紀元前800年頃には、南のフランク王国が強大となって、ユトランド半島を
脅かし始めた。 デンマーク王ゴットフレッドは半島を横断する堅固な城壁を
造って、フランク人の侵入を防いだ。 王が殺害されると、その甥、ヘミングは
逆にフランク王国の領域に侵入して略奪した。 やがてデンマーク以外の
北欧諸国の船乗りや冒険家達も混じって、バルト海や北海を渡って、ヨーロッパ
各地への侵入を始めた。 この侵入に加わった人々をバイキングと呼ぶ。

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バイキングは巧みに組織された航海者集団だった。 快速の小型船舶で大船団を
組み、各地に奇襲を加えて相手を武力で圧倒した。 続く250年余りの間、
デンマーク系、ノルウェー系、スウェーデン系のバイキングは、領土獲得と交易に
はげんだ。

デンマーク系とノルウェー系のバイキングは、西と南に進み、イギリス諸島沿岸を
攻撃した。 イギリスの一部の地域では、村や町の破壊を免れるために、デーン
ゲルトと呼ばれる賠償金をバイキングに支払った。 イギリスのその他の地域では、
デンマーク系のバイキングが定住して、土地の人々と婚姻関係を結んだ。 886年、
当時のイギリス王は、デーン人の定住地を独自の主権を持った地域と認めた。
この地域をデーンローと呼ぶ。

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へミングの死後分裂していたデンマークは、900年、ゴルム老王の下に最終的に
統合された。 ゴルムが死ぬと、自由民達は、集会を開き、ゴルムの息子ハーラル・
ブロータンを国王に選んだ。 ハーラルは、国王の領域を広げ、父ゴルムと自分の
功績を石の記念碑に刻み込んだ。 イェリングに建てられたこの記念碑には、
ハーラルがデンマーク全土とノルウェーの一部を征服して、国民をキリスト教に
改宗させたと書いてある。

ハーラルのこの主張にも関わらず、当時この国でキリスト教を信仰していたのは
極僅かで、大部分の人達はオーデン、フライア、トール等の北欧の神々を崇拝
していた

ハーラルはドイツの主権者が、デンマーク人を改宗させる名目で国土を侵略
するのを防ぐため、キリスト教になったらしい。

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