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宮城県美里町は、12年前の「宮城県連続地震」の最大の被災地。 この付近を
流れる鳴瀬川は、白鳥の越冬地としても有名で、冬になると、白鳥が大量に
飛来する。

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2003年7月26日、1週間も降り続いた長雨の直後に震度6強連続3回という地震が
発生したため、この周辺は、液状化現象を起こして、概ね地盤沈下した。
その際に、堤防も決壊し掛けたのだが、元々、この付近には、この堤防以外に
高い場所が一切ないため、堤防が切れてしまうと、一巻の終わり。 先日の
集中豪雨で堤防が決壊した大崎市の渋井川は、実は、この川の15キロ上流にある。



但し、この堤防は、12年前の連続地震が起きた後に、丸2年間もの歳月を掛けて
(一部の家屋は、別の場所へ移転)、堤防の厚さを3倍強に補強し、更に、昨年
再度堤防を補強したため、このような頑丈な厚さの堤防となった。 砂利道の
部分が、被災後に付け足した部分で、それ以前は、このサイクリングロード
として舗装されている部分の厚さしかなかった。

【3倍強の厚さに補強された堤防】
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宮城県連続地震」が発生した際に、最も被害が酷かったのは、墓地付近で、
概ね50センチ~1メートルほど、墓石が沈下した。 お寺と神社も完全に倒壊した
ため、その後、5年間に渡り、それぞれ、年間で5万円づつ檀家料を徴収された。

この付近だけは、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定からも
外されたため、瓦礫の処理は自腹だった。 町が瓦礫の処理の費用を半分負担
したため、若干ましにはなったものの、それでも、東北の家屋は、全て大きいため、
それぞれの家庭で、60万円~200万円程度の費用が掛かった。 その際に、税金を
一部免除されたのだが、その金額は、何と1,000円。

家を失い、住む場所すらなくなった人達に対する免除額が1,000円とは何とも
情けない話し。

美里町は、2016年1月で合併10周年なのだが、10年経過した今でも、ハッキリ
言って小牛田と仲が悪いのは、その当時、小牛田が被災しなかったため。
当時は、震度4強程度の揺れだったらしい。 よって、小牛田の人達は、この
事実を覚えてはいない。

この付近は、家屋がもれなく倒壊したため、田舎町なのに、新しい家屋だらけ
なのだが、家を建てられなかった人達は、町から出て行ったため、その後、
人口が劇減りした。 すぐ近所の小学校にあった仮設住宅は、2年キッカリで
撤廃された。 東日本大震災では、東松島市の仮設住宅がその小学校のすぐ裏に
建設されたのだが、そちらは、2015年の3月まで、丸3年間あった。 連続地震の
すぐ後に、市町村合併の話が持ち上がったため、予算を使い果たした町には、
既に合併を拒否出来るだけの力は残ってはいなかった。
 
【復旧が完了した墓地と石巻から移転して来た工場】
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この周辺は、市町村合併前までは、町の中心部だったのだが、合併後は、
何もかも小牛田に持って行かれてしまったため、何もなくなった。 この
付近の住民は、元々、小牛田方面へは行かないため、2015年の4月からは、
バスすらなくなった。 バスの終点は、元々は、小牛田などではなく、涌谷
だったのだが、市町村合併後に、強引にルートを変えられたもの。 

この場所は、東北最大の海岸である野蒜からは、15キロ地点にあるのだが、
東日本大震災が発生した際に、この川を伝って、津波が遡上して来たため、
堤防内にあった木が殆どなくなった。 東日本大震災の際には、家屋の倒壊は
1軒もなかった。 その理由は、倒れそうな家屋は、12年前に全て倒壊したため。
美里町は、石巻からも至近距離にあるため、被災後は、石巻港から2つの工場が
移転して来た。



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