1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して、連合国に無条件降伏した。
戦後香港を中華民国が統治すべきか、イギリスが植民地支配を再開すべきを
めぐっては、両国の間に意見の相違があった。 中華民国の蒋介石は、1943年の
カイロ会議で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領から、戦後
中華民国が香港を統治することへの同意を取り付けていたが、イギリスの
ウィンストン・チャーチル首相は、イギリスが統治を回復すべきだと考えていた。
この考えは、ルーズベルトの後を受けたハリー・トルーマン大統領に支持された。
結局、9月16日、イギリス政府が日本軍の降伏を受ける形となり、イギリスの
香港統治が再開された。

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中国大陸の内戦は、徐々に共産党に有利に展開し、1949年10月1日には、共産党は、
中華人民共和国の成立を宣言した。 南下して来た共産党軍は、10月17日には
香港との境界である深圳に達した。 共産党は香港を軍事的に攻略する能力を
備えていたとされるが、結局、香港に侵入する事はなかった。 中国は周恩来が
提起した『長期的に考え、充分利用する』との方針に基づき、即時に領有する
ことは目指さず、イギリスに香港統治を続けさせ、外貨の供給源や貿易の窓口
として、香港を活用しようとしたのである。

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こうして、戦後もイギリスは香港を統治し続けることになったが、中国によって
香港が軍事『解放』されるようなことがないために、イギリスは中国を刺激する
ことを避けざるを得ず、このとは、ロンドンや香港政庁の政策の幅を制限した。
イギリスは、1950年、西側主要国としてはいち早くから中華人民共和国を
承認した。

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