イギリス諸島は、元からヨーロッパ大陸とは離れていたと思われていたが、
4万年前は、地続きであった。 紀元前5000年に最後の氷河期が終わり、氷が
溶けて水位が上がったため、大ブリテン島とヨーロッパ大陸の間に狭い海峡が
生まれ、イギリスは島国となった。

当初、大ブリテン島に住んでいたのは、大陸からやって来た人々であった。
彼らは、石や骨格製の道具を使って巨大な森林を開き、農耕を営んだ。

紀元前3000年頃にヨーロッパから新たな人々が移住し始め、紀元前2000年前後
には、今日のドイツから大集団がやって来た。 彼らは、青銅器を使い、石や
木でヘンジと呼ばれる円形の祭場を作った。 ストーンヘンジはそのひとつで、
南イングランド中央部のソールズベリーに現存する。

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約1500年後には、また新たな人々が移住して来た。 ケルト人と呼ばれる
好戦的な彼らは、北ヨーロッパ出身で、鉄製武器を使い、やがて大ブリテン島を
征服した。 ケルト人は、クランと呼ばれる氏族に分かれ、氏族間で権力を争った。
落ち着くと、農耕を営み、紀元前500~100年には、イングランドは農業国
となった。 言葉はクランで共通のケルト語を使った。

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【ローマ時代】
イングランドは、ヨーロッパ本土とは海で隔てられていたため、イタリアに中心
勢力を持つローマ帝国の支配力は及んでいなかった。 しかし、紀元前55年には、
ローマ軍指令官ジュリアス・シーザーがイギリス海峡を渡り、短期間だけだが
イングランド南東部を襲撃、翌年更に大きな軍隊を率いて来た。

ケルト人は、必死に抵抗したが、ローマ軍に敗北した。 シーザーは、和平条件を
示したが、ケルト人はフランスの地で反逆活動を行い抵抗した。 シーザーは、
イングランド支配を諦め引き上げた。

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紀元前43年、ローマ皇帝クラウディウスは、軍隊をイングランド南東部に出動
させた。 ケルト人は、ボアディケア女王を中心に、激しく抵抗したが、奮戦
むなしく、1世紀末には、島を征服された。 ローマ人は新しい領土をケルトの
1クラン、ブリトンにちなんで、ブリタニアと名付けた。

征服者となったローマ人は、イングランドに道路を敷き、砦や都市を築いた。
紀元後120年代には、ローマ皇帝ハドリアヌスの指揮の下、ローマ人は制圧
出来なかった大ブリテン島最北の民族がイングランドへ侵入するのを防ぐために、
『ハドリアヌスの長城』と呼ばれる城壁を築いた。

ローマ支配が進むにつれて、ラテン語がケルト語に入り込んだ。 3世紀には、
ローマ人宣教師がキリスト教布教のために来島した。

文化的には強い影響力を持っていたのだが、ローマ帝国は、4世紀には崩壊し
始めた。 ローマ軍司司令官や貴族達が権力争いをし、ローマの領地に及ぶ
支配力が弱まった。 イングランド駐屯のローマ部隊は、帝国の他の地域を
防衛するためにブリタニアを去った。

4世紀後半、大陸ではゲルマン人達が反抗していたが、ローマ人は強いて鎮圧し
ようとはしなかった。 5世紀半ばには、ローマはブリタニア支配を放棄していた。

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