ロシア第3の都市、ノボシビルスクとは、シベリア開発のために建設された
シベリアの中では比較的新しい街で、街が造られた当初は、『ノボニコラエフスク』
という名前だった。 これと同様に、ソ連崩壊直後に、名前が変えられた都市や
通り名は数多く、ざっと思い出せるだけでも、数知れない。 

【 国名 】
ソビエト社会主義共和国連邦 → 独立国家共同体
ベロロシア → ベラルーシ
カザフ → カザフスタン
キルギス → キルギスタン
ウズベク → ウズベキスタン
トゥルクメン → トゥルクメニスタン
タジク → タジキスタン
タタール → タタルスタン

【 都市名 】
レニングラード → サンクト・ペテルブルグ
ゴーリキー → ニージニー・ノブゴロド
スベルドロフスク → エカテリンブルグ
クイビシェフ → サマーラ
ザゴールスク → セルギエフ・ポサード

【 通り名・土地名 】
カリーニン通り → 新アルバート通り(モスクワ)
カールマルクス通り → 劇場通り(モスクワ)
レーニンヶ丘 → 雀ヶ丘(モスクワ)

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実際は、まだまだあるのだが、これを日本語とロシア語で全て覚え直さなければ
ならないというのには、かなりの時間を要した。 よって、ロシアでは、今でも
ペテルブルグのことを普通にレニングラードとも言う。 ソ連がなくなり、最も
変わったのは、社会システムで、社会主義を捨てて、市場経済へ移行するための
厳しい現実が待っていた。 ソ連の時代は、国が生産管理をしていたため、商品が
売れようが売れなかろうが、一切関係がなかったのだが、市場経済ではそうは
行かない。 売れ残り商品は、すぐに在庫となり、マイナスとなって財政に跳ね
返って来る。 この期に乗して、それまで国立であった設備の私有化が始まった。

ソ連の崩壊とは、戦後そのもので、火事場泥棒のごとく、やった者勝ちの新興財閥が
次々と現れては消えて行った。 国がなくなったということは、それらを取り締まる
法律がなくなったという意味で、弱肉強食の世界へと一変した。 この際、一番
バカを見たのは、正直に生きて来た人間で、それまでは、生活保障が余りにも
充実し過ぎてたがために、犯罪、殺人、自殺などは、表には出て来なかったが、
一気にそれらの問題が表面化したばかりではなく、世界でも有数の治安の悪い国に
成り果てた。

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1991年末に、新生ロシアになってからは、ロシアは2000年頃まで激しいハイパー
インフレに常に悩まされ続けたため、殺人、強盗、盗み、自殺等は、日常茶飯事で、
知識層を中心に、年間で数万人規模で、移民が多発した。 それまでは、日本国内
には、恐らく、100名程度しかロシア人が住んではいなかったのだが、今では、
推定でも2万5千人以上のロシア語圏の人たちが日本で生活をしている。 それは、
田舎の嫁不足を解消するために、長らく結婚紹介所がロシア人女性を日本に送り込み
続けた結果とも言える。

ソ連の時代は、東京でもロシア人を探すのは困難を極めたが、今では浅草等の
観光地に行くと、必ずロシア人観光客が居るのには驚かされる。 正に、時代は
変わったのである。

ソ連崩壊とは何だったのか? その①
ソ連崩壊とは何だったのか? その②
ソ連崩壊とは何だったのか? その③
ソ連崩壊とは何だったのか? その④
ソ連崩壊とは何だったのか? その⑤
ソ連崩壊とは何だったのか? その⑥

【お勧めの一冊】


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