2005年、アンゲラ・メルケルは、ドイツ首相を選ぶ選挙できわどい勝利を
おさめた。 初の女性首相であると同時に、メルケルは、旧東ドイツ出身の
首相でもある。 選挙戦でのメルケルの勝利は象徴的であった。 それは、
少なくとも、いくつかの点で、東西ドイツの差が消えつつあることを示して
いた。 1945年、ドイツは、敗戦によって荒れ果て、東西に分断された。
西側諸国の力を借りて、西ドイツは、ヨーロッパ一豊かな国へと復興した。
社会主義政権の支配下にあった東ドイツは、遥かに立ち遅れた。

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ドイツは、常に国家を再統一したいと願って来た。 1989年に社会主義
体制が崩壊し、その機会がやって来た。 再統一されたドイツは、メルケルの
首相就任に象徴されるように、数々の進歩を成し遂げて来た。 1930年代に
ドイツ人は、後に独裁政治を始めるような過激な政治家を選挙で選ぶという
過ちを犯した。 第二次世界大戦後、彼等は、同じ過ちを二度と繰り返さす
まいと決心した。 ナチスが再び政権を握るのを防ぐため、西ドイツは、
1945年に新憲法をつくった。 『基本法』と呼ばれるこの法律では、あらゆる
人に基本的人権が保障された。 全てのドイツ人に財産の所有と移動の自由、
労働組合への参加、そして法の下の平等が認められた。 当時、東ドイツ
国民は、この基本法の恩恵を得ることは出来なかった。 しかし、基本法を
起草した法律家達は、東ドイツ国民もいつかはこの法の下で、ひとつになれる
日が来ることを思い描いていた。

西ドイツ政府は、常にドイツの再統一を願っていた。 しかし、東ドイツが
社会主義の体制化にある限り、それは到底実現出来しそうになかった。
その頃、西ドイツは、ライン川沿いのボンに暫定首都を置いていた。西ドイツ
政府は、全力を上げて国家の繁栄を目指し、素晴らしい成果を上げた。
欧州復興プログラムによって提供される支援を元に、西ドイツは、産業を
再建した。 1957年、西ドイツは、フランス、ベルギー、オランダ等、
かつての敵対国と共に、ヨーロッパ経済共同体と呼ばれる経済圏設立した。
その加盟国は後に、貿易、外交、立法における統合を目指す共同体として、
ヨーロッパ連合(EU)を形成した。 現在、EUの加盟国は、28ヶ国である。

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1989年に東ドイツの社会主義体制が崩壊すると、西ドイツは、長年の
約束を守って東ドイツを受け入れた。 これは、口で言うよりも遥かに
困難な事業であった。 破綻した東ドイツ経済は、西ドイツの豊かな財政に
よっても殆ど解決し切れない問題を抱えていた。 工場は、非効率的で、
老朽化しているために、労働者の安全が保障出来ず、閉鎖せざるを得ない
ところもあった。 西ドイツは、以前から、東ドイツの通貨、オスト・
マルクと西ドイツの通貨ドイツ・マルクを1対1で交換する約束をしていた。

しかし、再統一が行われた1989年10月3日の朝、その約束は果たされ
なかった。 オスト・マルクは、紙屑同然なのに、ドイツ・マルクは、
世界で最も強い通貨であったからだ。 再統一後、ドイツ経済の勢いに
陰りが見え始めた。 政府は、旧東ドイツの近代化に毎年700億ドルを
支出しなければならなかった。 その支出の殆どは、数百万人にも上る
旧東ドイツの失業者を解消するために使われている。 現在のドイツは、
かつての西ドイツ程ではないが、それでも、世界で4番目の経済大国である。

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