フラマンとワロンの両地域圏の対立は、地域的な小規模政党の発達を促した。
現在の中央政府は、いくつかの政党で連立して国会内で多数を占めること
によって成り立っている。 フラマン・キリスト教人民党は、フラマン地域圏
では最大の政党で、これがワロン地域圏にある同じ考え方の比較的小規模な
政党と提携して、カトリック投票ブロックを形作っている。

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キリスト教人民党は、何人もの首相を出しており、その中には、レオ・
ティンディマスとウィリフリード・マルテンスがいる。 マルテンスは、
1979年に最初に首相になって以来、数回に渡り首相に選ばれた。 社会党は、
ワロン地域圏で勢力が強く、オランダ語とフランス語をそれぞれ母国語と
する人々の集団が、内部に作られている。 この点は、自由党の場合も同じで、
自由党の強い支持基盤は、ブリュッセル地域圏である。

1980年代には、失業率は増大し、物価は高騰していた。 この時期にも
マルテンスは、首相となり、政府から緊急権限を与えられて、国の財政
状態の改善にあたった。

彼は、強力な経済政策を採用した。 公共投資と福祉予算を大幅に削って国家の
負債を圧縮した。 労働者は、賃金の切り下げを強いられ、デモやストライキが
多発した。 マルテンスは、企業への課税を減らして、生産の増大と職場の
創設をはかり、世界市場での競争力を付けされた。

その目的を達成するため、マルテンスは、数度に渡り、短期間、野党の地位に
甘んじたが、いすれの場合も、新しい連立内閣を作るのに成功した。 1990年代
初期までに、 この強力な政策は功を奏し始めたようで、ベルギーの経済情勢は、
久しぶりに改善された。

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この間、ECを統一した貿易ブロックに作り変えようとする計画が策定された。
その結果、1993年には司法等の面での結び付きを強めて欧州連合(EU)へと
移行した。 EUの本部をブリュッセルに置くベルギーは、ヨーロッパ市場の
大変革の中心に位置している。 1993年、国王ボードワン1世の死去に伴い、
弟のアルベール2世が即位した。 その後、アルベール2世の長子である
フィリップが国王に即位し、現在に至っている。

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