古代において、この地域は、ペルシャ、ギリシャ、ローマの支配下にあった。
4世紀にはアルメニアからキリスト教が伝わり、その直後、グルジア人は、
ビザンチン帝国の保護下に入った。 7世紀にアラブ人の襲撃を受けたが、
グルジア全体がイスラム化されることはなかった。 しかし、トビリシだけは、
12世紀までイスラム教徒の領地となった。

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9世紀以降、バグラド王朝のもとに、国の統一が進んだ。 そして、12世紀から
13世紀に掛けてグルジアは、黒海からカスピ海沿岸に至る広域を支配する
ようになり、タマラ女王のもとに文化的にも非常に栄えた。 13世紀から
14世紀の間は、モンゴル人の襲来によって国は荒廃し、トルコやペルシャに
従属したいくつかの領主国に分裂して行った。

16世紀以降はロシアも、グルジアに影響力を持つようになり、18世紀には
グルジアの個々の支配者たちと保護条約を結び始めた。 1801年のグルジア
東部併合を契機に、併合地域は次第に拡大され、1878年、グルジア全域が
ロシア帝国の一部となった。

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【独立への長い戦い】
ロシア革命(1917年)の直後、1918年3月にグルジアは独立した共和国である
ことを宣言した。 1919年、自由選挙の結果、メンシェビキ(穏健な社会主義者)
の政党が絶対的多数を獲得した。 1920年3月にロシア・ソビエト共和国は、
グルジアと条約を結んで、グルジア共和国の独立を承認し、いかなる主権の
侵害も行わないことを約束した。 ところが、間もなくロシアは、他のカフカス
諸国で行ったのと同じやり方で、グルジアの併合への道を歩み出した。 すなわち、
1921年共産主義者たちの暴動が起き、彼らはソビエトの助けを求め、そこに赤軍が
進行したのである。

こうして、『グルジア・ソビエト社会主義共和国』の樹立が宣言された。 1922年、
グルジアは国内の共産主義者の激しい反乱に対抗するため、アルメニア、
アゼルバイジャンと共に、『ザカフカス・ソビエト社会主義共和国』を設立した。
1936年、この連邦は解消され、それぞれの国は、ソ連邦構成共和国となった。

1930年代のいわゆる『粛清』の時代、スターリンは、彼自身がグルジア人であった
にも関わらず、グルジアのナショナリズムに対しては、特に手厳しい弾圧を加えた。

1980年代になると、民族の自立を主張する運動が、グルジア各地でますます激しく
なって行った。 そして、1989年8月、ついに軍は、トビリシのデモ隊を攻撃した。
1990年末に初めて行われた自由選挙で『自由グルジア円卓会議』が政権を取り、
大統領には党首のガムサフルディアが就任した。

1991年3月、ほぼ90%の国民が、1918年の民主的な独立共和国を再建することに
賛成した。 グルジアは独立国家共同体(CIS)に加盟しなかった唯一の国である。
その後、ガムサフルディアの独裁的政治に強い反対が起こり、1992年1月には、
流血の対立の末、失脚した。 少数民族問題は、この国において、最も深刻である。
特に多くのアブハズ人とオセット人が、グルジアとの国家連合の解消を望んでいる。

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