ポルトガル語は、イタリア語やフランス語と同じロマンス語系統の言語で、
イベリア半島では、ガリシア語やスペイン語と国境を接している。 ガリシア語
とは近い関係にあり、少し離れたスペイン語でもネイティブ同士であれば、
相互理解可能な言語となっている。

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他のロマンス語に比べ、ポルトガル語は、仮定表現の条件説に、接続法未来形が
依然として残っていることや、フランス語やイタリア語で顕著である複合過去が
発達せず、ラテン語の完了形に起源する単純系を過去の表現に使い続けている
ことなどが特徴として挙げることが出来る。

また、不定詞に統語上の主語に対応する人称語尾が付いた人称不定詞と呼ばれる
形式は、近隣のロマンス語には見当たらない珍しい特徴となっている。

Vou preparar umas sandes para voces levarem.『君達が持って行くようにサンド
ウィッチを用意しよう』という文では、para(~のために、前置詞)、voces
(君達、主語代名詞3人称複数)、levarem(原型の不定詞levarに3人称複数の
人称語尾emが付いたもの)という構成で、『誰が持って行く』のかという点を
強調した文にすることが出来る。

同じ内容をVou preparar umas dandes para que voces levem.として文接続詞の
queを挿入し、動詞をlevem(接続法現在3人称複数)にして従属文を用いた表現
にも出来るが、後半部分をpara levarと語尾なしの不定詞にしてしまうと、単に
テイクアウトの意味にしかならない。 人称不定詞は、法と時制と人称(と数)を
備えた動詞の定形とそれに関して中立的な不定詞の中間に位置するもので、
準定詞と呼ぶべきであるという主張がある。

音声面では、鼻母音の多いことが特徴で、5つの単鼻母音の他に、ポルトガル語に
特有の二重鼻母音(ポルトガルで4つ、ブラジルで5つ)がある。 音節の構造が
比較的単純で、日本人には学習しやすい言語と考えられているが、実際には、
無強勢母音の弱化現象をはじめとして、聞き取りが難しい他、日本語の音体系から
来る干渉もあり、日本人には致命的な落とし穴が少なくない。



【ポルトガル語の古今】
ポルトガル語が話されるようになる地域が独立して歴史に姿を現すのは、
1096年で、この年、レオンとカツティーリャの王アルフォンソ6世が、
ブルゴーニュの騎士エンリケにポルトガル北部かあコインブラ辺りまでを
伯爵領として譲渡した。 レコンキスタと呼ばれるイスラム教徒側に対する
キリスト教の側からの国土回復戦争を通じて、南に領土が拡大する中、
エンリケの子、アフォンソ・エンリケスが初代ポルトガル王(1143年~)
となる。

当時の言語で書かれたテキストが現れるのは12世紀後半だが、この頃の
ポルトガル語は北のガリシア語との区別がまだはっきりとせず、書き言葉も
ラテン語が主体だった。 ポルトガル語が現在の形となって来たのは、国の
中心がリスボンからコインブラ辺りの中南部に移り、ルネッサンスの影響を
受けて、言語規模が徐々に確立して行く16世紀になってからである。

1572年に出版された長編叙事詩の『ルタニアの人々』は、ギリシャやローマの
古典的作品に範を取りながら、バスコ・ダ・ガマのインド航海やポルトガルの
歴史を優雅な文体で詠いこんだもので、古典期のポルトガル語が結晶した
ものと言える。

この頃、ポルトガル語は、アフリカ沿岸からインドやアジアに至る広い地域で
通商目的に用いられており、日本が最初に直接接触したヨーロッパの言葉でも
あった。 日本人でポルトガル語を最初に習得したのは、フランシスコ・
ザビエルの通訳を務めた鹿児島の弥次郎(生没年不明)と言われている。
1822年にブラジルが独立した後もポルトガル帝国の版図はアフリカからインド、
中国のマカオまで広がっていた。

1974年にクーデターで本国の独裁政権が打倒され民主化した後、アフリカの
旧植民地は独立したが、公用語にはポルトガル語を採用している。 アフリカ
諸国では、ポルトガル語はますます普及する傾向にあり、アンゴラのポルトガル語、
モザンビークのポルトガル語という変種が認められるのもそう遠くはないのかも
知れない。

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