15世紀のカトリック教会は、権力が強く裕福だった。 教会は所有する地所と
農地から莫大な利益を得ており、国内で生産される全ての穀物から一定の
割合で金品を徴収していた。 高位の聖職者の殆どは、貴族の子弟で、
それがますます裕福になって行くため、一般の人々は、教会に反発を
抱き始めた。

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1479年、クリスティアン1世は、教会から提供させた資金でコペンハーゲンに
大学を創立した。 教会の権威に反抗する宗教改革の思想はこの大学から
生まれた。 この思想の信奉者は、プロテスタントと呼ばれ、次第に勢力を
拡大して行った。 この風潮に対応して、次の国王ハンスは、最初の国会を
召集した。 この国会では、貴族や聖職者と並んで、一般市民が議席を
与えられた。

1513年に国王に選ばれたクリスティアン2世は、聖職者と貴族の勢力を
抑えるのに努めた。 土地制度の改革が実行され、一般市民が王の顧問に
任命された。 王はまた、スウェーデンに兵を送って、デンマークの権威の
回復を図った。 1520年、王はスウェーデン貴族82人を処刑させた。

スウェーデン人は、この虐殺に激怒し、本格的な氾濫が勃発した。 3年後には、
スウェーデンは、独立を勝ち取り、スコーネなどわずかな地域だけが
デンマークの支配下に残った。

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クリスティアン2世の叔父フレゼレグ1世の時代には、プロテスタントの勢力は
ますます盛んになった。 この国でのプロテスタントの主な支持者は、地位の
低い聖職者と中流階級出身者だった。 1533年、フレゼレグ1世が死ぬと、
宗教対立は絶頂に達した。 彼の息子たちのうち、カトリックのハンスと、
プロテスタントのクリスティアンのどちらが王位に就くかを巡って国論は二分し、
内乱が勃発した。

クリスティアンが、1536年に勝利をおさめて国王のクリスティアン3世となり、
プロテスタントの一派である福音派教会を国教と定めて、国王はその首長となった。
クリスティアン3世は、カトリック教会の土地を没収して、王家の権力と財力を
大いに増大させた。

しかし、デンマークがスウェーデン、ロシア、ポーランドと次々に戦って、
バルト海での勢力を拡大させようとしたため、財力はたちまち減少した。
1563年から70年に掛けて、デンマークは、スウェーデンと北方七年戦争を
戦ったが、一片の領土も確保出来なかった。

その後デンマークは、16世紀末まで軍事から一切手を引いた。 平和の続いた
30年の間に、この国から輸出される穀物と家畜の値段が上昇し、一般市民の
生活が潤った。

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