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被災地巡りの気仙沼編です。 出発地点は、JR気仙沼線の分岐駅、石巻市にある
前谷地駅から。 なるべく気仙沼線に沿って気仙沼まで行く小旅行です。 今年の
6月から気仙沼線のBRTが、この前谷地駅まで乗り入れを開始したため、駅前に
BRT専用のバス乗り場が出来ました。 この付近は、12年前の宮城県北部連続
地震でかなり破壊されましたが、今では、概ね復興は終わっております。
【前谷地駅前】
気仙沼線に沿って進む筈が、途中の県道に道路標識が全くないため、気仙沼線
からは、若干外れますが、登米に来てみました。 登米市登米と書いて
『とめし とよま』と読むという、嫌がらせのような地名です。 登米は、
『宮城の明治村』とも呼ばれており、旧水沢県の県庁所在地だった街。 その後、
水沢県は、明治政府により、南北に2等分され、北は、現在の岩手県へと割譲、
南半分だけ宮城県に留まりました。 その宮城県という名前も、明治政府に
よって無理やり変えさせられた名前であるため、ハッキリ言って、この県名が
嫌いな人が多い。 よって、宮城県出身者は、その殆どが『仙台出身です』と
言う事になっております。
【宮城の明治村 登米】
登米は、これまた、明治政府によって、鉄路を大きく外されてしまったため、
その後一切発展する事すらなく、現在に至っております。 昔の県庁所在地で、
最終的に単独で市に昇格出来なかったのは、この登米ぐらいだと思います。
現在の登米市が、「とめし」と読むのは、『とよま』ではないためで、登米市の
中心部は、登米ではなく、佐沼となっております。
北上川の開運によって隆盛を極めた登米の面影は、現在では、一切残ってはおらず、
今では、鉄道すら通ってはおりません。 よって、明治政府の残忍非道な愚行が
そこかしこに見え隠れしているのが登米となっております。 しかも、こちらは、
県の名前を仙台から宮城に無理やり変えられても、領土を割譲させられても、
150年間謝罪の言葉すらなく、そのまま放置。
【本吉駅跡】
今月正式に廃止、並びに、BRTへの転換が決定されたJR気仙沼線の本吉駅跡。
気仙沼線は、津波で破壊された区間が長過ぎるため、薄々復旧は不可能である事は
前々から分かっていましたが、実際に廃止が決定されると、やはり寂しいものが
あります。 運行本数的には、バスの方が鉄道よりも圧倒的に多いのですが、
地方路線であるがゆえに、国からの補助により、復旧を果たした三陸鉄道とは、
好対照となっています。
JR東日本は、発足当初、仙台と東京で本社を巡る熱い戦いを繰り広げた結果、
仙台と東京に2つの本社を置く事でその問題を解決しましたが、その後、JR
東日本東北は、単なる『仙台支社』に格下げとなったため、JR東日本の路線は、
田舎の路線でも地方鉄道程の予算が下りずに、結局は、大船渡線共々廃止に
なりました。 元々は鉄路であった専用路線を走行するため、通常のバスよりも
遅れが少ないものの、やはり、バスなので、正確な時間が読めません。
【小金沢駅跡】
JR気仙沼線、小金沢駅跡。 気仙沼線は、その殆どを津波によって流されて
しまったため、このような残骸が各地に残っています。 海のすぐ隣に駅が
あるため、土台が流されて、このような状態が残されています。 専用BRTも、
この駅の付近は、国道45号線を走行するため、駅舎自体ももうありません。
ホームも半分近くが流されてしまったため、見る陰もありません。
【大谷海岸駅跡】
JR気仙沼線、大谷海岸駅跡。 道の駅も併設されていたため、被災前までは、
マンボウの展示も行っていましたが、今では駅舎自体が無くなったため、
マンボウもいなくなりました。 日本で最も海水浴場に近い駅というキャッチ
フレーズを使っていましたが、今では、その海水浴場では、ひとりも泳いでは
おりません。 土嚢で波よけをしているものの、再度津波が襲った場合は、何の
役にも立たないでしょう。BRTは、斜め向かいの国道に到着します。
気仙沼に行く度に、必ず寄るのは、イオン気仙沼。 街の入口にあるため、
何かと便利。 こちらのお店に到達した津波の高さは、2.8mとなっており、
1階部分がほぼ全て浸水。 被災当初は、瓦礫に埋もれて、グチャグチャに
なっていましたが、今では、その瓦礫もなくなり、この付近は、かなり殺風景に
なりました。
【イオン気仙沼】
東日本大震災で被災した気仙沼市の観光施設。 震災から3年4ヶ月ぶりに全面
復旧を終え、昨年7月19日に本格的な営業を再開しました。 「海の市」は、
震災前、年間100万人の来場者で賑わった観光施設。 2014年4月に施設2階と
3階の復旧を終え、『シャークミュージアム』と『気仙沼市観光サービスセンター』
が運営を開始、その後、1階で飲食店1店舗が営業を再開していました。
昨年の7月に、グランドオープンを果たしたものの、被災前と比較すると、
おみやげ屋の数も減り、2階にある世界で唯一のサメの博物館、
『シャークミュージアム』は復活したものの、1階にあった『氷の水族館』は、
未だ閉鎖されたまま。 現在復旧に向けて、全力で取り組んでいるそうですが、
その復活時期は、全くもって未定。 施設としての『氷の水族館』は、気仙沼が
全国でも唯一だったとか。 気仙沼のサメの水揚げ高は、世界一で、中国で食べ
られているフカヒレのほとんどが、ここ気仙沼産。 この施設を真っ直ぐ南に
向かった突き当りが、南気仙沼駅でしたが、今では、その残骸すら残ってはいない
ため、そこに駅があったのかすらもう分かりません。
【気仙沼市観光サービスセンター】
おみやげ屋の数も減り、2階にある世界で唯一のサメの博物館、
『シャークミュージアム』は復活したものの、1階にあった『氷の水族館』は、
未だ閉鎖されたまま。 現在復旧に向けて、全力で取り組んでいるそうですが、
その復活時期は、全くもって未定。 施設としての『氷の水族館』は、気仙沼が
全国でも唯一だったとか。 気仙沼のサメの水揚げ高は、世界一で、中国で食べ
られているフカヒレのほとんどが、ここ気仙沼産。 この施設を真っ直ぐ南に
向かった突き当りが、南気仙沼駅でしたが、今では、その残骸すら残ってはいない
ため、そこに駅があったのかすらもう分かりません。
【気仙沼市観光サービスセンター】
気仙沼港から、大島行きのフェリーが出ています。 大島は、人が住んでいる
有人の島ですが、被災時に、一時完全に孤立しました。 観光が盛んな島
でしたが、今でも、観光客は、元のレベルには戻ってはいません。 この周辺の
復興は、遅々として進まず、このような殺風景な風景ばかりが広がっています。
このすぐ裏には、JR大船渡線が走っていましたが、気仙沼線共々、廃止とBRT
への転換が正式に決定されたため、鉄路として戻る事はもうありません。
内陸に大型の船が打ち寄せられていたのは、ここからもう少し先の場所です。
【気仙沼港】
気仙沼港のすぐ隣には、今でも仮設復興商店街があります。 JR気仙沼線は、
一部では鉄路が残ってはいるものの、その殆どを津波で土台ごと流されて
しまったのと、多くの場所で、バス専用路線として、道路に転換してしまった
ため、今では、このような鉄路が残っている方が珍しくなっています。 よって、
気仙沼に鉄道で行くためには、宮城県側からは行けず、岩手県の一関から
大船渡線に乗るしかなくなりました。
【お勧めの一品】
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