キルギスの人口は440万人で、そのうち、キルギス人がそのおよそ半分を
占めている。 キルギス人は、ウズベク人(人口のおよそ12%)やタタール人と
同様、トルコ系民族で、イスラム教スンニ派を信仰している。

それに対して、ロシア人(約25%)やウクライナ人(2.5%)はスラブ系民族
である。 彼らは、異なる文化を持ち、キルギスの中ではますます異質な
存在となり、両者の間の対立が今日、強まりつつある。

kyrgyzstan

現在のキルギス人の祖先は、トルコ系民族とモンゴル系民族であった。
キルギス人が一民族としての意識を持つようになったのは、早くとも、18世紀
以降のことと考えられている。 キルギス人が遊牧してた地域は、19世紀以来、
コーカンド・ハン国の支配下に置かれていた。 1830年頃には、ロシア人の
入植が始まり、1876年には、コーカンド・ハン国がロシアに併合され、
キルギス人は、完全にロシア皇帝政権の支配を受けることになった。

もっとも、それ以前にも、既に、自身の意思によってロシア皇帝に従っていた
キルギス人も居た。 それにより、更に多くのロシア人やウクライナ人が入植し、
キルギス人の牧草地は、彼らのものとなった。 その結果、キルギス人は、
牧畜のかたわら、耕作も余儀なくされた。

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【反ロシア抵抗運動から独立へ】
1916年に起こった反ロシア抵抗運動は、全トルキスタンに広がり、キルギスも
それに加わった。 1917年の革命後、キルギスは、『トルキスタン自治ソビエト
社会主義共和国』の一部となり、この共和国は、長い抗争の末、最終的には、
ボリシェビキが治めることとなった。

トルキスタンの行政区分は、何度も変えられた。 1926年『キルギス自治共和国』が
ロシア共和国内に設立され、1936年には、『キルギス・ソビエト社会主義共和国』
として連邦構成国となった。 その後、住民たちの激しい抵抗にも関わらず、
農業の集団化が強行された。

キルギス語は、この時代まで、文字を持っていなかったが、初めにラテン文字、
そして、1940年からは、キリル文字が取り入れられた。 ロシア以外の全ての
共和国にとって、ロシアの党幹部は、独裁者以外の何者でもなかった。 1980年代
後半、ようやく民族運動が実を結び始め、1990年12月15日、キルギスタンとして
主権を宣言、翌年8月31日には独立を果たした。 そして、同年12月21日には、
独立国家共同体(CIS)に加盟した。

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