【デンマークによる征服】
アルフレッド王死後も、王国の統一は破られず、平和が続いた。 だが、11世紀
初頭に再びデンマークが侵入して来ると、ウェセックスのエセルレッド王は、
デーン税と呼ばれる税金を徴収し、この金でバイキングを買収し、その襲来を
防ごうとした。 しかし、これも長続きせず、1013年にデンマーク人が大軍で
襲って来た。 スウェイン王の下、デンマークのバイキングはエセルレッドの
領土を征服した。

スウェイン王が1014年に死んだ後、王国は息子のカヌートが引き継いだ。
カヌートは、イングランド人にもデンマーク人にも支持されたが、カヌートの
後継者には人望のあつい者が出ず、また、直径の跡継ぎも残さずに死んだ。

1042年、ウェウセックスの指導者達は、エセルレッド王の息子であり、
ノルマンディー(現在のフランス北西部地方)で育てられたエドワードを
イングランド王に選んだ。 懺悔王のあだ名を持つエドワードは、信仰心があつく、
治世の大半をロンドンの寺院建設に費やした。 現在のウェストミンスター
寺院がそれである。

1066年、エドワード王が跡継ぎを残さずに死ぬと、イングランドの指導者達は、
義理の弟ハロルドを王位に就けようとしたが、ハロルドは、その難しさを
知っていた。 故エドワードの遠縁ノルマンディー公ウィリアムなどが王位
継承を主張していたからだ。 ウィリアムは兵を率いて、イングランド南部に
上陸、1066年10月14日ヘースティングスの戦いでハロルドを破った。
ウィリアムは、ノルマン人初のイングランド王となり、ウィリアム征服王と
呼ばれた。

westminster

【ノルマン人治下での変化】

ノルマン人の勝利の後、ノルマン人の貴族、聖職者、役人、職人、商人が
大挙してイングランドに渡り、ウィリアム征服王は、イングランド人から
奪った土地を彼らに分け与えた。 ノルマン人は、独特の建築様式を持ち込み、
新たに建てられた城塞や聖堂に反映された。

ノルマン人の言語であるフランス語は、裕福で教養のある上流階級の言葉
となるが、一般の人々は、アングロ・サクソンの言語から発達した初期の
英語(古英語)を依然として使っていた。 ノルマン征服はまた、
イングランドの権力構造を激変させた。 土地所有者は、資力がどれほど
大きくとも、その地位は、王位の下にあり、また、王室を除く全ての人は、
自分より上の地位にある人に責任を負うことになった。

paradigm

ウィリアムとその後継者達は、この封建制と呼ばれる制度を1世紀掛けて強化して
行く。 内乱や、不満を募らせたノルマン人、イングランド人貴族の小さ反乱は
あったが、封建制は続き、1154年までにノルマンの政治形態が確立された。

この年、ウィリアムの曾孫アンジュー(ノルマンディーの南)のヘンリーが
イングランド王となり、フランスのアンジュー、アキテーヌ、ノルマンディーの
地に加え、イングランドも所領として支配することになった。

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