独立したチェコスロバキアは、ボヘミア王国の領土ボヘミアとモラビアの他、
スロバキアと更に東に位置するルテニアも領土とした。 新国家は、ドイツ人、
ハンガリー人などの少数民族が住む多民族国家であった。

チェコスロバキアは、1920年に二院制議会を設立する憲法を採択した。
マサリクが努力した、チェコとスロバキアそれぞれの政府を持つ連邦国家は
実現しなかった。 選挙民に人気が高いマサリクは、1920年、27年、34年の
大統領選挙で勝利をおさめた。

同じ頃、議会各政党の議員数はしのぎを削っていた。 農民党は、農民を代表し、
国営農場、国営企業を主張する共産党は、社会党に属していたが、1921年に
独立した党となった。

チェコスロバキア経済は、戦後の景気回復の恩恵を受けていたが、国内の
民族間の問題はまだ解決していなかった。 スロバキア人は独立を求めていた。
ハンガリー人は政府に忠誠心を持たなかった。 全人口の4分の1を占める
ドイツ人は、ドイツとの結び付きを求めた。

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ドイツ人の多くは、ポーランドとの国境にあるズデーテン山脈の麓に住んで
いたことから、ズデーテン・ドイツ人と呼ばれ、住んでいた地域は総称して、
ズデーテン地方と呼ばれた。

チェコスロバキアの独立後、ドイツ人は、議会各党に代表を送るようになった。
マサリク政府は、土地の所有を制限する土地改革を行い、大地主から土地を
国が買い取り、農民に再分配した。 新しい税制改革も導入した。 多少の
不満があるにせよ、大部分のドイツ人は、民主的なチェコスロバキア政府を
支持していた。

1930年代はじめに、世界規模の経済不況が広がり、深刻な不景気と失業に悩む
隣国ドイツの不安が、チェコスロバキアにも影響を与えた。 ヒトラーが政権を
取った1933年頃、民族戦線ズデーテン・ドイツ党が、チェコスロバキア議会に
議席を持つようになり、ドイツ人が不当に差別されているという口実で、
ヒトラーと結託しはじめた。

ヒトラーは、ユダヤ人と共産主義は、ドイツの経済と政治を妨げるので、
ユダヤ人、スラブ人などを絶滅して、ヨーロッパにドイツ民族国家を建設
すると主張した。

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【併合と占領】
ドイツがオーストリアを併合した1938年春から半年後の9月、イギリス、イタリア、
フランスは、戦争を避けるために、ヒトラーとミュンヘン会談で合意を結び、
住民の半数以上がドイツ人であるチェコ領土を、ドイツが併合する許可を与えた。
ドイツは280万人のドイツ人と75万人のチェコ人が住み、チェコ全国土の38%に
あたるズデーテン地方を併合し、チェコ人は立ち退かされた。

ドイツは、エドアルト・ベネシュ大統領に辞任を迫り、エミル・ハーハが後を
継いだ。 ヒトラーは更に、ドイツ軍の兵器工場として、チェコスロバキアの
占領を狙った。 ドイツとの衝突を避けるため、ハーハは、スロバキアと
ルテニアの独立に同意した。 しかし、1939年3月、ヒトラーは、ボヘミアと
モラビアの占領を宣言した。

チェコスロバキア軍の抵抗もなく、ドイツ軍は容易にプラハへ侵攻した。
ドイツはチェコスロバキアの工業を支配し、ボヘミアとモラビアはナチス・
ドイツに占領された。

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