JR仙石線は、2011年3月に発生した東日本大震災での津波災害により、駅屋や
線路が流出したため、その後、4年以上にも渡って、一部区間で不通が続いていたが、
震災から4年2ヶ月を経て、2015年5月30日に営業運転を再開する。 それに
合わせて、JR東北本線との乗り入れ運転を開始する。
これまでは、仙台⇔高城町、並びに、陸前小野⇔石巻間だけの折り返し運転を
行っており、陸前小野⇔石巻間は、津波で送電施設を破壊されたため、気動車での
運転を行っていた。 陸前小野⇔陸前大塚間は、高台への線路の移転に手間取り、
営業再開までには、4年以上の歳月を費やしたが、5月30日の野蒜地区の街開きと
共に、野蒜駅と東名駅が山側へと移設され、営業を再開する。
高城町⇔陸前大塚間の線路は残ったたものの、海のすぐ隣に線路があるため、
送電線が壊れたりしたため、海側に防波堤を新たにに建設し、陸前大塚駅は嵩上げ
工事の後、このような駅となった。 陸前大塚⇔陸前小野駅間は新線での営業運転
となる。
尚、高城町駅から先は、300メートルほど新線が建設されたため、仙石東北ライン
として営業を開始するため、仙台⇔石巻間は、約10分程度時間短縮される。
仙石線の高城町駅から東北本線の松島駅までは、徒歩10分程度で行く事が出来る
のだが、これまでの代行バスは、松島駅には停車しなかったため、停車してれば、
仙台駅までは20分以上も到達時間を短縮出来たところを、わざとそれをしなかったのは、
JRがバカだから。
現在仙石線は、東北本線との乗り入れ部分を含めた試験運転を開始しており、
仙台⇔石巻間は被災前と比べて、10分程度の時間短縮が見込まれている。
仙石線と東北本線は、電化方式が異なるため、ここで使用される車両は、その問題を
考慮して、電車ではなく、発電機能付きのディーゼル車、いわゆる、ハイブリットカーが
導入される。
5月30日に街開きを行う野蒜地区。 それまでは中に入れないため、街の様子が
どのようになっているのかが分からない。 今では使われなくなった旧野蒜駅の
遠くの方には、新しい野蒜駅が既に完成していた。 この付近で、仙石線の上り電車が
流されたのだが、報道当初は、電車が津波により流され、全員が死亡したと伝えられた。
実際は、このすぐそばにある野蒜小学校に避難をしたのだが、そこの校長が、学校の
校舎に鍵を掛けたため、校舎の上に登れず、折角電車から避難をして来た人達が数名、
その体育館で死亡した。 野蒜地区だけで、死者・行方不明者の数は、約500名、
東松島市全体では、約1,100名が死亡している。
高台への野蒜地区の移転現場。 まだ街開きをしていないため急ピッチでの工事が進んでいる。
元々あった線路からの分岐地点は、コンクリートの色が明らかに異なっていたため、
ここから新路線である事がすぐに分かった。 この地点は、25年ぐらい前にも強風
による列車の遅れをなくために、路線変更をしたのだが、その地点は、現在では、
盛土が施されて、道路側からは写真撮影が出来なくなっていた。 元々は、この
部分から、海側へと線路が下っていた場所なのだが、そこから山を切り崩して、
高台に新しい街を建設中。
津波で流されて何もなくなった旧野蒜駅前。 元々この周辺は、住宅地、並びに、
防潮林の松林だったのだが、その松は、ほぼ全て流されて、残された松も防波堤
建設のため、全て伐採してしまったため、現在この付近に松は1本もない。 現在、
この地区全体が大規模嵩上げ工事中につき、全く別物の景色となってしまった
野蒜地区では、海側に15メートル程度の防波堤を建設しているため、この駅からも
潮の香りと波の音は聞こえるものの、海は全く見えない。 元々あった5メートル
ほどの防波堤の内側に更に高い防波堤を建設しているため、その間を走っている
県道が、防波堤の上に移設されるのか、それとも、そのまま地上を走るのか、今の
ところ全く分からない。 尚、旧野蒜駅は、現在ではファミリーマートとなっているが、
この付近の民家はほぼ流されたため、ここに来るのは、概ね工事関係者ばかり。
旧野蒜駅。 現在は、ファミリーマートとなっている。
高台へと移転した野蒜駅と東名駅では、坂道や階段が多くなるため、高齢者には
利用し辛い構造となるため、バリアフリー化や、その他高齢者対策をしっかりと
施して欲しいところ。 尚、これまでの終点駅は、仙台側が、高城町駅、石巻側が、
陸前小野駅であったが、高城町駅以南では、これまで通りの電化での営業を行って
いたものの、陸前小野⇔石巻間では、送電施設が津波で破壊されたため、気動車
での運転を行っていたが、この度、その電化工事も終了し、晴れて、電車での
営業再開となる。
現在石巻側の終着駅となっている陸前小野駅。 現在は東松島市となっているが、
小野は元々は旧鳴瀬町の中心地。 小野小町ゆかりの地であるため、小野という
地名となっている。 この付近は、11年前の宮城県連続地震の際にも、かなり
大規模な被害を受けたため、東日本大震災では、津波さえ来なければ、全く被害を
受けなかったのだが、この駅から海側は、全て流され尽くされて、何もなくなっている。
元々この付近の家屋は、全て耐震構造であるため、震度6強程度では全く崩れない。
この駅の内陸側には、海側から新たに移転して来た人達が新しい家を建てて暮らして
いるものの、その場所も津波浸水区域であるため、防波堤を更に高くしなければ、
また津波被害に遭遇する可能性が高い。
陸前小野駅は、営業を再開したとはいえ、1日にたった8往復しか列車が来て
いなかったため、実際の代行バスの乗り換え駅は、この先にある矢本駅。
小野駅前にもバスを停車出来るロータリーがあるため、この駅で全て乗り換えられる
ようにした方が、かなり効率的だったのだが、どうしてそうなったのかは、今となっては
分からないまま。 尚、この付近は、内陸側7キロまで津波が押し寄せた場所。
陸前小野駅も営業再開時に新しくなった。
>>トップページに戻る
クリックをお願いします☆
にほんブログ村