中世においてベラルーシは、東スラブ初の国家、キエフ公国の一部であった。
この国が没落すると、ベラルーシは、諸侯の支配するいくつかの国に分裂し、
その後14世紀には、リトアニア大公に統治されることになった。 この大公は、
1385年にポーランドと同盟を結んだ。 これにより、ベラルーシは、ポーランドの
強い影響下に置かれた。

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特に、貴族らが受けた影響は、非常に大きく、彼らの間にカトリック信仰が
広まった。 他の東スラブ地方と文化の差が広がるにつれて、独自の
ベラルーシ語が形成されて行った。 18世紀にポーランドが分割されると、
ベラルーシは、ロシア帝国に属することになった。 しかし、ポーランド
文化の影響を受けた上層階級の人々は当初、依然として重要な地位に
留まっていた。

19世紀になると、指導者たちは、ロシア化政策を推し進め、ベラルーシ語での
出版が禁止された。 一方で、ベラルーシの文化的な自立を求める民族運動も
高まった。 彼らは、ロシアであれ、ポーランドであれ、あらゆる外国の支配に
対抗したのである。

1917年のロシア革命後、まず『ベラルーシ民族共和国』というブルジョワ国家が
設立されたが、これは1919年に『ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国』の設立に
よって解消された。 共和国は、ロシア・ポーランド戦争後、1921年にリガの
和約でポーランドに接する西側の領土を失った。 1922年、共和国はソビエト
連邦に加盟した。

ソ連は当初、民族文化の自発的発展にある程度の自由を与える政策を取っていたが、
スターリン時代になると、あらゆる民族運動に対して強い弾圧が加えられた。

第二次世界大戦では、ベラルーシは多数の死者を出し、破壊的な痛手を被ったが、
大戦後、1921年に失ったポーランドの領土を再び取り戻した。 1945年には、
スターリンがルーズベルトとチャーチルに求めた国連におけるソ連の3つの議席の
うち、1つをベラルーシが得た。

1980年代の政治改革によって、ベラルーシでも民族運動が盛んになった。 1989年、
バルト諸国に倣い、『民族戦線』が創立された。 1990年に主権宣言を行い、
1991年には、独立を宣言した。 当初、形態を変えて連邦を存続されることを
他国よりも強く主張したベラルーシであったが、1991年12月には、独立国家共同体
(CIS)設立を主唱する3国の1つとなった。

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