日本社会には、常に1つの道しか用意されてはおらず、そこから少しでも
外れてしまうと、まともな人間とは見られない。 日本には民主主義が存在
しないと言い切れるのは、正にこの点で、元々、何も選ぶ事が出来ない。
強いて言うなれば、買い物の選択の自由はあるものの、自分の人生は選ぶ事が
出来ない。

現在の日本の生活水準は、30年前とほぼ同じであり、30年前は、右肩上がりで、
先が明るかったが、今は、右肩下がりであるため、お先真っ暗。 責任を伴った
言論の自由はなく、責任を伴わない言論の自由に一々足を引っ張られるため、
一切何も先には進まず、むしろ、何もかもがマイナス。

そう考えると、何もかもひとりで全てやってしまった方が、遥かに速いのだが、
そういう考え方が出来ない人の場合は、周囲から足を引っ張られまくっている
事にすら気付かず、漫然とした生活を送るしかない。 よって、世界を視野に
入れたトップアスリートというものが、日本では育たない。 現在成功している
アスリートは、ほぼ100%海外で生活をしているのを見ると、その事が良く分かる。

日本は元々が村社会であるため、全体主義が社会を支配しており、その全体に
入れなかった人の場合は、完全に村八分。 よって、死に物狂いで、その環の中に
入る努力をしなければならないが、その努力自体が無意味であるため、最終的には、
空虚な人生が待ち受けている。 日本の生活で、孤独感ばかりが募るのは、
成りたい自分と現実の自分に余りにも差があり過ぎるため。 多様性を認めて
いない社会であるため、そもそもの逃げ道が一切ない。

日本社会の中で最も幸福な生き方は、一切何も考えずに、何でも他人のせいにして
生きる事。 但し、このような大人ばかりが増え過ぎたため、誰も一切責任を
取らずに、自分だけが良ければそれで良いという社会になった。 金儲けに
ばかり血眼になっているバブルボケ世代の場合は、残りの余生を如何にして
安全に逃げ切るかが争点となっているため、その下の世代を完全に食い潰して、
自分達だけが生き残っている事すらも知らない。

但し、最終的には、そのツケが自分の子供達に全て返って来るため、自分の
子供すらみすみす不幸にしている事にすら全く気付かず。 知らぬ存ぜぬを
押し通し過ぎているため、一切何もない事になっており、裸の王様と同じ
虚しさが漂っているのが日本社会。 それに気付いてしまったとしても、その事を
口に出す事すら憚られる社会であるため、精神的に病んでいる人間が非常に多い。

何も変わらない方が楽で良いのは理解出来るが、そのような人間ばかりが
集まっているため、既に社会全体が没落気味。 それでも、そのような社会に
必死でしがみついて生きて行かなければならないため、既に沈み掛かっている
泥船の上での生活は、苦痛極まりなし。

バブル崩壊後の失われた25年の間に、人材の崩壊が進んだため、我々の世代は、
この先、日本が増々勢いを増して没落して行くのをこの目で見なければならない
という、絶望感しかない。

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日本社会には、そもそも、この社会は自分達ひとりひとりが作り上げている
という意識がないため、自分だけ良ければそれで良いという考えの人間が
極端に多い。 悲観的なのは、現実をまともに見ているためであり、それは
それで良しとして、それすら理解出来ていない人がそばに居るだけで、増々
孤独感が増すばかり。

個人的には、ひとりで居る方が好きなので、孤独感があったとしても、全く
気にはならないが、むしろ、大勢で居る事に苦痛を感じるため、全体主義を
押し付けられるのには、耐えられない。

日本社会が一切何も変わらないのは、ひとりひとりが声を上げないからだと
一体いつ気付くものやら。 この日本社会を作り上げているのは、自分自身。
国民ひとりひとりが変わらない限り、この日本社会は何も変わらない。

【お勧めの一冊】


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