独立以後も、ブルガリア人が多数住んでいるトラキアとマケドニアは、トルコの
領域のままだったので、国民は不満だった。 指導者たちも、、ブルガリア人
全てを単一の国家に統合したいと望んだ。 また、貿易の促進と経済の拡大には、
エーゲ海に港を持つ必要があった。

1912年、セルビア、ブルガリア、ギリシャの3国は、同盟を結んでトルコに宣戦し、
第一次バルカン戦争が始まった。 1913年、3国側が勝利をおさめたが、トルコ
から得たマケドニアの分割について3国の意見が一致せずに紛争となり、第二次
バルカン戦争が始まった。 この戦争では、セルビアとギリシャが、ブルガリア
だけを敵に回して戦った。

daiichiji

ブルガリアは敗れて、同年、講和条約が結ばれた。 その結果、ブルガリアは、
一部の領土をトルコに返還し、マケドニアの極一部だけがブルガリア領となった。

この頃、貿易と領土をめぐる敵対関係から、ヨーロッパ諸国はふたつの陣営に
分かれていた。 ひとつは、オーストリア・ハンガリー、ドイツ、トルコの3国
からなる陣営で、『連合諸国』と呼ばれた。 それとは別に、バルカン半島の
いくつかの国々は、オーストリア・ハンガリーの支配からの自由を求めていた。

1914年、セルビアの一青年がオーストリアの皇太子を暗殺し、それが切っ掛けで
オーストリア・ハンガリーは、セルビアに宣戦を布告した。 セルビアと同盟
関係にあったロシアは、この紛争に介入、やがて『中央同盟』と『連合諸国』の
戦争に広がり、第一次世界大戦が始まった。

BulgariaWW2

第二次バルカン戦争で失った領土を取り戻す好機と考えたブルガリアは政府は、
同盟国側に付く事を決め、1915年、マケドニアの返還を条件に、連合国側に
宣戦を布告した。 セルビアやブルガリアとの国境でも戦闘が始まった。

しかし、ブルガリアの政治家たちの間では政策について意見が対立し、国内は、
不安定な状況となった。 社会民主党と農民連合党は、ブルガリア政府の戦争
関与を激しく非難した。

1918年秋、同盟国側は、連合国側に降伏し、ブルガリアもトラキアとマケドニアを
ギリシャに割譲する条約に調印せざるを得なくなった。 その上、セルビアを
中心に新しく成立したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国(後のユーゴ
スラビア)は、ブルガリアの領土の割譲を要求した。 ブルガリアの軍隊は、
反乱を起こして政権を握り、フェルディナントは退位して、息子のボリス3世に
王位を譲った。

【お勧めの一冊】


>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村