに分裂した。
フランスはまた、革命に反対するイギリスとハプスブルグ家のオーストリアの軍事
干渉を受けた。

ハプスブルグ軍は1792年春、フランスに侵略し、フランスを負かすと、国内では
またも民衆が反乱を起こし、ルイ16世とブルボン王朝を倒した。 ルイ16世と
オーストリア人の王妃マリー・アントワネットは1793年に処刑された。 こうして
国民議会は第一共和制を打ち立てた。

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