9世紀の始めにスラブ人の領主モイミールは、西スロバキアからモラビア
(現在のチェコの東部)に掛けて新しい国、大モラビア帝国を樹立したが、
ボヘミア(現在のチェコの西部) 、ポーランド、ハンガリーの一部も
支配下に治めた。 ブラチスラバとニトラは、帝国の政治、経済の中心と
なった。 833年にニトラの貴族プリビナは、西スラブ人定住地域に、初めて
キリスト教の教会を建てた。

大モラビア帝国の支配者は、その規模と実力に自信を持っていたが、それでも、
西に位置する更に強大なドイツ諸国の侵略を恐れていた。 ドイツ諸侯は、
ローマからの伝道者によって洗礼された後、キリスト教徒となっていた。
ドイツ諸国は、ローマ・カトリックの首長であるローマ教皇と同盟を結んでいた。

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モラビア帝国支配者であったラチスラフ公は、ドイツの影響に対して、人々を
改宗するために、東のキリスト正教会の中心地コンスタンティノープルから
伝道者を招いた。

863年にキリルとメトディウス兄弟が、東方正教会の布教にやって来た。
キリルとメトディウスは、スラブ語で布教し、アルファベットから新たに
グラゴール文字を作り出し、キリスト教の教義をスラブ語に書き換えた。
スラブ語を使った布教活動で、ボヘミア、モラビア、スロバキアのキリスト教
伝道が進んだ。

しかし、ラチスラフの甥であるスヴァトプクは叔父を裏切り、ドイツの諸侯と
手を結ぶため、ラチスラフを幽閉し、大モラビア帝国を西ローマ教会に帰属
させた。 ローマ教皇は、ニトラにドイツ人の司教を送り込み、ニトラは、
帝国の文化と宗教の中心となった。 他のヨーロッパ諸国でもキリスト教が
受け入れられていたので、間もなく西ローマ教会は、ヨーロッパ大陸の財力と
権力を誇る組織となった。

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