19世紀の半ば、ロシア社会に大きな変革が起きる。 その引き金になったのは、
クリミア戦争だった。 トルコとの戦いは、既に何回も行われていたが、今度は
トルコの後押しをするイギリスとフランスを相手に戦う羽目になった。

1853年に始まった戦争は、その翌々年クリミア半島の南端にあるセバストーポリの
要塞の陥落によってロシア側の敗北に終わった。 翌年のパリ条約の締結を待たずに、
ニコライ1世は他界し、アレクサンドル2世が皇帝となった。 敗戦は農奴制を基盤
とするロシア社会の変革の必要性を認識させずにはおかなかった。

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新帝は、クリミア戦争終戦後の詔書を出した11日後、モスクワを訪問し、総督
ザクレフスキーが集めた貴族の代表達に演説した。 『不幸にも農民とその領主
との間に敵対的感情が存在しており、それが原因で既に領主に対する不服従が
いくつか発生している。

朕は、遅かれ早かれ、我々がこれに着手しなければならないものと確信している。
諸君も朕と同意見であると思うのだが、そうであるなら、これが下から起こる
よりも、上から起こる方が遥かに良いのだ。』 皇帝は、モスクワで農奴解放へ
向かう意思を表明した。

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この解説ニュースは、全国に瞬く間に広まった。 『大改革』が始まった。
最初は、経済面の改革であった。 1861年には、農奴解放が実現され、64年には、
ゼムストヴォと呼ばれる地方行政を担当する自治機関が創出され、陪審員制度を
持つ三審制の近代的な司法制度も創り出された。 中学校、大学制度も改革された。

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