18世紀後半から、広州で交易を行うようになっていたイギリス東インド会社は、
やがてインド産アヘンを中国に密貿易するようになり、三角貿易が行われる
ようになった。 1810年代には、中国沿岸にイギリスの貿易拠点となる地を獲得
するべきだとする声がイギリス東インド会社の中から上げるようになった。
同時に、1830年代までには、香港島と九龍半島の間の海峡は、天然の良港を
推する外国商船の格好の停泊地として承認されるようになる。

以後、イギリスの貿易拠点ないし、植民地としては、他の島々の名前も取り沙汰
されるが、1830年代には、広州で貿易に携わる商人達の間で、香港島の獲得を
望む声が高まっていた。 そして、清朝によるアヘン戦争の最中、イギリス軍は、
香港島を占領するのである。 ここから、香港としての歴史が始まる事となる。

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香港島に初めてイギリスの旗が翻ったのは、アヘン戦争の最中である1841年の事で
あるが、翌年に締結された南京条約により、香港はイギリスへ割譲される事が
決まり、1943年には、イギリスの直轄植民地となった。 この時にイギリスの
植民地となったのは、実は、香港島のみで、九龍半島が先端部の割譲は、第二次
アヘン戦争後に英中間で北京条約が結ばれた1860年の事であった。

但し、この時点で、香港特別行政区の過半を構成する新界と香港島周辺は、まだ
清朝の統治下にあった。 これらの領域がイギリス領に編入され、現在の香港が
形成されたのは、1898年の事であった。

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香港島、および、九龍半島先端部とは異なり、イギリスは、新界、および、香港島
周辺の島々を清朝から99年間に渡り租借しただけだった。 よって、その99年後の
1997年に香港は、イギリスから中国へと返還された。

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