1991年4月18日、旧ソ連の国家元首として初めて日本を訪れたゴルバチョフ
大統領は、海部首相との間で『日ソ共同声明』を発表した。 この日の声明に
具体的な前進はなく、領土問題の解決、すなわち、領土返還については、日本の
北方領土返還運動関係者にとって、かなりガッカリさせられる内容だった。
しかし、四島住民との交流を求めていた人々や、四島への自由往来を心待ちに
していた旧島民にとっては、一定の前進とも言える合意もあった。 それが
ビザなし交流である。

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共同声明第4項で、『ソ連側は、日本国民によるこれらの諸島訪問の簡素化された
無査証の枠組みの設定に関する処置を近い将来にとる』旨の提案を行った。
その後、相互主義の外交原則から、1991年10月の日ソ外相間の日本訪問に
ついても、渡航の枠組みが設定された。 そして、1992年4月に、四島の行政
担当者が協議のため、北海道の招きで来日したのを皮切りに、10月までの間に
ロシア側から4回、計226人が北海道を訪問、日本側からは5回、計346人が
『ビザなし訪問』で四島へと渡った。

ビザなし交流では、日本とロシアの間で未だ解決されていない北方領土問題が
解決するまでの間、日本国民が北方四島を訪れ、北方四島のロシア人住民が日本を
訪問することにより、相互理解と友好を深めることを目的としている。 このビザ
なし交流では、パスポートやビザなしで、外務大臣の発行する身分証明書などを
用いての渡航が認められており、以下の人達のみが外務省から身分証明書の発行を
受ける事が出来る。

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【北方四島をビザなしで訪問出来る条件】
①北方四島に居住していた者等
②北方領土返還要求運動関係者
③報道関係者
④訪問の目的に資する活動を行う各分野の専門家

日本政府は、『北方領土がロシアに不法占拠されている』という状況の下に
おいては、無原則な自由往来や経済交流を行うことによって、法的、政治的に
複雑な問題を生じさせることになりかねないため、領土問題が解決して平和条約が
締結されるまでは、この交流を通じて、北方四島の住民に対して、北方領土の
歴史的経緯、日本の主張の正当性を伝える等、北方領土問題の解決に繋がる
ようなものにしなければならないとしている。

また、日本政府は、政経不可欠の立場から、『ビザなし渡航で経済交流は認め
られない』としており、なし崩し的にビジネスマンがビザなしで島へ渡って経済
活動をするのは、余り好ましくないとしている。 なお、日本政府は、北方領土は
日本固有の領土であるとの立場から、日本国民に対してロシア政府のビザを取って
北方四島へ渡航しないよう要請している。

ビザなし交流では、相互理解と友好を深めるため、ロシア人住民との意見交換や
ホームステイ、文化・スポーツ分野での交流、地元市町村が主催する交流会等、
さまざまな交流が行われており、また、北方四島の元島民や返還運動関係者との
意見交換、北方四島の歴史学習等もこれまでに開催された。

ビザなし交流が始まるまで、北方四島のロシア人住民達は、日本が主張している
北方領土問題について知らなかったり、日本や日本人に対して間違った印象を
持っていることが少なくなかった。 しかし、ビザなし交流が始まり、両者の直接
対話が実現してからは、ロシア人住民達の誤解はなくなり、北方領土問題についても
日本の主張が知らされている。

ビザなし交流が始まった当初は、旧ソ連の崩壊直後という状況も手伝って、現地に
住んでいるロシア人住民の間でも、日本へ領土の引渡しはやむなしの雰囲気が
濃厚であったが、日本の外務省は、このことに対して、特に関心を示さず、その後、
ロシアが経済発展を遂げたため、ロシア国内での日本への『返還論』はかなり下火に
なってしまった。

北方四島に住んでいる住民達にとっては、モスクワよりも日本の方が距離的に
見て、圧倒的に近いため、かなり親近感があるのだが、逆に、日本人の方に
北方四島に対して親近感が全くないため、両国間での温度差が激しくなっている。

日本国内で北方領土に関心を持っているのは、極々一部の人達のみで、実際に
ロシア側から一部の領土が返還された場合のシュミレーションも出来ていないため、
日本とロシアの領土問題の解決は、まだまだ遠いと見るのが妥当であろう。 尚、
ロシアは、2年ほど前にウクライナとの国境を確定させたため、残りの領土問題は、
日本のみとなった。

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