1993年のはじめに、チェコスロバキアが分離して、チェコとスロバキアという
ふたつの国が生まれた。 スロバキアは、歴史上初めて完全な独立国となり、
長く続いた経済不況と、共産党の一党支配から抜け出す機会に恵まれた。
しかし、国の将来については、意見がいくつも分かれ、スロバキアの政治は
まだ安定していない。

1918年以前のスロバキアは、中央ヨーロッパの王国、ハンガリーの一部であった。
ハンガリー人は、スロバキアの独立要求を許さなかった。 そこでは、様々な
権利や特権(例えば、投票権)を持った大地主が農場を経営して、その農場で
働くスロバキア人農民は、投票権さえ持っていなかった。

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第一次世界大戦(1914~1918年)の結果、中央ヨーロッパには劇的な変化が
起こった。 ハンガリーが世界大戦で負けたのを機に、民族的に近いチェコ人と
スロバキア人が一緒になったチェコスロバキアが建国され、独立した。
スロバキアは国の東半分近くを占めていた。

第二次世界大戦(1939~1945年)後、チェコスロバキアは、東ヨーロッパの強大な
共産主義国であるソビエト連邦と親密な関係を築き、その政治勢力の下に入った。
チェコスロバキアの共産党指導者は、民営の企業を禁止し、工業、農業、貿易の
分野で厳しく管理した。 政府は、国家の情報や報道を規制し、全ての野党を
禁止した。

1950年に、スロバキアは、急速に工業化された。 共産党政府は、地方に巨大な
工場を建設し、多数のスロバキア農民は、都市へ移動した。 雇用が増えて、
政府は国民に医療福祉の恩恵を与え、生活水準は改善に向かった。 それでも、
スロバキア人は、スロバキア自治を望んだ。 1968年に新しく連邦制となり、
チェコとスロバキアは、それぞれの地方政府を持つことになった。

チェコスロバキアでは、1989年まで、厳しい一党支配が続いた。 その年に
起こった市民革命は、共産党政権を辞任させた。 チェコでは、国家が決める
計画経済に代わって、需要と供給が賃金と価格を決める自由市場経済の原理を
取り入れた。 しかし、それまで共産党員であったスロバキアの指導者達は、
未だに国家管理の計画経済を支持している。 その結果、国営企業の民営化は、
チェコの方がスロバキアよりも遥かに早く進んだ。

1990年代の半ばに、スロバキアの企業は、外国からの投資に門戸を開いた。
スロバキア工業製品の多くは、依然として時代遅れであるため、輸出が難しい。
結果として、高失業率や物資不足、生活水準の低下に悩まされた。

その上、共産主義の崩壊の後生まれた諸政党は、まだ混沌といしている。
スロバキアの指導者達は、急速な経済改革を強く批判している。 そのため、
政府は、重要な政策決定を下すことが出来ない。 スロバキア人は、ついに手に
入れた自由と独立を喜ぶ一方で、国の将来に横たわる問題に不安を抱いている。

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