2016年4月26日から5月3日まで、熊本地震の被災地各地を回り、現地調査を
して来ました。 当初は、八代市のお手伝いをする計画でこちらにやって
来たのですが、八代市役所で得た情報によると、八代市内では半壊、全壊した
家屋の数は、共にゼロとなっており、第二避難所は、この先全て閉鎖され、
4月30日現在の避難所の数は、8つまで減っています。

4月27日からは、市内全ての小中学校他での授業が始まりました。 現在、
八代市内の避難所に避難をしているのは、その殆どが夜間のみで、昼間は避難所
には、殆ど人がおりません。 最終的に、八代市に出されたのは、避難勧告のみで、
強制ではなかったため、自宅に留まった人たちもかなり多かったようです。

4月28日からは、八代市内のみならず、熊本市周辺の各市町村役場、並びに、
大分県由布市、別府市役所をそれぞれ回ったのですが、各市町村の被災度合いは、
かなりピンきりで、被災度合いが酷い場所は、家屋が倒壊し、かなり悲惨な光景
ではあるものの、それ以外の場所は、殆ど被災していない場所も多く、改めて
地震災害は、直下型であればあるほど、その被災状況にはバラつきが出る事が
分かりました。



【熊本市の被災状況】
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今回の熊本大地震での最大の被災地は、益城町ですが、その益城町内でも、震源地
から、ものの数キロ程度外れるだけで、家屋倒壊は起こってはおらず、皿が数枚
割れた程度の被害に留まっています。 全般的に、震源地から10キロ圏内では、
屋根が壊れて、ブルーシートで覆っている家屋が多く、それ以外の場所では、
ブルーシートはかなり稀でした。

熊本市内の被災状況は、4月末現在で、概ね、電気も水道も復旧しており、一部
地域で、水道水が未だに濁っているため、飲料水を別途用意している状況となって
いるものの、パッと見では、倒壊家屋や、ブルーシートも少ないため、家屋内での
家具の転倒程度の被災状況となっています。

元々、今回の地震は、震度7が2回とは言っているものの、マグニチュードに換算
すると、7.3程度であるため、震源地が浅いとは言われているものの、過去の
被災地と比較をすると、かなり懐疑的な被災状況だと思います。 本振とされた
地震が、気象庁によって、前震であったと修正されたのは、実は今回が初めてで、
何もかも初めて尽くしであるため、災害よりも、情報の方が、独り歩きしている
感じが否めません。



【益城町の被災状況】
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現在、余震の震源地は、熊本県の八代市付近へと移動をしており、この付近では
地震のエネルギーが蓄積されているとも言われており、この先、半年から1年
程度は、警戒をするに越した事はないと思います。 現状、この付近でも、
余震は、若干収束方向には向いてはいるものの、気象庁も前例のない地震災害
であるため、終息宣言をなかなか出せずにいます。

過去の例としては、三陸地方で地震が起きたその直後には、熊本でも大地震が
起きているという情報もあり、約400年ほど前の1619年に発生した地震では、
熊本八代にあった麦島城が完全に更地になるほどに崩壊したとのことで、今回の
地震のような大きな地震が発生していたようです。

こうした過去の地震が発生した流れの中で、熊本の後に『長野→小田原→江戸』
でも大地震が発生していたらしい。 その後、地震が原因で、加藤清正によって、
熊本城が建設された事になったのだが、その熊本城がまた崩れたのは、単なる
偶然なのだろうか?
 
【400年前の地震】
1611年 慶長の三陸沖地震(M8.1)
1619年 熊本地震(M6.0)
1627年 長野地震(M6.0)
1633年 小田原地震(M7.0)
1635年 江戸地震(M6.0)

東日本大震災と熊本大地震との間には、何らかの因果関係も考えられるため、
これらの地域では、用心をするに越した事はないかも知れない。

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